うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

Be Yourself Tonight

2021年09月26日 | 音楽


Eurhythmics 1985
ユーリズミックスはアニー・ㇾノックスとデイヴ・スチュアートの二人組で、主に1980年代半ばに活躍しました。代表的なアルバムはこのBe Yourself Tonightで、なかんずくシングルヒットしたThere Must Be An Angel が有名です。

僕がこの人たちの事、というか上記のシングルを最初に聞いたのは、音楽番組とかじゃなくて、当時よく見ていた「カーグラフィック・TV」という、自動車の番組です。

何の車だか忘れたけど、前振りでなにか別のシーンが流れたあと、場面が変わって、あの素晴らしく印象的なスキャットと共にその車が大写しで紹介される、みたいな感じだったと思います。

曲名をどうやって知ったのか覚えていないけど、これは貸レコード屋さん行ってテープにダビングして聞いていたな。いまだに、このアルバム以外の曲とか、しらないです。。

ぜんたいには、当時風のエレクトリック・ポップみたいな感じですね。。今聞くと新しくはないけど、さいきんの子たちが聞いたらどんな印象持つのかねえ。

ちなみにこの頃は、日本の供給元も邦題とか無理につけなくなったのかな。「カーマは気まぐれ」みたいな・。
ウィキ見ていると「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル(プレイング・ウィズ・マイ・ハート)」と書いてあるんですね。ほとんど寿限無なみ・。


このアルバムを聞いて思い出すのは、これをよく聞いていた頃のことです。
個人的にこのアルバムには初秋の季節感がある。これは、自分にしかわからないことですね。。

ちょうど、母校に戻って教育実習をやっていたのです(中学)。
大学生なんだから今思えばものすごく若いんだけど、なんかすごい先輩になったような気がして。

気がして、授業に臨んだんだけど、制服着ている生徒たち見ていると、いつの間にか、どこかに自分の友達がいるんじゃないか、と思ってきたり。

という、自分の話はとりあえずいいのですが(そうとう恥ずかしい経験です)、同時に思い出すのは自分の恩師の死のことです。

それも葬儀に参加したとかじゃなくて、会報か何かに、関係者の人たちが追悼文を寄せていたのを、教員室なのか、自宅に持ち帰ってかして読んだのを覚えているのです。

英語の先生でしたが、僕が習ったのは3年生の一年間だけで、担任(主管と呼んでいた)とかもしておらず、それほど交流する機会はありませんでした。たしか、副読本の授業だったのかな・・。

割といかつい感じの先生で、僕もよく予習をしていないで怒られた記憶はある。
ただ、理不尽な怒り方はしなかった印象でもありました。英語の先生によくある、西欧的な合理主義の持ち主だったのかもしれません。

よく教壇の席に座って自分もテキストを広げながら、生徒を指名して訳させるる、なんていう授業スタイルでした。

追悼文を読んでいると、数年前から体調を崩されておられたようです。同僚だった先生が、修学旅行だかの下見に一緒に行かれて、ふとした時に「ぼくはもう、長くないよ」ともらされていた事を紹介されていました。

この先生はまた、(亡くなった先生が)すごい偏食家で、肉が大好きで野菜は一切食べない方だった、とも書かれています。

OBの方も追悼文を書かれていました。
僕らよりも10年ぐらい先輩の方のようでしたが、そのころから授業は厳しかったようです。

当てられた生徒がつまってしまい、「あ~・・」とか言っていると、「areは複数だよ」と言われたり、「え~と・・」というと、「エイトは八だよ」とか、突っ込みを入れられていたとか。

ある日、いつものように当てられた生徒が、vegetableという単語を「ばげてーぶる」と発音したのだそうです。

先生はすぐに発音を訂正しましたが、そのあとテキストで顔を隠しながら必死で笑いをこらえていて、しばらくの間授業が中断してしまったとか。


とか。
こんなの書くと色々思い出すね。

一緒に実習受けた仲間たち、史学科で院に進んだ友達や、打ち上げでちょっと意気投合した、日航に内定した子のこと、その1年後に再会したときのこととか。

まあ、こうして埃かぶってたのを、音楽聞いて思い出して・。
どうなるってわけでもないけど。

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が、つかまった

2021年09月24日 | 動物 いきもの

時事系のネタはさっさと書かないと、鮮度がなくなったら意味ないよね。。

とにかくいそがぴくてね。

さて、8月にこんな記事を書きましたが;
この頃は都内東北部、北区、荒川区付近で目撃されていました。

その後も目撃情報は続き、いつだったかな、品川区付近に到達した、という情報を、友人が教えてくれました。さらに;

飛行機の格納庫に忍び込んでいるところを捕獲されました。。

このニュース記事でも、さいきんの都内サル確認情報に触れながら、それらとの関連性については不明、としています。

なので憶測ですが、もし一連の情報がこのサルに関するものだったとすると、8月上旬に埼玉県の関越自動車道川越インター付近で目撃されたのを皮切りに、以後県南部を移動し、どこかの段階で橋を渡って(幸魂橋?笹目橋?)、8月下旬には北区、荒川区に到達、その後都区内西部を一周するように移動したものと思われます。




そして先週には品川に到着。

品川、猿、と聞いたら、村上主義者の方々がすぐに思い浮かぶのが;


ですよね。
(平成17年新潮社 短編「品川猿」所蔵)

安藤みずきさんはその後、大田区のホンダで営業に抜擢されて、ヴェゼルやN-ONEをばんばん売っているのでしょうか。。今回の騒動の感想をお聞きしたいところですが。。

村上さんはもしかしたら、せっかく自分が15年も前に、サルが悪さすることを指摘していたのに、それが生かされなかった、とほぞをかんでいるかもしれません。。

しかも、その後のサルの消息まで言及しているのに。。


(令和2年文芸春秋 短編「品川猿の告白」所蔵)

警察も通報を受けたら、ブルックナー7番のアダージョを大音量で鳴らして、サルをおびき寄せればすぐつかまったのにね。。

今回都内で、自分の名前を思い出せなくなった女性が何人か出ている可能性があります。
調べてみる必要はあるのではないかと。。



しかしながら、今回のサルは、村上さんの書かれたあのサルとは違うかもしれません(あたりまえやろが!)。

今回のサルは温泉で背中流したり、名前を盗んだりする癖はなかったと考えた方が自然です(そらそうだって!)。

それではサルの目的は何でしょうか?

