2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

松平竹千代、後の徳川家康公が生まれた
岡崎城
規模でいえばこれを上回る城は多かれど
小さいながらも天につきさすような威容
松平元康だった頃の若いエネルギーを
象徴しているかのようです
関東移封から城主は何度か変わりましたが
やはりここは家康公のお城です
小さい頃見た家康公の遺訓
人生は重き荷を負うが如し
決して急いではならない
時間に追われる生活をしていると
そのことを忘れてしまいます
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落ちるものかな
不遜は態度は慎まないといけませんね
岡崎は城下町だけでなく
味噌蔵の立つ商業の町
次はその一面を見るのもいいでしょう
勝負は徳川が
政治的には豊臣が勝った
両者痛みわけの一戦
小牧長久手の戦い
その古戦場跡をたずねました
まずは小牧山城へ
信長公が美濃攻めの拠点とした場所
豊臣との決戦を前に徳川が再建するも
その城郭もなくなり歴史博物館が立つだけ
バリアフリーが整っていて
要塞としての機能はありませんでした
ここからは秀吉公が入った犬山城は
見ることができず
次に長久手古戦場へ
激戦のあとも見えず
戦場をイメージした築山と
近くを走るリニモが見えるだけ
今の平和を噛みしめました
正しくは四つの国宝天守閣
(松本、犬山、彦根、姫路)の中で最古の
犬山城
尾張徳川家家老の成瀬家が
代々守った城
小牧長久手の戦いの折には
秀吉公がここに入り
小牧山の徳川軍とにらみ合いましたが
ビルの多い今は小牧山が見えません
城郭の例にもれず
急な階段を上った先には
木曽川の流れ
犬山城の別名、白帝城の由来となった
漢詩「白帝」の景色に似ているそうです
支那には及ばないけれど
悠々たる流れは美しきかな
川の向こうは岐阜県
拠点にはしなかったものの
信長公は美濃攻めの際に
この城に入ったはず
その時の心情、推し量ることあたわず
かつては守護大名の家老の
そのまた家臣の嫡男
戦国の世でなければ
名を成さなかったであろう
信長公ゆかりの城
清洲城
那古屋の次の拠点であり
桶狭間へ出陣したのもこの場所
天下布武を掲げたのは岐阜ですが
きっかけはここではないかと思われます
秀吉公天下人への第一歩となる
清須会議が行われた場所
そして名古屋城ができるまでは
尾張の中心だった場所
世の流れによっては
ここが政令指定都市になったかもしれない
そんな空想を描きたくなりました
今は名古屋近郊の
閑静なベッドタウン
銅像がこの町をみつめていました
そして秀吉がここから天下人への成功を収める
清須会議が行われた場所
そして名古屋城ができるまで尾張の中心だった場所
もし清須が政令指定都市だったら
復元された天守をみながら考えてみました
県外の紅葉を見たくて
高山市訪問
シンボルともいえる中橋は
現在工事中のため見られず
でも古い町並みと様々なグルメは
健在だったので満足でした
今回入ったのは
「
喫茶去かつて」
(きっさこかつて)
カウンターに座ると
すだれごしには
通りを歩く人々の姿が
こちらからは見えるけれど
向こうからは見えない様子は
さながらマジックミラー
帰りは平湯温泉に入浴
ここから見る紅葉は見ごろで
樹木の数が多いだけに
山の紅葉は公園や並木道以上の迫力

そしてトンネルを使わずに安房峠越え
車どおりが少ないから
紅葉の撮影も思いのまま

しかしつづら折りの狭い道路は
降雨時には恐怖でした
晴れた日に走ることにします
参拝の後は
おはらい町で食べ歩き
かつての参拝前のお祓いの場も
今はまるで祭り屋台の雰囲気
鳥羽でも食べた赤福氷や
松阪牛の串焼き
撮影しわすれましたが
カンパーニュのこがしルーレなど
食指が動くお店ばかり
そして極めつけは寶来亭のステーキ牛丼
風情ある建物をほとんど見ていない
食いしん坊になってしまいました
せめてこれだけ写しておきましょう

五十鈴川郵便局です
偶然帰りに神都バスに
乗ることができました

かつて伊勢を走っていた
路面電車風のバス
当時を知らない自分にとって
新鮮な乗り物でした
皇大神宮
太陽神にして総氏神
天照大神を祀る場所
橋脚・橋げたはもちろん
止め具・欄干に至るまで
美を追求したであろう宇治橋
その向こうの生い茂る神宮杉
そして禊の場でもあった五十鈴川

信仰の対象にして自然美の象徴
また建築中の神殿を
見ることができるのも今だけの楽しみ
なかにはこんな神様もおられました

内宮の四方を守る石神様
四至神(みやのめぐりのかみ)小さいけれど立派な神様です
神馬にも出会えました
豊受大神宮
通称・外宮
百近くある伊勢神宮の
中心となる二柱の一つ
天照大神に食を提供し
衣食住を司る
豊受大御神を祀る神社です
表参道側の入り口
火除橋を渡るとそこは聖域
国内外の多くの著名人を
感動せしめたその輝き
世界遺産に登録されていないけれど
世界遺産に匹敵する輝きです
正宮は南門しかみることができないため
その美しさを見ることも
撮影することもできませんが
境内には多賀宮や

土宮・風宮の別宮は見ることができました
神楽殿から裏参道に向かうと
また趣きは一変

適度に光がさえぎられ
鳥居の向こうが市街地であることを
忘れさせるほどでした
裏参道を抜けて5分ほど歩くと

別宮・月夜見宮
アマテラスの弟君
スサノオの兄君の神ですが
その二柱と比べると陰が薄い神様
でも立派な神様
参拝せずにはいられません
表参道に戻って
せんぐう館へ

第62回式年遷宮を機に
昨年開館した建物
正宮の原寸大模型は圧巻でした
近鉄の目玉は
特急しまかぜ
初日の名古屋出発時刻に
間に合わなかったこと
また間に合っても座席確保が
難しいとの判断で
当初は乗るつもりではありませんでした
が、利用者の多くは宇治山田で下車する
との情報を耳にして乗車を決断
河崎町散策後時間があったので一路鳥羽へ
昨日食べ損ねた岩がきや

暑さに負けて口にした
「赤福」鳥羽支店の赤福氷を食しながら

時間をつぶしてから乗車
ゆったりとしたシートに

ワイドビュー

そしてドトールに匹敵する
美味しいコーヒー

乗車証明書も頂けて
乗り鉄ならずとも興奮する
30分の旅でした
終点の賢島の楽しみは
宝生苑の露天風呂

宿泊客限定ですが
「まわりゃんせ」を提示すれば
日帰り入浴が可能です
眼下に広がる英虞湾
見事なリアス式海岸です
伊勢市駅近くを走る八間道路
車が多く走るこの道路を外れると
江戸時代後期の町並み
伊勢市河崎町
勢田川の水運を生かした
伊勢有数の商人街だった場所
一角にある伊勢河崎商人館や

河崎川の駅には

その頃の風情が記されていました
陸上運輸の時代となり
道が狭いこの街は静かになりましたが
栄えた頃を偲び
そぞろ歩きするのにいい街です
かつては逆さ蔵がみられた川も
使われなくなってからは濁った水
でも地元有志で復活を目指しており
当時の姿がよみがえれば
再訪するのもいいでしょう
伊勢河崎商人の館は
かつての造り酒屋
そこで造られていた
復刻版Sサイダーは
暑い日に重宝します