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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) 』 渡辺 千賀 (著)

2007年07月25日 | Book
『ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) 』という本を読みました。著者はシリコンバレーでコンサルタントをしている渡辺千賀さん。主に、シリコンバレーで働く人々を取り巻く状況をスケッチしています。

そのシリコンバレーの特徴とは、

・コンピュータ系の技術をめぐる会社が集積している。日本のコンピュータ関連の大企業の技術者が全員集まっている都市をイメージするとよい。

・ベンチャーが多数乱立。

・収入の水準はとても高い。技術系の博士課程出身者が集まっていることもあるが、年収1千万円以上はまったくめずらしくない。

・また(ベンチャーキャピタルからお金を借りて)起業して、上場して莫大な富を得るということが、理想として掲げられ、実現する人が少なくない。

・それゆえ、ハイリスク・ハイリターンが理念としても現実としても根付いている。成功して若くしてリタイアできる人もいれば、有名大学の技術系学部・博士課程を出ていても失業している人もいる。

・上で述べたように、平均的に給与は1千万を超える高額だが、日本の大企業と違って、レイオフが頻繁に行われる。どれほど給与が高くても、いつ職を失うかわからないという不安がつねにつきまとう。

などなど。文章自体はとても軽いのですが、著者が描写するシリコンバレーで働く人を取り囲む状況はとても過酷なものに見えます。

とりわけ、働く人たちはつねにレイオフにそなえた生活設計を強いられていることなど。どれほどハイリターンの場所に見えても、基本的にはベンチャーの集まりなので、企業はつねにコストの削減を考えていて、事業方針が転換すれば、悪業績の部署はもちろん、好業績をあげていた部署の技術者ですらトップの方針次第で簡単に解雇されるということです。

もちろん、そのようなリスクと引き換えに、シリコンバレーで働く人たちには、普通の人より上の収入の額や、成功すれば莫大な富が入るという面もあります。また、だからこそ、それにひきつけられる人がたくさんいるということなのでしょう。

ただシリコンバレーがシリコンバレーたるゆえんは、当たり前ですが、そこがコンピューター系の技術者が集まっている場所だということなのでしょう。すなわち、単にお金儲けが好きな人が集まっているというわけではないということです。

例えば日本のヒルズ族とシリコンバレーとは違うのではないでしょうか。

日本は、大企業が上品なビジネスをする国だというイメージがありますが、実際には、歴史を通じて、中小企業がお金儲けを求めて激しく競争しているという特徴をもつ国です。そして、日本で働く人の9割が中小企業であることを考えれば、日本とは経済人がお金を求めて競争しあっている国だということです。「お金で人の心も買える」「お金儲けがそんなに悪いことですか」という発言は、決してヒルズ族の人が打ち出した新しい倫理観ではなく、日本のビジネス界が隠して伏せていたメンタリティを白日の下に曝したというだけのもので、日本人にとって目新しいものでは決してありません。

しかし、このような日本の経済文化とシリコンバレーのそれとは違うような印象を渡辺さんの描写からは受けました。

もちろんシリコンバレーにも、ストックオプションなど金銭的富を狙っている人は多いでしょう。しかしシリコンバレーのマジョリティを形づくるのは、コンピュータの世界が好きであり、新しい技術が好きであり、自分の世界・ライフスタイルを自分の思うままに演出したく、また人間関係に煩わされたくなく、同時に物質的にも恵まれていたいという、現代人の典型のような人たちのように見えます。ただ彼らが人と違うのは、多くの人がそれを夢見ながらも現実と折り合おうとしているのに対し、シリコンバレーのギークたちは、そのような無機質な世界に現実に住むことを夢見た人たちなのではないか、と。

彼らは自分の行動を侵されない自由が欲しいし、自分の探究心を満たしてくれる物質的報酬を求めているし、同時に自分の関心事以外のことで贅沢したいとも思わないし、人間関係に煩わされたくもない。

そのような個人主義的な、きわめて現代的なメンタリティをもつ人々が集まっているような場所に見えます。

面白いのは、そのようなシリコンバレーで生きていくには、最後には友達、そして配偶者が頼りだということ。

誰もが皆自分の世界を追及し、自分の世界を守ることを考えている場所なので、日本の大企業のように終身雇用はありませんし、つねにレイオフの危険があります。そういうなかで、職を失うという状態でも生きていくためには、夫婦共働きが当然で、かつ自分も相手も高収入であることが必要になります。シリコンバレーでは、夫婦が両方ともホワイトカラー(という定義も古いが)であることが必要になるということです。

例えば日本でも、医者同士・法律家同士という結婚は多いでしょう。それは、同じ専門の世界に身を置いているから気が合うという理由の次に、どちらも経済的に豊かであるから一緒になればよし安心できるという面はないでしょうか。

シリコンバレーのギークや、あるいは医者や法律家などの職業に共通しているのはオタク的な「専門家」であるということであり、それらは組織に従属せずに個人の自由を求める人に向いている職業だということです。と同時に、彼らは自分の自由を確保するための経済的な安全をも必要としています。

経済的な安全を求めるのはすべての人に共通することですが、その動機に個人主義的なライフスタイルの確保がより強調されるという点が、上記の人たちに見られる特徴ではないでしょうか。

すると、自らの財政をより安全なものにする手段として、自分と同程度の高収入の配偶者を見つけるということに至ります。ある社会学者の方は、このような現象を「強者連合」と呼びました(『希望格差社会』山田昌弘)。もっとも、彼らは気の合わない人と無理に一緒になったり、婚姻を続けたりはしません。極度に我慢する結婚生活というのは、自らの個人主義的なライフスタイルを確保するという点から見て、耐える価値のないことだからです。

それに対して、そのような「専門家」ではないリッチな企業経営者や、高収入でも「専門家」とは言えない大企業社員・官僚などの男性は、「専業主婦」を「もつ」傾向があるかもしれないのでは。

社会学の標準的なテキストでは、近現代社会は、かつてほど「結婚」という制度は経済的理由ではなされなくなったと説明してあります。その場合の「経済的理由」とは、主に経済力の無い女性が保護を求めて経済力のある男性と添い遂げるということです。

女性の社会進出でそのような現象はたしかに減ってきたのでしょうが、同時に専門家的な仕事で高収入の職に就いている男女がお互いに結びつく傾向があるというのも興味深いです。結婚から経済的理由が決して消えていない可能性もあります。背景・理由は変化しながらも、結婚が人の経済的不安を緩和してくれる制度として役立っているということです。

資本主義の純粋な形態を描いてくれるハイリスク・ハイリターンの社会になるほど、逆に結婚が経済的な保護の拠り所として注目される傾向があるのかもしれません。