むかしはそんなもの知らなかったですけどね。
部下の子は子供のころ「ビニールぶくろかぶって、おばけになってました(^^;!」と言っていた。ので、そのころ既に一般化していたのかな。
写真のかぼちゃはイオンに売っていたのを買いました。
一つは母にあげました。
楽しむのはいいけど、羽目を外しすぎないでね。
むかしはそんなもの知らなかったですけどね。
部下の子は子供のころ「ビニールぶくろかぶって、おばけになってました(^^;!」と言っていた。ので、そのころ既に一般化していたのかな。
写真のかぼちゃはイオンに売っていたのを買いました。
一つは母にあげました。
楽しむのはいいけど、羽目を外しすぎないでね。
今月の日経新聞『私の履歴書』はヴァイオリニストの前橋汀子さんだ。世界的に活躍する日本人奏者は今でもたくさんいるが、彼女の時代はまだ日本も貧しかっただろうし、教育環境も整っていなかっただろうから、大変な苦労があったのだろう。ただ、彼女が今の人たちよりも決定的に恵まれていたことがあって、それは往年の名巨匠たちが活躍中で、共演したり師事したりすることができたことだ。連日、クレーメル、シゲティ、ストコフスキー、ケンペと、名だたる名人との交流話が次から次へと出てくる。
彼らの名前が出てくるたびに、ついアマゾンや山野楽器でCDを買おうと探したりしている。。
ただ、ムラヴィンスキーなんて、銀座山野ではあまり置いていないですね。山野ではロストロポーヴィチのチェロ協奏曲を買ったが、まだ聞いていない。
ロストロポーヴィチは、来日時に前橋さんが通訳を務めたそうだが、家には彼がそのキャリアの後半になって初めて録音したバッハの「無伴奏チェロ組曲」がある。
1992年の録音、95年の発売。当時、巨匠の全曲録音ということで雑誌などではかなり話題になった。もうだいぶ忘れたが、どこかの雑誌で2か月にわたりインタビュー記事を載せていたような記憶がある(うそかもしれない)。
だが、国内盤がリリースされてしばらくすると、その演奏の評価が人により分かれるものであることが次第にわかってきた。要は期待したほどの名演ではないのではないか、ということだ。
僕がこのCDを手にしたのは、リリース後間もないころだ。国内盤が出るか出ないかのころ、大型店で輸入盤が売られていた。価格は国内盤の2/3ぐらいだったように思う。。
演奏について賛否が分かれることを知る前だったが、たしかに聴いていてどうもあっさりしすぎているというか、なんだか気が抜けているような感じがして物足りない印象は持った。
数年後だったと思うが、ピエール・フルニエの古い録音を手に入れ、以後無伴奏を聞きたいと思ったときはこちらを手にすることが多くなった。
先日部屋を片付けて、CDも作曲家順に並べ替えた。偶々ロストロポーヴィチのCDが前に出てきた。久しぶりにプレーヤーにかけて聴いてみる。
今聞いても印象は確かにあっさりしているのだが、それゆえに音楽が純水のように(ああ通ぶったような表現・・)心に直接伝わってくる。
なるほど。
今やネットであれやこれやの批評はいくらでも読むことができるが、昔でも演奏批評は雑誌などにたくさん載っていたし、またそれが気になって色々読み比べるようなこともよくやっていた。無益という訳ではないだろうが、単なる受け売りで良し悪しをきめつけていたものも多かったと思う。まあ、好きなものについてあれこれ語るのは趣味の常道ですけどね。音楽はあれだが、昔は車の評論とか、本当に楽しかった。。
話がそれたが、そんな流れで、前橋さんが師事したというシゲティの有名な無伴奏ソナタ/パルティータも入手して、今聞くところ。
これも聞き手の感性を試すような演奏らしいので、楽しみです。
書きながら、家に前橋さんのCDはなかったよな、と考えていたが、思い出した。
前橋さんのMDを持っていたのだ。
自分で録音したんじゃなくて、MDソフトとして売られていたものだ。
これを見ていると今の新宿3丁目の丸井あたりにあったCDショップ、ヴァージンメガストアを思い出すな。。
帰宅して鳥たちのケージを見る。
ココが小松菜を思い切りとっちらかしている。
よく食べて・・、といいたいところだが、食べてもいるとは思うが実態としてはちぎっては投げ、ちぎっては投げ、ということをやらかしたのだろう。
しまった、小松菜はアルにあげるはずだったんだ。。
ココは先週ちょっと寒そうにしていたので、金曜日にお医者さんに連れていったのだ。
