joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

競争 『大人問題』 五味太郎

2007年07月21日 | 絵本・写真集・画集
 競争原理っていうやつなんです。お互い、競い合うことでそれぞれの力が高まる、ゆえに競争させるのは正しいという理論です。
 まったく能天気な理論です。ちょっと考えてみればそんな原理、ときどきそんなことがこの世では起こる程度の、ま、現象といった話で、とても原理などとは言えないものです。
 まわりを見ればすぐにわかります。勝ったやつは図に乗る、負けたやつは落ち込む。勝ったら勝ったで、また勝ちたくなったり、負けたらどうしようかと不安になったり、負けたら負けたでふてくされたり、勝つための裏手を考え巡らしたり、いずれにしても、お互いの力を高めるなんて原理はなかなか働かないものです。
(『大人問題』 五味太郎)


「天下り」ってやつも、学校の競争原理の結果なんだろうな、と思います。

負けることへの不安が、人を安心な世界に引き寄せます。純粋な経済競争の場に入るのがつらいことを、大部分の人は知っています。だって、学校で散々に競争させられてきたから。テストや偏差値の点が少し上がった下がったで大騒ぎしてきたでしょ。

経済競争の場の辛さを知っているから、それがないように見える官僚・公務員や医者や学者や法曹の世界を多くの人は志望します。もちろん、それらの世界内部にも競争はあるし、現実の仕事は激務だったりします。ただ、それらの世界が国家から特権を付与された、ある種の「保護された世界」を形づくっているのも事実です。もっとも、少しずつその特権は剥奪されているのですが(それはそれで、また別の問題を生んでいます)。

民間で働こうとする人たちも、じつは「保護された世界」を求めています。大企業で多くの人が働きたがるのがその証左です。今でも大学四年生はみな大企業で働きたがっている(保護されたがっている)し、中途採用で大企業に移った人が離職する割合は低いものです。

それらの「保護された世界」を目指して、生徒・学生の時代に多くの子供は必死で勉強しているわけですね。親も、子供を安心な「保護された世界」に入れるために、安心できない受験競争に子供をさらそうとしているわけです。

少し外から眺めれば、おかしな現象ですが、でも当事者たちは必死です。


競争原理で社会が活性化するなんていう話は、嘘っぱちじゃないかと思います。

だって、本当に競争で社会が活性化するというのなら、子供たちは「競争」を求めて、上記のような「保護された世界」にはそっぽを向いているはずですよ。でも現実には、大人になってから「競争のない世界」に入るために、子供の頃にがんばって競争しているわけです。

競争があるから、負けることへの不安が増大します。負けることへの不安から、人は「勝つための裏手」をひねり出すようになります。「天下り」もあるわけです。

日本型社会主義国家の成立の原因は、競争なんじゃないでしょうか。


大人問題
五味 太郎
講談社

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おそわらないでいられること 『大人問題』 五味太郎(著)

2007年07月21日 | 絵本・写真集・画集

人間には「これ、なんだろう?」と思う権利があります。当然、義務ではありません。びっくりする権利、どきっとする権利、おもしろいなと思う権利。そういうものが何もないうちから、おしべとめしべがどうのとか、地球は丸いんですよ、なんて教えないでくれ、と思います。ね、興味深いでしょ、ほうら、驚いたでしょ、なんて軽くやらないでほしいと思います。「教わりたくないものは教わらないでいられる権利」が、すべて国民は法の定められるところにより、等しくあるように思います。

(『大人問題』五味太郎)


僕は小学校のときも中学校のときも成績はよくなかったのですが、なぜよくなかったのかと言えば、勉強しなかったからです。で、なぜ勉強しなかったのかといえば、勉強しようと思わなかったからです。「意欲」ってやつです。

もう、それには理由なんかありません。「意欲」があるないに理由なんてないでしょ?ないもんはないんだから。だから、親が深刻そうに溜息をついてこちらを見ても、もうどうしようもありませんでした。

でも、親のそういう態度をまったく意に介さないだけの図太さがあればいいのですが、「悪いなぁ」とは思っていました。深刻に。

だから、五味さんの上の言葉にはとても同感してしまいます。面白くないものは面白くないし、わからないものはわからない。

ただそれでも、小学生ぐらいの頃から、成績のよい子は幸せに生活しているのではないか、と想像するようにはなりました。だから、勉強はしないけど、勉強できないことによる不幸感だけは背負っていました。

子供の大半はそういう感じで、過しているのではないでしょうか。

まあ、僕の親と、今の親御さんとでは大分歳は離れていますから、今の親御さんが子供にどう接しているのかは、分かりません。

多くの子供にとって勉強がつまらないという事実は今でも変わらないと思いますが、今の親はもっと腫れ物に触るような感じで子供に接してるのかな。もちろん、だから子供は幸せかというと、そういうものでもないでしょうけど。無理やり勉強させられているという図式は変わらないわけですから、つまらないものはつまらないでしょう。

子供の9割以上は不幸を感じて学校で勉強しているし、ひょっとしたら大人の9割は不幸を感じて職場で過しているのかもしれません。不思議ですね、社会って。

不幸を感じているのがマジョリティであるのなら、不幸にならないような社会にすればいいわけです。勉強はしたなくないうちは、しなくてよい、とか。

本当にそうすれば、どうなるでしょうかね。多くの大人は、「そんなことをすれば、子供はみんな馬鹿になっちゃう」と言うでしょうね。

突然「3+8=11です」、はい、次は生物、「おなかの中には、大腸があって小腸があて…」。そんなこと、とりあえず知らなくても生きてゆけるのに、知らなくちゃいけないという前提で提示される足し算、大腸小腸はかなりつらいものがあります。知りたくなったら知ればいい、知りたいのにわからなければ、どんどん自分で学んでいって、ついには、杉田玄白みたいになって、『解体新書』まで行くなんて迫力、今の「とりあえずなんでも教えておく」体制では、なかなか期待できません。

「3+8=11」は、子供が知りたいと思わないうちは知らなくていいって、思える大人は少ないと思います。僕も、もし子供がいれば、そう思う勇気が出るかどうかはわかりません。だって、私たちの身の回りの技術は、「3+8=11」を学ぶことによって、可能になっているのですから。

でもね。そんな技術を普及したり理解したりするような人たち。大学の理系学部に入るような人たち。そういう人たちって、大人に言われなくても、好きでどんどん数学や理科を勉強しちゃったっていう人たちばかりなんじゃないでしょうか。

僕は大学時代に理系の友達がたくさんいましたが、彼らはやっぱり数学や理科が好きなんですよ。好きだから、工学部や理学部に入ったんですよ。好きじゃなかったら、あんな勉強ばかりさせられる学部にいれませんて。

だから、べつに子供たち全員に無理やり数学や理科を教えなくても、私たちの身の回りは大して変わらないんじゃないでしょうか。

でも、五味さんの言葉に感動したからといって、じゃあ学校制度を具体的に改革すればいいのかと言うと、ちょっとよくわかりません。いきなり「変革」するのは、それはそれでよくない気がするし。

だから、具体的にどうすればいいかはわからないですが、とりあえず、「子供に勉強させていることがすべてその子のためになる」とは思わない、そういう勇気が欲しいですね。


大人問題
五味 太郎
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