うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

花 平成31

2019年03月31日 | まち歩き

冬から春にかけて、毎週末車で出かけている。なかなか車内が温まらなかった季節を過ぎ、少しずつ外の風景が華やかになってくる時期だ。

実家も色とりどりの花が咲き始めた。

あまり見てくれる人がいないのが寂しいが、道行く人の目を楽しませてくれていれていることと思う。

チューリップは昨秋自分で植えた。

3年前まで、旧宅で毎年のように植えていたことを思い出す。

さて、新しい時代が来ますね。。

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クラシック何枚か

2019年03月30日 | 音楽

さいきんはロックやらジャズやらに手を出して、クラシック系のCDを買っていなかったのですが、久しぶりにオペラ、オケものに手を出してみました。

フィデリオはこれまで見たことがなくて、全曲盤も持っていませんでした。先日FMで、このオペラの見せ場はアリアよりもむしろ合唱、と評ているのを聞いたのがきっかけ。中古店で思いついて買ったのですが、ネット上でショルティ盤について言及している人、いなさそうですね。。

プロコフィエフという名前は、小6の春休みつまり今頃、初めて買ってもらったラジカセであれこれFMを聞いていたときに知りました。その時何の曲をやっていたか覚えていないのですが、なんとなくオケものを数枚買ってみました。バレエのほうはBSで昔見たな。。

キージェ中尉とかこの辺も、去年買ったオネゲルやルーセルよりは親しみやすいですし、聞いたことある感もありますね。

なんか中身が薄い記事で恐縮です。。

シャイ―のブル8。8番は個人的に今頃の季節感がとてもありまして、なんか日差しは春だが空気は澄んで切れるように冷たい、早春の山里、みたいのが浮かんでくるのですね。この曲聴くと。

先日Eテレでマタチッチのブル8をやっていて、久しぶりにこの曲を聞きたくなりました。。ここ10年ぐらいはカラヤンVPOばかり聞いていたかな。。ちょうど30年前の、カラヤン最晩年の演奏で、結構じっくりやっています。シャイ―の演奏はあっさりはしていないが、もう少し若い感じ。録音と演奏等の兼ね合いを考えるに、これが一番バランスいいかも、という予感はあります。まだ1度しか聞いていないのであれですが。。

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ラジオ

2019年03月29日 | 社会・経済

数日前、民放連がAMラジオを廃止してFMに切り替えるよう要望、というニュースが流れて驚いた(し、そんなことあるわけないだろ、と思った)が、ちょっと調べてみると事態は結構深刻らしい。広告収入はピーク時から6割減、放送設備の更新も大変らしい。海外ではドイツではAM全廃、欧州ではデジタル放送が普及し、FMも全廃した国もあるらしい。ただ、デジタル音声放送は国によって方式が異なるようで、日本では話を聞かない。

ラジオ低迷の理由はメディアの多様化、特にネットの普及だろう。ラジコ、らじるらじるなどネットでラジオを聴くアプリもあるが、僕は最初の頃少し使っただけであまり活用してない。地下鉄がネット対応になったころ(ご記憶かどうか、ほんの6-7年前まで地下鉄では駅以外ネットが途切れていたのだ)、帰りにベストオブクラシックが通しで聞ける!と感動したものだが、まあ電池食うしね。。

僕は単純にAMは遠くまで届くが音質が悪い、FMはその逆、と思っていたが、AMは都市部では届きにくいようだ。車でAMを聞くと、家のあたりなど特に音声が乱れる。受信機がダメなのかなと思っていたがそうではないらしい。家の中でもAMは時折聞きづらいことがある。

昔よく深夜放送を聞いていた者としては寂しい感じもするが、これも時代だろうか。聞けば白石冬美さんもなくなられたそうで。。ご冥福をお祈りいたします。。

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よみがえる力は、どこに

2019年03月25日 | 本と雑誌

城山三郎 新潮文庫 平成29年3月(ハードカバー初版は平成24年)

前半は講演会の記録、次に没後発見された容子夫人に関する文章、最後が同年の作家吉村昭氏との対談と、全く異なる文章を1冊にまとめたもの。

没後にまとめられたせいか、より城山氏が等身大に近く感じられる文章となっている。特に容子氏とのエピソード(『君のいない一日が、また始まる』)は城山氏の学生時代の思い出や、若い頃子を持つことをためらった城山氏が、容子夫人に中絶を決断するように示唆した(ほとんど溺愛しているかのように夫人を描いている氏にしては恐ろしく冷酷な態度だ)など、相当に赤裸々な事実もつづられている。とかくきれいごとに終始する城山氏だが、それこそ「彼も人の子」という感じだ。