サルの捕まった翌日、菅首相は政府専用機で、クアッド首脳会合に出席するため羽田を飛びたっています。

先のサル捕獲のニュースでも、補修部品を齧っていた、という記述があります。

つまり、このサルは、菅首相の首脳会合出席を阻止しようと空港まで来た、テロリストかスナイパーだったのかもしれません。。

或いは機材を故障させて、出発に手間取っている間に首相に面会して、『オレたちサルのコロナ対策も忘れるな!』とか、『アフガニスタンにいるサルたちにも救いの手を差し伸べろ』直訴したかったのかもしれません。。

サルの処遇は今後、空港のある大田区で検討するそうですが、15年前にサルの対応をされた、品川区土木課の坂木課長(今は栄転されているものと思われます)から良く話を聞いてほしいですね。

焼き鏝なんて当てたりしないで、猿道的な処遇をしてもらいたいものです。。



ちょっと、マニアックすぎて、だれもついていけない文章に、なっちゃったかしら。。。


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キャッシュレス生活

2021年09月23日 | 社会・経済

5,6年前のこと(ここでいつか書いたかな?)だが、日銀の経済?研究所長という方の講演を聞いたことがある。
僕と同年輩の女性の方だが、この方が所長に就任したとき、みんなに宣言したそうだ。
「これから、任期中は一切現金を使わずに毎日を過ごす」

電子マネーも普及段階で、割り勘アプリも既に登場していた。ただ、飲み会(当時はあった)の割り勘には結構苦労したらしい。
この方によると、30代ぐらいまでは全く問題がない。40代ぐらいから「あぷり?なに?」という感じになり、50代はもう「すいませんついてけない」だったとのこと。

もっと前の話。
10年ぐらい前かな、仲間うちで中国語の勉強会をやっていた頃、通信社の女性や自営の女性たちは普段の(食料などの)買い物をカードで払っていると言っていた。

それを聞いた証券会社の男子(僕よりはずっと若い)は「ええ、カードで?それってなんか抵抗ある・・」とか、話していたことを思い出す。。


長い前振りになってしまいましたが、春ごろから少しずつ、意識して電子マネーとかを使うようにしています。

スーパー「イオン」が電子マネーWAONのキャンペーンだかをやっていて、それでカードを作ってみる気になったんですね。
サービスカウンターに行ったら、ご当地WAONとか、色々可愛いデザインのカードもあったのですが、店員のおすすめでなぜか年配の方向けのカードになってしまった。ちょっと残念というか。。

今までは、精算時にポイントカードと現金を店員に渡していたのですが、WAONならカードをかざすだけです。使ってみると確かに便利です。

チャージは店内の機械でやりますが、イオン銀行に口座はないので現金払いです。結局現金から離れられないですよね。。結構余裕を持って入金しておき、必要に応じ追加します。どのくらいの頻度で追加するかというと、どうだろう月2回ぐらいかな。。

WAONは使える範囲がそこそこ広くて、コンビニやドラッグストアでも使えます。オフィス近くのウェンディ―ズ、サンマルクカフェでは使えますが、これは店によるらしい。セブンイレブンもダメだったと思う。


ただ、セブンイレブンでは楽天Edyが使えるし、ATMでチャージもできる。
ので、主にこれを使っています。
楽天Edyは一番最初(だったと思う)に作った電子マネーで、うちのはプロント提携のバージョンです。

むかしはこれにチャージして、お昼はここから払うことでお小遣いの管理をしていました。もっとも、Edyが使えない店もけっこうあったので、あまり徹底はできてなかった。。

セブンイレブンは今年からかな?レジが半セルフ化したので、それとも相性が良いです。


他には用途が限定されるけど、スターバックスカードも使っています。これはアプリとの組み合わせで、アプリから(カード決済で)チャージできる。ので、完全キャッシュレスになります。
このカードは現職に入社したとき、もらったもの。

スマホアプリ単体でもいいじゃないか、という見方もあるでしょうけど、意外とこれが良いのです。

paypayなども一応持っているのですが、外での買い物で使ったことはないです。今のところ、スマホって不具合や電池切れとかのリスクが感じられて、あまり積極的につかおうという気がしない。。
初期のスマホって、時折不具合がでて、アプリにポイント付与、みたいなやつはレジで大汗かいたり、そういうトラウマがあるのよね。

ペイペイはオクとか、あと鉄道系ポイントはネット切符とかで使ってはいます。

ただ、現金を使うことも止めていません。

普段使ういくつかのスーパーのうち、3つの店は基本現金払いです。
神社に行ったらお賽銭は現金払いです。ある程度現金を使うようにしていないと、小銭とかが適切に確保できなくなって、お賽銭払うのに苦労しかねない。

こういうのは僕の癖ですね。新しい方式は取り入れるけど、レガシーなものも残すという。。配信やサブスクも試してみるけど、まだCDも買うしレコードも復活させた。ふだんはデジタルで撮るけど、フィルムも使うとか。。


世界的に見て、日本のキャッシュレス化は遅れているみたいないい方をされているけど、北海道で地震があった時、停電したコンビニで使えたのは現金だけだった、という話もあるし・。

こういうのはまあ、八方美人方式でいこうかと。。
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むだあし

2021年09月21日 | 鉄道、車、のりもの

20日も忙しくて、午前中はアルの通院、午後は車のメーター修理のため、都内へ。
ウェブサイトで見て、都内のメーター専門業者に電話をしたら、見てくれると。
ナビを頼りに行ってみたが、着いたら普通のお店のようなたたずまい。
何か修理工場のような施設を想像していたのだが。

店の人に話をしたら、そこでは外されたメーターを修理していて、車から外すことはしていないのだと。

挨拶をして、そのまま帰ることになってしまった。

思い余って、帰りの渋滞の中でディーラーに電話して修理の可否を尋ねた。
やっているが、部品の関係で長期間お預かりすることになります、とのこと。
入庫については後日相談をと言って、電話を切った。