体はしっかりしているが、そのうとうんちに多少菌が多いということで、お薬を処方してもらった。
薬は水に混ぜてあげる。ほかのもので水分補給をされては困るので、投薬中は水浴び用プールも小松菜もあげないことになっている。
アルもけっこうお薬をもらっていたが、そのときはココにだけ小松菜をあげていた。
そのときの癖で、ついアルではなくココのケージに小松菜を置いてしまったのだ。
水差しは小松菜が完全に落ちていて、中にふやけたペレットがたくさん入っていた。
おそらくココは薬が嫌で、水差しにペレットをつけて食べていた?らしい。
週末にはまたお医者に行く。
ココちゃん、もうちょっと頑張ろう。
今日はアルの出番なし。
ここのところ急に寒くなったので、アルの蝋幕も多少曇っている。ただヒーターかけてるし、基本的には元気だ。
先日、上司と話していて「私たち(の世代)はもう古い」という言葉が出てきた(上司とは同年)。それについては色々意見の違いも感じたが、仕事を離れたところ、音楽の好みみたいなところに限って言えば、ふるいね~、といわれても反論はできないかもしれない。I'm old fashoned である。
少し前にSNSで、友人が「人は14歳位を過ぎると新しい音楽を受け付けにくくなる」という記事を拾ってきて、自分もそう思うみたいなことを書いていた。僕はそれはちょっと時期的にずれる気がする、たぶん14歳ごろはラジオで(そのころの)ちょっと前の流行曲を聞いていたからだろう、とコメントした。70年代前半の、とりわけ女性ヴォーカルが一番の好みだ。ここをずっと読んでおられる方は何度もご覧になった通り、キャロル・キング、カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョンとか。もちろん自分と同世代のシェリル・クロウ、エンヤ、クレモンティーヌなんていうのも好きだし、ノーラ・ジョーンズ、テイラー・スウィフトもよく聞くけど。
ジャニス・イアンとイヴォンヌ・エリマンはともに70年台前半から80年代にかけて活躍した人たちだ。必ずしもリアルタイムで聞いていたわけではなく-上記で掲げたアーティストさんたちもそうだがーその時代の音楽的傾向のようなものが、なんとなくしっくりくる気がして、聞きたくなるのだ。
ジャニス・イアンについては先日買ったBetween The Linesに続くものだが、ちょっとナイーヴな感じのジャケットとは裏腹にかなりパワフルな歌唱が聞けるアルバムだ。ジャニスの、また別の面が見えてくるようで興味深い。ジャニスのアルバムはこれで3枚目、このほかに「奇跡の街」を持っているけど(これは25年ぐらい前に買った)、これはやや内省的に過ぎる感じがあり、手持ちの3枚の中ではこのAltertones が一番出来が良いのではないかと思う。Love Is Blid は、やっぱりいいですね。
イヴォンヌさんは、先日偶々「ジーザスクライスト・スーパースター」の映画を見返して、急に気になってアルバムを探した。実は映画のほうは昔はそれほど気にいってはいなかったのだが、今見ると、東洋的なイヴォンヌさんがマグダラのマリア、というのが何ともいいですね。。
イヴォンヌさんは(なぜかさっきからさん付けしていますが)70年代後半、特に日本では女性にとても人気があったそうですが、Hello Stranger の「しゅば、しゅば、まいべいびー」という歌ぐらいしか覚えていません。声域でいったらアルトに相当するのでしょうか、落ち着いた感じの、独特な歌い方で聞き飽きがしません
ただ、20歳そこそこだったと思われる、「ジーザスクライスト」のときの歌い方が、実は一番好きな気がします。今回のばベストアルバムですが、映画のほうはサウンドトラックでないと聴けないのですが。
午前中の用務を終えて帰宅し、昼食を済ませたのが午後3時ぐらい。久しぶりに良く晴れた週末なので、なんとなくもったいない気がして、自転車に乗って散歩にでかけた。
さっきより多少雲はあるが、四方を見渡すと明るいところもある。
夏の夕立なら真っ黒な雲が垂れ込めるが、そこまではいかない。
顔になにかあたるな、と思っていたら、だんだんひどくなってきた。
周辺は農家が点在する程度。ようやく公民館らしきところを見つけ、雨宿りする。
雨宿りなんて、久しく経験してないですよね。。さだまさしの歌をおもいだしてしまった。。
「ヨコハマー」第1巻。このまんが、大雨や雷のシーンがけっこう出てきます