財界人を取り上げることの多かった城山氏だが、いわゆるエコノミストという訳ではなく(経済学の教師ではあったが)、株式投資なども自らは手を出さなかったらしい。ニュースもあまり見たがらなかったようだ。人や動物には興味を持ったようだが、利殖という行為にどこか後ろめたい気持ちを持っていたのかもしれない。もっとも、城山氏の時代の人はそれがふつうの感覚だったのかも。

城山氏にとって軍隊-腐敗した組織に対する嫌悪感は相当なものであり、それが彼の作家としての原動力となっているようだ。「組織はこりごり」という観念は本書の中でも形を変えて何度も出てくる。考えてみると、城山氏の小説の中で組織の中の人物に焦点をあてたものはたくさんあるが、組織そのものに言及した文章はほとんど見られない(ホンダのことは少し書いているが)。

この、組織嫌いという感覚に僕は深く共鳴するところがあるのだけど、同時にその感覚が身の回りの、友人知人の間で普遍的なものではない、ということも、今はよく自覚している。というか、自分のいる外資のある業界の人たちは、みんな組織の束縛みたいなことを嫌う感覚の持ち主だ、と思っていた。のだが、ここ10年、必ずしもみんなそうという訳ではないらしいことがわかってきた。その人たちに、城山三郎氏の小説は伝わらないのかもしれないな。。それでも今でも城山氏の本を書店でよく見かけるのは、「組織嫌い」感のある人が一定数いることの証拠化も、と想像を巡らしたりする。。

対談では吉村氏の発言が面白い。(太平洋戦争は)軍部が国民をだましたなんて言うのは嘘で、文化人とマスコミの責任転嫁だ。庶民が一生懸命やったんだ。とか、下町育ちの吉村氏が「通ぶった板前」を批判して、落語だか何だかの影響で江戸っ子が変な風に間違えられている。本当の下町っこは慇懃丁寧なものだ、など。

吉村氏は自然体で気の向かないことはしないタイプ、城山氏はもうすこし理屈っぽいけど、結局嫌いなことはしないタイプで、どちらもある種ひとと違う流儀があるところが似ている。それが通せる環境に生きていたということが、羨ましい。


写真は実家。ここは昨秋自分で植えたもの。窓脇に咲く花の写真も撮ったが、住所等が見えるのでボツ。実家はいま人がいないので、花が咲いても観てくれる人がいなくて、切なく思える。

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ジャズ2枚

2019年03月23日 | 音楽

本屋もレコード屋も経営的には厳しい時代になった。旧宅の近くでは、地元駅前の本屋はもう10年以上前に撤退、前後数駅の繁華街にあった本屋も次々となくなり、今年初めには最後に残った隣の駅の本屋が店を閉めたらしい。

幸い現宅の近くにはまだ駅ビルやモールなどに本屋がいくつかある。なるべくそうした店で買うようにはしているが、かさばる紙の本を買うのは気が進まなかったり、ネットで注文することが多いことも事実だ。

レコード屋は都心の大型店もほとんどなくなった。これも、近所の大型モールにはそこそこの規模のものが残っている(というか、4年前にできた)。機会があればその店で買ってみたいと思っていたが、探し見てると欲しいものがあまりない。先月ジャズを買ってみるかと思い、ようやくその店で買うことができた。

とはいえ、何かジャズを、という気持ちで探したので、選ぶのは結構難儀した。。

『へヴィー・ウェザー』は硬軟2枚(というか、聞きやすいか歯ごたえがあるか)で選んだうちの軟のほうだが、もちろんこちらも聞きごたえ十分です。

1977年のリリースなので、時代的にはほぼリアルタイムで聞けたかもしれないが、そのころは洋楽ロックがせいぜいでこのアルバムのことは知らなかった。ので、後学習となる。77年て、自分のジャズの感じでいうと新しい感じがしますけどね。しょうじき、50年代、60年代の全盛期のジャズは、嫌いではないが聞くのにちょっと覚悟がいるが、この時代の曲はわりとすっと入れる。