アル君の事も心配だし、近年になくゆううつなきもちがのしかかる。

3~4時間運転したが、この日はメーター、調子よかった。
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なおらん

2021年09月18日 | 鉄道、車、のりもの


水曜日に、車検、修理を終えた車が帰ってきた。
帰ってくるまで丸2か月かかった。

頼んでいるのが二人ぐらいでやっているちいさな工場なので、ただの車検でも1週間ぐらいかかる。メーターの修理は、とりあえず別の機会でもいいかと最初は頼まなかったのだが、後から思いなおして一緒にお願いした。

最初から時間はかかるかもしれない、という意識はあったのだ。
しかし2か月は想定外だったなあ。。。しかも・。

直っていない。

施策としてはメーターを外して専門業者に診てもらう、およびトランスミッション側の車速センサーの交換。

だが、メーターユニットのどこかにプロテクトがあるとかで、業者でもそれ以上中を見ることはできなかった由。

メーターは、ずっと止まっているわけではない。走っているとどこかですとん、とおちる。または初めからうごかない。
そのあと、車の方でなんとか頑張ろうともがいているのが見える。メーターが落っこちそうになると、なにくそっと復活したり。

しかし、当然だがそれをずっと見守っているわけにはいかない(ぶつかっちゃうからね)。

まあほとんどの場合、周りに合わせて走れば大きな問題はない(体験して分かった。そんなに年中メーターを見てるわけではない。もともと制限速度は守るひとだし)。

しかし同時に、気持ちの悪さも相当なものだ。
というわけで、かなり憂鬱ではあります。。

友達は20年近く乗った車の、ATが壊れて(1速しか入らなくなった)新車に乗り換えた。これはある意味決断がつきやすい。しかし、速度計が壊れて廃車というのは、人道的もとい車道的にどうか、と考えたりして。。

代車はこの車だった。おそらく10年ぐらい前の軽。
小回りがきいて、市街地を走る分にはじゅうぶんな性能だった。

後ろの荷物室は結局ほとんど使わなかったけど、乗用車に比べると広いこと。。
究極の実用車として、広く使われている理由が良く分かった。


しかしながら、エンジンが運転席の真下にあることから、床が高い(後席も高いので、親は乗り降りが大変なため、別の車を借りた)、うるさい、夏は乗っているとだんだん暑くなってくる、などの欠点が目立つようになった。

自分の車は流石に静かで平和だ。

床の高さは、ここにきて急に自分の中の意識に上るようになった。
大流行のクロスカントリー車など、車内に「よじ登る」作りになっている。
前にも書いたが、公共交通がおしなべて段差をなくそうとしているのに、なんでそれに逆行する車が流行るのかな。。

というわけで、別の専門業者に診てもらうことにはしているけど、この先どうなるかはまだ流動的なり。
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女性ヴォーカル 6枚

2021年09月15日 | 音楽


今日明日在宅勤務ですが、どうも流れが悪い感じです。なんか、悩みます。

しかしながら、外は良く晴れて爽やかで、2階で昼寝でもしていたい気分ではあります。

さて、爽やかと言えば、さいきん集まってきた女性ヴォーカルのCDもなかなかであります。

1フェアグラウンド アトラクション
 The first of a million kisses

海外勢はどちらもベスト・アルバムで2枚組です。

グループ名が難解で、何度聞いても忘れてしまいます。

Fairground  (しばしば~sで時に単数扱い)共進会場:共進会・市・競馬などを催すための場所(ランダムハウス)

だそうで、余計わかりません。が、ネットではこれは移動式の遊園地のようなものだ、という説明をしている方がいました。ドラマ「ダウントン・アビー」で、ヒューズさんがお祭りみたいな場所で、昔の恋人と出会ったようなエピソードがあったけど、あれかな。
もしかして日本語でいうと「縁日」でしょうか。。

土曜日の朝、NHK FMでピーター・バラカンさんがDJをつとめるウィークエンド・サンシャインという番組がありますが、この番組でよくかかっていて、それで知りました。
とりわけ「パーフェクト」が有名です。

エディ・リーダー(女性です)はグループ解散後もソロで活躍していますが、ライブなどで繰り返し「パーフェクト」を歌うように求められるので、もう歌うのが嫌になった、みたいな話を、バラカンさんが取り上げていました。もうずいぶんと前のことだけど。

「パーフェクト」は、私は妥協なんかしたくないのよ、完璧をねらうわ!みたいな歌詞です。この、はじけている若い女性っぽさというのは、当時(1980年代末)世界共通の感覚だったのでしょうかね。。日本はバブル最盛期で、中尊寺ゆつことか岡崎京子とか、活躍していた時代です(どちらも漫画家だけど)。


ちょっと捉えどころのない、ひょうひょうとした感じは僕のとても好むところです。。あの時代って、なんか束縛から抜け出しているような開放感を感じさせる女性が、ときどきいたんだよね。
今はもう自分があれだから、同じ立場で世間を見られないけど、当時はそういう女性に憧れるというか、なんか気持ちが解き放たれるような気分になったもの。

2トレイシー・ウルマン
Move Over Darling

この方はもともとコメディエンヌとして活躍されている方ですが、若い頃に2枚ほどアルバムを出して、かなりヒットしました。
曲の感じは60年代のガールズ・ポップスを80年代風に焼き直したもので、私見ですがとても洗練された歌い方でレヴェルが高いです。


昔友達がYou Caught Me Out(「ハ~イ!トレイシー!」)をテープに入れてくれて、愛聴していたのですが、なにかの拍子に上書きしてしまいました。
以来機会を見つけてはレコード屋さんで探したりしてたのですが、見つけられませんでした。

こうしてネットで検索できるようになって初めて、アルバムを手にすることができました。。。ただですね、Give Him A Great Big Kissなんかは、当時聞いていたのとはちょっとアレンジが違うような気がします。。

