joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「まっ、いいかぁ」

2005年03月27日 | 日記
だんだんと暖かくなってきました。でも今日はさわやかな日じゃなかった。もわっとしたいやな感じがした。雨もじとじと降っています。

こういう日は、昔から、足の太ももに針が刺さったような感触を覚えます。ズボンの布地に皮膚が敏感に反応するのだろうか、こういう曇りで雨模様の気候だと。それが太ももだというのも面白い。子供の頃からです。

今、姪が遊びに来ています。『グレイトマザー』という夜6時半からの番組を見ていて、有名人の「偉大な」お母さんがその子供に言って聞かせている口癖が紹介されていました。

すると姪が、「わたしのおかあさんの口癖は「まっ、いいかぁ」やから、私が有名になってテレビでお母さんの口癖を紹介したら笑われるなぁ」と笑って言いました。


涼風


『会社はこれからどうなるのか』(2)

2005年03月27日 | Book
『会社はこれからどうなるのか』(1)の続きです。(1)(2)あわせて400字詰め原稿用紙25枚分ほどの分量になります。


ところで、モノの販売においては、デルの例をとって岩井さんは、各部品の柔軟な組み合わせが可能であることが現在のモノの特徴であると述べています。このような形態を「オープン・アーキテクト化」といいます。

モノの生産は以前では労働者や技術者のコツやカンに頼り、必然的に生産工程や技術開発のプロセスが複雑になっていました。またそれだけ複雑だからこそ、特殊組織的人的資産が企業には必要とされていました。

しかしコンピュータはそれら複雑な過程をシンプルに分解して自由に部品を組み合わせることができるようにしました。それは言い換えれば「製品や技術デザインを、いくつかのほぼ独立したブロック-もっと格好良い言葉を使えば、モジュール(Module)-に分解するとともに、その間をできるだけ規格化されたインターフェースで連結してしまうこと」を意味します。たとえばパソコンを、プロセッサ、メモリ、ハードディスク、ディスプレイ、CDドライブ、モデム、接続端子、キーボード、マウス、・・・といった標準化された部品に分解して、部品ごとに独立に生産を行い、最後にそれらを規格化された箱に詰めたり、規格化されたケーブルでつないでひとつの完成品を仕立て上げるのです(236頁)。

この「オープン・アーキテクト化」により大企業は世界中にいる消費者の個性的な欲求に対応する販売を可能にしていますが、同時に小企業が生き残る道もこれにより敷かれることになりました。つまり、大企業がすべての部品を組み合わせて完成品を提供するのに対し、小企業は自分たちが得意とする個々の部品の取り扱いに特化するようになりました。個々の部品の接続が簡単になっているため、ある部品に特化しても別の会社と取引することがより容易になったのです。

岩井さんが指摘しているわけではありませんが、これは従来の「下請け」とは似て異なるものだと思います。「下請け」は自分をその系列化においている大企業が要請するものに合わせて部品を製造する必要があります。

しかし「オープン・アーキテクト化」が一般的となれば、そのような上下の力関係はかなり緩和されるかなくなります。各部品の接続の規格化が企業をこえて一般的となる以上、個々の部品に特化しても特定の大企業に取引先を限定せずに、多くの企業と取引できるからです。そこでは企業規模の大小にかかわらず、対等な企業間の関係が発生する必要があります。もしそこで大企業が自社独自の部品形態にこだわると、多様な完成品を生むことができなくなり、消費者の細かなニーズに対応することはできなくなります。図体がでかいだけに、一度消費者のニーズと離れた商品しか提供できない状態になると、その損失も莫大になる可能性が大企業にはあります。

ともかく、差異のある商品を生み出すのが至上命題である以上、大企業はネットワークを最大限に拡げる努力を続ける必要があります。また大企業の外にいる企業は、とにかく自分の得意な分野に業務を集中させる必要が出てきます(これは上のようなモノに限らず、金融商品や商品としての知識にも当てはまります)。岩井さんは、このような大と小への二極化をこれからの企業動向のトレンドとみています。