若いころ住んでいた街に、将棋みたいな名前の餃子屋があった(回りくどすぎるか。。)太ったあんちゃんが一人、または弟子とやっていて、10人もすればいっぱいになるような小さな店だった。結構面白いというか、自動ドアが壊れて手動と書いてあったり、テレビも前はあったのが壊れてそのままになっていたりと、妙に味のあるみせだった。。それはともかく。

このあんちゃんは、調理の合間に客、または弟子とよくおしゃべりをするのが好きだった。僕が聞き手になることは全くなかったが、店が狭いから良く聞こえる。ちょっとテレビドラマか何かに出てくるような人だった。

そのひとがあるとき、マイルスの話をしていた。このアルバム(『ビッチェス・ブリュー』、1969年)は高校生の頃に出たそうで、「ビートルズが出てきて、すげえな、毎年どんどんすごくなっていく。ジャズもどんどん進化して、このアルバムが出たとき、こりゃすげえ、今がこれだけすごいんなら、この先いったいどうなるんだろう・・と思っていたら何のことはない、あれが一番すごいときだったんだね。。」

こういう話はとても興味深いですね。リアル・タイムでビートルズとかマイルスとか聞いていたら、いったいどういう思いをするのだろうというのは。生憎最近の音楽家でそういう体験ができる人って、思い浮かばないです。

今聞くと、新しいタイプのアプローチであることはわかるが、たぶん昔からよくFMなどで聞くともなしに聞いていたのだろう、それほど抵抗感は感じない。

というわけで、こちらもなかなか結構でございました。。

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マックスコーヒー

2019年03月21日 | 食・レシピ

昔はご当地缶コーヒーのような扱いで、あまり目にする機会もなかったがいまは結構見かけるようになりましたね。。

でも見かけると手を出したくなります。。駅の自販機で売っていました。

「ヨコハマ買い出し紀行」に描かれているのですが、該当箇所を読もうと「kobo」を開いたら、コンテンツ更新中とか出て、画面が出てきません。。

確かに個性的というか、猛烈に甘いのですが、わりと嫌いじゃないです。よくある通ぶった缶コーヒーより好きかも。

 

話は飛びますが、去年のハロウィンのときに買って、そのままになっていたこの子たち。上の子もつい最近までは普通の形を保っていたのですが、ここに来て急にしわしわになってしまった。

こんまり流に感謝して、お別れいたしました。

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24年

2019年03月20日 | 記憶の断片

旧友たちがSNSであの日のことを語り合っていたので。

こういうブログを書く前は日記、というよりメモのようなものを書いておく習慣があった。ので当時のものを探してみたら見つかった。3月20日は書いていなかったが、21日(火曜日、祝日)にメモがある。この日は晴れて、暖かかったらしい。事件については軽くその内容に触れ、驚いた、としか書いていない。

20日は夕方外出して、夜遅く社に戻ったが、扉が閉まっていて家に引き返したらしい。今のようにオフィスのPCでウェブニュースを見るということはできなくて、外の様子は全く分からなかった。ただ、夕方になるとどこからか、なにか大変な事件が起きたらしいということは伝わっていた。

この前後、とても忙しい日々を送っていたらしい。日曜には3時間半しか寝ていない、月曜までは食事もまともに取れなかった、とある。土曜日は学生時代の先輩の結婚式で、横浜のほうに出かけた。これは覚えている。そのせいか、事件のことはこれ以上の記述はない。なんか忙しい、体調が悪いみたいなことばかり書いてある。。

以前書いたかもしれないが、この月の初めから新しい職場にいた。通勤に地下鉄は利用していない。前年の暮れに引っ越しをして通勤経路が変わったが、それまでは事件の起きた霞ヶ関駅を利用していた。もしタイミングが違っていたら、自分だって被害者になる可能性はあったかもしれない。

この年は自分自身、転居や職場の変遷と、慌ただしい年だったが、世間も1月の阪神淡路大震災、3月のこの事件、80円台に達する円高、フランスの核実験と、色々なことがあった。夏には(たしか未だに未解決の)スーパー強盗殺人事件が起き、11月にはウィンドウズ95が発売されて秋葉原がお祭り騒ぎになったり。

