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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『会社はこれからどうなるのか』(2)

2005年03月27日 | Book
『会社はこれからどうなるのか』(1)の続きです。(1)(2)あわせて400字詰め原稿用紙25枚分ほどの分量になります。


ところで、モノの販売においては、デルの例をとって岩井さんは、各部品の柔軟な組み合わせが可能であることが現在のモノの特徴であると述べています。このような形態を「オープン・アーキテクト化」といいます。

モノの生産は以前では労働者や技術者のコツやカンに頼り、必然的に生産工程や技術開発のプロセスが複雑になっていました。またそれだけ複雑だからこそ、特殊組織的人的資産が企業には必要とされていました。

しかしコンピュータはそれら複雑な過程をシンプルに分解して自由に部品を組み合わせることができるようにしました。それは言い換えれば「製品や技術デザインを、いくつかのほぼ独立したブロック-もっと格好良い言葉を使えば、モジュール(Module)-に分解するとともに、その間をできるだけ規格化されたインターフェースで連結してしまうこと」を意味します。たとえばパソコンを、プロセッサ、メモリ、ハードディスク、ディスプレイ、CDドライブ、モデム、接続端子、キーボード、マウス、・・・といった標準化された部品に分解して、部品ごとに独立に生産を行い、最後にそれらを規格化された箱に詰めたり、規格化されたケーブルでつないでひとつの完成品を仕立て上げるのです(236頁)。

この「オープン・アーキテクト化」により大企業は世界中にいる消費者の個性的な欲求に対応する販売を可能にしていますが、同時に小企業が生き残る道もこれにより敷かれることになりました。つまり、大企業がすべての部品を組み合わせて完成品を提供するのに対し、小企業は自分たちが得意とする個々の部品の取り扱いに特化するようになりました。個々の部品の接続が簡単になっているため、ある部品に特化しても別の会社と取引することがより容易になったのです。

岩井さんが指摘しているわけではありませんが、これは従来の「下請け」とは似て異なるものだと思います。「下請け」は自分をその系列化においている大企業が要請するものに合わせて部品を製造する必要があります。

しかし「オープン・アーキテクト化」が一般的となれば、そのような上下の力関係はかなり緩和されるかなくなります。各部品の接続の規格化が企業をこえて一般的となる以上、個々の部品に特化しても特定の大企業に取引先を限定せずに、多くの企業と取引できるからです。そこでは企業規模の大小にかかわらず、対等な企業間の関係が発生する必要があります。もしそこで大企業が自社独自の部品形態にこだわると、多様な完成品を生むことができなくなり、消費者の細かなニーズに対応することはできなくなります。図体がでかいだけに、一度消費者のニーズと離れた商品しか提供できない状態になると、その損失も莫大になる可能性が大企業にはあります。

ともかく、差異のある商品を生み出すのが至上命題である以上、大企業はネットワークを最大限に拡げる努力を続ける必要があります。また大企業の外にいる企業は、とにかく自分の得意な分野に業務を集中させる必要が出てきます(これは上のようなモノに限らず、金融商品や商品としての知識にも当てはまります)。岩井さんは、このような大と小への二極化をこれからの企業動向のトレンドとみています。

それは必ずしも小企業が不利な状況とは言えません。むしろ、小企業は個性的なアイデアで消費者の細かなニーズに対応でき、大企業はその小企業のアイデアを一つにまとめそのネットワークを使って世界的に消費者に届けることができるようになったと言えるのかもしれません。大企業は大きくならざるをえず、それ以外の企業は小さくならざるをえないというのが本当かもしれません。

上から言えることは、大企業のメリットとは、個々の企業や人のアイデアを集めることができる点にあると言えます。ということは、やはり差異のある商品を生むのは、無数にいる個々人それぞれのアイデアだということです。これは産業資本主義段階の大量生産と大きく異なる点です。