それは必ずしも小企業が不利な状況とは言えません。むしろ、小企業は個性的なアイデアで消費者の細かなニーズに対応でき、大企業はその小企業のアイデアを一つにまとめそのネットワークを使って世界的に消費者に届けることができるようになったと言えるのかもしれません。大企業は大きくならざるをえず、それ以外の企業は小さくならざるをえないというのが本当かもしれません。

上から言えることは、大企業のメリットとは、個々の企業や人のアイデアを集めることができる点にあると言えます。ということは、やはり差異のある商品を生むのは、無数にいる個々人それぞれのアイデアだということです。これは産業資本主義段階の大量生産と大きく異なる点です。

個々人がもつアイデアとは、この世に二つとない〈差異のある情報〉です。ポスト産業資本主義の現代で中心となる商品がアイデア=情報であること、このことは企業組織のあり方にどういう影響を与えると岩井さんは見ているでしょうか。

もちろん企業アイデアは機械制工場による大量生産の時代でも重要でしたが、その重要性の度合いが現代は以前と比べ物にならないほど大きいのだということなのだと思います。たとえ同じ内容の商品が二つ以上あっても、元々モノをもっていなかった人々にとってはどちらも価値があったからです。

しかし現代では、絶対にこの世に二つとない商品を作りだすことが企業には求められています。商品としてのアイデア、商品としての情報の特徴はその点にあります。

そのためには、情報は絶対に他社に漏れるようなことがあってはなりません。かといって、企業としてその情報を商品化するには他の社員とのチームワークが不可欠です。つまり全社員がその社のアイデアを共有しかつ外部に絶対に漏らさないという一致団結した精神が必要となるのです。

そのためには社員の会社への帰属意識を高める必要があります。社員に「会社人」になってもらって、その社の情報を守ってもらう必要があるのです。

同時に、その会社独自のアイデア(=情報)をつねに生み出さなければならないのですから、その会社のスタンス、日本的に言えば独自の社風、独自の企業文化がある方が、他の企業では取り替えの効かない商品を生み出しやすくなります。

つまり、このポスト産業資本主義の社会においても、社員が会社への帰属意識を高めるという日本的企業のあり方が強みを発揮するということになります。

これは私には、岩井さんが指摘した汎用的人的資産と特殊組織的人的資産がミックスされた企業形態ではないかと思います。他にはない差異性をもつ情報を生み出せる強みは、組織というよりも、やはり個人がひねり出すアイデアにあります。そのようなアイデアを生み出せる人は、企業を変わっても、また独立してもやっていけるでしょう。

しかし情報を商品として出すには、外部に漏らさないため、社員同士のかなり密接な協力や会社としての管理体制が必要になります。そのような組織を維持するには、特殊組織的人的資産をもつ人が不可欠になります。

また企業は、独自なアイデアを打ち出せる人や組織の情報管理方法に熟練している人を自社につなぎとめるために、安定した雇用を保証する必要も出てきます。またその独自なアイデアをひねり出せる人材を育成する環境を整えることも迫られます。

こうした二つの対立する特性を同時に兼ね備えなければならないのがこれからの企業だと言えます。単純に滅私奉公的な社風を生めばいいというものではありません。

ただ現実のビジネスの趨勢がそうなっているかどうかは分かりません。むしろ岩井さんのこの議論は、ポスト産業資本主義段階において理想とすべき企業形態という意味にとった方が適切です。

一方では、船井幸雄さんのように、企業の使命とは社員を「人財」に育てることであり、そのためにも社員の雇用を会社は保証しなければならないと言う人もいます。船井総合研究所はその点から若い人の正社員としての採用にこだわっているそうです。

また船井さんは、個々の社員にとっても企業にとっても、それらを伸ばすには彼らの長所を伸ばすように配置し、また業務特化を行うべきだといいます。これも、差異・唯一性が価値を生むという岩井さんの議論とひじょうに整合的です。

ただ、多くの企業がそういう方策を採っているかというと、派遣社員・パートタイマーを使う企業の多さを考えても、日本企業全体の方向性はかならずしも岩井さんや船井さんの言うような方向に向かっているとは言えないかもしれません。