そんな時代の話だ。

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遠くへ

2019年03月18日 | まち歩き

旧宅近くに寄ったので(床屋に行ってみた)、昔よく通った道の桜の様子を見に行った。ところが、行ってみると森は完全に切り拓かれ、桜の樹も根元からなくなっていた。

この辺りは農家が何件か残っていて、都内なのに鬱蒼とした森の中を道が通っていた。毎年この季節、桜の木が見事な花を咲かせて、通勤する者の目を楽しませてくれた。2本あったのだが、1本は5年前に伐採された。森自体もかなり刈りこまれたが、その後も何かの農作業の場所として使われていた。

転居の年の春。この年は開化がやや遅かったようで、これは4月に入ってからの撮影。

昨年3月25日(日)。21日春分の日は寒い雨で、2分咲きぐらいだったのが、この日はもう観頃になっていた。

今年も元気に花を咲かせてくれるものと期待していたのだが。。

開発許可の表示が出ていた。分譲して住宅を建てるようだ。

駅まで数分、むしろ今までそうならなかった方が不思議なほど、宅地として好条件の土地だ。

2017年春

現宅は都心からはかなり離れているが、大規模な区画整理によって新しく作られた街なので、少なくとも家の周辺は人工のものしかない。この辺り(旧宅)付近のほうがなんというか田舎臭い。商店街もほとんどないし、不思議な街だよな。。

2001年11月4日

ハードディスクが壊れて、ここ数年の写真はサルベージしきれないものもあったりで完全に時系列で保管されていない。

転居前の記憶はそのせいもあり、どこかいびつに圧縮されて心の隅にしまい込まれている。4,5年前の出来事は昨日のことのようにも思えるし、旧宅時代の生活全体がはるか昔の出来事のようにも思える。こうして風景が変わっていくと、記憶はどんどん遠くへと加速しながら去っていくようだ。

ただ一方で、この季節独特の、切れるように澄んだ陽の光と、身の引き締まるような冷えた空気は、それに連なる昔の記憶を、次々と呼び覚ましてくれるような気がする。

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イージー・ライダー

2019年03月17日 | 映画

1969年アメリカ 日本公開は1970年

前回の記事では80年代の日本のビジネス社会で活躍された城山三郎氏を取り上げ、懐かしい世界、と書いた。裏を返せば昔、日本の経済が隆盛を誇っていた(半面、他国に比べ共通の問題を抱えていないことに戸惑いを感じていたような)時代と、今日の日本のビジネス社会は、形の上では昔を引き継いでいるが、実質的には人の資質、考え方ともにかなり変貌しているということなのだと思う。まあ昔の人たちが、随分と贅沢な悩み方をしているようで羨ましい、といいたくなるが、そんなことを言ったら城山先生から雷を落とされるかもしれない。

今日ここで取り上げる映画、イージー・ライダーも、今日のアメリカ社会とはまた違う、アメリカ社会の物語だ。解説でデニス・ホッパーが語っているが、これを撮影した1968年ごろのアメリカというのは大変な揺籃期にあった。ホッパーいわく、そのころは誰もが平気で法律違反をしていたんだ、ということだが、そのころの社会状況というのは、ちょっと想像がつかない。

いわゆるアメリカン・ニューシネマというのは、僕等よりも上の世代の人たちが影響を受け、ラジオなどでよく語っていた。僕らはだいたいスターウォーズぐらいから映画を見始めたので、世代のギャップを感じるのは確かだ(あくまでも個人的な視点ではあるが)。なので、それほど多くの映画は見ていないけど、「卒業」なんかはわかりやすかったし、「俺たちに明日はない」なんて、かなりインパクトあったな。。

それらに比べるとこの映画はすこしわかりにくい・。主人公たちが「自由」な存在なことは理解できるとしても、それを地方の住民が憎悪して闇討ちにしたり、銃を放ったりするというのは、感覚的につかめないものがある。

この映画のカギは、若手弁護士のハンセンがビリーに向かって語った「自由を語ることと自由であることは別なことだ。」という言葉なのではないかと思う。ワイアットやビリーは自由の側にいるが、彼らが出会う人々の多くはそうではない側、自由を束縛され、互いを監視しあいながら日々の生活を送っている人たちだ。そこには対立構図があるように思える。が、今日の我々が、どの程度そうした視点にシンクロできるかというと、どうだろう。多くの人たちは、自由と束縛を対立させずに、適当なところで折り合いをつけてしまっているのではないか。自由と束縛との間に、適当な距離感を保っていく姿勢となると、だんだん村上春樹じみてくる。話は飛ぶが、この映画を見るきっかけは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「私」が、『自己を変革するための訓練として』、『イージー・ライダー』を3度も観た、と語っていたから。

