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うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

タヌキ登場

2025年03月31日 | 動物 いきもの


長年懸案だったタヌキがやってまいりました。

ネットなどでタヌキのぬいぐるみを検索すると、たくさんヒットはしますがそのほとんどがデフォルメのきつい、実物とはかけ離れたものが多かったのです。
今回こちらのホンドダヌキは比較的実物に忠実なプロポーションをしています。

こうしてみると、子供のタヌキに見えますね。
だいたい尻尾が強調されすぎたりすることが多いのですが。

ただ、問題というか、思ったよりもかなり小さいです。
隣の白うさぎよりもかなり小さい。

右側はロップイヤーのうさぎさんですが、大きさ的には今回のタヌキと釣り合っています。

このロップさんにはいつも車に乗務してもらっています。

先日セルフのスタンドでガソリン入れてたら、店員さんが出てきて;

「それ、アメリカン・・?」というので、

「え?これマツダです」

「いや、そうじゃなくて、そのぬいぐるみ・」

「これ!?うさぎです」

「あ、そうですが。てっきりアメリカンコッカスかと」

という会話をしました。

耳、たれてるから似てるっちゃ似てるかな。よく犬と間違えられるんですよね。
スタンドの人はコッカス飼ってるのかな。

むかし、うちもアメリカンコッカス飼ってました。
うちのは真っ黒のおばあちゃんでした。キャベツと大根が好きだったな。

今回のタヌキも、犬と間違える人いるかな。
ただしこのタヌキ、足元が華奢なので、自動車乗せるのは難しそう。
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ネコ語変換

2025年03月30日 | デジタル・インターネット

AIで標準語を方言に変換してもらったことがある。
このときは語尾がすこし変わるぐらいで、まあそんなものかな、という感じだった。

それだったらネコ語にも変換することぐらいできるかな、と思い聞いてみた。

はい、猫っぽい言葉への変換もできますよ!おもしろいアイデアですね。例えば、以下のような翻訳が可能です:
通常の言葉: そうです  猫っぽい言葉: そうにゃ
通常の言葉: わかりました  猫っぽい言葉: わかったにゃ
通常の言葉: 大丈夫です  猫っぽい言葉: 大丈夫にゃ

ので、新聞記事をネコ語にしてもらったが、まあ想定の範囲の面白さ。
そのあと、別の事を聞きたくなって話題を変えた(S&Gの曲に挿入された効果音について)。

そしたら、その回答の末尾に;

何か他にも気になることがあれば、教えてくださいにゃ!(まだ猫モード残ってます!)🐾✨

とAIが回答してきた。
ちょっと予想外のノリだったので、くだんのS&Gの歌詞をネコ語にしてみて、と聞いてみた。

それは楽しいリクエストにゃ!ただし、著作権の観点から「Fakin' It」の歌詞全体をそのまま翻訳・転載することはできないにゃ。でも、歌詞の一部を猫語風にアレンジしたり、全体的な雰囲気をネコっぽく要約することならお手伝いできるにゃ!

「Fakin' It」は自己疑問や偽りの感覚、そして人生を模索するテーマを持った曲にゃ。このテーマを猫語で表現するなら、たとえばこんな感じかにゃ:

「ほんとの自分を探すにゃけど、どこかで嘘をついてる気がするにゃ。にゃんかふわふわしてて、ニャニが正解かわからにゃい…でも毎日、爪を研ぎながら生きてるにゃ!」

う~ん、にゃかにゃかこなれた要約だにゃあ。
では、サウンド・オブ・サイレンスはどうだろうか?

もちろんにゃ!「サウンド・オブ・サイレンス」のテーマを猫語風に要約してみるにゃ~。

静寂の中で聞こえる声があるにゃ。誰も気づかないけれど、にゃんたちの心にひそむささやきがあるんだにゃ。闇の中で光を探し、にゃんたちは語り合うけれど、その声はなかなか届かにゃい…。それでも、にゃんたちはその静けさを受け入れ、真実を探し続けるんだにゃ。

こんな感じで表現してみたにゃ!🐾 この曲の深遠で哲学的なテーマも、猫語にすると少し柔らかくなるかもしれにゃいね。どうかにゃ~、気に入ってもらえたらうれしいにゃ!😺✨

たしかに、シリアスな歌詞が脱力されたような言葉になってしまって、妙なぐあいになっている。こんなことをまじめに描く人間はおらんぞ。

ではThe Boxerはどうかな。

ぼくはただのにゃんこ、街でさまよってるにゃ。にゃんとか生きるために頑張るけど、にゃんか辛いことばっかり。でも、にゃんと爪を研ぎながら立ち向かってるんだにゃ。ボクサーのように、倒れそうでもまた立ち上がるにゃ。にゃんこ魂を忘れず、静かに耐え忍びながら、運命に立ち向かうんだにゃ。

I am just a poor boyを「ぼくはただのにゃんこ」と訳したか。
にゃんこはリングには立たないので、ボクサーのように、としたのだにゃ。

というわけで、直訳させずに要約させるとけっこう遊べるようでした。



バージョンアップしたChatGPTが画像処理能力を進化させて、写真をジブリのアニメ風に変換することが容易になったと話題になっている(Giblification)。

作例を見ると確かにジブリのアニメ絵っぽい。自分のポートレートをジブリ風にしたり、飼い猫を主人公にした漫画を作ったりしてる人がいる。

AIの進化が速いことは承知だし、過去にはドラえもんやムーミンの絵をAIに描かせたらそのものが出てきたこともある。
しかしこうなると、ほんとうに著作権はどうなるのか心配ですね。