ので、これを思い出したりもしていました。
住宅地ならどこかしら避難するところがあるからね。コンビニとか。公民館で雨宿りというのはなかなかでした
日が差してきた。実はこれも一瞬のことで、雨は降り続けていた。
ただ、そろそろ鳥が鳴き始めたので、ゆっくり移動を開始した。
日々忙しく過ごす中、気がついたらそこに秋が、という思いはたぶん、毎年していると思いますが、この街路樹も毎日見ているうちに、葉に潤いがなくなって端のほうが色づいてきたな、とは思っていました。
この大通りは二つの自治体にまたがってづづいていますが、一方の街では早々と葉を刈り取ってしまいました。たぶん、落ち葉で道が散らかるのを防ごうとしているのでしょう。
そうか、もうすっかり秋なんだ。
たしかに昨年も、この様子を見かけました。
ここでひとつ思うのは、自分もこの土地に定着してきたな、という感覚です。
昨年の今頃はまだ、秋を思うとき旧宅近くの大きなケヤキの木が心に浮かんでいたのですが。
様々な変化が過去を押し流していきます。
うっそうとした木々を縫う幹線道路。つい先日までは、屋根(サンルーフ)を開けていると蝉の声がうるさいぐらい聞こえてきたのですが。
天気のせいもありますが、くすんだ緑が寒々しい。
あと2週間もすると、明るい茶色の葉が青空に映えるようになるでしょう。
ただね、別のところで信号待ちしているとき、傍らにコスモスが咲いているのを見たのですが、しばらく走るとヒマワリが列を作ってうつむいていたりする。この辺の季節の乱れというか、なんか気になるところはありますよね。。さいきん見ないけど、都内では青系のアサガオが11月ごろまで咲いているのをよく見たし、春にケシの花が大量に咲くのも、ある時期から急に目立つようになった。こういうのって。。いや、変わらないことがあるべき姿だというのも、人間の思い込みなのかもしれませんけどね。
昼、夜とも外食してしまった。
昼は鍋焼きうどん、夜はこんな感じの親子丼。
大きなモールのフードコートですが、どの店も期待を裏切らないおいしさですね、ここ。
仕事で思い切り負けましたので、今日はやけ食いをしようと思って買ってきました。。が、結局シュークリームとかきもち食べただけ。としかなあ。
少し話を変形して書きますが、こいつくそおもしろくねえやつ、と思っている若い奴に仕事盗まれて自分の手柄にされてしまいました。9年ぐらい前から知ってますが、もっと早いうちに殺しておけば良かったですね。今はもう手遅れだな。。
ほんとうはうまいこといなせばいいのですが、人間なので時にはどうにもならない相手というのがいるんですよね。。
できれば逃げてしまいたいのですが、これまた運命なのか動くことができない。
今日はもう、やられることはわかっていたので、あとは体を丸めてダメージをできるだけ小さくして、しかるべき場所では腹をくくって赤っ恥をさらすようにします。。
きれいに負けるのは年季がいります。若いころ成功経験を持ちすぎると、年取ってから負けを認められず見苦しい姿をさらしたりする。
僕が戦中、戦後の将官や政治家に興味をそそられるのは、彼らの負けっぷりが知りたいからです。
帰りの電車で目をつぶって考える。自分は逃げなかったし、いうべきことは言ったし、礼儀はつくした。やましいことはない。
ただひとつ、部下の子にちょっと怖い顔でしゃべってしまったな。。
あとでとても気になり、今日はいちおうちゃんと仲直りしたつもり。
まあとにかく、仕方ない。
というか、こうやって注意深く白旗をあげていると、妙な満足感を感じたりもする。
これは、やばいです。こういうのを「負け癖がつく」というのでしょう。もっと切歯扼腕するだけの気概を持たないと。
「ザ・ホワイトハウス2」より。字幕はちょっと硬い表現ですが、日本語版台詞では;
「負けるのすきだなあ」
「好きなわけないだろう!ただ、一度も勝っていないだけだ」
金曜日は若手演奏家の方(知り合い筋です)のピアノ・コンサート、今日日曜日は四十九日の法要でした。忌中は歌舞音曲を遠ざける、といいますが、この浮世、なかなかそこは難しい。。法要もホールの関係で本来の四十九日よりは早めの開催です。
今回思ったのは、告別式からひと月ちょっと経つと、日常のもろもろがかなり入り込んできているので、改めてお仏前で式を行うというモードに入るのがかなりきついというか、心の切り替えを意識してしっかりしないといけない。昔の人もやはりこのくらい経つと日々に流されがちになり、それを戒める意味でのしきたりを作ったのかな、と考えたりしました。