よくネットで出てくるブラック企業というのは、僕にはどうも理解できないことが多いのだが、時折語られる理不尽に人を束縛する管理者たちは、映画に出てくる田舎の保安官や農民たちと似た感覚なのかもしれない。。そういう意味では、今も自由と束縛の間との対立はあるのかもしれないな。。


ネットといえば、この方に係る事件がきっかけで、出演した映画や音楽作品の回収や出荷停止等が行われたことに対し、(少なくとも僕の見る範囲では)批判が相次いでいる。曰く過剰反応だ、音楽作品に罪はない、など。

ここで単純に対置させるのは適切ではないかもしれないが、「イージー・ライダー」って、主人公がコカインの密輸をしたという話だし、ピーター・フォンダもデニス・ホッパーも、ジャック・ニコルソンも映画製作中に服用していたようなことを映像ドキュメンタリーで語っている(ああいうのはいっていいのかしらん)。ホッパーいわく、あの頃はみんな法律違反を平気でしていたんだ、ということなら、まあやはり今とは時代が違うということなのだろう。

ごじらはこれからも大切に見ていきたい。。

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嬉しうて、そして・・・

2019年03月15日 | 本と雑誌

城山三郎 文春文庫2010 単行本は2007年8月発売

買ったときも読んでいるときもずっと気づかなかったが、8年前に一度読んでいたらしい。転居のとき、城山作品の多くは手元に残さなかったようで(いつでも買えると思ったのか)、ざっと書棚を見たが見当たらない。・・買ってから気がつくってのはあったけど、読んでもわからないってのは・・困ったもんだ。

帯に「今こそ、私たちは城山さんの言葉を必要としている」とある。城山氏晩年の、かなり辛口の社会批評を含む随筆集である。

城山三郎氏の小説は学生時代、そろそろ社会に出る準備を始めたころに盛んに読んだ。随筆では「打たれ強く生きる」などは、何度も繰り返し読んでいる。昭和50年代~平成にはいるぐらいの頃に最も活躍された方で、ビジネス誌などを読むとしばしば城山氏の文章を目にしていた気がする。そのころの政財界の人たち、平岩外四氏や本田宗一郎氏、大平正芳氏などは、城山氏の文章を通じてその生きざまを知ったようなところがある。うぶな学生で、社会というものがどんな恐ろしいところなのか戦々恐々としていた身には、とても心安らかにさせてくれる存在だった。

城山氏の視点は、まるで少年のように純粋で清らかだ。というか、今日的な目で見れば、青臭いといってもいいほどの純粋さだ。今のビジネス誌がどんなことを書いているのかわからないが、たぶん今時のライターはこんな率直な書き方をできるひとはいないと思う。青年時代に戦争という過酷な経験を経た人だからこそ書けるのだろう。

ときどき城山氏の文章が懐かしくなって読む。きれいごとで残らない文章なのかもしれないけど、皆がそれを求めていた時代が懐かしい。高潔なリーダーたちに憧れ、自らもそうありたいと思っていた時代が懐かしい。

・・あれですね、ツイッターの論調が少しずつ変わってきていますね。話飛びますけど。

 

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3.11を忘れない

2019年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

タイトルは昨日行った、恩師と旧友が参加したコンサートの名前そのものですが、僕自身は毎年、あの日にたどった道のりを追うことで記憶をよみがえらせようとしています。

毎年ここで書いていますが、あの日は夕方、父のいたオフィスまで歩いて行って、そこから更に親戚の家まで二人で歩く、という道のりをたどっています。いわゆる帰宅難民の問題は、のちに色々な角度から再検討されていますが、当時の僕としては、高齢の父をこのままにしておけない、という気持ちが強くありました。

いまはもう、距離感もわかっていますが、あのときはどれほど歩くのかもわからないし、道も完全にはわかっていませんでした。四谷を過ぎてからの道のりが非常にながく感じられました。お堀端付近は初もうで並みの人込みでしたが、四谷付近は歩道も広く、人が少なかったのは幸いでした。