映画「卒業」のラストシーンを描いてもらおうとしたのですが、今のところ無料のimage creatorは細かい指定が難しいです。

彼氏が描けない。。自分でももう一回映画見直さないとな。
乗客に変に思われながら、二人で大笑いしてるんでしたよね。

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大国の興亡

2025年03月29日 | 社会・経済

今週渡米した友達が、渡航前に現地の知人から、入管の時トラブルのもとになるから携帯のFacebookは削除した方が良い、という助言をもらったそうだ。

今月上旬、フランスの科学者が(スマホに)トランプ政権を批判するやり取りがあったことを理由に入国を拒否された、というニュースが報じられた。

ただし、米当局は政治的な理由ではないとコメントしているし、アメリカの入管が意外に厳しく細かいことを聞いてくることがあるのはよく知られている(らしい)。
・・ハワイでは「カンコウ?」としか聞かれなかったけどね昔。


ただ、我々にはアメリカは自由の国、法治国家という印象が強い。政権批判を理由に入国を拒否されるということにはある種の驚きがある。

我々のアメリカという国に対する印象はある程度は作られたもの、という面はあるにせよ、おそらく国自体にその虚構を信じさせる力がなくなってきている、という面もちかごろ目立ってきているのだろう。


先月、さるシンクタンクの方のお話を聞く機会があった。
米中のイデオロギー的な対立や、経済安全保障政策への考え方は、ワシントンDCでの論調と米産業界の間でも温度差がある。

これは何も現政権から急にそうなったのではなく、以前からそうだった。中国からの半導体輸入は米主導で行われ、欧州や日本もそれに歩調を合わせた(させられた)。ところが、米産業界はこれに反発し、盛んにロビー活動を行った末今では米国内ではかなりのザル法と化しているらしい。
更に問題なのは、そうした抜け穴が生じていることを米政府は日本やオランダに長期間伝えていなかったのだという。

DCの論調はアメリカのすべてのセクターで同意されているわけではない。
対中姿勢についても、実際には多様な見方がある。ただ、マスコミ(に限らないが)はDCでの意見=アメリカのものの見方としてしか伝えていない。

欧州においても、中国への姿勢は厳しくなっていることは事実だが、中国は今や経済的には切り離せない存在となっていることは否定していない。


報道のバイアスというのは根強い問題であるようだ。

昨年、日本人学校の生徒への通り魔事件が起きたとき、地元の警察や行政は警備を強化するなど相当の対策をとる動きも見られた。このシンクタンクの方はそれを知っていたので、日本の報道機関の人になぜこのことを報じないのか、と尋ねたところ、「今そんな報道をしたら炎上しますから」という答えだったという。

米国も中国も、ごく普通の人がそれぞれの土地に生まれて仕事に就いて余暇や近所づきあいをしている中で、日々テレビやネットを見ながらあの国は・・と、会ったこともない人を貶したり、馬鹿にしたりする。

仕事がマスコミ関係ならそういう人の目線を感じながら、あまり彼らを逆なでしないような記事を書く。

仕事が政治家なら、有権者の歓心を惹くために相手の国に強い態度で臨み、政策を実行したりする。

下手をすると戦争になり、ごく普通の人の子供たちが戦場で撃たれたりする。

誰もそれは望まないが、なぜかそうなる。これは本当に避けられない事なのだろうか。
2500年前、アテネとスパルタは緊張状態から戦争に発展した。今回もそうなるのか、それとも米政権はトゥキディデスの戦史を念頭に、何とかこれを解決しようとと、一見奇妙に見える政策転換を次々と行っているのか、その辺はわからない(し、自分が全部見届けられるかどうかもわからない)。

個人的には大国と言うのは人類に弊害をもたらす面が強く(どちらの国も、もっと言えば北にあるあの国も、権力に比べやる事が子供じみている)、なんらかの形で企業の独禁法のような制約が課せられる仕組みにできないか、と漠然と考えることがある。自分が見てきた40年でも、確かにものごとは色々進みはしたけど、世代を変えながらまだ模索は続きそうだ。
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こうさ

2025年03月26日 | まち歩き
14-42mmを修理に出したので、今仮に手持ちのLumix 12-32mmをつけている。変なところにゴーストが出る。

仕事はだいぶ落ち着いてきたが、あんまりイヤな思いをしすぎてトラウマになっちまって、身が入らん。
精神的外傷とかいうが、たしかに怪我みたいな感じだな。まあ時間が経てば癒えるんだろうけど。

昼間すこし出かけた。
帰宅したらくしゃみはでるは目は痒いわ。
花粉症はまだ初心者のつもりだが、たしかにこれはすごい。

車は日曜に洗車したが、もうだいぶん白くなってしまった。


荒れる3月も気がつけばもう少しで終わりだが、すこし現実逃避しましょう。
・・

黄砂は色々と悩ましいですが、子うさなら・別の意味で悩ましいかもしれませんね。


道を歩くと空から子うさが降ってくるんです。

ぬいぐるみみたいにふわふわだから、落ちてきても痛くないです。
肩や頭におちてきた子うさは、離れまいとひっしとしがみついてきます。


気象庁でも子うさ情報を発して、不要な外出はしないように呼び掛けています。

やむをえず外出した時は、帰宅したときにからだについてる子うさを降ろして、家の中に入れないようにしましょうね。


もっとも、そのほうがかわいいと思われるかたは、このさいご家族の一員にされても良いかもしれませんね。
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この季節の音楽