3竹内まりや
Quiet Life
Denim



竹内まりやさんはベスト盤でも2枚組でもなくて、それぞれ違う時期に出たアルバムです。

Quiet Lifeのほうはむかしむかし、恋人未満っぽい感じだった子にテープをダビングしてもらいました。当時話し合った感想では、それ以前のアルバム「Request」に比べると、よく言えば大人、別のいい方をするとちょっと色気がなくなって、刺激が足りない(「Request」は不倫の歌とか、もうちょっとで恋人、みたいな歌詞の歌が入っていた)というものでした。

Denimはネッ友さんから紹介されたというか、会話の中で出てきたアルバムで、興味を持ったもの。

どちらも春頃購入したのですが、今回改めて聞いてみると、一曲、一曲のメロディ、アレンジのレベルが高くて、ひじょうに耳に残ります。
一人でもくもく仕事しているときなど、頭の中で曲の断片が聞こえてきて、何の曲か思い出せないのですが、帰宅してこれらのCDを聞いていると、あ、これだ、と気がつくみたいな感じです。。

というわけですが、今日はこの季節に相応しい、別のCDも注文しました。
配送は結構先みたいですが、またそのときに。
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緩急

2021年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

先週は前半アルの通院等で、午前在宅勤務、午後出社など変則的な勤務をした。金曜日は忙しさMAXになってしまい、朝8時過ぎから夜9時過ぎまで働きとおしだった。下のコンビニで適当にくいもの買いながら、昼休みもなく働いた。

朝は早く来て夕方さっと帰るほうが好きだが、そうもいかない時がある。
夜仕事しようとすると、昔と違って脳がセーフモードに入ってしまい、反応が鈍くなる。

月曜も夜会議があったので、朝起きたのは5時だが家でもたもたして、10時半過ぎぐらいに出社した。・でも、やはり夕方すぎると頭、はたらかなくなるな。。


次々と雲がやってきては雨を降らし、また日が差してくるというように、日々いろいろと憂鬱になるようなことがおきるのだが。。

なんとかしのいで、また次のことをかんがえる。
ときおりふっと、知恵の輪が抜けるように時間があくときがある。
いつの間にか、先週何が大変だったのか忘れている。
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自動車というものは

2021年09月13日 | 鉄道、車、のりもの
7月初めに修理+車検に出した車がずっと帰ってこなくて、今朝SNSでぼやいていたら、午後に工場から電話が来て「やっと直りました」と。

ぐむ、ひょっとしておぬしSNSみてたんか?と思ったが、とにかくやっと帰ってくる。

僕は若い頃かなりの車好きだったのだけど、30代ぐらいからずっと運転をしなかった(年に数回あるかないか)。また運転するようになったのは数年前だ。

その間に世の中が変わって、ETCだの、セルフスタンドだの、カーナビだのが出てきた・という話は前にも触れた。ハイブリッドも、知ってはいたけど昔は随分へんなくるま、という感じだったんだけどな。

なので、基本的に古い車の方が良いっていうか、なんか乗るとホッとする。
いまどきの車の、特にメーターとかのぎらぎら賑やかな感じがきらい。なんか目がつかれる。

のだが、あんまり車が直らないので、このさい国産新車でもかっちまうか、と、ムック本を買ってきた。

あと、ウェブサイトで各メーカーの現行モデルを見たり、シミュレーションしてみたりもした。


それで、陳腐な感想だとはおもうけど、「自動車というものは・・」と思ったことがふたつある。

自動車というものは;

①なんでああでかくなるんだろう

シビックって、大昔は全長3.4m, 全幅1.5mしかなかったのに、最新型は4.6 x 1.8mもある。アコードも昔は全長4mそこそこのコンパクトサイズだったのに、今はクラウン並みのサイズになってしまった。

これはホンダや他の日本車だけの話じゃなくて、VWゴルフもどんどんでかくなっている。
昔は、そう聞かれるとメーカーの人は、人間の平均的な体格は年々大きくなっているからだ、と良くこたえていた。

50年前に身長1.7mといえばまあ、ふつうの男性の体格だったとおもうが、今もし身長2.3mの人を見かけたら、それはものすごく背の高い人だと思うのだが。。

②なぜああ同じような車になってしまうのか

これは昔からずっと変わっていない。
抑揚のあるまるっこい車が流行ると、どのメーカーもそういうデザインになる。角ばった車が流行しているときに、丸い車を出しても売れない。
背の低い車が良く売れると、どんどん低くなる。今は背が高い車の方が主流で、どちらかといえばこの方が健全な気もするが、背の低い車はあまり売れないので、そういうのが好きな人には困った時代だ。

もっとも、子細に見ると色々例外や工夫もあるようだ。ゴルフが肥大化しても、一回り小さいポロを作り、更にUp!とかも追加してこれを補うとか、ほぼ同じサイズでモデルチェンジしている車も少なくない。

軽自動車はサイズの制約が厳しいのに、デザインのバリエーションがすごい。少しクラシックなタイプ、クロカン風、色々ある。ああいうのを見てると、いかにも日本人のしごとだなあ、という感じがする。制約のある中でなんとか差別化をはかる、真面目さが感じられる。。

そのうちディーラーで試乗してみようかしら。。でも、行くとセールスがいっぱい来て大変かもな。。
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ざっそう

2021年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム
用務で外出。相変わらず車がつかえないので鉄道とタクシーだ。

タクシーって、2年ぐらい乗ってなかったかもしれない。。運転手さん、実直そうな同年輩の方だったが、昔みたいに話しかける雰囲気がない。もしかしたら、コロナの影響で無駄話はしないようになってるのか、今は?

