joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

意識のひろがり

2005年03月17日 | 日記
「そのあまりありがたくなく感じられる事態を気を落ち着けて見つめ、精神的にその事態のすべてを受け入れて味わい、しかも、そのことを嫌ったり憎んだりしている自分を愛してやりさえすれば、あなたのバイブレーションはさらにあがってゆくのです」

『なまけ者の悟り方』より)


人が幸せになるにもかかわらず、そのことが自分にショックを与えるのはどういうときでしょうか?

友達が結婚したとき、友人が昇進したとき、知り合いの子供が有名校に合格したときにショックを受けるとしたら、それはなぜなのでしょうか。

おそらくそれは、彼らが得たものは本来は自分のものだという意識があるときだと思います。「自分のものだ。誰にも渡さないぞ!」という独占と所有の意識が元々あり、にもかかわらず「それがやつらに奪われた」という想いがあるとき、悔しさがこみ上げてくるのだと思います。

しかし、本人も頭では分かっているように、それは元々自分たちが所有していたものではありません。

自分のものではないのに自分のものだと思い込んでいること。それはつまり、頭の中で幻想が肥大化した異常な状態です。思考の正常な機能が阻害されていると言えます。そこまで異常になっている機能を元に戻すにはどうすればよいでしょうか?

自分ではどうにもできませんよね。そこまで思考のバランスが崩れているのですから。自分のものでもないのに「奪われた」なんて悔しがるのは尋常じゃありません。

そんな異常な状態を正常にするには、外側からのショックが必要です。つまり、「自分のものだ」という思考が誇大妄想であることを分からせる現実が起きることが必要です。

友達が結婚すること、友人が昇進すること、よその子供が有名校に合格すること。これらの「事件」は、それにショックを受ける人たちにとって幸せなことです。なぜなら、それによって思考は現実を正常に認識でき、自分は何も所有してはいないことがはっきりと分かるのですから。

多くの人が「傷つくことはいい経験だ」というのは、そのことで人は正確に現実を認識できるようになるからです。何も自分のものではないことを、そのときはじめてわたしは体で理解します。

「ありがとう、兄弟姉妹。わたしの意識をここまで導いてくれたことに感謝します」


涼風



reference:
『なまけ者の悟り方』