あるいは、岩井さんの議論にしても船井さんの議論にしても、個人それぞれが長所・強みをもてばどこかに居場所を確保できるのであり、それが企業に単なる部品として使われるか、貴重な「人財」として使われるかの分かれ目だということなのかもしれません。

長所を伸ばし「人財」を作るとは企業の課題であると同時に、個々人が自ら「人財」となることを意識すべきということなのでしょう。

このように個々人の頭がひねり出すアイデアが最大の価値をもつ時代になることを岩井さんは指摘していますが、このことからもう一つ面白いことを彼は指摘しています。

株式会社とは株主が資金を企業に提供するシステムです。このことから会社は株主のものだという議論が出てきます。

たしかに設備投資が大量に必要だった産業資本主義の段階では、株主のお金が大きな位置を占めると言うことができます(もっとも日本企業の場合もアメリカの場合も、株主が大きくクローズアップされるのはポスト産業資本主義段階に入ってからです。それは、利潤をモノではなく知識によって獲得することが広まり、その一環としてM&Aが広まったから「企業は株主のものだ」という議論が出てきただけです)。

しかし、そのような企業が所有できる設備投資は差異をもつアイデアを生み出すことはできません。むしろ、企業が所有できないアイデア・情報を生み出すヒトの能力が企業価値を高めると言えます。一流のクリエイターが他社に移ったり、独立することを株主は止めることができません。その点で、企業価値を高めることができるのは、ヒトのアイデア力であり、そういうヒトを育てる会社の環境だといえます。それはお金だけを出していて作り出せるものではありません。

その点で、会社が株主のものだという議論は現在ではますます通用しません(設備投資が重要だった時代でも、日本では株式はグループ会社間で持ち合いしていたので、「株主」主権という議論はナンセンスでした。その時代でも企業価値を高めたのは、特殊組織的な人的資産、つまり企業人たちでした)。

このように、まるで現在のライブドア問題を予想していたかのような議論を岩井さんはしています(ホントにため息が出ます)。

アイデアが価値を生むという点では、放送業界はその典型と言えるでしょう。ラジオ局自体は、大した設備投資がなくても経営できるはずです。必要なのは優秀なプロデューサーでありDJです。テレビ局も同様にクリエイティビティのある制作者が絶対に必要です。

そういう意味では、そういう“アーティスト”たちの心をつかみ、同時におだてて躍らせることができるのが放送業界の賢い経営者です。堀江さんは大変なやり方で放送業界に入ろうとしていることがわかります。これまでの失言・失態を取り戻すには大変な努力が必要でしょう。

(だからと言って堀江さんのフジテレビとの提携が失敗になるとはまだ言えないと僕は思います。元々堀江さんの消費者に対するサーヴィス精神とフジの番組制作者たちとの感覚にはかなり似ているものがあって、だからこそフジは彼を番組のレギュラーにしたり、彼をモデルにした番組を作ろうとしたわけですから。ただテレビマンが考える以上に、堀江さんはビジネスマンとしてやり手であり、“他人を出し抜く(=裏切る)”傾向があったことをフジは見抜けなかったということだと思います)


こうした岩井さんの議論を読むと、神田昌典さんや船井幸雄さんといった一流経営コンサルタントが言っていることと整合していることが分かります。

神田さんがいつも口を酸っぱくして言っているのは、昔は簡単にモノが売れた時代だから、これまでの大企業的販売方法は通用しないこと。重要なのは、他社ではなくこの商品を買うことのメリットを消費者に具体的に明らかにすること、などです。
船井さんが言っているのは、これからは“本物”商品の時代だということ。健康を害したり生活に悪影響の出るものではなく、値段が高くてもムダのない良質なものだけが売れる時代がくるということ。