先月も思ったのだが、田園地帯の風景を眺めながら、気がついたことがある。
ソーラーパネルがかなり増えたことと、田圃などに休耕地が増えたことだ。

もう稲刈りを終えている田圃もぼちぼち出てきているが、他方休耕地らしきところは雑草が繁茂している。

よく通りがかる道沿いに、田圃が広がっている場所があるが、そこが物流倉庫になるとのことで、今年は春から耕筰をしなかった。そしたら、背の高い雑草がいっぱいに生い茂り、向こうが見えないほどになった。

あれはアレチノギク、オオアレチノギク、ヒメムカシヨモギとかの仲間らしい(今ざっと調べたけど、細かく観察したわけではないからよくわからない)。
いずれの外来帰化植物で、明治以降急速に定着したらしい。

写真はないが、つる草系の雑草の繁茂も各地でたくさん見かける。鉄道線路沿いに生えた背の低い樹が、もとは何の樹なのかわからないほどこの雑草で覆われてしまっている。フェンスや廃屋、手入れをされていない電柱なども、この雑草の餌食になっている。

あれはアレチノウリというそうで、特定外来生物に指定されている。日本に侵入したのは戦後の事らしい。凄まじい繁殖力で、他の植物を駆逐してしまうという。

繁殖力の強い外来種は、在来の植物を駆逐して風景を一変させる。鳥などによって種子が移動することも多いと思うが、やはり物流の進展に伴って侵入が進んだのだろう。

アレチノ~とはよく言ったもので、同じ緑の風景でもなんだか心和む風景には見えない。ネットを探すと各自治体で駆除を呼びかけ(アレチノウリ)、活動も行われているようだが、逆に言えば手入れの行き届かない所には生い茂っていることになる。

漫画「ヨコハマ買い出し紀行」最終回では、人類はどんどん減って夕凪から夜の時代に入りかけている。かつての登場人物たちが暮らしていたガソリンスタンドや、医院の建物も草で覆われつつある。電柱は例のアレチノウリに包まれている。

旅に出て、一面に広がる田畑を見ると、なんとなくのんびりした気分になるし、農家の点在する人里を歩くのは楽しい。でも考えてみると、それらはとても「人工的」な風景だ。生命力旺盛な動植物に囲まれた大自然の中で、僕らは同じ気持ちで心をいやすことができるのだろうか、というなんというか、素朴な疑問が浮かんできた。


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9.11から20年

2021年09月11日 | 記憶の断片

20年前の9月11日のことについては、過去にも何回か書いた記憶がある。

ただ、このブログでまとめて書いたのはは10年前、ちょうど10周年にあたる2011年の9月11日の記事位のようだ。ほかにも書いたかもしれないけど。
*下に追記あり。

上の雑誌の写真は、このときにも使っている。これらの雑誌、捨ててないと思うのだが、今本棚を眺めても出てこない。

ドラマ「ザ・ホワイトハウス」シーズン3には、テロ直後に放送された特別篇「イサクとイシュマエル」がある(本国では2001年10月3日放送。日本未放送)。これについては下に記事を書いている。
今読むとちょっとまとまりがない感じだけど。

ネット上に掲げられている抜粋動画はたとえばこんな感じ。


偶々見学に来ていた高校生たちを相手に、次席補佐官がイスラム過激派のテロについて語っている。高校生たちは「なぜ自分たちが狙われるのか?」という、もっともな疑問をぶつけてくる。



東北大地震のときは自分にも知人にも大きな影響はなかった。もちろん帰宅困難その他、色々ありはしたが。
9.11でも、すこしだけ影響があった。

会社の総務の子がふたり(全く別に行動していた)米国に旅行中で、事件で飛行機が長期抑止になったため、帰ってこれなくなったのだ。

この二人はたしか・・僕は両方ともなぜか仲が良くて、一緒に食事に行ったことがあったのだけど、その二人だと思う(記憶曖昧)。。
少なくとも一人の子はそうで、その年の暮れごろ、二人でお昼に行ったときに武勇談を聞かせてもらった。
もう一人の子とは、その時の話はしてないと思う。

今覚えているのは11日前後に、彼女はともだちとマンハッタンにいて、これから帰国しようとするところだったらしい。

ロウアー・マンハッタンからは離れていたものの、交通が前面的に遮断されて身動きが取れなくなった。何とかして空港まで着いて、そこで滞在を余儀なくされた。その後、知り合った人だか誰だったかの家に泊めてもらったと聞いた気がする。。

たしか、予定より一週間だか、10日だか遅く帰ってきたという記憶がある。

ものすごい経験だったと思うが、わりとにこやかに、淡々と話してくれたのを覚えている。


当時は米系企業勤務だったが、少なくとも仕事で知っている人に犠牲者はいなかった。ツインタワーではなく、アネックス(でいいんだっけ?)という周辺のビルに拠点があったようなことを聞いた気がするが、いずれにしても仕事上関係はなくて、詳しいことはわからない。。
取引先の銀行さんと話をした時、うちも事務所があるので今安否確認している、みたいな会話をした記憶はある。

ビジネス街の風景は日本も米国もそう大きくは変わらない。倒壊のとき、書類らしきものが大量に舞い散っていたのはとても印象的だった。

110階もないけど、勤務先もツインタワーだったのよね。。

10周年の記事に書いてあるが、この日東京は台風が来て天気が大いに荒れた。夕方には雨もやみ、西の空が毒々しく赤く染まった。

あの日、帰宅したのは9時過ぎだったと記憶している。

当時のNHK衛星はBS1, BS2と呼んでいたけど、BS2は今のBSプレミアムみたいな放送内容で、この頃は毎夜映画を放映していた。この日は「スタンド・バイ・ミー」だった。もうだいぶ時間が過ぎていたし、知っている映画だったけど、しばらくぼんやりとみていた。そのうち、そうだ今日はニュースが色々ありそうだ(台風だったから)と思い、NHK地上波に切り替えた。

このとき映画のシーンは、子供たちが鉄道線路に沿って歩き続け、森の中の信号場を通りがかったところをロングでとらえたあたりだった(と思う)。機関車に給水するための水タンクの、タガが緩んでいて、水がちょぼちょぼ漏れている音がきこえている。。

切り替えたら、堀尾アナウンサーが記者と話をしている。背後には青空を背景にビルが見えて、真ん中がすこしくすぶっている、というものだった。

たしか、南棟に2機目が突っ込むのはリアルタイムで見た気がするんだが、その辺はあいまいだ。あのとき、これは事故じゃないな、と思ったような記憶もあるんだがなあ。。

そのあと、南棟の崩壊とか、北棟の崩壊とかもずっと見ていた。当時はツイッターやラインみたいなSNSはまだない。
親に電話かけて「すごいね・・」と話をしたのは覚えている。