2025年03月25日 | 音楽
このCDに今の季節を感じるのは完全に自分だけの感覚であって、同じ思いを持つ人はいないと思う。
自分にしても、単にこの頃にCDを買ってよく聞いていて、それで思い出すという程度の理由だ。

季節はともかくこれ、夜の印象が強いアルバムですね。
ジャケットからしてそうですが、車に乗って夜の街を走っているとき聞くのが似合いそうな。


聞くと若い頃の自分を思い出してしまう音楽って誰でもあると思いますが、僕はこれです。。

今回掲げた陽水さんもドリカムも、CDとしてもっているのはこれだけで特別にファンと言うわけではないのですが、どちらも偶に聴くと心が昔にワープします。。特にドリカムは、歌詞が昔のじぶんと結びついている感じがつよくて。
『あの夏の花火』に "今頃どこかであなたも思い出してるの?"という歌詞があるけど、そういや花火見たよなあ、とか。
『SAYONARA』の"3人乗ればいっぱいの あなたの車で タイヤがきしむ度に みんなで笑った” ・そう車、小さかったからな。3人でよく出かけたなとか。

こないだ、渋滞の中でこれらの音楽聞きながら、昔を思い出していました。

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渋滞の理由

2025年03月23日 | 鉄道、車、のりもの
昨日(土曜日)、用務があって車で出かけた。
外環道を使うのが近いが、この道は渋滞するので好きじゃない。でも仕方ない。

外環道そのものは常識的な込み具合だったが、市川のトンネルから高谷ジャンクションに入るところで全く動かなくなった。東関道で火災、みたいなことは言っていたが、湾岸線に行く方も動いていない。

ここで渋滞を経験したのは初めてだ。要は東関道そのものが詰まっている。
あそこはなんだかよくわからんが一般道からも合流して来るし、大型トラックも多いわで・。湾岸線方面もとばっちりで渋滞になっていたようだ。

1時間以上はとどまっていたかな。周辺を電車(武蔵野線と言うか京葉線)が走っているが、幕張方面と東京方面でデルタ線みたいになってるのね(道路で言ったら丁字路みたいな)。いままでそんなの意識したことなかったわ。

しばらく走ると路側帯に黄色い道路会社の車と、左後ろをぶつけられた黒いCX-5が見えた。中年の夫婦が道路会社の人に促されて柵から外に出ようとしている。不安そうな表情が何とも言えない感じ。。

少し走ると今度は掲示のあった「火災」にあった車が見えてきた。まず警察のクルマ、消防車が見え、アスファルトも溶けたのか道をを修理している人たちがいる。
火災に遭った車は車運車に乗せられていたような気もするが、まる焼けになっていた。元の色はわからず、灰色っぽい鋼体の状態で車内も全部焼けたみたいだった。車は小型車らしいが、僕には車種が判定ができなかった。

傍らに先のCX-5よりは若い男女二人が立っていた。おそらく火事を察知して車を脇に寄せて停車し、避難することはできたのだろう。

ここを過ぎると流れが良くなってきた。
3車線の一番左の車線を走っていたが、中央車線からこちらに車線変更する車が増えてきた。
そのうち理由が分かった。中央車線にシビック(これも僕には年式の判定ができないが、割と最近の)がハザードをつけて停車しているのだ。故障らしい。なぜかこの車も男女二人乗っていたが、運転席の男性の表情まではわからなかった。

これでようやく渋滞の原因が解けたのか、ごくふつうに流れるようになった。
数十メートル先を走っていた、20トンぐらい積めそうなトレーラートラックが道路の落下物を除けようとしてかなり(10回以上か)蛇行していた(大型車なので制御が難しいのだろう)。
落下物は木片らしきものでこちらの通行には支障はなく、偶々トラックの周囲に車はいなかったが、かなり車線をはみ出ていたので、また事故が起きていたかもしれない。


こないだから書いているが、今回の仕事上のゴタゴタは余程心理的に響いたようで(他人事のようだが)、目が覚めては色々思い出すわ、日常の何かの機会にもふと記憶がよみがえって、みたいな感じになっている。今後の会社再編みたいな話も出ているし(頭が痛い)。

こんな渋滞に遭うと尚更いろんなことを考えてしまう。よくある表現でいえば「なんでなんだろう。もう罰は受けたはずなのに」という感じだ。一人で運転していたが、ずっと独り言でぶつぶつ言っていた。



渋滞には理由がある。高速の自然渋滞はうんざりはするが、微速でも流れているのがふつうだ。事故の場合はふさがった車線からの合流で滞るが、そこを抜けると流れる。ジャンクションや出口(合流線)が詰まっている場合、反対側は流れていることが多い。

帰りは外環道を避け、遠回りだが圏央道を使ったが、ここでも渋滞した。対面交通(片側1車線)の区間だが、あるところで流れが完全に止まった。

1分、2分、もう動くかなと思ったがダメで、聞いていた音楽が1曲終わる(眺めの曲で5分半ぐらい)ころにようやく動き始めた。そのあとは何事もなかったかのようにふつうに流れていた。理由は全くわからない。