携帯の電池は心配でした。最後は部下の子と話しているうちに、空になったんじゃなかったかな。電池は途中のコンビニでも何度か探しましたが、どこも売り切れでした。パンやおにぎりもなくなっていましたが、そのあたりは5時ごろに買っていたので心配ありませんでした。

商品はなくなってもコンビニはだいたい開いてましたし、飲食店もたいていはやっていたと思います。店員さんも帰宅難民になっていたのでしょうね。

とまあ、歩いているとそんなことを思い出していきます。昔と今の違いは、新宿に着くころにはかなり体力的にきつくなってきたこと、昔はあまり感じなかった花粉症がひどくなったことでしょうか。気候的にも、今年はかなり暖かい感じがしますね。

とりあえず疲れてしまったので、写真の掲載はあとまわしとします。。

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人生がときめく片づけの魔法

2019年03月10日 | 本と雑誌

サンマーク出版2011年 現在は改訂版が河出書房新社から出ている由

こんまり流はうちの部下の子の一押しで、話には聞いていたが本を読むのは今回が初めてだ。折しもNetflixでやっている番組が大ヒットし、こんまり流の普及を目指して40億円の資金調達をはかっているというニュースが流れている。先日はアカデミー賞のパーティ?にも出ていた。なんだかすごい。

捨てるものを選ぶのではなく、残したいもの(ときめくもの)を選ぶというのが、その真髄のように思うが、確かにぜんたいとして目新しくはあるものの、彼女の活動には単なる片づけのノウハウを教えているだけにとどまらない、何らかのパワーというか、勢いがあるような気がする。

番組を見たわけではないが、小柄でタイディな感じのこんまりさんが、あの笑顔で体格の大きなアメリカ人たちをバッサリと切り捨てているような光景が目に浮かぶ。う~ん、もう誰かさんに萌え~なんて年でもないが、僕もいちど切り捨てられてみたい気が。。

たぶんこれは、人々が心の底で罪の意識を感じている無駄遣い、優柔不断、怠惰な部分を、気持ちよく洗い流してもらえる感じがするところが魅力なのでしょうね。

うちは2年前の転居で、かなりの部分を整理しているが、2年もたつと色々整理がつかなくなる部分も出てきつつある。まあ、片づけたいところではあるが。。


この週末は色々なところからおめでたいお話がどんどん飛び込んできて大騒ぎ。金曜日には先輩の転職祝い、日曜日は幼馴染が恩師と共演するリサイタルを見に行き、そのあと旧交を温めているなか、別の先輩の結婚の報告があり、スマホがお祭りになっていることに気づく。相変わらず仕事はちょっとぱっとしないが、友人知人たちの活躍に元気をもらい、なんとか明るく暮らせております。。ただ、忙しすぎて家がちっとも片付かんな。。

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オイル交換他

2019年03月09日 | 鉄道、車、のりもの

備忘録として。

前回の交換が昨年9月22日、その前は2月10日と、半年に1回というペースから少しずつずれている。走行距離でいうと今回が51,112キロ、前回は46,850キロで約4千キロとなる。あまり走っていないので、こんなものか。

前回もフィルター交換したかったのだが、出向いたときに聞いたら在庫がなくて繰り延べになっていた。今回はフィルターをあらかじめ買ってある。オイルは4リットル入りを使ったが、フィルター交換と一緒だとオイルが吸収されて目減りするらしい。作業員の人が時間をかけて説明していたが、レベルゲージの基準ラインの真ん中ぐらいまでしか入っていない。抜いた時は上まであったので、漏れているわけではないと思う。1000キロぐらい走ったら一応みてくださいと。オイルは多すぎると漏れたり、燃費に影響したりするので、これはこれで良いのだろう。

帰宅してエンジンを開けてみる。前回継ぎ足したパワステフルードのパイプがにじんでいる。ここ、車検のときは見てもらう必要があるだろうな。その後鳴き等は発生はしていない。帰りに軽く洗車したが、屋根の艶うせ、ボンネットや側面のしみは次第に目立つようになっている。経年が進むのは避けられないし、実用車として過度に保護するのも考え物だ。8月が車検だが、考えながら乗っていくことになるかな。

