うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

らじるらじるを使ってみた

2012年03月31日 | デジタル・インターネット

らじるらじる(NHKのネットラジオ)が登場したのは去年の秋だったらしいが、その頃は場所によってエラーの出やすいradiko(民放版)に飽いていて、何となく試さずにいた。

先日ラジオを修理したとき、そういえばそんなサービスがあったな、と思い、スマホで試して見た。帰りの地下鉄などで試したが、radikoのように起動に時間がかかるとか、位置情報エラーが出るとか言うことは無く、安定している。また、音質は十分に良い。手持ちのイヤホンが耳かけ式なので、電車の騒音が入ってくるのがあれだが、それはこっちの事情だ。

キャッシュを3分にすれば、地下鉄の中でも音声が途切れにくい。ただ、ずっと聞いていると途中でレコードの針飛びのように音が飛ぶときがある。もっとも、数日前のニュースでは、年内に地下鉄各線でネットが使えるようになるという。FMチューナー付きのモバイルオーディオはいくつか持っていたが、地下鉄でラジオを使えるというのは感慨深い。

難点は電池の消耗が多めな点だ。スマホをポケットに入れていると、だんだん発熱してくるのがわかる。ラジオのつもりでずっと聞いていると、電池が無くなってしまう。

ラジコももうちょっとソフト的にアップデートできればいいんだけどな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40年前のラジオを修理?する

2012年03月26日 | 家電

久しぶりに実家に帰った。今朝はきれいな青空で、ようやく咲いた梅がきれいだったが・・。
父が枕元でずっと使っていたラジオが、階段のところに置いてあるのを、不思議に思っていたら、何でも少し前に倒した拍子に電源スイッチを折ってしまい、使えなくなったのだそうだ。
で、これを直してみようということになった。
結局、昼過ぎまで家の中で修理していた。
P3254453
実はなりゆきで分解したので分解前の写真が無い。これは作業完了後の姿だが、カバーを掛けた姿は修理前もこんな感じだった。後ろの方に見える黒いのは、父が代替に買ったCDラジオ。買ってはみたがほとんど使ってなかったらしい。

これは松下電器のRF-868という型番で、愛称はWorldboy 2000GXと言うものらしい。2000GXは型番では無いというのが不思議だが・・。ウェブで調べるとこれはかなりの高級機かつよく売れた製品らしく、今でもオークションなどで盛んに取引されているらしい。
底板に購入日がメモされていて、48.3.9となっていた。つまり、ほぼ40年前のラジオである。

左側にある4つのトグルスイッチのうち、一番左の赤いのが電源スイッチだ。これが根元から折れた。父は接着剤で固定したが、軸がずれてしまい、動かなくなっている。

分解はウェブを参照したが、最初はわからずに少し苦労した。それより驚いたのは、内部がホコリだらけな事だ。40年分のホコリだからものすごいことになっている。トップパネルはアルミだが、ここにも汚れがこびりついていて、なかなか落ちない。少量のクレンザーを使って何とか落とした。今回は修理が目的なので、完全なホコリ落としまではしなかった。
Img_2196
ものすごい綿ほこり。こんなところ掃除するなんて誰も考えないから、仕方ないけど。
Img_2197
背面側。プリント基板は使われているが、半田がものすごい。素晴らしいのは、電気的には何の問題も無いことだ。
Img_2198
トップのアルミパネルを外したところ。どこからこんなにホコリが入り込んだのだろう。
Img_2201
4つのトグルスイッチはカム軸のようにつながっている。左端の赤いスイッチが電源だが、根元で折れたものを、少し曲がった状態で接着して修理してある。瞬間接着剤だと思うが、かなり強力についていて外せず、付け直すことはあきらめた。その代わり、ゴムカバーを調整するなどして、ある程度自由に動くようにした。
P3254451
一応完成。修理と言うより掃除というべきだが、とにかく電源のオンオフができるようになった。