これらも、個々の商品の質(=差異)が価値を生むことをとらえての彼らなりの提言です。

私としては、こういう企業の動向と、社会全体の階層化とはどう関係するのかを知りたいところです。

私がここでまとめた部分はこの本の私にとって印象的だったところだけで、もちろん本当はもっと幅広い議論がなされています。また上に書いたように、まさに今問題になっている企業買収に絡む考察も理論的になされています。その意味で予言的で刺激的な本です。今思っている問題を頭の中できちんと整理したいという人にとっては、とてもオススメできる本です。文章もとてもわかりやすく書かれています。


涼風



岩井克人著『会社はこれからどうなるのか』

船井幸雄著『船井幸雄の「人財塾」―“デキる人”を続々生みだす絶対法則』


『会社はこれからどうなるのか』(1)

2005年03月27日 | Book
*今回の記事は(1)(2)合わせて400字詰め原稿用紙で25枚ほどの分量になります。


2週間ほど前に図書館で経済学者の岩井克人さんが書いた『会社はこれからどうなるのか』という本を借りました。2年前に出版され、小林秀雄賞を受賞し、テレビでNHKのインタビューにも答えていたので、この本を知っている人も多いのではと思います。

ライブドア問題で今まさに「会社とは誰のものなのか」という議論が株式取得による企業買収に絡み湧き起こっています。この事件を数年前から予測していたかのように、この本で岩井さんはライブドア問題で出てきた「株主・会社・社員の関係はどうとらえるべきか」という問題を、過去と現在の経済状況の変化を踏まえながら議論しています。その先見性にため息がでます。

ここでは、この本の中で私にとって印象的だった議論に触れたいと思います。

この本で岩井さんは資本主義経済といものを簡単に定義しています。岩井さんによれば、「資本主義」経済とはつねに「利潤」を必要として動きます。国家なり団体なりが共同で個々人の生活を保障するのではなく一人一人が生活を営んでいかなければならない以上、個人は「利潤」によって生活の糧を得ます。

昔から存在する「商業資本主義」では、この利潤はある地域である価格で仕入れたモノを、別の地域で仕入れ値以上の価格で売ることで利潤を得ます。ここでは地域間の諸価格の「差異」が利潤を創造します。

それに対し18世紀後半からイギリスで始まった「産業資本主義」すなわち機械制大工場による商品生産では、労働者の賃金と商品の価格との「差異」が利潤を生みます。

そのためには労働者の賃金を低く抑える必要があります。つまり18世紀後半から20世紀の半ばまでは、大量の労働者たちを安く雇う条件が西欧ではありました。そこでは貧困農民が多数存在していたからです。

ここで分かることは、「近代産業資本主義」とは、労働者の給料を安く抑えて初めて成立するシステムだということです。資本主義の発展の歴史は労働者の権利の向上の歴史ですが、労働者の権利が認められ彼らの賃金が保障されるほど、近代資本主義経済は原理的に成り立たないのです。なぜなら、それは利潤は労賃を低く抑えて初めて発生する構造だからです。

このことが明らかになった事態が、1960、70年代から始まったアメリカと西欧諸国の経済的影響力の喪失でした。資本主義のスタートが早かった分、労働者の権利向上も同じペースで成し遂げられ、労賃が利潤を圧縮する構造が西欧経済に発生していました。ここに来て西欧では、機械制大工場による大量生産というシステムではもはや利潤を得ることができなくなりました。

またその頃に日本が世界経済で大きな地位を得た原因の一つは、日本でも労賃の水準は上昇していたのですが、後発国のメリットで外国製品の技術を上手に模倣・改良してすばらしい日本製の製品を産むことで、労賃の上昇を超える生産性を確保していたからでした。しかし90年代になってその技術力による生産性の上昇が底をつき、日本も労賃が企業利潤を圧縮するようになりました。

それに対しアメリカは、60年代にすでに産業資本主義に行きづまり、ポスト産業資本主義への移行を迫られていました。そのときアメリカは、機械制大工場での大量生産によるモノづくりをやめ、労働者を大量に雇う必要のない「情報産業」を利潤獲得の手段にすることを選択しました。