・・途中で写真を掲げるつもりが、なんか本文と関係ないので、掲げそびれてしまった。

憩う鳩さん

たぶんうさぎ

そうとう暖かでしたね。
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30年前の事件

2025年03月21日 | 記憶の断片
1日過ぎてしまったけど、30年前の昨日起きた地下鉄サリン事件について、ニュースや特集番組で報じていたのを見て、少し思い出してみた。
自分に直接関わりがあったわけではないのですけど。

当時、ちょうど前年に転居して、3月には職場も変わり職場が新宿になっていた。
ので、偶々地下鉄を利用して通勤しない状況にあった。前年までは中央線と地下鉄丸ノ内線を使い、霞が関で降りていた。

もし前年までと同じ通勤経路だったら、当該列車には乗らなかったにしても(事件に遭った列車はおおむね8時前頃に運転されていたが、ふだんの通勤はそれより30分程度遅かった)、なんらかの影響を受けていたかもしれない。

前年まで一緒に仕事をしていた上司は出社が早く、いつも8時ぐらいの電車に乗っていた。事件の時点では既に転職していたが、後に当時の同僚と話す機会があったとき、あの時もし上司がまだ仕事していたら・・、と語り合ったりした。

新宿の職場では、昼過ぎになって上司が「都心の方でなにかがあったらしい」という話をしていた。
なにかがあった、と言われても何だかわからんので、はあ・という感じだったが、そもそも「何かがあったらしい」、という言い方自体、普通の会話ではない。
上司も騒ぎの内容はわからなかったのだろう。
ので、この時の会話はなぜか印象に残っている。

今だったらネットであっと言う間に拡散すると思うが、当時の情報環境はそんな感じだったのだ。
インターネットは当時もあったが、職場のPCで常時ニュースが見られるようになるのは、自分の環境では事件から3年後の事だ。
携帯電話は存在はしていたが、文字通りそれは電話機だった。

確かに会議室にテレビはあった(この後少しして、野茂選手の初登板だかをみんなで見た記憶がある)。しかし、仕事中にテレビを見る人はいない。せいぜい新聞を読むぐらいだろう。

ようやくPCが一人一台使えるようになり、emailで連絡することが始まった頃だ。Windowsはまだ3.1だった(95が出るのは11月)。

翌年、職場が神谷町に移る。また地下鉄通勤に戻った。
このとき、普通に通勤経路をとれば丸の内線で霞が関、日比谷線に乗り換えて神谷町駅、となる。
しかし、前年の霞が関の印象が残っていて、使うのが怖かった。
ので、赤坂見附で銀座線に乗り換え、虎ノ門で降りてそこから歩いていた。

今のヒルズのある方の通りではなく、金毘羅宮の裏手、古風な医院の建物のあるところを抜けて、消防の博物館のような建物を横に見つつ、突き当りを曲がり(当時の取引先の会社がこの辺にあった)、急な坂を上って行く。ホテルオークラが見えてくるとそろそろ神谷町だ。

この一帯は再開発が進み、新しい道路もできて当時の面影はほとんど残っていないと思う。それはともかく。

虎ノ門経由は1年半ぐらい続けたかな。

霞が関が怖いって言っても、そもそも丸の内線自体が事件の舞台になった路線だし、歩く時間もけっこうかかる。ただ、繁華街は怖いかも、という感覚はけっこう残っていた。

日比谷線はご存じの方はご存じかと思うけど、走行中の電車が火事になったり、駅構内で接触事故を起こしたり(いずれも一回ではない。乗客が死亡したケースも)、ちょっと「なにかある」路線じゃないかという恐怖感もあったのだが、最近は大丈夫みたいだ。

丸の内線はその後も、今でも毎日使っているし、やはり事件の舞台となった千代田線の二重橋とかもその後通勤で使っていた。

冒頭の写真はいいのがないので、その頃のベランダの様子。95年よりはもっと後だと思う。右に見える観葉植物(金のなる木、という名前だった)は今も家にあります。

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朝は雪

2025年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜は通り雨があったが、かなり局地的な雨で少し経つと晴れていた。

今朝は細かい雨が降っていた。6時半ごろの外気温2度。
車のガラスはすこし結露してるのかな、と思いワイパーをひとふりしたら、水気の多いシャーベット状の雪だった。

7時半過ぎから会社PCつけて執務開始。テレビの天気予報では都内は「あられ」が降っているとか。
外を見るとこっちでもチラチラと雪が降り始めた。

というか、少したって窓から見たらドバドバ降っている。前の通りを、屋根まっちろにした車が走っている。バスなんか、この辺の車は冬タイヤじゃないのにね。。

こないだ弘前に行った時も、二日目の午後は相当降られて、いやあ流石雪国だなあ、なんて思っていたのに、降り方はこっちの方が激しいではないか。
・・もちろんあちらはコンビニの駐車場に残雪が3mぐらい積もってたりするんですけど。

ふと、車のワイパーを立てなきゃと思い立ち、玄関を開けた。

ら、ガスの検査員の人が立ってタブレットいじってた。メガネが曇って白くなっている。
そう、今日来る予定だった。雪の中ご苦労さんです。

検査の応対をして、少し時間が経って外に出たら、その頃には雪はみぞれ状になっていた。
ワイパーは雪に埋もれている。
手で雪を払いのけ、ワイパーを立てる。

午後1時ごろ、仕事を切り上げて一休みする。
いつもなら外に出るが、雪は雨に変わって降り続けている。

寒いので外出は諦め、ご飯を3/4合炊いて、フライパンにごま油と米油引いて切ったソーセージと卵を入れてかき回し、ご飯が炊けたらフライパンにぶちこんで、キユーピーの『パスタ手作りオイルソース しょうゆ&ペパー』をぶちかけて炒める。