子供の頃、このラジオを車のダッシュボードに見立ててよく遊んだ。当時の家の車(コロナRT40)はちょうどこんな感じのアルミパネルに、横長のメーターを備えていた。いまは甥たちが同じようにボタンをぱちぱちやって遊んでいる(さいきんはもう卒業かな?)。
父も愛着があるこのラジオが気に入っているようで、直って喜んでいた。代わりに買ったラジオは、CDもついたタイプだが、余りにも安っぽくとても使う気にはなれなかったようだ。

普段携帯オーディオばかり使っているせいもあるが、受信性能の良さはすぐわかる。音質もAMであってもかなり良い。ラジオの音質なんて、普段そんなに気にしていないが、良い機械で聞く音はさすがに違う。

電子化の進んだ今、作り込まれた製品を作っても基本性能がすぐ陳腐化しして、使われなくなってしまう。デジカメなどはどんどん安っぽくなってきているが、その代わりみんな数年で買い換える。でも、ラジオなどは技術的にも成熟している。いまでいえばチボリオーディオみたいなものを買って長く使うのもいいかな、と思ったりする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマ「帽子」

2012年03月19日 | テレビ番組

17日(土)夜に初めて見た。2008年NHK広島放送局のドラマ で、俳優緒形拳さん最晩年の出演番組である。テレビの前でずっと作業をしていて、気がついたら始まっていた。偶然見た番組で、放送当時は全然知らなかった。

かつての軍港呉でひとり帽子店を営む職人春平の物語である。思いを告げられずに別れてしまった幼なじみ世津が、普段自分のところに来てくれている警備員の母親らしいことを、ふとしたきっかけで知る。広島で体内被曝をして体の弱かった世津に、春平は兄のような態度で接していた。世津が広島に発つという日、船着き場で思いを告げようとした春平は、急に入った仕事をしているうち、時間に遅れてしまう。

ロケで撮影されたという呉の町並みがみごとだ。帽子屋さんの店舗も、本当にずっと帽子屋だったんじゃないかと思えるほどだ。

全体に重苦しくなってしまいがちなテーマだが、それを救うためかわりとハッピーエンドみたいな流れになって、筋書きとしてはちょっと甘いかなあ、という気がする。ただ印象に残ったのは、数十年を経た二人が再会して、若い頃の二人に戻って会話するところだ。心は年をとらないのだ。あえていえば、田中裕子さんはちょっと若々しすぎるかなあ、という気がしないでも無いけど。

ちょっと印象に残ったドラマでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IXY31用互換電池を追加購入

2012年03月18日 | IXY 31S

Eye-Fiを使い始めてから、IXY31sで400枚ぐらい写真を撮ったが、この間に何回電池を交換しただろうか?10回だとすると、1回の充電で40枚しか撮れない事になる。実際には10回では無く、もう少し回数は少ないと思うが、何十枚単位である事はたしかだ。

今までIXY31sでは純正と互換(ROWA)の2個の電池(NB-6L)で使い回していたが、頻繁に交換すると負担も増えると思い、追加購入することにした。アマゾン経由のROWA製で、二つで700円ほど。
Img_2042

最初に互換電池を買ったときは、ROWAのサイト経由だった。
そのときは日本製セルの方がいいですよと言うROWAのおすすめに従って、少し値の張るタイプを選んでいたが、今回のはたぶん中国製だろう。耐久性などは劣るかもしれないが一応ROWAなので、信用はして良いだろう。乾電池並みの値段だから、惜しくは無い。

Eye-Fiは便利なのはたしかだが、電池消耗が激しいのはちょっと困る。カードの抜き差しがなくなったのはいいが、代わりに電池の抜き差しが頻繁に必要となると、かえって不便かも。もう少し使い続けたら、使用継続について総合的に判断したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

片野田斉写真展「日本!天晴れ!」

2012年03月16日 | まち歩き

有楽町の国際フォーラムにある、相田みつを美術館で、片野田斉氏の写真展が開かれている(入場無料。18日(日)まで)。

企画展のページはこちら 。イベントのポップアップページはこちら (イベントが終われば切れてしまうだろうけど)。
片野田氏の言葉として;
・・そんな状況でも、人々は立ち上がろうとしています。日本の未来にエールを送りたい。その想いをこめて「日本!天晴れ!」というタイトルをつけさせて頂きました。
と紹介されている。