「情報」を商品として選択したことは、以下に説明するように、世界を(現在のように)変化の激しい時代にすることにつながりました。

例えばリンゴはつねにリンゴのままで売れてくれます。私たちはリンゴにリンゴ以外の味を求めません。

しかし情報は違います。例えば商品としてのコンピュータのソフトウェアは絶対に他のソフトウェアと違う必要があります。他と同じ情報しか入っていなければ、消費者がそのソフトウェアを買う理由がないからです。その意味で、商品としての情報はつねに「それにしかない」ものを含んでいる必要があるのです。

情報を利潤獲得の手段にする以上、ビジネスマンはつねに社会の動向に目を見張らせ、競争相手との差異性を発見する圧力にさらされます。顕著な例が金融の国際化ですね。世界中の証券取引所の動向に目を配る必要があります。

また商品としてのモノにしてもつねに差異をもっていなければなりません。労働者の生活水準が一度ある水準に達してしまった以上、モノも単に安いものではなく、「これでしかない」質が求められます。

このようにポスト産業資本主義社会では、企業はつねに差異、つまり特別な質を生み出すことを迫られています。

この本での岩井さんの議論の特徴は、この特別な質(=差異性)をもつ商品を生み出す必要性と企業組織の特徴との相性を考察した点にあります。

まず、現在のビジネスに適合的な組織の特徴を考察する前に、産業資本主義に適合的だった組織特徴に関する岩井さんの説明をみてみます。

岩井さんの説明はこうです。機械制大工場による大量生産では投資費用が莫大にかかります。その費用の回収には機械設備の稼働率を高くする必要がありますが、そのためには「短期的には、原材料の仕入れから仕掛り品の管理を経て生産物の販売にいたる一連の過程を、注意深く調整していく必要がありますし、長期的には、仕入れ先の選別や生産過程の組織化や販売網の拡充などにかんして、市場の動向を見極めながら、これも注意深く計画をたてていくことが必要となります」(227-8頁)。

このように産業資本主義段階では大工場の稼動と末端の販売とが密接に“連携”して生産・販売を調整し、在庫を極力少なくする必要があります。つまり生産から販売までの社員の意思疎通が円滑になるチームワークが必要となります。言い換えれば、生産も販売も宣伝も誰もが同じチームであるという意識の下で協力しあわなければやっていけません。

言うまでもなく、このような「チームワーク」を作ることに成功したのが、80年代までの日本の大企業でした。

岩井さんは、この「チームワーク」を作る労働者の能力を「組織特殊的人的資産」と呼びます。またそれに対立する概念として「汎用的人的資産」の存在を指摘します。

汎用的な人的資産とは、〈どのような組織においても通用するような知識や能力〉です。たとえば「機械や道具を操作できる能力」「会計・税制の知識」「技術開発のための科学知識」などです。

これらの能力の特徴は、どこにいようと、またどの組織に属そうと発揮できる点にあります。会計士はどの企業に移っても会計士として働けるし、通訳もどの企業に入っても通訳として働くことができます。トラックの運転手さんも、クロネコヤマトでもFedexのどちらでもやっていけると思います。

それに対して組織特殊的人的資産について岩井さんは次のように説明します。

「組織特殊的人的資産とは、個々の組織のなかでのみ価値をもつ知識や能力のことです。いや、それは知識や能力というよりは、ノウハウや熟練といったほうがよいかもしれません。たとえば特定の道具や機械にかんする慣れや、一緒に働いている他の従業員とのチームワーク、長年維持してきた取引相手に関する詳細な情報や、職場内での人間関係の把握や、研究開発プロジェクト参加者同士の専門家としての信頼関係、経営トップの経営構想や経営思想の理解といったものです」(155-6頁)。

これらの能力の特性は、まさにその組織にいて初めて発揮されるところにあります。Aという会社に長年いる「社員」は、その会社の活動に適合した労働を誰よりも知っていることになります。また、そのように社員を会社に長くいさせる制度(終身雇用、年功序列)を日本の大企業は採用してきました。

戦後の消費者の欲求は、まずモノの欠乏を解消することでした。どのような質(=差異)をもっているかよりも、冷蔵庫なら冷蔵庫、テレビならテレビをまずもつことが最優先でした。