他方、各種事務手続きのほうはようやく佳境に入り始めたところという感じで、まだしばらくは気を抜けません。。
ところでコンサートではショパンの前奏曲が取り上げられました。帰宅して改めてCD(ポリーニの最初の録音)を聞いてみましたが、考えてみると今まであまり意識して前奏曲、聞いたことがなかったですね。多彩で面白いです。ポリーニの新録音も、今度聞いてみることにしましょうか。
本当は10日の豊洲市場オープンにあわせてアップすればよかったのですが、くたびれて寝てしまったり、週末はコンサートで出かけたりしてタイミングがずれてしまいました。。
昔、茅場町のほうにオフィスがあったころ、親しくさせていただいた役員の方と数人で、時折お昼に築地に行っては賄いのお寿司を食べたりしていた。
もうすっかり忘れたが、場内の寿司が旨いがすぐ売り切れになる?かなにかで、何度かチャレンジしていちどだけ食べたかな。場外でもおいしい店があって、そこでも満足だったけど。
役員の方は湘南のほうにお住まいで、新橋で電車を降りて、オフィスまで歩いてこられるのだと仰っていた。帰りに、場外のお店で新鮮な食材を買ってくるのが楽しみだとか。
手元にある写真は2002年と2003年のもので、どちらも一人で行ってきたときに撮った。2002年はニコン クールピクス4300、2003年はコンタックス T3で、それぞれ試し撮りというか、実力を試したくて撮りに行ったのだと思う。ニコンのほうはどうも不具合の個体だったようで、この後メーカー交換になる。
たしかこれかな。逆光に弱いというか、左側が青くかぶっている。一回修理して、まだ駄目で交換したような記憶がある。
E4300は発売されたその日に買った。その後もかなり長く使い、フィルムからの切り替え用に父に譲った。父もしばらく使っていたようだ。
このあともそうですが、観光客じゃないので、セリの様子とかそういうのは撮っていません。。
T3のときも、ほとんど場外の写真ばかりですね。。
ここから2003年。これは新大橋通沿いにある立ち食いの蕎麦屋。いまもあるかな。場外はまだ盛業中ですしね。
この翌年には自分たちが(オフィスを)移転してしまったので、そのあとは行ったことがない。
数年前に所用で、近くの広告代理店を訪ねたときもここは素通りだったな。
・・見方によってはほら~ですよね。。
運転してみたいですね。
仕事で築地の会社さん(要するに魚屋さんだか八百屋さんだか)に買掛を払ったことがありますが、午後に電話かけてもだめで、たしか経理は水曜しか来ないというところもあった記憶がある。
色々と、忘れたなあ。
築地のほうに信用金庫さんがあって、そこは本店しかない、最小の信金さんだったそうです。
もう相当昔になくなってますが、その名前も忘れたな。。
というわけで。
連休中ちょっと時間が空いたので、栃木はおもちゃのまちにあるバンダイミュージアムを訪れてみました。
おもちゃのまちは、かつて下町にあったおもちゃ工場を誘致して、新たに造成した工業団地につけられた地名で、近年は住宅地として、あるいは大きな医療機関なども設置されるなどという形で発展しているようです。
以下、館内の写真を掲げますが、かなり多いです。
入り口で迎えてくれるのは実物大のガンダム。バンダイはこの辺りが強みであるようです。
展示はしかし、古今東西のおもちゃが多数集められ、特定のメーカーの製品だけ置かれているわけではありません。
全体像を撮りそびれましたが、これは20世紀初頭に作られた、炭鉱と工場の巨大な動くジオラマ。
トロッコや機関車、人形、コンベアなどが動きます。
外国のおもちゃは、主に20世紀初頭ごろのものが多いようです。
これは比較的素朴な形の流線形自動車。色が素敵です。
20年代にこのような手の込んだおもちゃを手にすることができたのは、当時の富裕層の子息たちでしょう。
今こういうおもちゃを作らせたら、数十万円ぐらいになってしまうのでは。大人のミニカーではなく、子供が遊べて、なおかつよく作りこまれたおもちゃ、というのは、今は存在しえないでしょうね。よくできた量産品はあるかもしれないけど。
これは水上飛行機ですが、戦闘機じゃないんでしょうね。潜水艦やタンクもありますが、あまり銃とか、軍関係のものは展示がない。
たぶんかなり意識して展示していると見た。
