今日も朝から、段取りがいい。
不安だなぁ、嵐の前の静けさではないだろうか。
私が、こんなに落ち着いているのは、変だ。
あわてんぼうで、粗忽者・・・どうしたことかと不安になる。
今日も無事に終わることを祈っている。
さて、異常なほど段取り良かった昨日。
レッスンはいつも2時間なのに、1時間のレッスンを急遽、設定した。
なにか大ポカをやらかしはしないかと思ったが、
その一時間も、自分の目的にそった落ち着いたレッスンだった。
確認すべきこと、
自分が目指しているものに近づくために今すべきこと、それができた。
充分だとは言えないけど、いい時間だった。
そのレッスンで再確認したことは、歌っちゃいけないということ。
『歌う』ということの認識が一人一人違うから、
共通認識になかなかならないかもしれない。
私が『語ってる』と思っていることが、
『歌う』ということなのだと思う人もいるだろう。
そして、楽譜をキチンと歌うことが、
歌うことだと認識している人もいるだろう。
楽譜をキチンと歌って、気持ちをそこに込めることが、
歌うことだと思う人もいるだろう。
どれも、間違っていない。
それは、表現には、正解や終点が無いからだ。
常に探求し続ける、自分の思うところを・・・それでいい。
例えば、ララファビアンは、天性のもの声と心(感受性)を持ち合わせ、
そこに専門的な教育も加わり、技術を身につけ、圧倒的な表現力を手に入れた。
そのララファビアンの歌を聴いて、なんて素敵な歌なんだと思って、
いざ自分が歌うと・・・素敵なはずの歌が、とんでもないことになる。
全く別物の下手歌になる。
もともとセルジュラマの歌『Je suis malade』
日本では『灰色の途』あるいは『病の果てに』私の訳詞は『私は病気』
ララファビアンみたいにカッコ良く歌いたいなぁ~なんて思っちゃいけない。
セルジュラマは、歌い上げない。
せつなさ、胸の痛み、寂しさが・・・心情が伝わってくる。
じゃあ、岩下邦子はどう歌うんだ、この歌を!
そういうことなんだ、大事なのは自分がどう歌いたいか、表現するかだ。
歌わない!語るんだ!
てか、歌下手すぎるし。
感情の高まりを音階が上がるとともにリット。
そんな形で表現されているところで、
その感情を自分なりに込めようとしたりして、音がぶれる。
歌えないくせに歌おうとして、技術も体も弱いからぶれる。
聴くに堪えない事態となる。
一番苦しんでいたこの歌『私は病気』が、少しほぐれ始めた。
おにぎりは、固く握りすぎるより、
ふわっとする感じで崩れない、それが美味しい。
歌もそんな感じが、いい。
ふわっとしていて、しっかりしてる。
聴く人に味わってもらうために。。。
歌っちゃいけないんだ、やっぱり。
私は、語る。
それが、私が歌うってことなんだ。
3月10日に歌う予定の曲を返しながら確認して、
『私は病気』を確認して、『俺はスノッブ』のキー確認。
最後に少し時間が残り、何にする?と先生に言われ、
迷わず『黒い鷲』にした。
これも試したいことがあったから。
うん、邦子の『黒い鷲』が少し見えた。
この曲も、がんじがらめだったが、動き始めた。
いろんな事に刺激を受けて、次を目指して。
歩みはゆっくりだけど、確実に変化しています。
良いレッスンになりました(^_^)v
あまりに、うまく事が進んでいる。
エレベーターの隙間に定期を落としたりしないように、気をつけるとしましょう!
不安だなぁ、嵐の前の静けさではないだろうか。
私が、こんなに落ち着いているのは、変だ。
あわてんぼうで、粗忽者・・・どうしたことかと不安になる。
今日も無事に終わることを祈っている。
さて、異常なほど段取り良かった昨日。
レッスンはいつも2時間なのに、1時間のレッスンを急遽、設定した。
なにか大ポカをやらかしはしないかと思ったが、
その一時間も、自分の目的にそった落ち着いたレッスンだった。
確認すべきこと、
自分が目指しているものに近づくために今すべきこと、それができた。
充分だとは言えないけど、いい時間だった。
そのレッスンで再確認したことは、歌っちゃいけないということ。
『歌う』ということの認識が一人一人違うから、
共通認識になかなかならないかもしれない。
私が『語ってる』と思っていることが、
『歌う』ということなのだと思う人もいるだろう。
そして、楽譜をキチンと歌うことが、
歌うことだと認識している人もいるだろう。
楽譜をキチンと歌って、気持ちをそこに込めることが、
歌うことだと思う人もいるだろう。
どれも、間違っていない。
それは、表現には、正解や終点が無いからだ。
常に探求し続ける、自分の思うところを・・・それでいい。
例えば、ララファビアンは、天性のもの声と心(感受性)を持ち合わせ、
そこに専門的な教育も加わり、技術を身につけ、圧倒的な表現力を手に入れた。
そのララファビアンの歌を聴いて、なんて素敵な歌なんだと思って、
いざ自分が歌うと・・・素敵なはずの歌が、とんでもないことになる。
全く別物の下手歌になる。
もともとセルジュラマの歌『Je suis malade』
日本では『灰色の途』あるいは『病の果てに』私の訳詞は『私は病気』
ララファビアンみたいにカッコ良く歌いたいなぁ~なんて思っちゃいけない。
セルジュラマは、歌い上げない。
せつなさ、胸の痛み、寂しさが・・・心情が伝わってくる。
じゃあ、岩下邦子はどう歌うんだ、この歌を!
そういうことなんだ、大事なのは自分がどう歌いたいか、表現するかだ。
歌わない!語るんだ!
てか、歌下手すぎるし。
感情の高まりを音階が上がるとともにリット。
そんな形で表現されているところで、
その感情を自分なりに込めようとしたりして、音がぶれる。
歌えないくせに歌おうとして、技術も体も弱いからぶれる。
聴くに堪えない事態となる。
一番苦しんでいたこの歌『私は病気』が、少しほぐれ始めた。
おにぎりは、固く握りすぎるより、
ふわっとする感じで崩れない、それが美味しい。
歌もそんな感じが、いい。
ふわっとしていて、しっかりしてる。
聴く人に味わってもらうために。。。
歌っちゃいけないんだ、やっぱり。
私は、語る。
それが、私が歌うってことなんだ。
3月10日に歌う予定の曲を返しながら確認して、
『私は病気』を確認して、『俺はスノッブ』のキー確認。
最後に少し時間が残り、何にする?と先生に言われ、
迷わず『黒い鷲』にした。
これも試したいことがあったから。
うん、邦子の『黒い鷲』が少し見えた。
この曲も、がんじがらめだったが、動き始めた。
いろんな事に刺激を受けて、次を目指して。
歩みはゆっくりだけど、確実に変化しています。
良いレッスンになりました(^_^)v
あまりに、うまく事が進んでいる。
エレベーターの隙間に定期を落としたりしないように、気をつけるとしましょう!