そういう社会では、ビジネスは消費者のニーズをとらえることに努力する必要ありませんでした。消費者が持っていないモノはたくさんあったので、とりあえずそれを提供していけば売れていたからです。

そういうビジネスの状況では、日本の大製造企業が優先したのは、まずモノの生産から販売までを円滑にするシステムを作りあげることでした。そのためには、上に引用したようなノウハウを社員が身につける必要があります。社員にそのノウハウを身につけてもらうには、つまりその組織に長年いることで身につくノウハウを習得してもらうには、定年するまで一生その企業で働いてもらえるようなシステムを作る必要がありました。

しかし、このようにたんにモノを作れば売れる産業資本主義時代は終わりました。上で述べたように、今では質(=差異)をもった商品を生み出す必要性に企業は迫られています。この質(=差異)を生み出すのに適合的な組織とはいかなるものと岩井さんは考えているでしょうか?

まず、産業資本主義の段階と同じように現代でも大企業がビジネスでアドヴァンテージをもつことに変わりはありません。

現在の大企業の特徴は、言うまでもなく、世界各地に生産・販売拠点をもつころができる点にあります。このネットワークの拡がりが、商品に独自の質(=差異)を付加するのに役立ちます。岩井さんは有名なパソコン・メーカーのデル社の例をとって次のように説明します。

「「デル・モデル」とよばれるサプライ・チェーン・マネージメント(SCM)方式とは、デスクトップ型のパソコンの場合でしたら、本体の生産は自社工場が受け持ち、ディスプレイなどの周辺機器の生産は全世界に散らばる三〇程度の部品メーカーが請け負い、インターネットを通じて顧客から製品とその仕様にかんする注文を受けとると、指定された仕様に対応したパソコン本体と周辺機器とを顧客と距離的に近い物流拠点にただちに空輸して、その場で組み合わせ、梱包し、発送するという方式です。これによって、一方で、顧客の好みに応じた多様な製品を提供できるとともに、他方で、製品在庫の水準を基本的にゼロにまで下げることができたのです」(240頁)。

岩井さんによれば、このように各部品を柔軟に組み合わせて顧客の趣味に対応すること自体は、他社も模倣できます。しかしデル社が他より抜きん出たのは、その物流ネットワークをできるだけ拡げ、製品の注文から受け取りまでの期間をさらに短縮したところにありました。それによって販売量が拡大し、さらに値下げを実行することができました。

このようなネットワークの拡がりによって差異をもつ商品を提供できるのはモノには限られません。その顕著な例が金融です。岩井さんはつぎのように説明します。

「グローバル化によって全世界がひとつの金融市場でおおわれてしまったいま、世界中のおカネの貸し手と世界中のおカネの借り手が少しでも条件の良い借り手と貸し手をそれぞれ探しあっているのです。その際、そのような貸し手と借り手のあいだの橋渡しをする金融仲介業においては、一方でおカネの貸し手である個人にたいしては、銀行口座や消費者ローンや投資信託や保険契約などさまざまな金融商品をパッケージとして提供でき、他方でおカネの借り手である企業に対しては、運転資金の融資や社債・株式の引き受けから資産運用のアドバイスや会社合併の仲介までさまざまな金融サービスをやはりパッケージとして提供できることが、商売上で圧倒的な有利さをもたらすことになります。すなわち、銀行、証券、保険などの多種多様な業務を同時にいとなんでおり、チャンスがあれば巨額の資金を一瞬のうちに移動したり、多数の専門スタッフを直ちに動員したりできることが、グローバルな金融市場での激しい競争を勝ち抜くためには不可欠であると言われているのです」(248-9頁)。

このようにみると、大企業がもつ「アドバンテージ」というのは、販売と中枢との距離(=時間)を短くすることで大量に商品をさばくネットワークにあると言えます。逆に言えば、そうしたネットワークを作って顧客の個性的な要求に対応しなければ大量に商品を売ることができず、大企業は生き残れないということを意味します。広いネットワークは大企業のアドバンテージでもあり、同時に命綱であるとも言えます。



『会社はこれからどうなるのか』(2)に続きます。