鉛の兵隊、ではなく、西洋大名行列。
いまでいうシルバニアファミリー的な。
この辺は鉄である僕には馴染み深い。世界最速の蒸気機関車。
通称クロコダイル。日本ではNゲージが全盛ですが、このくらい大きな模型を庭に走らせたりできたら、それは相当に楽しいでしょうね。
同じ時代(と思われる)日本の機関車。戦前の欧州は貴族文化の背景もあり、こうしたおもちゃづくりも日本とは相当の差があったものと思われる。
再びガンダム。「木馬」でしたっけ。
ガンダムは、初回放送はリアルタイムで見ていましたが(夕方放送してた)、面白いとは思ったけど普通に見流して?いました。
いわゆるガンプラは、世代的に10年ぐらいちがうのでよく知りません。
マニア的にはこの展示はどうなんでしょうか。。
ここはエジソンのコーナーで、エジソンの生涯や、発明品が並べられています。
確かに電球の発明は有名ですが、すべてが彼の独創によるものでもなかったといわれています。
MAZDAは松田なのかと思ったら関係ないそうですね。
そういえば、昔家にマツダラジオ(東芝)というのがありました。
蝋巻方式の蓄音機。
ディスクやテープではなく、音楽パッケージがこういう形で普及していたら、食器棚みたいなところにレコードを保存していたかもしれませんね。
ここからは日本の、戦後作られたおもちゃ。
ヨタハチ、印象把握は抜群ですね。
こういうブリキガラレール(ムクの金属棒ではなく、薄いブリキを折り曲げた中空のレール)の線路を、小さいころ一度だけ遊びに行ったうちの子が持ってて、すごくうらやましく思ったことを覚えている。家にあったのはプラレールだった。
こういう円盤も、流行りましたね。
トッポジージョ。知っているのは白黒の人形劇ですが、繰り返しリバイバルされたようですね。
右にちらりと見えるのはニャロメ。
だっこちゃんもうちにあった。パンダは、今みるとなんてことないが、子供のころ実物が上野に寄贈されて、爆発的にブームになったのだ。
考えてみると、仮面ライダーとかもテレビでは見てたけど、これの人形とかで遊んだ記憶はあまりない。持ってたかもしれないけど、それほど夢中にはならなかった。
当時から実物系(電車とか車とか)のほうが良かったみたい。
ついでにいうと、ファミコンとかのゲーム系も、ほぼ素通りしている。今日に至るまで、任天堂とかソニーとかの機械は買ったことがない。
こうしてみると、なんだな。。
いちおう、テレビ放送は見てたし、その時はけっこうはまっていた気もするんですけどね。
ロボコンをやっていたのは学習塾に行くようになった頃で、夜帰るとこれをやっていた。
居候をしている?家族の車がシビック(初代)で、なんか新しい家族だな、と妙な印象を受けたのを覚えている。
あと、ロビンちゃんに萌えた。
おばQの貯金箱は持ってるよ。これとおなじようなやつ。
P子ちゃんはよくできた妹なんだよね。
パーマンのみつおくんにもガンコちゃん(だっけ?)という妹がいて、これがちょっと気の強い子で、なんか身につまされた。。。
パー子ちゃんはよかった。
これのCMソングは頭にこびりついている。男の子も欲しいと思わせたが、うちにはなかった。
リカちゃんハウスはうちにあった。左のような箱状になっていて、開くとリビングルームのような部屋になっていた(ようなきがする)。
今覚えているのは、スチロールに植毛したようなソファの色が黄緑色だったこと。
妹とよく遊んでいた。
こちらはバービー人形ですが、これも子供用ですかね・・。モンローにピグマリオンに・。
そうだ、同じころGIジョーというのもあったな。やはりあれも戦争系だから展示していないのかな。
というわけで、ちょっと長かったですね。。
ジャニス・イアン 1975
先日仕事帰りに本屋に久しぶりに寄ったと書きましたが(正確には久しぶりに本屋に行った、と書いたのですが、考えてみるとその前に、地元の本屋に行って雑誌を探していました)、その少し前にレコード屋に行っていました。あれはいつだったかな。
CDも本も、実店舗で買うことが少なくなりつつありますが、店内を歩きながら手に取って色々見られるのは良いものです。問題は、その場に立つと探したいアーティストの名前が急に思い出せなくなること。頭の中で音楽は聞こえているのに。。