ニュースのビデオ録画はしていない。余っているテープがなかったのだ。ラジオをAFNにして、MDに録音はした。どこかにあるはずだ。
この日、寝たのは午前4時ぐらいだ。


その後、国際情勢は緊迫の度合いを深め、アメリカ国内の世論も沸騰した。
当時は自分なりに色々なニュースを見たり、人々の意見を聞いたりしながら、将来を憂えたりもした。

いろいろあったことは事実だが、正直、当時の世界情勢が自分の暮らしに直接影響を及ぼしていた、と実感できることは少ない。

その一方、自分の身の回りで起きた様々な事象が、その頃の自分の生活を左右していたことはよく覚えている。

もちろん、このさき世界的な大事件が自分の身に直接降りかかってくる可能性は常にあるのだが、これまでの人生はそういう意味でとても幸運であった、と(唐突ですが)思う。。


NHK第二でやっていた「やさしいビジネス英語」のテキスト。
事件の前月のものだが、これ一冊だけ手元に残っている。

表紙の絵は、アメリカのビジネスマンたちの日常風景がよく描かれていた。
9.11後は、この表紙絵がなんだかとても儚いもののように感じられたのを覚えている。

講師の杉田敏さんは今もお元気な、国際的ビジネスパースンだが、テロの後発行されたテキスト冒頭で、ご自身の思いを語っておられた。


このNHK講座はもう終わってしまい、今はタイトルも変わったらしい。

このシリーズにはちゃんとストーリーがあり、同じ職場の登場人物たちが毎回色々な話題を語り合う。彼らは時代と共に歳をとり、出世したり転勤したりする。

この頃はアメリカの広告会社に勤める荒木さんが、NY本社に配属されて活躍するという筋書きだった。荒木さんは当時僕よりも少し年配だけど、同僚たちを含め、実際の職場にいそうな世代の人たちがそろっている。
ギャビィさんが良く上司から褒められていたなあ。。

ウィキを見たら、この筋書きでの講座は96年から6年ほど続いたらしい。。
この翌年、荒木さんは帰国したか?香港かどこかに転勤して、アジア統括代表に抜擢されたような記憶がある。。

杉田さんのお話が上手で、それで聞いていたのだけど、内容は相当難しくて、歯が立たなかったな。。よく勉強していたのはこの2年ぐらい前で、もうこの頃には朝の地下鉄で漫然と聞いているだけだった。。本号の杉田さんの前書きでは、それではダメだと書いてあるけど。

追記:1年前にこの記事書いてて、すっかり忘れてた。
う~ん、末期的。。
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消息

2021年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今週はアルの調子を見ながら仕事していたので、一日のうちに在宅+出社というハイブリッド方式で仕事している日が多い。月曜も、早めにいったん帰宅し、アルの様子を見てから実家で残業しに!行った。

そしたら、家の灯りを見たのか近所の人が訪ねてきて、〇〇さんが昨日引っ越したんだよ、と教えてくれた。


ここで〇〇さんとは、昨年暮れに実家の庭を勝手に掃除して、騒ぎになった、その方である。

昨年春、つきあいのあったご近所を通じて、やはり近所に住む、それまであまり付き合いのなかった人から、仕事で必要だから実家の庭の駐車場を短期間貸してほしい、と言われた。

応諾すると、お礼として(多少の駐車場代はもらっていた)駐車場回り掃除しとくから、などと言って、雑草を刈ったりしてくれた。
しかし、そのうち掃除の範囲がだんだん広がり、大掛かりなものになっていった。当初は数か月と言っていたのに、ずっと借りている。

暮れごろには、本来車とは関係ない奥の庭を根こそぎ掃除してしまい、とっちらかっていた植木鉢とかなにやら、庭の隅にかたされてしまった。枯れ葉とかゴミ扱いされた箱やらなにやらは、大型の袋10杯ぐらいに詰められ、庭に置いてあった。

有難迷惑にも程があるので、やんわり抗議したが通じない。

この方は庭掃除について「やってみたら楽しくて、つい熱中してしまったのよ」などと言っていた。困ります、と言っても笑って相手にしてくれない。

最後はポチ袋にお金入れて、手土産と一緒に渡して「縁切り」した。ゴミ袋は数回に分けて、自分で処理した。。


掃除をしてくれたお礼に、家と土地を(あなたに)お譲りしましょう、という流れを狙ったのかどうか、それはわからない。
推定無罪である。

しかし、それから8か月して、数十年住んでいた家を手放して転居したという事実は、この方がご自身の住まいについて、何らかの懸案を抱えていたのではないか、という疑念を抱かせる。

ご自宅に近いところに、車をとめたいという気持ちはわからないではないが、別にうちは貸駐車場をやっていたわけではない。ふつうの家の庭に駐車スペースがあるだけだ。
終始、庭の掃除等に強い執着を見せていたのも事実である。

いずれにしても昨年、こちらが毅然とした態度を崩さなかったことは、今にしてみれば正解だったし、ものごとを大きくせずに済ませることができたと思う。
とはいえ、それは今にして思えることで、当時はずいぶんと悩んだりはしたものだ。情報も限られていたし、決断する勇気、ことを荒立てない自制心も必要だった。

妹の助言は役に立った。ラインの発言ひとことだったけど。。


この件でもう一つ大事なことは、ご近所の方がわざわざ知らせてくれた、という事実だ。

実家はいわゆる新興住宅地にあるが、住んでいる方々は親たちの世代、もう30~50年以上住んでいる方がほとんどだ。町会のつながりは、やはり相当強いのだろう。

今僕が住んでる集合住宅は、長期滞在ホテル的な感じで近所づきあいは全くない。日々の生活を送るにあたり、この地域差、情報網の違いはかなり大きいと思う。
そういうもの(情報網)があることを意識して、色々行動していかないといけないな。。

にんげんは何とか撃退したが、ネコにはいつかれたみたいだ。
窓を開けたら我が物顔でにらんどった。
屋根、ペンキやり直さないとな。。
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ふちょう