個々人がもつアイデアとは、この世に二つとない〈差異のある情報〉です。ポスト産業資本主義の現代で中心となる商品がアイデア=情報であること、このことは企業組織のあり方にどういう影響を与えると岩井さんは見ているでしょうか。

もちろん企業アイデアは機械制工場による大量生産の時代でも重要でしたが、その重要性の度合いが現代は以前と比べ物にならないほど大きいのだということなのだと思います。たとえ同じ内容の商品が二つ以上あっても、元々モノをもっていなかった人々にとってはどちらも価値があったからです。

しかし現代では、絶対にこの世に二つとない商品を作りだすことが企業には求められています。商品としてのアイデア、商品としての情報の特徴はその点にあります。

そのためには、情報は絶対に他社に漏れるようなことがあってはなりません。かといって、企業としてその情報を商品化するには他の社員とのチームワークが不可欠です。つまり全社員がその社のアイデアを共有しかつ外部に絶対に漏らさないという一致団結した精神が必要となるのです。

そのためには社員の会社への帰属意識を高める必要があります。社員に「会社人」になってもらって、その社の情報を守ってもらう必要があるのです。

同時に、その会社独自のアイデア(=情報)をつねに生み出さなければならないのですから、その会社のスタンス、日本的に言えば独自の社風、独自の企業文化がある方が、他の企業では取り替えの効かない商品を生み出しやすくなります。

つまり、このポスト産業資本主義の社会においても、社員が会社への帰属意識を高めるという日本的企業のあり方が強みを発揮するということになります。

これは私には、岩井さんが指摘した汎用的人的資産と特殊組織的人的資産がミックスされた企業形態ではないかと思います。他にはない差異性をもつ情報を生み出せる強みは、組織というよりも、やはり個人がひねり出すアイデアにあります。そのようなアイデアを生み出せる人は、企業を変わっても、また独立してもやっていけるでしょう。

しかし情報を商品として出すには、外部に漏らさないため、社員同士のかなり密接な協力や会社としての管理体制が必要になります。そのような組織を維持するには、特殊組織的人的資産をもつ人が不可欠になります。

また企業は、独自なアイデアを打ち出せる人や組織の情報管理方法に熟練している人を自社につなぎとめるために、安定した雇用を保証する必要も出てきます。またその独自なアイデアをひねり出せる人材を育成する環境を整えることも迫られます。

こうした二つの対立する特性を同時に兼ね備えなければならないのがこれからの企業だと言えます。単純に滅私奉公的な社風を生めばいいというものではありません。

ただ現実のビジネスの趨勢がそうなっているかどうかは分かりません。むしろ岩井さんのこの議論は、ポスト産業資本主義段階において理想とすべき企業形態という意味にとった方が適切です。

一方では、船井幸雄さんのように、企業の使命とは社員を「人財」に育てることであり、そのためにも社員の雇用を会社は保証しなければならないと言う人もいます。船井総合研究所はその点から若い人の正社員としての採用にこだわっているそうです。

また船井さんは、個々の社員にとっても企業にとっても、それらを伸ばすには彼らの長所を伸ばすように配置し、また業務特化を行うべきだといいます。これも、差異・唯一性が価値を生むという岩井さんの議論とひじょうに整合的です。

ただ、多くの企業がそういう方策を採っているかというと、派遣社員・パートタイマーを使う企業の多さを考えても、日本企業全体の方向性はかならずしも岩井さんや船井さんの言うような方向に向かっているとは言えないかもしれません。

あるいは、岩井さんの議論にしても船井さんの議論にしても、個人それぞれが長所・強みをもてばどこかに居場所を確保できるのであり、それが企業に単なる部品として使われるか、貴重な「人財」として使われるかの分かれ目だということなのかもしれません。