作業員の人がこのふたを気にしていた。ちょっと閉まり方が独特で、浮いているように見える。が、たぶんこれで問題ないと思うけど。

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翔んで埼玉

2019年03月07日 | 映画

・・・今日は夕ご飯に鯖のムニエルを作ってみましたが、お見せするような代物ではないとはいえ、おいしかったです。部下の子と鯖の話をしていて、なんだっけあれ、DPA?とか言っちゃいましたが、DHAとEPAでしたね、栄養素。よくわからないけど、いま鯖、缶詰の生産が間に合わないほど人気があるんですよね。。なんで急に人気がでたんでしょうね・。

無駄話はこのくらいにして、映画です。

この、サイタマdisりというのは、30年以上前に世間をにぎわしたことがありましたが、なんでまた今、話題になるのか、これもまたよくわからないですね。。

ただ僕にはこの話題、とても馴染み深いものがあります。僕も中学の時、白鵬堂学院のような東京屈指の名門校(ここ笑うところ)にサイタマから通学していて、Z組の生徒たちのように虐げられていたから(笑うところです)。

学校は山手線の某駅にありましたが、生徒たちは山手線から郊外に延びる国私鉄沿線に住んでいる子が多く、生徒たちはその路線によって序列を決めるようなことをよくしていました。中学生だから、そういうことには結構シビアというか、あれですよ。。

〇う〇こ線とか、〇だ〇ゅう線とかの子は肩で風切って歩いてましたし、ち〇う〇う線の子なんか、かなり郊外の駅でも威張っていられる。。これが〇い〇線になると、評価が微妙になってくる。ただ、当時〇い〇鉄道はホテルとか観光事業でイメージアップを図っていて、勢いがありましたから、沿線住民もなんとなく胸を張れる感じがありました。悲惨なのは〇う〇ょう線の子たちで・・ああ、思い出すのもつらいわ・・(ここ泣くところです・鳴くんじゃないですよ)。。

ちなみにこういう路線別評価法だと、大塚とか日本橋馬喰町とかに住んでいる子は評価不能になってしまって、序列がつかなかったですね。。あと、学校の裏に住んでる子とか・。

そういう暗い体験を持つ者にとってこの映画は、結構身につまされるものが。。

そうだ、また思い出したけど、千葉とサイタマのdisりあいというのも、実体験があるわ。学生時代、両国のパン工場でバイトしていた。地理的に千葉方面から来る従業員が多く、サイタマの人は珍しかった、というより僕一人だった。少し仲良くなった正社員の女の子に「えー、サイタマなの。あたしも千葉だけどさ、でもはっきり言って絶対負けてると思わない?千葉は空港もあるし海もあるし・・」え~、そんなこと言われたの初めて、とびっくりした記憶がある。。

そう、映画の感想だったね。。でも、先日旧友たちと話した時も話題になったけど、これを例えば関西の人が見て、その辺のニュアンスわかるのかな、というのはある。魔夜さんもどこかで言ってたけど、サイタマだからこれが成立するのであって、これが京都とかdisったら、ただ事では済まないかもしれない。

その流れで言うと、映画作ってる人も気が引けるのか、後半になって一生懸命フォローしようとしているところがまたおかしかった。ショッピングモールもたくさんあって、住みやすいですよ~、みたいな。大丈夫だって。おこりゃしないってば。

あと、あれですねえ、サイタマといっても広いから、春日部とか草加といわれても、あんまり自分のこと言われている気がしない、というのはあるな。もっとも、千葉なんかもっと広いですからね。木更津と船橋と柏じゃぜんぜんちがうでしょうし、どこの県でもそれは同じか。

まあしかし・・、何といったらいいのか・・面白かった。

 

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週末日記

2019年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日、前夜かなり早く寝てしまったが、目が覚めた時間は週末としては普通の時間。

前日、ご飯を炊いている間に、買ってきたワッフルとか残っていたイチゴを食べていたら、おかずを作る前に寝てしまった。ので、炊飯器にはご飯がまるまる残っている。

朝食としては異例だが、一昨日の残り物の謎鍋(豚肉、シイタケ、白菜他)とご飯の朝食。成田土産のネギ醤油の瓶詰で食べようと思ったが、賞味期限が去年の秋だ。ふたを開けるとお酒のようなにおいがする。少し食べてやめて、たまごかけごはんにする。醤油とそばつゆを併用したが、少し甘すぎ。