2021年09月07日 | セキセイインコ

先週末ぐらいからアルの調子が良くなさそうだったで、今日意を決してお医者さんに診てもらった。

鳥さんの健康チェックは難しい。

セキセイさんに限らないが、野生の鳥たちは具合が悪くなったら即だれかのご飯になってしまうので、自分の不調を隠そうとする。友人によると、食欲がなくても食べてるふりをするのだそうだ。

アルものほほんとしているようで、自分は見られている、と思うとシャキッとしようとする。

ただ、毎日見ているとなんとなく具合悪そう、ってのはわかるものだ。

月曜の朝も、ちょっとつらそうかな、と思い、早めに帰宅して様子を見た(仕事がフレックスだとこういうとき楽)。
今朝また様子を見て、最終的にお医者行こう、と判断した。
明日(水曜日)はお医者さんが休みなのだ。

朝10時に電話して予約。お医者さんは寝起き(のはずはないか・)みたいでちょっとつっけんどんに思えたが、伺ったら親切に応対してくださった。

お医者に診てもらうころにはだいぶシャキッとしていたが、これは医者に会うということで、緊張感がそうさせてるんじゃないかと。アル、お医者、きらいだからねえ。。

体重測ったら47グラムもあって、お医者さんが仰天して二度測っていた。

夕べ、具合悪そうにしてたので保温して、夜ご飯を足しておいてあげた。
これは具合の悪い子へのふつうの対処法だ。食欲の無くなる子も多いから、いつでも食べられるようにするためだ。

ところがアルは、据え膳食わぬは、とばかり、出された分みんな食べてしまった。。でぶ。

しかし、不調には変わりはない。うんち、そのう共に雑菌が多い。これは雑菌が不調を招いたのではなく、不調だから雑菌が増えたのだろうと。

抗生剤を処方してもらった。
2週間様子を見る。

豆苗。アルもココも大好きだが、ほおっておくとどんどん伸びる。
最初は喜んで食べていたが、だんだん伸びてくると、伸びたやつは味が変わるのか飽きたのか、食べなくなった。

先週はアルにも毎日あげていたが、薬を飲んでほしいので中止に。


茶色い止まり木は、7月ごろ買ってあげた、特別処理済みの止まり木。
小鳥がかじっても衛生的で、なんかかじり心地もいいらしい。

アルが小さい頃かじっていたので、試しに取り付けてみた。

左側の、色がちがうところはアルがかじっている。

けずりかす。

ちゃんと木の端のほうからかじっている。昔、ココと一緒にいた頃、根元からかじって折っちゃったことあったが、経験が生きているのかな。

室内の温度はそうは変わらないが、それでも先週きゅうに気候がすずしくなった影響は来ている。
かいぬしも先週は鼻風邪気味になり、ちょっと不調な日が続いた。

はやくげんきになってほしい。
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二台めはHybrid

2021年09月05日 | 鉄道、車、のりもの

今日は父の命日なので、母を連れて墓参りに行った。

先日も書いたが、車の車検+修理が長引いており、まだ帰ってこない。もう二月になる。

代車はあるが、通院のとき(8月21日)に書いた通り、床が高くて乗りづらいので、またしてもカーシェアで車を借りた。

借りるのは先月のハスラーに続き、二台めだ。

修理遅延の理由はメーター不動だが、専門業者も原因特定に苦慮している由。
それはよいとして、経過の連絡が全く来ないのが困る。上記の情報も、昨夕こちらから電話をかけて初めて知った。

ミッション側の速度センサーを交換してみる(+2万円)という提案があったので了解したが、だんだん嫌になってきた。。

確かに古い車の方が好きなのだが、本当はもっと古い車が好きなのを、実用性も考えて妥協した結果がいまの車なのだ(といっちゃ可哀想だけど)。
これに苦労し続けるのもどうかという気がする。

友人とラインで会話して、スバルでもかうかあ、という話になりつつある。。
修理止めて戻してもらうか。。

長くなったが、前回ハスラーを借りて床の高さに苦労したので、今回はなるべく普通の乗用車にしてみた。
ヤリスはトヨタの主力小型車なので、これなら間違いないだろう。

かなりグラマラスなデザインで、大きく見えるが、実際にはそうでもない。
ただ、若干デザイン優先方向のようだ。

リアドアの開扉角度や入り口の「シル」の高さが災いして、後席の実用性はいまいちだ。
親の感想はちょっと乗りにくい、だった。

*ちなみに前席はオプションで乗降時回転する装備がつけられる。

ただし、本来これはこの車のコンセプトなので仕方がないともいえる。
どこかのネットでトヨタはこの辺を割り切った、というような記事を見たが、使い勝手には影響しているので、後席を重視するなら注意が必要だろう。

軽とちがって荷物がまともに積める。やはり実用的にはこの位は欲しい。

上級車はデジタルメーターらしいが、幸い?これはアナログメーター装備。
これは始動ボタンを押したところだが、エンジン音は聞こえない。左のメーター(タコメーターとは言えなさそう)はふつうのエンジン車のアイドリングの位置ぐらいに跳ね上がる。

ものすごくむかしだけど、タコメーターがない車で、それに類似するメーター(なんという名前か忘れた)を装備している車があったな。回転数の表示がなくて、緑色の範囲なら安全、みたいな。日産ローレルです(うちの車はふつうのタコだった)。

メーター表皮が薄いプラスチックの板みたいで安っぽいが、一部の車みたいにぎんぎらぎんではないのはいい。

ハイブリッドは初めてじゃなくて、4年前アクアに乗ったことはあるけど、いまどきの人たちはこんな車にのっているのねえ(←お前はなんなんだ)。。始動時に音がしない。
モーターで走っているときの静けさは素晴らしい。停車中ぶるぶるいわないのも、洗練された感じで良いな。

なんかの拍子にとつぜんエンジン(というより発動機といいたくなる)が動き始める。しかし基本的に運転とは無関係に動いている感じ。

僕がCVTとハイブリッドが苦手なのはこの辺りだ。
エンジン音が、車の走りの状態を示す情報に使えない感じがどうも・なのだ。

MTならエンジンの回転数xギアと、速度の関係は一定だし、低速でエンジンがガタついたらシフトダウンかクラッチ切るか、と判断できるのだが。HV車は電車の空気圧縮機みたいに、てきとうな時にエンジン回して電力を発生させるみたいだ。

