joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

書籍 『ひらめき脳』 茂木健一郎(著)

2007年07月12日 | Book
『ひらめき脳』(茂木健一郎著)を『「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学』(山鳥重著)と同時に読んだのは、偶然といえば偶然だけれど、でも私の興味がそういう方面に向いていたのだから、必然といえば必然です。

どちらの本もかなり似た内容を扱っています。山鳥さんの本が、「わかる」と思うときにはそもそも私たちの頭は何を認識しているのかを説明しているのだとすれば、茂木さんの本は、「わかった!」と人が感じるための条件や、そう感じることの効用みたいなものを私たちに教えてくれます。

茂木さんは、わたしたちが「わかった!」と思う(ひらめく)には、記憶が大事だと言う。つまり、個々の事実などを頭にインプットして、それら諸事実の中に関連性・秩序を見出すことが、「わかった!」「ひらめいた」という感覚につながるのではないかと。

逆に言えば、個々の事実や、単語や、単純な計算や解法や、などの暗記は、学習の過程では第一歩に過ぎなくて、それら諸事実の間の秩序をイメージでき、あるいは発見できることが、より深い学習なんだよ、と言っている。

お二人とも学校教育に関しては否定的に見ているのだけれども、その中にもいい面があるとすれば、受験勉強などでは暗記が大切になるという点です。暗記して記憶して様々な事柄が頭に入っていることが、学習の前提だからです。

同時に受験勉強のマイナス面は、その暗記レベルで勉強をストップさせる危険がある点です。より深い学習とは、暗記して頭に入れた事柄から、誰もが今まで気づかなかった秩序を見出すことだから。

茂木さんは、頭は記憶したことを、つねに編集し直しているといいます。つまり、たくさんの事柄を頭に一度記憶しても、それを思い出す過程で、頭はその順番や個々の事柄のつながり方を、つねに自分でバージョンアップさせているということですね。

受験勉強のマイナス面があるとすれば、生徒たちに、そのバージョンアップした、自分なりの諸事実の関連性の描き方を考えさせるのではなく、既存のフォーマットに合わせて固定的に記憶させて、自発的な記憶の仕方をさせないようにしている点でしょうか。

茂木さんは、「ひらめく」には、一定の退屈な時間が必要だといいます。つまり、一見無味乾燥に思える諸事実をも根気よく頭にインプットする過程と、それを自分なりに再編集する過程が、退屈な時間であるということです。

単に本に書いてあることを頭で記憶するという手続きには、空白がありません。つまり、頭に仕入れた事柄を自分なりに再構成するという能動的な手続きが欠けています。逆に言えば、その再構成・記憶の編集作業は、表面的な意識の操作を超えた脳の働きなのでしょう。そのような脳の働きを起こすには、どこかで一度立ち止まる必要があります。しかし、普通の人は、その退屈さに耐えることができません。別の面から言えば、そのような退屈さに耐えることができる分野が、その人の向いている分野だと言えます。