「ゴン」という犬の写真が紹介されている。ゴンは首輪につながれたまま、津波にさらされてしまったが、奇跡的に生き残った。飼い主が戻って探したら、がれきの中からフェーン、という弱々しい声を上げたそうである。この、ゴンの写真は、しばらく前に保険会社のロビーに大きく掲げられていた写真と同じものかもしれない。

元気そうにしている子供たちの写真も掲げられている。全国の救援に対する、子供たちの書いたお礼の言葉が、写真展のタイトルの由来だという。

片野田氏の温かい心が伝わってくるような写真だが、それでも実を言うと、写真展をずっと見ているとだんだん心の中で涙が出てくる。

去年の今頃は日を追うごとにどんどん心に重いものがたまっていった。
今年も同じ時期を迎え、同じような心持ちだ。
気持ちと共に、体調もさえない。自分だけ、何となく取り残されているような気持ちも感じる。

ドナルド・キーン氏が言っていたが、
「今、東京の街を歩くと、1年前に何かがあったという感じは全然しない。だが震災のことをこんなに早く忘れてしまっていいのだろうか。今も東北には仮の家に住んでつらい思いをしている人がたくさんいるのに。私たちはもっともっと被災者のことを考えていかないといけない(3月11日、日経新聞から引用)」

とはいえ、もう1年もたっているのだ。1年分は前に進んでいるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うさりんクッション

2012年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

堅い話が続いたので、すこし軽い話を。
Img_2084
保険会社のキャラクター「うさりん」のクッション。
マウスやキーボードから大きさを想像して欲しい。まくらにちょうどいい大きさだ。

イベントで、クイズ(うさOんのOは?みたいなの)に答えるともらえる。先着100名。
毎日商品が違う。この次の日はマウスパッドだったが、もらいそびれた。いつもうさりんグッズな訳では無く、今日などは飲み物の試供品だ。

土曜日がイベント最終日で、マグカップがもらえるらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前と同じ道を歩いてみる

2012年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

僕などは大した被災もしていないし、なにかを表現する才能も乏しいのだが、自分なりに何かしてみたいと思い、帰りに1年前(3月11日)に歩いた道をたどってみることにした。
今日は寒の戻りがあったようで、ひどく寒かった。

昨日掲載した写真となるべく同じところで撮ってみたが、アングルなどはかなり適当である。

Img_2093
あのときは人であふれていたが、今日はジョギングをする人が時折通る程度。車も高速で通りすぎる。
Img_2095

Img_2096
写真の奥、 道が狭くなっているところで渋滞していた。みんな、中央奥に見える街路樹の当たりから車道に出て通り抜けていた。

Img_2100
今は国会議事堂をライトアップしていない。余談だが、IXY31sが暗いところで余りにもピントが合わないので、撮影に難儀した。当時使っていたIXY800ISはそんなことは無かったし、31Sも前より悪くなっている気がする。やはりキヤノンに見てもらおうか。
Img_2102
運休の掲示が掲げられていた桜田門駅。

当時はこの先で道に迷ってしまい、なぜか首相官邸のあたりをうろうろして赤坂に出た。官邸付近は静かで、なぜかあった竹藪からさわさわという音が聞こえて、ある種不思議な雰囲気を漂わせていた。
今日はその道がわからず、いちど三宅坂まで行ってしまい、そこから引き返して溜池のほうに降りていった。
Img_2106
首都高霞ヶ関入り口。今日は要人到着のため交通規制がある旨の表記。
Img_1892
1年前。地震のため閉鎖中とある。昨日掲載していなかったのでここに掲げる。
Img_2117
プリンスの建物は解体作業が遅れていて、まだ残っている。
赤坂見附で小休止し、トイレに行きドーナツを買ったりしたが、食べることはせず先を急いだ。

Img_2118
四谷付近。この辺は多少人がいるが、今回全体に人が少なくて、かなり雰囲気が違っていた。

Img_2120
当時はここに運休した電車が明かりを落として止まっていた。
四谷から先は沿道に飲食店が多く、空腹感を刺激したが、食べてしまうと何となく気持ちが落ちてしまいそうな気がして、先に進んだ。
Img_2123
当時ここは解放されていて、、トイレを使わせていただいた。ロビーも自由に使え、テレビで情報を知ることもできた。ありがたい配慮だった。