ちょっと風味の変わった焼き飯になるかな、と考えたのだが、ちびっと脂っこかったのと、後々まで部屋に匂いが残ったのは想定外。大成功とはいえない。



ここ何週間も、顧客の対応に苦慮していて、だいぶ消耗してしまった。

先週末までに上司を通じて話をまとめてもらい、昨日真夜中までかかって部下の子が納品してくれた。
自分は、また何か言われるじゃないかと気にしながら、一日中別の仕事をしていた。

なんか納得がいかなくて、心のどこかに重いものが残る。
誰だって何かしら抱え込んでるものあるよ、という人はいるし、それはそうなのだが、それを言うとピカソも山下清も似たようなものだ、と言ってるのと同じような話になってしまう。何をどう抱え込んでるかこそが問題なのだ。

例によって、夕方さっさとあがろうと思っても切り上げられない。IT研修(情報セキュリティ)の期限が近いので受けようとするが、回線が混んでるのか動画がなかなか立ち上がらない。30分で終わるはずが倍かかってしまった。

午後になって晴れてきたのは、なんとなく雰囲気で知っていた。
もう雪は影も形もない。

暗くなる前に外に出て空を撮った。

風がつめたい。

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人間ドック

2025年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

月曜日も引き続き有休をとり、人間ドックを受診した。
毎年この時期に受診しているが、去年まで行っていたクリニックは入居していたビルの再開発に伴い、閉院になってしまった。

仕方がないので、健保の契約医院リストの中から、前職の頃外来で受信したことのあるクリニックを選んで受けることにした。このクリニックの入居していたビル(海上ビル)も再開発になっているが、こちらは新しいビルに移転して盛業中だ。昨年秋にインフルの接種をした時もここでお願いした。

電車が濃霧で遅れていて、動いている地下鉄を乗り継いで行ったりと、相変わらず何かしらトラブルが起きる。健診の進め方も、前のクリニックとは微妙に違っていて戸惑ったり。

お昼前に終わる。

ビルの商業エリアで食べるところを探したが、いいのがないので、久しぶりに東京駅八重洲地下街に行ってみた。八重洲の再開発もずいぶん進んでいるが、目立つのはヤンマーとか八重洲ブックセンターのあったあたりだ。既にミッドタウン八重洲というのができているようだが、再開発は続いているらしく、あまりにも変わった風景にアタマがくらくらする。

山一證券の株価ボードとか、よくテレビで映してたよね。八重洲ブックセンターも良く行ったな。2階だか3階だかのエスカレーターのところに、あなたの誕生日の新聞を印刷します、なんてサービスがあったりして。あのビルがもうこの世にないなんてねえ。。

ヤエチカもテナントは相当に変わっているし、ちょっときれいになった気もするが、前から残っている店もけっこうある。既にお昼時になり、人気のお店は行列ができている。
ので、ちょっと空いていた「卵と私」でおひる食べた。

バリウム飲んでいるので(=下剤飲んだので)、おひる食べたらとっとと帰る。帰宅前からそうだったが、どうも体調がいまひとつで、思い切り昼寝してしまう。

八重洲のビル街の様子はカメラ(GR2)で、オムライスは携帯で写真を撮ったのだが、どういう訳かどちらも画像が残っていない。カメラはカードエラーになっていて画像が記録されなかった。携帯はよくわからんのだが、時々画像が記録されないことがある(困った欠陥だ)。

なので冒頭の写真は先日の弘前行きの帰り、新幹線のなかで食べた海鮮弁当。
新青森駅の1階で買った。お土産や食堂はあるが、弁当は意外と売っているところが少なくて、色々選べなかった。既に安売りタイムに入っていて、定価1,980円の所半額で買えた。箱が薄くてご飯があまり入っていなかった。


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旅行のエピソード その2

2025年03月16日 | 旅行記
晴れていればこの先に岩木山の威容が望める。
今日は雲ですっかり隠れてしまった。
でも夕刻なので雲間に見える夕日がいい感じになってくれるといいのだが。

空模様は刻々と変わるが、電車は1時間おきにしか来ないので、ちょっと残念な感じに。

雪が溶けたら田んぼなのだろうけど、雪を除けてある道路の一部だけ、やや広めに雪かきしてあるところがあり、そこで撮影していた。

写真を撮り終えて帰ろうかと思った頃、車が脇に停まって窓が開いた。
うお、なんか因縁つけられるのかしら・と身構えたら、「ここ、車止めていい?」とおじさん。
「はあ、別に・」
「いやね、夕方になるといつもこの辺散歩するんだけど、この辺雪で止めると来ないから・・。どっからきたの?。・・ああ、俺も荒川区にいたんだ。ずっと現場やってて、いまはもう70で引退したんだけどこの辺に落ち着いてさ。」