停止寸前にパワートレインがすこしガタつく感じがする。素人に理由はわからないが、駆動系と関係あるんじゃないかな。スムーズに止めるのは難しい感じだ。

パワステのアシスト量変化がやや極端かつ人工的な気がする。タイヤのせいもあると思うが、車庫入れなどで回転位置がつかみにくい。
もっとも、これらは短時間しか運転してないので、慣れもあるか。

視界は良いとは言えない。斜め後ろはちょっと見えにくい。


なんだか自動車雑誌のロードインプレッションみたいになってしまったが、デザインはけっこう気にいってる(顔はちょっとおっかない。なんか狛犬みたいだ)。

運転席周りの造形もすごいし、ディスプレイパネル(カーナビ部分)も良い。カタログをみると、非常時給電もできるらしいし。

なので、食わず嫌いせずにいまの車も乗らないとわからないなあ、とおもったものでした。。






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よのなか

2021年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム
パラリンピックも時々は見てますけど(アーチェリーとか、テニスとか)、ここのところ録りためた大河ドラマ「青天を衝け」をキャッチアップすべく「やや早送り」で見続けてる。いま天狗党の乱が終息した辺りまで来ました。

大河ドラマもけっこう筋が複雑だから、本当はゆっくり繰り返し見た方がいいかもねえ。じつは、人に言えるほどドラマの人物関係がわかってるわけではありません。。慶喜の草彅剛は割と好きです。昔の大河ドラマではもっくんがやっていて、あれは実によかった。あれでもっくんのファンになりました。
しかし草彅くんも良いです。
すいません栄一の吉沢君もよいです。

以下省略。

歴史ドラマは視聴者のリテラシーに気を使いながらストーリーを運んでいくので、難しいのでしょうね。幕末は、戦国時代よりはまだ現代人が馴染みやすい部分もあるとは思うけど。徳川家康が色々解説しているところを見ると、苦労がしのばれます。。

それでも、日本のこの時代、19世紀半ばから20世紀の初頭にかけての変化は、今思うと凄まじいものがあります。それまで厳しい統制のもとに、非常に秩序だった生活をしていた日本人が、急に変わり始める。だから繰り返し物語として取り上げられるのでしょうけれど。

もし自分がその時代にいたら、「夜明け前」の青山半蔵みたいに、若い頃は青雲の希望を抱きながら、次第に自らの無力を感じ挫折していく、んじゃないかなあと思う。たぶん、相当数の人たちは多かれ少なかれ、次代に翻弄され続けたのでしょう。
渋沢栄一のように、自分の中で矛盾を消化できるような人は、そうたくさんはいなかったと思います。。

そのことは、翻って現代の世の中を見るにつけ、余計に思うんですよね。。
昔よりははるかに重層的、複雑になっている世の中ですから、見通すことは容易ではない。
自分はわかった、などと思うことはとてもあぶない。
なにかにこだわることはリスクを伴う。
他方、うまく波に乗るチャンスもあるし、乗らずにただ流れていることもできる。

ネット上でちょっと目立つような議論をしている人たちを見ると、そんなことを考えたりします。

話はとびますが、先日大宮でたべたラケルのランチ。

ラケルって、この10年余りの間にそうだな、5回ぐらい行ったかな。
お店は関東を中心に展開しているそうですが、なんというか、可愛さのクオリティがすごく高いです。
お水が、ボトルに入れられてくるのですが、ただのお水ではない(ミネラルウォーターでしょうけど)と思うくらい、美味しいです。あとで水の味をおもいだすくらい。
店員さんが半端なく可愛いです。全体の雰囲気も非常に配慮が行き届いていてい可愛い。その辺の気合がすごい。
それでいて、個人のお店みたいにクローズな近寄り難さがないところもすごいと思う。。

なので、たまに行っては感心して帰ってきます。

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神保町

2021年09月02日 | 記憶の断片
今週初めは短い夏休みでしたが、そのときは35℃もあったのに、仕事に戻ったら急に涼しくなって・。

仕事にもどった瞬間から(正確にはその前から)どっちゃり忙しくなり、今日は会議で思いもよらず至近弾直撃を受け・・old soldierなので簡単にはしみませんが、たいちょうもがたおちして、へびいな9月のはじまりです。。

良く伺っているブログで、三省堂書店本店が閉店(建て替え)だと知りました。あれあれ。。

もう20年前ですが、三省堂裏の画材屋さんでやっている絵画教室に毎週通ってました。5年ぐらい行ってたかな。土曜の午前だったので、終わるとみんなでランチしたり、そのあと街をぶらぶらしたりもしてた。三省堂もよく使っていたな。。
今思えば自分も先生も教室の人たちも若くて(今の自分ぐらいの人もいたけど)、なんか楽しかった。

冒頭の写真は20年近く前、ちょうどこの日で教室をやめたときに撮ったものです。すこし別の勉強するために一区切りつけたのですが、ちょっと別れが惜しかったな。

そのあと6年ほどして、また通おうとしたのですが、昔とは自分の勢いみたいなのが違い、3か月ぐらいしか続きませんでした。。

ちょうど同じころの写真から。教室では油絵でしたが、ここに映ってるのはアクリルですね。アクリルは今の家に越してからも少し描いてたけど、ここ数年やってないな。。

画材を買うのが楽しいというか、習慣みたいになっていて、しょっちゅう買ってたな。。

同じころの写真から。

ちょうどこの頃に携帯買い替えて、初めてカメラ付きになった。
そしたら、ちょうど買った「アサヒカメラ」に、その携帯が取り上げられていたらしい。31万画素だそうです。

カメラ雑誌としては色物的な取り扱いだったと思うが、今や人々は写真と言えばスマホになってしまい、カメラ雑誌もなくなってしまった。


やはり同じころ撮った写真。
なんでこんなの撮ったのか。。
一区切りして、気持ちも新たに別のことをはじめよう、ということかな。。
(ちなみにこれは映画「ジーザスクライストスーパースター」)
コメント (4)
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