長所を伸ばし「人財」を作るとは企業の課題であると同時に、個々人が自ら「人財」となることを意識すべきということなのでしょう。

このように個々人の頭がひねり出すアイデアが最大の価値をもつ時代になることを岩井さんは指摘していますが、このことからもう一つ面白いことを彼は指摘しています。

株式会社とは株主が資金を企業に提供するシステムです。このことから会社は株主のものだという議論が出てきます。

たしかに設備投資が大量に必要だった産業資本主義の段階では、株主のお金が大きな位置を占めると言うことができます(もっとも日本企業の場合もアメリカの場合も、株主が大きくクローズアップされるのはポスト産業資本主義段階に入ってからです。それは、利潤をモノではなく知識によって獲得することが広まり、その一環としてM&Aが広まったから「企業は株主のものだ」という議論が出てきただけです)。

しかし、そのような企業が所有できる設備投資は差異をもつアイデアを生み出すことはできません。むしろ、企業が所有できないアイデア・情報を生み出すヒトの能力が企業価値を高めると言えます。一流のクリエイターが他社に移ったり、独立することを株主は止めることができません。その点で、企業価値を高めることができるのは、ヒトのアイデア力であり、そういうヒトを育てる会社の環境だといえます。それはお金だけを出していて作り出せるものではありません。

その点で、会社が株主のものだという議論は現在ではますます通用しません(設備投資が重要だった時代でも、日本では株式はグループ会社間で持ち合いしていたので、「株主」主権という議論はナンセンスでした。その時代でも企業価値を高めたのは、特殊組織的な人的資産、つまり企業人たちでした)。

このように、まるで現在のライブドア問題を予想していたかのような議論を岩井さんはしています(ホントにため息が出ます)。

アイデアが価値を生むという点では、放送業界はその典型と言えるでしょう。ラジオ局自体は、大した設備投資がなくても経営できるはずです。必要なのは優秀なプロデューサーでありDJです。テレビ局も同様にクリエイティビティのある制作者が絶対に必要です。

そういう意味では、そういう“アーティスト”たちの心をつかみ、同時におだてて躍らせることができるのが放送業界の賢い経営者です。堀江さんは大変なやり方で放送業界に入ろうとしていることがわかります。これまでの失言・失態を取り戻すには大変な努力が必要でしょう。

(だからと言って堀江さんのフジテレビとの提携が失敗になるとはまだ言えないと僕は思います。元々堀江さんの消費者に対するサーヴィス精神とフジの番組制作者たちとの感覚にはかなり似ているものがあって、だからこそフジは彼を番組のレギュラーにしたり、彼をモデルにした番組を作ろうとしたわけですから。ただテレビマンが考える以上に、堀江さんはビジネスマンとしてやり手であり、“他人を出し抜く(=裏切る)”傾向があったことをフジは見抜けなかったということだと思います)


こうした岩井さんの議論を読むと、神田昌典さんや船井幸雄さんといった一流経営コンサルタントが言っていることと整合していることが分かります。

神田さんがいつも口を酸っぱくして言っているのは、昔は簡単にモノが売れた時代だから、これまでの大企業的販売方法は通用しないこと。重要なのは、他社ではなくこの商品を買うことのメリットを消費者に具体的に明らかにすること、などです。
船井さんが言っているのは、これからは“本物”商品の時代だということ。健康を害したり生活に悪影響の出るものではなく、値段が高くてもムダのない良質なものだけが売れる時代がくるということ。

これらも、個々の商品の質(=差異)が価値を生むことをとらえての彼らなりの提言です。

私としては、こういう企業の動向と、社会全体の階層化とはどう関係するのかを知りたいところです。

私がここでまとめた部分はこの本の私にとって印象的だったところだけで、もちろん本当はもっと幅広い議論がなされています。また上に書いたように、まさに今問題になっている企業買収に絡む考察も理論的になされています。その意味で予言的で刺激的な本です。今思っている問題を頭の中できちんと整理したいという人にとっては、とてもオススメできる本です。文章もとてもわかりやすく書かれています。


涼風



岩井克人著『会社はこれからどうなるのか』

船井幸雄著『船井幸雄の「人財塾」―“デキる人”を続々生みだす絶対法則』


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