なにかお話をしたいおじさんでありました。
近くに高校はあるんだけど、周りに人、いないんだよね。この辺。


翌日。
天気はけっこう目まぐるしく変わって、晴れ間が見えたかと思えばかなり激しい雪が降る時もある。

雪の様子がわからなかったので、ホテルからタクシーで市内の中心部に行ってみたが、もう雪が降っても積もることはないようだ。

歩道も人が歩ける程度には除雪されている(これは機械が使えないだろうから、地元の方が手で除雪したのかもしれない)。

この後市外に向かう電車に乗ったが、そっちの方は少し晴れていた。

待合室は必ず扉が閉めてあり、ほんのりストーブの匂いがする。
無人駅の待合室は暖房がないが、それでも扉が閉めてあれば意外と暖かい。

車庫のある駅で降りて撮影した。
電車が1時間ぐらい来ないので、次の駅まで歩いた。

無人駅の待合室にいたら、高校生くらいの女の子が入ってきた。
部屋の隅に座って、スマホをいじっている。

乗車するのと反対方向の電車が最初に来たが、その子は動かない。僕と同じ方向の電車に乗るらしい。
と、思ったが、逆方向の電車が来てもやはり動かない。

終点まで乗って、30分ぐらいその辺をうろついて土産物屋で買い物して、折り返しの電車に乗った。

くだんの無人駅に戻ってきた。まさかもういないだろうな、と思って待合室をそれとなく見たら、その子、まだそこにいた。

弘前に戻ったら、あとは市内見物。
この美術館(弘前れんが美術館)は館内入替中で休館中でした。

雪解けの街を歩くのも素敵だと思って、あとは歩いたけど、地理が頭に入ってないので迷いながら歩いた。
Google ナビはわかりにくいね。
地図を持たずにスマホで済ますのがいけないのかもしれない。

お昼になったので、市役所近くのラーメン屋に入った。
観光客相手ではなく、近くの勤め人の人が入るところみたい。
950円のセット。まあふつう。

弘前城(弘前公園)。
ラーメン屋を出たころから雪が強くなってきた。

お濠がシャーベット状になっていてなかなかすごいのだが、地面にあれだけ雪が積もっているのだから、お濠の中も雪でいっぱいなのだろう。
昔は実家の庭の池も氷結して3センチぐらいの氷になったけど、あれとはまた違うんだろうな。

弘前城天守。東北地方で江戸時代から残る天守としては唯一のものだが、建築自体は文化七年(1810年)と比較的後年のものだ。とはいえ、建築様式は古式に則ったものだ。



と、いう事が書かれている説明書。

さっきから思っているのだがこのとき使ってたレンズ(DA16mm-85mm F3.5-5.6)は広角側で結構歪曲収差が目立つ。珍しいことに?あるいは自分が設定をしていないからかもしれないが、K3iiiはそれを補正していない。もしかしたら、画質重視あるいは撮影後のユーザー補正を前提としているからかもしれない。

そんなわけで、時折結構雪に降られながら、しばらく歩く。
資料館や博物館(美術館併設)で津軽の歴史とか、地元出身の画家佐野ぬい(1932-2023)回顧展を見たりした。佐野さんの回顧展はなかなか見ごたえがありました。

長勝寺溝。津軽信牧公がここに禅院33ヵ寺を集めたのだそう。
地図を見ると通り沿いに延々寺マークがついているので、どんなところかと思って行ってみた。長勝寺はかなり古そうだったが、他は今風のお寺が多かった。
お寺と言うのは割と実用重視と言うか、モダン様式のお寺が多いですね。成田山新勝寺も本殿はコンクリートですし。

どかどか降ってきた。

由緒ある建物だが、ぜんぜん人がいない。

また公園付近に戻ってきた。

藤田記念庭園の、庭園は雪に埋もれてて見学できない。
傍らの洋館は大正浪漫喫茶になっている。
疲れたのでちょっとここで休憩。
レトロ風ではなく本当に古い建物らしい。
テラス席は庭が見えて人気があるが、混んでたので遠慮してこちらに。
アップルパイもコーヒーもさすがにうまかった。

最勝院五重塔。
屋根の雪がすごいことになっています。落雪注意。



ふつうは仁王様が立ちはだかっているものだが、ここはなぜかうさぎがいるのだ。



これまでうさぎの神社はさいたま、京都と訪れてきたが、うさぎのお寺というのは初めてだ。

仁王様の代わりに仁王立ちしているうさぎさんは、なんだかまぬけでかわいい。

多少怖い感じがしないでもない。。

というわけで、雪国はなかなかの味わいでござった。
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旅行のエピソード

2025年03月15日 | 旅行記
13日、14日と弘前まで行ってきた。

目的は鉄道関係だったので、記事も鉄道部(うさぎくん 鉄道部 まだ書いてないけど)の方にだけ書こうと思っていた。

しかし、色々珍事が起きたり、二日目後半は市内をうろついたりすることになったので、こちらではその辺のお話を。

◇ふだんは行き当たりばったりで、当日駅に行って切符を買うのだが、今回は例の走行中解結問題が生じた東北新幹線を使うので(当面併結を停止、と報じられていた)、用心のためえきネットで予約しておいた。
JR東だと株主優待が使えるし、えきネットにも優待券を登録できる。

ただ、えきネット(ICカード登録方式)は東海のEXPressと同様、乗車券が在来線と新幹線区間で通算されない。えきネットで在来線の切符も買えるが、株主優待は切符1枚に適用なので、漫然と予約していくと在来線の数百円の乗車券にそれぞれ優待券をつかうことになってしまう。

間違えかけたので訂正したが、なぜか復路の予約時に優待が使えなくなっていた(訂正が上手くいかなかったのかも)。
追記:これ、先週同じこと書いてたね。

◇えきネットには在来線区間の情報も残っていた。在来線で大宮駅まで行き、そこから新幹線に乗り換える。

当日朝、そろそろ出かけようと自宅でスマホの予約情報を見ていて、なぜか在来線の発時刻(10:28分)を新幹線の発時刻(11:10分)と勘違いしてしまう。10:28に新幹線に乗るんだったら、今頃家に居たら間に合わない。

