うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

お迎え10年!!

2024年10月12日 | セキセイインコ

ココぴいがうちにやってきてから10年になりました。


祝!



うちに来た時はもうひとりご飯だったので、誕生日は不肖ですが初夏~7月ごろに10歳になってたかと思います。



10年前の今日は少し肌寒い薄曇りの日でした。

午後に車出して、西東京のことりやさんに行ってお迎えしました。

ケージも一緒に買いました。
写真の紙箱の中に二人が入っています。左の丸穴から何かのぞいていますね。



残念ながら一緒にお迎えしたアル君は3年前にお空に旅立ってしまいました。

うちに来た時はココの方が身体弱い、というかメガバクテリア(セキセイにはありがちな厄介な病気)があり、数か月ほぼ毎週通院を余儀なくされたのでした。



その後メガバクのほうは良くなったのですが、若い頃はとても得意だった飛ぶことが、骨の具合でできなくなり(2016年ごろ)、この3月には首がとてもかしいだ状態でまっすぐにできなくなりました。
このため、転倒が目立つようになりましたので、止まり木を低い位置に移設しています。

幸い握力はしっかりしています。

食欲はとても旺盛で、特に種ものがすきです。

きげんの良い時はよくぴいぴい鳴いています。

ちょっと寝坊助です。


なにはともあれ、おめでとう!



うれぴい。


アル君もお空からお祝いしています。

どんどんどん・ぴいい!

今日はお祝いなので、みんなで街をねり歩いています。


というわけで、これからもよろしくおねがいします。

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日本橋、大手町

2024年10月10日 | まち歩き
今年もインフルエンザ接種に行きました。

4時半に仕事を切り上げて会場(日本橋)に向かいます。
去年までは大手町方向から行っていたのですが、今年は銀座線で日本橋に出ました。雨が降っていなければ、こちらの方が歩く時間が短く済むようです。


クリニックは数年前にこちらに移転したのですが、違う方向から来たのと、周りの風景がすっかり変わったので、また違うところに移転したのかと一瞬思ってしまいました。

八重洲の永代橋通り沿いのこの辺は、以前なら日本ビルヂングや朝日生命の本社、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)、大和証券とかがありました。
みんなきれいになくなっちゃいましたね。

位置関係はわかりませんが、数年後には日本で一番高いビルがこの辺にできるはずです。

鉄道のガードをくぐって大手町の方に進んでも、街の風景はずいぶんと変わっています。もうずいぶん経つけど、日本興業銀行本店ビルが見当たらないのがなんか不思議です。

そして、かつてクリニックのあったビル(東京海上日動ビル)。
あの赤いビルが見当たらないというのも、これまた不思議なものです。



ビルの地下にあった中華屋でよく食事していた、という話は、ここで何度か書いています。兄弟でやっていた喫茶店とか、古いカメラが置いてあるDPE屋とか、色々あって、昭和ムードが横溢する地下街でした。

お堀端を通って前の勤め先をかすめ、有楽町あたりまで歩きましたが、やはりここに「帰って」くるとほっとする。。建物は変わっても、街の雰囲気は相変わらずですね。
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沈黙

2024年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム
日経の9月に連載された鈴木忠志さん(演出家)の「私の履歴書」から。

シドニーのオペラハウスで、鈴木さん演出の「トロイアの女」が上演されたとき、鈴木さんは三井物産会長の八尋俊邦 さんと一緒に観ていた。

鈴木さんの演出では舞台中央にギリシャの神像、あるいは日本の菩薩のような姿の男が立っている。ギリシャ兵がトロイアの子供や女たちに乱暴狼藉を働くが、この男はただ黙って見ている。