今回歩いてみて思い出したこともあった。赤坂見附で銀行に入り、お金をおろしたこととか(たいしたことでは無いが)。当時は先がわからなかったので、四谷の先まだかまだかという気持ちで歩いていたが、今回はそうでもなかった。それでも歩き始めて2時間、さすがに新宿まで来ると疲れた。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午後2時46分、そしてその後

2012年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 揺れ始めたときは書類を書いていた。地震なんてそんなに珍しくも無い。しかし、だんだん強くなってくるし、揺れも強くなってくる。やせ我慢して書き物を続けていたが、さすがに目を上げた。となりの机にあるトレイが落ちて、それを潮に揺れがおさまった。

 ワンセグ付きのウォークマンを持っていたので、それをつけた。ネットでも色々情報が入ってきていたと思う。ウォークマンには録画もしていたのだが、ほとんどの時間は大津波警報で日本列島の地図と、警報が発令されている地域が延々と写っているものだ。録画は先日機械をリセットしたとき、再生できなくしてしまった(データはPCに避難したが、アクセス権限が失われてしまった)。仙台空港に津波が押し寄せている画像は、直接見た。

 会社の子が休暇を取っていたし、同僚がひとり、研修でオフィス近くに外出していた。このふたりと、家族に電話をかけまくったが通じない。同僚はかなり遅くなって、ひょっこり帰ってきた。実家の母親、妹、オフィスにいる父親とも順次連絡(電話またはメール)できた。父親は電車が止まって動けなくなっているので、僕が合流して親戚の家に行くことにした。

 仕事は6時ぐらいまで普通に続けていた。電車は完全に止まっているから、帰れない人もいる。幸い、女性は家が近いか、近くの知人の家に避難する、バスが使えるなど、何らかの手段でオフィスを出ることができた。数人がオフィスに泊まり込んだ。

 5時過ぎに近くのコンビニに行ったら、予想はしていたがサンドイッチやパンはほとんど売り切れていた。蒸しパンのようなものと、おにぎり、カップラーメンなど適当に買い込んだ。蒸しパンは歩いて帰ろうとする若い社員に餞別であげてしまった。その後、道中何度かコンビニに入ったが、すぐ食べられるものはどこにも無かった。探していたのは携帯用の電池だが、もうどこにも無くなっていた。

 午後7時過ぎにオフィスを出た。まず近くのビルの1階ホール(大型テレビがある)に寄る。大勢の人が心配そうに画面を見ている。
Img_1873

Img_1874
 このときは飲食店などは普通にやっているところが多かったようだ。街の明かりも、ふつうについている。別の写真を見ると、何人かが傘を差している。会社の子も言っていたが、少しの間雨が降ったようだ。
お堀に沿って歩き始めるが、ものすごい人出だ。大晦日の初詣客を思い出す。
Img_1883
ヘルメット姿やや非常用持ち出し袋を持っている人も多かった。最初はタクシーを捕まえられるかとも思ったが、それどころではない。だいいち、車も大渋滞でうごかない。

Img_1884

Img_1888
桜田門駅あたり

Img_1895
 こんな日に国会議事堂はライトアップしてた。この日までは、電気を使うことにそれほど神経質では無かった。

Img_1898
プリンスホテル。この時点ではまだ営業していた。その後、被災者受け入れ所として活用された。

Img_1899
四谷駅。JR線は早々と完全運休してしまった。

Img_1901
新宿御苑前。地下鉄や私鉄の一部は、午後11時過ぎには運転再開したところが多かった。

Img_1905
鉄道はとまっていたが、繁華街は一見普段通りに見える。だがよく見ると歩道は徒歩帰宅者であふれかえり、駅の中は運転再開を待つ人が座り込んでいる。

 

 新宿の先あたりで、連絡のつかなかった会社の子とようやく連絡が取れた。話し始めるとお互いとまらなくなる。しかし、オフィスを出る頃から頼りなくなっていた電池がついに切れてしまった。