泡食ってもうダメかと思い、走って電車に乗る。キャンセル料取られても丸損よりましかと、えきネットのページを開いたら、勘違いに気がついた。



◇めでたく新幹線には乗れた。仙台を過ぎると車内も空いてきたので、弁当食いながら車窓を眺めていた。

そしたら、盛岡の手前で止まってしまった。
先行の列車の屋根にビニール袋がついてるとかで、15分ぐらい遅延してしまう。

計算すると、新青森で接続の奥羽線列車には間に合わない。
奥羽線も本数が少ないので、予定変更を覚悟した。

ら、くだんの奥羽線普通列車、ちゃんと接続待ちをしてくれた。ありがたい・。
この奥羽線列車の車掌さんは、まるでリアル鉄道むすめみたいな可愛い車掌さんだった(車掌さんが時間調整をしてくれたという訳ではない)。



◇弘前駅に着いて、ホームにカバンを置いてカメラを取り出していたら、その目の前に若い女性が倒れこんできた。

どうしました、大丈夫ですか?と聞くと、何故か右足の力が急に入らなくなって・、という。
反対のホームには接続の秋田行き(これも時間調整で接続待ちしていた)が止まっていて、あれに乗りたいんです、と言うので、なんとか支えて起こそうとするが、ちょっと無理っぽい。

他の乗客や、電車から出てきた高校生の男の子(制服を着ていたので駅員とかんちがいしてしゃべってしまった😅 とかも集まってきた。無理に起こしてまた転んだら拙いので、支えて立たせるわけにもいかない。

そのうち運転士さんが駅員を呼んでくれた。駅員は無線で車いすを手配。
大丈夫そうかな、と思って、それじゃよろしくお願いします、と言ってその場を離れる。

というわけで、色々あったのであった(続く)。

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震災から14年

2025年03月11日 | 記憶の断片
このブログではおなじみですが、東日本大震災当日を偲ぶ個人的イベントです。

当日、職場から親の事務所まで歩いて合流し、親戚の家に泊めてもらいました
最初はタクシーでも拾うかなどと甘いことを考えてましたが、道路も歩道も車と人でいっぱいでした。

丸の内からお堀端を通り、国会議事堂の脇を抜けて首相官邸へ。
溜池、赤坂見附、紀尾井町、四谷、そこから新宿通りをまっすぐ。

当日は所々でコンビニに寄ったり、ATMでお金降ろしたりしながら歩いていた。
携帯の電池を探していたのですが、電池とパンなどは既に売り切れていました。

電力事情は別に問題なかった。沿道の飲み屋さんとかもやっている店が結構ありました。

ついでにいうと、振込もふつうにできました。

電車は不通になり、四ツ谷駅のホームには電気を消した快速電車が止まっていました。あれは、運転士と車掌はその後どうしたのでしょうね。。

14年が経過し、街の風景は少しずつ変わってきています。

帝劇も建て替えですね。

劇場には行った事がないと思います。。
地下の食堂街はよく使ってたな。

14年が過ぎたけど、当日のことは不思議に覚えています(以前書いた内容と多少重複しますが)。

SNS(FBやツイッター)はIDは持っていたけどまだほとんど使っておらず、仲間内で使ってたのはmixiでした。電話はあまりつながらず、mixiで消息を伝えたりしていました。

実家は停電していましたが、黒電話があったので連絡可能でした。

携帯はガラケーでした。1、2日前に秋葉原のヨドバシでスマホの説明を受けたのだけど、その時は買わなかった。買ってたら操作できずに困っていたかもしれない。

当時使ってたWalkmanにワンセグがついてて、職場で見ていたので津波の事は知っていました。それより千葉のコンビナートで火災、というのが気になっていた。

伯母の家でテレビを見て、叔母が枝野官房長官の耳がすごい福耳だ、と言ってたのを思い出します、。
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あたまがいたい*

2025年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
この写真を撮る少し前に、朝日を浴びるマガモさんを撮影しようとしたのですが、メガネかけてない時みたいにぜんぜんピントが合わない。
?、と思い一度再起動させたら直りましたが、マガモはいなくなっていた。

帰宅して、何枚か撮影した時も問題なかったのですが、夕方使おうとしたらまた同じ状態に。カメラをリセットし、別のレンズをつけて試したら、カメラ側は問題ない模様。

M.Zuiko Diogital ED14-42mm は電動格納式のズームレンズで、普段はコンパクトだし電源入れてすぐ使えるし便利なのですが、壊れやすいのが難点らしい。
3年前にも一度修理に出しています。
その時も2万円余り修理代を払いましたが、今度修理すると累計で新品1個買えるくらいになってしまいそいう。


車に積んでいる音楽用USBメモリに、久しぶりにCDをリッピングして取り込もうとWindows Media Playerを起動。青画面が出て、フリーズ、再起動。

何度やっても同じことが起きるので、Walkman用の音楽管理ソフト(Media Go)に変えて、データもいったんWalkmanのためにプールしているメモリに入れて、しかるのちに車載のUSBにコピーを試みた。

すると、メモリの容量が足りないというメッセージ。8Gのメモリだったので、もうデータがいっぱいだったのであった。。
容量不足でWindowsがフリーズするというのはなぜなのか。。そのせいなのか何なのか、ドライブの割り当てがおかしくなってしまい、写真データを取り込んだつもりがメモリーカードにコピーされてしまうとか、あちこちにえいきょうが出てしまった。。