さて、Between The Lines(行間)は原題で、国内盤のタイトルは「愛の追想録」というのだそうです。この時代に多かった「超訳」(もう死語かしら)ですが、「行間」という原題もなかなか捨てがたいものがあるので、訳にもう一工夫あっても良かったのではないかと思います。。
At Seventeen の、歌詞は少し切ないけど、どこか親密でわずかな希望を感じさせるような曲とアレンジは、40年以上たった今でも色あせていないですね。これを書きながら、アメリカを舞台にアダルト・チルドレンのことを描いた樹村みのり「ジョーン・Bの夏」を思い出しました。。
あるいは、同じジャニスでもジャニス・ジョブリンとの(おそらくは)架空のインタビューという形でつづられた、片岡義男氏の小説(調べたら「ジャニス、確かに人生はこんなものなんだ」らしい)を思い出しもしました。ジョプリンのほうははるかにヘビイですけど。
今更ここで語っても仕方ないですが、この時代(70年代中ごろまで)のアメリカは、こういう内省的な音楽が広く受け入れられていたのですね。先日グレープの「精霊流し」を聞いて、「いまさらなんだけど、結構いいかもしれない。。」と思いつつも、もし今の時代にこの音楽がリリースされたら、社会の受け止め方はまた違うものになりそうだな、という感想も同時に持ちました。つまり、今の社会が変わった、というか、昔は昔で時代的にこうした、内省的な音楽がストレートに受け入れられる社会や人々の素地があったのではないかと。それは日本でもアメリカでも同じだったのかもしれない。
ただ、本当のところはわからない。自分自身はもう色々な時代を経験してしまっているし、その時代の「色」は、外から見たときと内側から見たときとではまた違って見えるものだろうから。個人的には70年代半ばの音楽を聞くと、不思議と家に帰ったような、落ち着いた気持ちになれるが、それではタイムマシンで本当に1975年に行ったら、どう感じるかはまた別の問題かもしれない。
・・そんなことはともかく、古き良き時代の女性ヴォーカル、もう2,3枚注文したぞ。今度は実店舗じゃなくあまぞんでね。
旧宅にいたころ、特に最後の頃はほとんど人を家に呼ぶことがなかった。親が来たのも転居の2年ほど前だったかな。一応かたづけてはいても、物があまりにも増えて収まりが悪かったし、内外装もいささか傷んできて、あまり人目にさらしたくはなかったのだ。
もともと買ったときからかなり古い家だったのと、家具調度品やリフォームまで手が回らなかったので、あまり人に見せたい感じではなかった。それでも20年前の転居直後は、知人たちがよく訪ねてきたが、内心なんか恥ずかしかった。。ピカピカの注文住宅とかなら、鼻高々、という場面ですけど。
まあ、自分の家としての愛着はそれなりにあったけどね。
現宅はその反省?から、親族知人が気軽に来て打ち合わせ等がしやすいようにと、駅近のマンション1階の部屋を借りた。内装というか、部屋も小奇麗にして、恥ずかしくないように?したつもりだ。
引っ越した当座はそのことが頭にあったので、旧宅時代の知人に「遊びに来てよ」とよく呼びかけていた。
だが、知人たちはそれほど家には来なかった。人々は「持ち家」は見学に来るけど、「借家」なんかを見に来たりはしないのだ。ホテルのスイートに泊まったからといって、それを見学しに行ったりはしない。考えてみればそうなのだが、自分ではやっと人に見せられる家に住んだという意識があるから、つい人の感覚とずれてしまったのだ。
立ち位置が変わると感覚がずれる。今も父が亡くなったことによる残務整理をしているが、こういう特殊な事情のもとでは、無意識のうちに周りと感覚がずれたり、気持ちを共有できなくなっていたりすることはあると思う。こちらがおかしなことをしていても、周りがそっとフォローしてくれていることもあるかもしれない。。
自覚のあることでいうと、入院前まで読んでいた本を、どうも読む気がしなくなった。ここでも再三取り上げているような、戦争や歴史にまつわる本が好きで、病院で付き添ったときも山崎豊子「二つの祖国」などを読んでいたが、途中で止まっている。「ハーバード白熱教室」も下巻を読み始めたところだったが、なんだかお勉強をする集中力が出てこない。。
「寺山修二詩集」はその点、リハビリに良かったな。詩や短歌は眺めているだけでいいから。
昨日、久しぶりに本屋に行った。やはりまだ重そうな本は駄目で、村上春樹の紀行エッセイみたいのを買ってみた。
そういえばものすごい出不精の僕なのですが、なぜか旅に出たい気分です。
まあ、すこしずつ。。