終演後のパーティで八尋さんは「この芝居は戦争になると神も仏もない、ということだな」と言った。

不幸にあった女たちにとって、(舞台の)神像の存在は何の意味もない。救いの手を差し伸べることもなく、ただ黙って見ている。

鈴木さんは八尋さんが自分の演出の意図を的確に捉え、きわめて簡潔に表現してくれたと思い、感動したという。

八尋さんは1915年の生まれ、戦争の悲惨な記憶を沢山持っているはずだ。
その経験が、鈴木さんの演出の意図を的確に捉えさせたのだろう。



なにかのきっかけで、それを見たり聞いたり、あるいは思い出しただけで条件反射的に涙が出てしまうことがある。

前に映画「この世界の片隅に」を観たときは、しばらくすずさんの事を思い出しただけで泣きたくなってしまい、ちょっと弱った。テーマ曲が「悲しくてやりきれない」なのだけど、あれを聞いても自動的に涙が出てきてしまう。

3.11の後、音楽会等では東北を応援することを意図して「ふるさと」を歌う、ことが流行した。来日したプラシド・ドミンゴも確か歌っていた。

僕の属する音楽団体でも、コンサートのさいごに観客みんなで歌う、という演出がなされた。

歌っていると、何十年と聞き慣れた歌なのに、なぜか泣けてくるのだ。

なぜか・ではない。理由ははっきりしている。3番の歌詞に「山は青き ふるさと 水は清き ふるさと」とあるが、歌いながら色々考えてしまい。。

ちなみに、いまはもう大丈夫です。



鈴木さん演出の舞台は見ていないが、じっと立っている神像、という設定を読んで、目に浮かんだ映像がある。

平山郁夫さんは広島で勤労動員中に被爆している。この絵は平山さんが描いた唯一の広島の絵だ。

真っ赤な空に不動明王の姿が見える。
不動明王は、何かを語り掛けたり、拳を振り上げたりはしていない。リンクの解説では、憤怒の中に深い悲しみをたたえた表情(でじっと見つめている)、とある。

この絵の完成画は見ていない。平山郁夫美術館で、構想のための下絵が展示されていたのを見た。

見ているうちに涙が自動的に出てきた。

鈴木さんの舞台演出でも、神像は人間の悪行を黙って見ている。
鈴木さんは、(演出を)無力な神像に対する皮肉、と書かれている。

しかし、個人的には、神像が全く無力だとは思わない。
そこにいて、人々の仕業を見ていること自体に意義があるように思う。
親不孝をしてしまった子供を、咎めるでもなく泣くでもなく、見つめている親のように。



狙ったわけではないが、今日はイスラエルのガザ侵攻(につながったハマスの奇襲)からちょうど1年だ。

ウクライナの戦争もそうだが、連日の報道を前にして、我々はなすすべもなく眺めているしかない。
しかし少なくとも、目をそらす事だけはせず、事態を見守り続けないと。
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秋雨

2024年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

10月は秋晴れの青空よりも、いつも雨が降っている印象がある。それと、秋の日はつるべ落としで、日の暮れるのがとてもはやい。
なので、どっかに写真撮りに行く(たいていは鉄道写真)にはあまり向いていない印象がある。

雨はいろいろ厄介だし、時々体調にも影響するけど(昨日は出先から戻って思い切り昼寝してしまった)、穏やかな雨にはある種の情緒があって悪くない。北陸のような豪雨は願い下げですけど。。

こんな日は谷山浩子さんとか聞きながら運転していると、むかしの思春期の頃見た街にたどり着くような気がしてくる。自分でじかに見た風景もあれば、テレビで観た、10ばかり年上の若者たちが活躍していた街とか。


先月の日本経済新聞「私の履歴書」は演出家の鈴木忠志さんだった。
この分野は僕は全く詳しくないのだが、なかなか興味深く読んだ。

連載最後の日のタイトルは「ヘンであること」で、鈴木さんはこう書いている。

私は自分のことを小さい頃から少しヘンな人だと思ってきた。だから日常生活はできるだけ一般の人たちと違わないように心がけた。
その代わり、舞台作品を創る時は、できるだけ普通の生活とはかけ離れた想像にもとづいたものにしなければと思ってきた。