それはそうと、1月に買ったセットステレオ(PMX900)のネットワーク機能を始めて使ってみました。パナソニックのスマホアプリ(Music Control)では外部アプリとしてGoogle Play Music とSpotifyその他しかリストされておらず(Google Play Musicはもう4年以上前に終了)、Spotify契約しないとネットワーク使えないのか、と思ってました。

ふとYou Tube Musicの画面を見ていたらキャスティングのボタンがあり、それをクリックしたらあっさりとPMX900とつながりました。ネットワークの一端にコンポがつながっているという形になるので、スマホ、PCの音源をコンポを使って高音質で再生できます。まあBluetoothを使ってもいいし、USBケーブルでつないでもいいのですが。


東北新幹線の連結器が意図せず外れてしまったという例の事故で、新幹線の予約が取りにくくなっています。

来週旅行に行くので気持ちが焦り、ふだんは出たとこ勝負でその場で切符を買うのに、駅ねっとで予約をしてしまった(ICカード紐づけ)。

JR東は株主優待券を持っている(2枚)ので、駅ねっとに登録して使おうとしたが、新幹線の区間ではない末端部(新幹線を降りてローカル線に乗るなどの場合)は別料金になるという。優待券は切符1枚単位で適用になるので、たとえ末端部の運賃が300円でも、優待適用したいなら個別に優待適用しなければならない。
駅の窓口で買うときはそうではなく、乗車券は通しで、それに特急料金がついて一つの紙切符が構成される。当然全区間に優待がつく。

なので、株主優待券を使う時はICカード紐づけすると損だ、という学びを得た。
あと、帰りの切符もネットで買ってしまったのだが、もう1枚残ってるはずの優待券が適用にならなかった。


仕事が前代未聞のややこしい状態になっていて、鬱だ。
あと、いろいろありすぎて頭がウニになってしまい、知人と会う予定も流れてしまった。

苦労が多すぎるでござる。
あたまがいたいでござる。


*投稿日時を修正しました
コメント (2)
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古い記憶

2025年03月05日 | まち歩き
母校に用事があって、久しぶりに訪れた。
ほんとうは会合で友人と合流して飲む予定だったのだが、ご家庭の事情で流れてしまった。

数年前に同じ会合に出たときは何人か知り合いもいたのだが、今回は知らない人ばかり。とにかくその場をやり過ごして、一人帰宅した。

いちおう学内を歩き回って、昔の記憶をたどってみた。

少年時代はともかく、ある時期からの自分の記憶には思い出したくないような事もいくつかあり、それ故か記憶が抜け落ちている時期もある。
これらは全て自分だけの問題であり、母校や友人たちには何の罪もない。

ただ、同時代の仲間たちと話していると、なんというか・色々な思いに引き込まれてしまうこともある。
まあ、誰にでもあることなのだろうけど。

別の時には、今の世の中(戦争だとか日本の経済だとか環境だとか)や、自分の身の回り(あれとかこれとか)の事を思い、昔はすべてうまく行ってたのにな、と思うこともある。
ビートルズの歌みたいだな。



まあとにかく。

ひとりでやってきて、2,3言葉を交わして、それで帰ってきた。

まるでそれに合わせたように、陽気もなんだか浮世離れした一日だった。

フォローさせていただいたブロガーの方に教わった、例の遺構。
ウルトラセブンが怪獣と戦って壊しちゃったやつです。


中はこんな感じだったんですよ。
(2008年1月)

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例の会談

2025年03月04日 | 社会・経済
雪は大したことはなかったですね。気温がさほど下がってないので大丈夫かとは思いましたが、今日は少し用心して早めに帰宅し在宅勤務に切り替えました。仕事の段取りの関係もありますが。

さて、すこし時間が経過していますが例の首脳会談について。
この会談以前から既に幾人かの親米保守系またはビジネス界の方々から、(米国に対する)強い失望と当惑の声が広がっています。

あの国は極端から極端に揺れる国だから、しばらくは我慢しましょう、などと言っていた人も、どうにも我慢がならないようです。

一部で話題になっているミュンヘン安全保障会議でのJ.D.ヴァンス副大統領の演説、ふだんは長い動画なんか見ないのですがつい最後まで見てしまいました。

『アメリカはグレタ・トゥーンベリのお説教に10年間耐えたのだから、あなた方も何か月かはイーロン・マスクに耐えられるでしょう」、という例の発言(どっかで調べてね)(誰も笑わなかった)も聞きました。まあ旗幟鮮明と言うか。

もともとアメリカって酒を非合法にしたり、Red Scareとか進化論裁判とか、変なことをする国です。
欧州はいつでもまともかというと、そんなはずはないです。魔女狩りというのは今は比喩みたいに使われてますが、爪剥がして自白させようとしたり、井戸に投げ込んで死んだら魔女じゃないとか、ひどかったわけです。古すぎて遺族がわからなくなってるからあれですが、冗談にしていい問題か、という気もしますよね。

こういうときいつも思うのですが、人間は決してえらくないし、同じ間違いを繰り返す奴らなんだと思います。

ゼ大統領との会談ですが、まるでエミール・ハーハ チェコスロバキア大統領みたいになってしまいましたね。冒頭の安保会議にもゼ氏は出席しましたが、開催地がミュンヘンってのがなんだかなあ、と思ってたところでした。

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