Img_1908

Img_1915
 僕らは近くの親戚の家に泊まった。そこでテレビを見て、津波の惨状が並大抵では無いことを初めて知ったのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災前まで

2012年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

震災前、昨年2月後半は、香港出張後の疲れが残っていて、ちょっとへたばっていた。
その頃のメモに、テレビやラジオで見聞きした感想を書いている。

 一つはダウン症の子供たちが結婚生活を送るというドキュメンタリー。医療の進歩で、ダウン症の子供たちの寿命は延びている。親たちの庇護のもと、結婚生活を送る子供たちの姿を描いている。親たちは自分たちがいなくなって、面倒を見られなくなる日のことを心配している、というもの。

 ラジオで聞いたのは、サニーサイド何とかという、明るくて元気の良い音楽のリクエストした女性の話。この曲を聴くと、15年ほど前のことを思い出す。旦那さんと子供たちを朝、車で送ったときに流れていた。その後、上の子は自分から天国に行き、旦那さんはお金のトラブルが絶えず親戚に助けられて別れた。キャスターは年配の女性二人だったが、そのうち吹っ切れる日が来ると思うわ、とリクエストした人にアドバイスしていた。

 50台の女性の手紙では、一緒に仕事をしてきたパートナーの浮気が発覚、それも身近な知人複数ということで、かなりめげたが今は頑張って仕事している、という話。

 この頃なぜか、そんな話を聞きながら、いろいろな人がいろいろな人生を送っているんだなあ、という感想を抱いていた。メモに書くぐらいだから印象に残っていたのだろう。

いくつか買い物をした。
 2月末にはワープロソフト「一太郎2011」を買った。

通販で中古のフォトプリンタを買った。2千円弱だった。家ではなく、オフィスに送ってもらうように頼んだら、巨大な箱が来て持って帰るのに苦労した。地震後、家の様子を写した写真に、その箱が廊下に置きっぱなしなのが写っている。

ペンタプレットを買ったのは地震の起きる前の週末(5日頃)だ。意外と使い方が難しそうだったので、翌週前半には教則本を買ったりした。fbやらmixiとかで、難しいです、とか書いている。

 会社の子が木曜午後と金曜日、休みを取った。
知人がスマホを買ったので興味を持ち、木曜の帰り、秋葉原のヨドバシで店員に話を聞いた。一緒にモバイルルータを買うと安いです、とか言われたあたりからついて行けなくなり、考えて出直すよ、と行って帰った。このとき買い換えていたら、翌日は使い方がわからず、電池もすぐ無くなって困っていただろう。

 金曜日、朝から銀行に出す書類を作っていたが、書き損じてしまったので、昼休みに用紙をもらいに行くことにした。

 昼は以前よく食べた店で、久しぶりに焼き飯を食べ、地下道にある本屋で「プロフェッショナルマネージャー・ノート 柳井正解説」という本を買った。ドトールに行ってそれを何ページか読んだ。狭い店で、ようやく席にありついた。そのときのドトールのレシートが残っている。
Img_2055
時刻は13時6分となっている。

 帰りがけに銀行の本店に行き、用紙をもらってきた。当店に口座をお持ちですか?と言われ、取引店は別の支店です、と答えたが、用紙はもらえた。

ちょっと眠くなってきたが、もらった書類を書いているうちに、2時46分を迎えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の跡Ⅱ

2012年03月09日 | ビジネス

少しアクセスが少なくなっているようなので、ちょうどいい機会だからもう少し仕事方面の話を続けよう。

今までいろいろな人と仕事をしてきた。若い頃に出会った上司、先輩方には本当にお世話になって、いつかは何かの形でお返しを、などと思いながら馬齢を重ねてしまった。この先、後輩の方々にどれだけのことがしてあげられるか、考えると心許ない。定年で引退される先輩方も増えてきた。

なかなかうまくいかなかったり、ぶつかってしまったりした人たちもいる。時間がたってくれば、それも風化してだんだん懐かしいものになってくるものだが。その場にいて、これは本当におかしい、と思っていたことは、長い時間で見ると、相応の状態になっていることが多い。ただ、その渦中にいるときはどうにもならないことが多い。