自分のなかで妥協できない部分は徹底的にそれを追求し、ふだんの生活では周りの人に違和感を持たれないように努める。

鈴木さんは舞台芸術という、大きな資本を要する芸術を追求しながら、お店のオーナー、山村の住民の方々や自治体の長、大会社の経営者の方々と交渉し、協力を仰いできた。芸術家だからといって1から10までヘンであっていいわけではない。もちろん色々な芸術の在り方はあるが、鈴木さんの場合、この心がけがあっての今なのだろう。

ヘンであることについて鈴木さんは最後に、芸術だけではなく企業経営も同じであるとして、ご縁のあったYKKの吉田忠裕 を紹介しながら〝分け登る麓(ふもと)の道は多けれど同じ高嶺(たかね)の月を見るかな〟という、一休宗純禅師の 和歌を紹介して締めくくっている。 

・・自分を振り返ると、自分がヘンであることの認識は持っていたし、なるべくふつうにしようとも思っていたけど、けっきょく自分を厳しく追及することも、ごくふつうの人たることも徹底できず、中途半端な人生になってしまったのかしら・という反省はあるな。

鈴木さんのお話でもう一つ印象に残った事があるけど、また次の機会に。

*画像はAI(Image creater)
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血液型政治学

2024年10月03日 | うんちく・小ネタ

どこかで石破首相のプロフィールを見ていたら、血液型B型、と書いてあった。

・・ふと、若い頃バイト先だった出版社の配送センターでもらった血液型の本を読んで、しばらくハマっていたことを思い出した。

ひと頃流行りましたね。血液型で性格がわかるというやつ。

熱血のO型、繊細なA型、マイペースのB型、クールなAB型・みたいな。
この仮説は日本人の多くが支持している(た)が、外国ではあまり聞かれないとも聞いた。というのは、国によって血液型の比率が違うからだと(日本はA,O,B,ABの順に多く、比率は4:3:2:1らしい)。

昔の記憶なのであれだけど、野球だと長嶋茂雄さんはB型、王貞治さんはO型、川上哲治さんはA型、だとか。なんとなく・でしょ。

政治家でいうと佐藤栄作さんはA、田中角栄氏はB、中曽根康弘氏はO(だったと思う)。

なんとなく、この人何型、みたいなのは匂いで感じられたりする。。

前にも書いたことあるけど、若い頃会社でいつも一緒に遊んでいる仲間がいた。あるときふと血液型の話になり、各自自分の血液型を話したらみんな『日本人の中で少ない方の二つ』のどちらか(多数派の血液型の人がいない)、だったことがわかり、どおりでみんな・・、と大笑いになったことがある。

まあ、流石にさいきんはあまりそういう話はしない・。ちなみに今、職場で血液型の事を揶揄する(「これだから■型の人は~」)のは、ハラスメントに相当します(ブラッドタイプハラスメント=ブラハラ)。


話は戻って、政治家の血液型。
石破さんのB型はなんかわかる気が‥。
他の人の血液型はどうなのだろうかと思い、Copilotに聞いてみた。

じつは、小泉純一郎さんはきっとB型だろう、と思っていたのだ。
その息子さんも、ちょっと独特の構文をおつかいになるので、やはりBかな、と。

ところが。
まずお父さんはなんとA型。
息子さんはAB型、なのだそうです。

更に調べてみると、安倍晋三氏はB型、バラク・オバマさんはAB型、ドナルド・トランプ氏はA型、なのだと。
枝野さんと野田さんもB型、高市早苗さんはA型だそう。

オバマ氏のABというのはアメリカではかなりレアな血液型で、国民の4パーセントがAB型とのこと。

岸田文雄氏は、僕はなんとなくA型か、あるいはOかな、と思っていた。
ら、ABなんだそうです。

こうしてみると、血液型で人の性格判断するのはちょっと無理なんじゃないか、という気がしてきます。岸田さんは、言われてみると少し何というか、一見して受ける印象とは異なる面を多く持っておられる方だな、とは思いましたが。。
繰り返しですが、血液型で人を判断したり、予断をもつべきではありませんけどね。

ところで僕は・うさぎなのでABOでは分類しないのです(H方式)。犬、猫、鳥もそれぞれ別の分類法の血液型があるそうです。
コメント (2)
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