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木春菊の雑記帳

2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

天下布武の出発地

2014-10-16 12:32:16 | 東海
かつては稲葉山城と呼ばれていました

周王朝が殷王朝打倒に向けて動き出した
岐山にちなんで岐阜と改めてから
今も変わらず県の中心地

天下布武の印を用い始めたのもここ
天下人信長の出発点を見ました

麓から山頂まで4分でいける
ロープウェーがありますが
戦国時代の気分を味わいたくて
1100mの登山道を20分かけて上りました

整備されてはおりますが
急な斜面や登りにくい岩の道が
行く手に待ち構えていました
難攻不落の名城の面影を見ました

その先に待っていたのは
素晴らしき景色
長良川の流れがおだやかに見えます
天気がよければ画像中心に
御岳が見えるはずですが
この日は見えませんでした


最後は岐阜のB級グルメ
どて丼でお昼休憩

そしてりす村でりすとふれあいました

ちなみにこの後中央のりすが
えさを独占します
かわいい姿でも食がかかると
凶暴になるのですね
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水と踊りの城下町

2014-10-15 15:34:30 | 東海
歴史の教科書には載らないけれど
戦国において様々な戦いの舞台となった
郡上八幡
今は美しい水と
徹夜踊りで有名な郡上踊りで名高い
風情ある城下町

郡上出身といわれている千代
(山内一豊室)
その一豊・千代夫婦が見上げるかのように
高台の頂上には天守がありました
天守の高さとしては
これを上回るものが数知れず

でも小高い丘の上にたつと
天空にたつ城のようです




最上階からの眺めでさらに実感

吉田川と長良川の流れ滔々なり

そして下界に下りると
美しいだけでなくエネルギッシュな川の姿

この街のシンボル・宗祇水

そして水の小道


心が洗われる水の都
素晴らしきかな

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昭和にタイムスリップ

2014-10-15 13:52:45 | 東海
美濃加茂SAに隣接するテーマパーク
日本昭和村を訪問

切がないので撮影しませんでしたが
つまみがついたブラウン管のテレビや
大村崑さんの看板
駄菓子やアイドルのブロマイドなど
今では見られなくなったものが盛りだくさん

手焼きせんべいの工房があって
挑戦してみました

なかなかの焼き上がりに満足です

名誉村長の中村玉緒さんと
食卓を囲みました


もちろんパネルです
10月13日にご本人が来村なさったそうです
惜しかったです
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東海の名城に立つ

2014-09-30 09:50:29 | 東海
8年ぶりの掛川訪問

その時と同じく天守閣は
この街のシンボルでした
どこからみてもきれいですが
特に石垣の下から見る城郭が
個人的なベストショットです

平成6年の復元ながら
当時の雰囲気が感じられます

最上階の4階からは
東名高速道や浜松アクトタワーが
見られる絶景の場
高さでは近代高層建築に及ばないものの
城主目線を楽しめる点で
城からの眺めは格別


雲が少ない日には
この方向に富士山が見えるはずですが
本日は雲隠れ

ここに至るまでは曲がりくねる小道
そしたら段差のある階段
一苦労ですがそれも当然

今の時代、多くの城は芸術でもありますが
当時は要塞であったことを実感します

城巡りは体力勝負です
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激戦の跡地

2014-09-29 11:16:07 | 東海
1575年、この場所で歴史が動きました
設楽原の戦い

その中心となった長篠城は
天守台が残るだけ

当時は武田と徳川による激戦地も
今は静かな山間部の高台
時折り国道を走る車のエンジン音だけが
響いていました
とはいえすぐ近くを走る飯田線と
建設中の新東名高速道を見ると
東海道ほどではありませんが
交通の要衝なのだなと感じます


