うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どうしよ

2022年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
日々のニュースを追うことは、ふだんでも結構メンタル的に負担に感じることがありますが、今年2月からの世界情勢は格別です。よくできたパニック映画でもここまで緊迫したシナリオは描けないんじゃないか。。

ネットの言論空間はだいぶ変わりました。今般の戦争に関しては余り激論みたいにはならず、ウクライナ擁護、継戦推進という方向で固まり、異論は排除される傾向が強いようです。戦うのをやめよう、無駄死には避けよ、という人は強く批判される。これには色々考えさせられます。

日本の、ある世代(まで?)の人には、先の大戦では無謀な戦いを続けた結果、戦況を悪化させ市民の犠牲を無駄に増やした、という意識が強い。民間人の被害は昭和19年末以降、飛躍的に増えましたから。最後は竹槍で立ち向かうような話にもなったので、余計印象が強いのでしょう。

今回のウクライナは、もちろんそれとは事情が違う。また、かつてのハンガリーやチェコスロバキアのときとも違う。正直僕も侵攻直後は戦力差があり過ぎて、勝負にならないと思っていましたが・・事実はご存知の通りです。

我々は戦争、という状況について、より広い視野で捉えていかなければならないのかもしれない。

とはいえ、先の見通しは非常に悪いシナリオを想定せざるを得ない状況です。中露の結束により現状を強引に決着させる、あるいはポーランド、バルト諸国に戦線を拡大し、西側の結束を乱す、場合によっては限定核攻撃、という辺りは、素人にも思いつくところです。もちろん、それよりももっと望ましい形で事が収まる事を、強く願います。

そして、どういう形であれ、国際社会はもう、我々が過去30年間見慣れていた状況とは違うものになっていくのでしょう。見慣れた、と言っても1990年から2020年の間に世の中随分変わったし、その前の30年間(’60-’90)もそのまた前(’30-’60)もものすごく変わっています。変わらないと思うこと自体、不自然なのです。



とかなんとか、スマホでニュース追いながら深刻な顔をして、ふと目をあげると、電車の中は見慣れた平和な世界が。。
コロナ初期のように深刻なムードはなく、若い子たちが楽しそうに笑っていたりする。相変わらず電車の窓は薄く開けられ、人々はマスクをしているけど、もうそんなことは日常になっていて、あまり気にならない。

なので、色々物価も上がったり、悩ましいことは相変わらずたくさんあるけど、それでも人々は、例の件上司にどう説明しようかとか、冷蔵庫のイチゴ早く食べなきゃとか、日々の暮らしに気を取られながら生きていくのでしょうね。


そういえば車も本気で替えなきゃと思って、去年はムック本とか買ったりしたけど、どうしよう。色々不具合もでるけど、今の車が元気で動いてくれればそれが一番だとも思うし、今買わないとますます値段が高くなるかもしれないとか、今後ますますつまらない車ばかりになっちゃうとか、いろいろ考えたりする。

昔親が、12年ぶりに車買い替えた時の写真が出てきた。
この車モデルチェンジ末期で、そんなにグレード高いモデルじゃなかったんだけど、VTECエンジンだったんですね。。たしかに良く走ったな。
これが、20年前の話とはねえ。。
コメント
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