Eurhythmics 1985
ユーリズミックスはアニー・ㇾノックスとデイヴ・スチュアートの二人組で、主に1980年代半ばに活躍しました。代表的なアルバムはこのBe Yourself Tonightで、なかんずくシングルヒットしたThere Must Be An Angel が有名です。
僕がこの人たちの事、というか上記のシングルを最初に聞いたのは、音楽番組とかじゃなくて、当時よく見ていた「カーグラフィック・TV」という、自動車の番組です。
何の車だか忘れたけど、前振りでなにか別のシーンが流れたあと、場面が変わって、あの素晴らしく印象的なスキャットと共にその車が大写しで紹介される、みたいな感じだったと思います。
曲名をどうやって知ったのか覚えていないけど、これは貸レコード屋さん行ってテープにダビングして聞いていたな。いまだに、このアルバム以外の曲とか、しらないです。。
ぜんたいには、当時風のエレクトリック・ポップみたいな感じですね。。今聞くと新しくはないけど、さいきんの子たちが聞いたらどんな印象持つのかねえ。
ちなみにこの頃は、日本の供給元も邦題とか無理につけなくなったのかな。「カーマは気まぐれ」みたいな・。
ウィキ見ていると「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル(プレイング・ウィズ・マイ・ハート)」と書いてあるんですね。ほとんど寿限無なみ・。
このアルバムを聞いて思い出すのは、これをよく聞いていた頃のことです。
個人的にこのアルバムには初秋の季節感がある。これは、自分にしかわからないことですね。。
ちょうど、母校に戻って教育実習をやっていたのです(中学)。
大学生なんだから今思えばものすごく若いんだけど、なんかすごい先輩になったような気がして。
気がして、授業に臨んだんだけど、制服着ている生徒たち見ていると、いつの間にか、どこかに自分の友達がいるんじゃないか、と思ってきたり。
という、自分の話はとりあえずいいのですが(そうとう恥ずかしい経験です)、同時に思い出すのは自分の恩師の死のことです。
それも葬儀に参加したとかじゃなくて、会報か何かに、関係者の人たちが追悼文を寄せていたのを、教員室なのか、自宅に持ち帰ってかして読んだのを覚えているのです。
英語の先生でしたが、僕が習ったのは3年生の一年間だけで、担任(主管と呼んでいた)とかもしておらず、それほど交流する機会はありませんでした。たしか、副読本の授業だったのかな・・。
割といかつい感じの先生で、僕もよく予習をしていないで怒られた記憶はある。
ただ、理不尽な怒り方はしなかった印象でもありました。英語の先生によくある、西欧的な合理主義の持ち主だったのかもしれません。
よく教壇の席に座って自分もテキストを広げながら、生徒を指名して訳させるる、なんていう授業スタイルでした。
追悼文を読んでいると、数年前から体調を崩されておられたようです。同僚だった先生が、修学旅行だかの下見に一緒に行かれて、ふとした時に「ぼくはもう、長くないよ」ともらされていた事を紹介されていました。
この先生はまた、(亡くなった先生が)すごい偏食家で、肉が大好きで野菜は一切食べない方だった、とも書かれています。
OBの方も追悼文を書かれていました。
僕らよりも10年ぐらい先輩の方のようでしたが、そのころから授業は厳しかったようです。
当てられた生徒がつまってしまい、「あ~・・」とか言っていると、「areは複数だよ」と言われたり、「え~と・・」というと、「エイトは八だよ」とか、突っ込みを入れられていたとか。
ある日、いつものように当てられた生徒が、vegetableという単語を「ばげてーぶる」と発音したのだそうです。
先生はすぐに発音を訂正しましたが、そのあとテキストで顔を隠しながら必死で笑いをこらえていて、しばらくの間授業が中断してしまったとか。
とか。
こんなの書くと色々思い出すね。
一緒に実習受けた仲間たち、史学科で院に進んだ友達や、打ち上げでちょっと意気投合した、日航に内定した子のこと、その1年後に再会したときのこととか。
まあ、こうして埃かぶってたのを、音楽聞いて思い出して・。
どうなるってわけでもないけど。