だからお互い様でしかたないよ、と言ってしまえばそれまでだが、人の感情というのはなかなかそうあっさりとは割り切れないものだ。ただ、そういうことも慣れというのがあるみたいだ。身の回りにも、いつまでもいなくなった人の事をあれこれ言う人がいる。

僕はいくつもの会社を経験して、出会いと別れを繰り返してしまったので(図らずも!)、過去のことは気にしないようにしているが、それでもずいぶん苦しく思うこともあった。そういうときは何というか、体のどこかの筋肉に余分な力が入っている状態と似ている。スポーツの時と同じように、それではうまく動くことができない。

自分の主張が容れられずそこを去り、後から人づてに聞いてなんだ、やはり自分が思ったとおりじゃん、と思うときもないではないが、その頃にはもう力が抜けている。そんな話を聞いたときの気持ちは、脱力するというか、なんというか、そんなに気分の良いものではない(でも興味深くはある。聖人君子ではないのだから、どこかにそれ見たことか、と言う気持ちはあるわけだ)。

色々苦労していくのが人生だよ、という意見もあるわけだが、少しでも前に進む努力は続けていきたい。永遠に仕事をし続けられるわけではないし、その意味では残り時間がたっぷりあるわけでもないのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の跡

2012年03月08日 | ビジネス

facebookで昔の上司の名前を見つけた(上司、というより日本代表だった)。メッセージを送ったら、今は母国スイスに帰っているという。
それで、その頃勤めていた会社がどうなっているのか、ウェブを見たら、数年前に倒産してしまっていた。

僕たちが勤めていたのはもう10年以上前の話だ。その頃は事業自体は比較的順調だったが、本社(香港)の締め付けがものすごく厳しかった。特に、本社のロイヤリティ取り立ては過酷で、資金繰りには散々苦労させられた。
僕は、結局1年半しか持たず、辞めてしまった。上司はそれから1年ほどで、母国に帰ったようだ。

今思うと多士済々な人たちが集まっていたのだが、みんな決して楽ではなかったはずだ。仕事をしているときは回りのことが余りよく見えていなかったが、やめるときには色々と声をかけてくれて、自分が決して認められていなかった訳ではないことに気がついた。だが、そのときですら、まだ周りの人たちのことを、十分に理解していた訳ではなかった。

上司は少し気の弱いところがあったが、基本的には日本のスタッフの事を考え、我々を守ってくれたと思う。思い出としては、僕の部下のご母堂が亡くなったとき、一緒にお葬式に来てくれて、慣れない手つきでお焼香をしてくれたこと。前の人と同じようにして、と声をかけたら、ちゃんとやってくれた。。
辞める少し前、彼の部屋を借りて仕事をしていて、何かで怒られて「私の部屋から出ていけ!」と言われた。辞める日にも行き違いがあり、きちんと挨拶することができなかった。その頃はもう会うこともないだろう、と思っていたが、技術の進歩とはすごいものだ。

今日帰り、前のオフィスがあったところを歩いてみた。今は別の経営者が引き継いでいるようだ。
Img_2003
あの頃は大変で、ひどいところだと思っていたが、今思うと不思議と懐かしい。
当然だが、僕はいまより10歳ちょっと若かった。
そのときの自分と、今の自分、どっちが幸せですか?などと聞かれたら、即答できるかな、と思ったりする。
Img_1988
そんなよた話はもうやめて、とりあえず1杯。今夜はたぶん、今年に入って一番暖かい夜じゃなかったかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

給湯器が壊れて大弱り

2012年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日の深夜、突然家のブレーカーが落ちた。電気を使いすぎていたわけではなく、理由がわからない。7つに別れたセクションを少しずつ戻していき、どのセクションが原因であるかはわかった(エアコン)が、エアコンは使っていなかった。

翌日は日中忙しく、夕方家に戻って洗い物をしようとしたとき、初めてお湯が出ないことに気がついた。リモコンパネルを見ると表示が消えている。給湯器もエアコン用の電源から、電気をとっているようだ。