長篠といえば鉄砲隊の活躍だけでなく
鳥居強右衛門の逸話もあります
強右衛門はこの場所の対岸で
磔にされました


もし勝頼が父の遺言に従い内政に力を注いでいたら
鳥居強右衛門が「援軍はこない」といっていたら
徳川幕府の誕生はなかったか遅れていたでしょう

ここは歴史のもしもを考えたくなる場所です
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家康公出世城

2014-09-29 09:13:53 | 東海
家康公が若き日を過ごした
浜松城

目の前にあるのは復元天守
しかも築城したのは堀尾吉晴であり
野面積みの石垣すら
家康公の頃の名残はありません

しかし人生の教訓となった
三方原の戦いの時
この家康公はこの城にいました

歴史の舞台を見ました

家康公以外25人の城主が治めた東海道の要衝
その中には水野忠邦の名もあります

平成14年に復元された大手門の輝きが
その頃の華やかさを伝えてくれました
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3回目にして対面

2014-09-28 14:59:28 | 東海
3回目の訪問であり
世界遺産登録後初訪問

三保の松原

これまでが平日ということもあるけれど
この場所でここまで多くの人々と
出会えるのは初めて
登録して一年経ても
効果はあるようですね

そしてこちらもこの場では初対面

海の向こうの富士山
霞んでよく見えないけれど
松平健主演の時代劇の背景を
生で見られたのは感激
念願叶ったり

そしてこちらも初対面

二代目羽衣の松
松原の中心的存在も
病気には勝てないようです
現在初代は治療中でした

気温16℃、朝の長野市と
気温30度、昼の静岡市で同じ服装
そうなると汗だくで疲労が蓄積


松原近くの茶店で安倍川餅を食していると
中国語の会話が聞こえてきました


世界的な観光地であることを実感しました
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芭蕉と忍者と城の街

2014-08-26 16:09:16 | 東海
城廻に費やした今年の夏
今回訪問の伊賀上野
それが目的

伊賀鉄道の風鈴に迎えられ
上野市入り


車窓から見える城郭は
この町のシンボル
明治の再建ながら
安土桃山の輝きを見ました


国内屈指という
高い石垣の上から内堀を見ると
吸い込まれそうです
藤堂高虎公の力作といってよいでしょう


敷地内には忍者屋敷を模した
忍者博物館がありました

諜報活動家としての顔だけでなく
薬剤師であり格闘家としての顔を見ることができました

伊賀で忘れてならないのが
松尾芭蕉

安政の大火で焼けてしまい
復元したものではありますが
芭蕉の生家は文学の聖地

臨終を前にして
夢は枯野を駆け巡らんとした
旅の詩人  憧れです。
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関宿そぞろ歩き

2014-08-26 09:49:36 | 東海
東海道の宿場町 
関に来ました

鉄道の東海道は
愛知から岐阜を経て滋賀に入るけれど
かつての東海道は
尾張から伊勢を経て近江へと向かっていました。

当時はもっと賑わっていたのでしょうが
今は近くの国道の喧騒すら
遮断した静かな空間


でもそれが味わい深くしてくれます
車が通るには狭いけれど
歩くには広い道
卯建のある街並みはまるで江戸時代
郵便局も街並みに溶け込んでいました


かつての番所だったそうです


「関の山」の語源となった
山車は見られず
倉庫の中でお休み中
残念
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尾張が誇る名城

2014-06-27 16:10:23 | 東海
愛知県の城巡り
最後は名古屋城

縦も横も大きくまるで武者の如し
来月名古屋を訪れる
力士たちに引けをとっていません

現在は本丸御殿復元中
狩野派の襖絵がかつての輝きを伝えています

ガラス越しに復元風景を見学させてもらいました

2018年に完成予定
かつて国宝だった御殿に
天守閣が重なるとさらに美しくなるでしょう

ここで生まれたとされる信長公からすれば
安土に劣るのでしょうが
現代人にとっては圧巻の名城です

名古屋城だけに

段差が低いとはいえ
長い階段の上り下りに疲労は蓄積
しゃちほこサンデーで一休み


アツアツのしゃちほこ饅頭に
ひんやりした抹茶アイスの調和は見事です

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