前日、部下の子と「特撮ガガガ」の話をしていて、今日は最終回でおかあさんが部屋にくるんだよね、という話をしていたのだが、寝てしまったので見ることができなかった。残念だ。。

それにしても体調が悪い。出かけるのが面倒くさいが、我慢して支度する。

市役所は第一土曜日を開庁している。外に出ると思ったより暖かい。サンルーフを開けて窓も細く開けたが、花粉が飛んでいたようでくしゃみが出て弱った。

窓口は0時半までしかやっていないのに、きわどい時間に到着。ショッピングモールで食事したり、郵便局に寄る時間はない。いったん帰宅して書類を取り、霊園に行く。先ほど取ってきた印鑑証明を渡して、墓地購入手続きをする。

帰りがけ、ホームセンターに隣接したミスドでドーナツを買い、スーパーでサンドイッチを買う。母のところに寄り、ドーナツ(というか、わっかじゃなくてボールみたいに仕上げたやつ)をあげて、自分はサンドイッチを食べる。携帯の短縮ボタンが壊れた由。携帯会社に電話したら、本当に故障らしい。本人以外の者が修理に持ち込むには本人確認証と委任状が必要らしい。また直さないといけないものが増えた。

郵便局に行って不在荷物を引き取る。次いでオートバックスに行き、オイルフィルターを注文する。前回のオイル交換のとき、フィルターも交換しようとしたら在庫がなかった。ので、今日注文しておいて、納品されたら交換作業をしてもらうと。

と思ったら、在庫があったので、とりあえず買っておく。予約しないと待たされるので、今日は交換しない。

ガス屋に行って実家のガス代を払い、またスーパーに寄ってしゃけとかを買う。

帰宅して、前日買った牛肉や野菜を使って肉野菜炒めを作り、しゃけを焼いてて食べる。頼まれた作業と明日の予習をしようとするが、また眠くなって寝てしまう。

日曜の朝、結構早く起きて、昨夜できなかった頼まれごとを仕上げる。今日は朝から、都内旧宅近くの区の施設で音楽の練習。出発がやや遅れたが案外道は空いていて、僕が一番先についた。最初は曇っていたが、次第に雨脚が強くなる。午後1時半ごろ終了。ラジオではFM放送50周年の記念番組をやっている。8年前の震災の日に収録したというラジオドラマを、はじめから終わりまで聞いてしまう。帰りは渋滞していたので50分間聞きとおすことができたのだ。

直接家に帰らないで、昨日寄ったホームセンターに行く。昨日ペットショップを覗いたら、ノーマルグリーンのセキセイさんがたくさんいるケージに1羽だけ、床の隅で目をつぶって苦しそうにしている子を見てしまった。家に帰ってもずっと気になっていたのだ。見てみたが、いない。店員さんに聞いたら、どうでしょう、具合の悪い子は裏のほうで見てもらってますから・・という。裏というのは病院か何かなのだろう。気にはなるがそれ以上どうしようもない。かわいそうだからうちで引き取ります、と言ったところで、自分で治せるわけでもないし。それに、目の前の子を助けても、世界中のかわいそうな動物を救えるわけでもない。

隣接するフードコートで遅い食事をとって、帰宅。

PCのメーカーサポートに電話する。先日から具合の悪いパソコンのことで相談したい。自動音声で、ただいま電話が混み合っている、7分以上待つようならこちらから折り返します、と伝えている。7分たってしまったので折り返しの設定をする。

再び車を出し、クリーニング屋と銀行に行く。実家に立ち寄った後、スーパーへ。食料品を買い、車の中に放り込んでから、最上階のシアターへ。「翔んで埼玉」。先日古い友人たちと会ったときも話題になっていた映画。これについては別記する。

スーパーに入る前にガソリンを入れた。先月、満タンにいれたはずなのにメーターが一番右(Fullだと右に針が振れる)に行かないで、途中で止まったままになる故障が発生、そのままにして様子を見ていたが、右には振れないが減れば左に振れるようなので様子を見ていた。今回満タンにいれたら、ちゃんと右まで振り切った。一時的にフローが引っかかったか何かしていたらしい。こちらの故障はひとまず解決したようだ。

帰宅して、映画を見るときに電源を切りっぱなしにしていた携帯を見ると留守電が入っている。パソコンメーカーだ。明日話をしよう。

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