修理を頼み、翌日来てもらった。雨がひどく、寒さが身にしみる。やってきたエンジニアは、パネルを開けると基板が逝っています、古いから部品はたぶんないでしょうという。直さないとどうしようもないので、新しいものに変えることにした。他に選択肢はない。営業が来て説明する。40数万円。

昨日も風呂に入っていない。さすがに困るので、近所の風呂屋に行った。幸い歩いて数分のところにある。以前、洗濯機を買ったとき水道の工事の関係でしばらく使えず、ここのコインランドリーを使ったことがある。しかし風呂には入ったことがない。ウェブで調べると午前1時までやっているようだ。
Img_1960
あいていて良かった。しかし・・
Img_1963
3月末で閉店するそうだ。まあ、今回は用は足りるわけだが。
Img_1969
風呂屋に行くのは初めてではないが、慣れないので洗剤とかを持ってくるのを忘れてしまった。深夜0時近いのに、結構たくさんの人が来ている。若い人などは何度もサウナに入っては出たりしている。これで店じまいしてしまうのは勿体ない気がするが・・。

火曜日の午後、工事の人が来て、新しいのを取り付けてくれた。
午後は会社を休んだが、帰宅して家の玄関に立って、鍵を探したがない。会社の子におそるおそる電話すると、袖机に置いてあるという。お願いして、途中まで持ってきてもらった。
もう、まぬけ杉である。
明日はなにかお菓子を買って御礼しなければ・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンパス マクロコンバータ MCON-P01

2012年03月03日 | マイクロフォーサーズ全般

45mm F1.8を買ったのだが、最短撮影距離が50cmで、あまり使う機会ができず、宝の持ち腐れのような状態になりつつあった(忙しいせいもあるけど)。

マクロコンバータは、もともと標準ズームⅡ型の登場時に対応アクセサリーとして発売されたものだが、さいきんメーカーHPの45mm F1.8紹介ページでも、対応が明記されるようになった。また、望遠ズーム40-150mmは元々対応している。そこで購入して両レンズの利用範囲を広げようと思い立った。

新宿のビックカメラで、ウェブショップの値段を店員に告げて表示価格より600円安く買った。
Img_1841
しかし、箱から取り出すとその安っぽさにちょっとがっかりする、というより、割高なものを買ってしまったのではないかと後悔の気持ちすら湧いてくる。なんと言ってもただの虫眼鏡なのだ。
Img_1842

フロントキャップは柔らかめのプラスチック。
Img_1843
レンズは1枚だが、パーツはいくつにも別れている。

虫眼鏡と、あるいはクローズアップレンズと違うのは、装着がバヨネット式で簡単だと言うことだ。
おそらく望遠ズームと共用できるように、径を大きくした(58mmの40-150mmにちょうどあうぐらい)ようで、フィルター径37mmの45mm F1.8は前がだいぶ大きくなってしまう。
Img_1846

P2284406
40-150mmに装着した場合、撮影倍率は(35mm版換算。以下同じ)で0.94倍、最短撮影距離は42Cm。

P3034413
45mm F1.8に装着したときは、最短撮影距離29cm、撮影倍率0.46倍。これは解放で撮っているが、HPでは絞り込んで撮影することを推奨している。
P3034414
コンバータを装着しない状態。

実は、40-150mm用にはクローズアップフィルターをつけて使っていたことがある。二重投資だが、たぶん37mm径のクローズアップレンズは入手が難しいんじゃないかな。コンバータはバヨネット式で便利だし、使い回しもできる。
なので、活躍が期待されるが、しばらく忙しくて、休日カメラを持ち歩くこともままならない。春になるのをまとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンにプレゼント?

2012年03月03日 | セキセイインコ

八重洲にあるリラックマストアで、小物を買った。
買うとき店員に「プレゼント用ですか?」と聞かれた。子供にあげるためと思われたのだろう。
「ええ、まあそうです」と答える。
一応うそではなくて?インコのペンのおもちゃに買ってあげようと思ったのだ。
だからキイロイトリがどちらにもついている。
Img_1889
本当は小さなぬいぐるみがいいと思ったが、とりあえずペンがあそびやすいもの。
Img_1890
・・、特に興味なし。
Img_1893
左は携帯ストラップ「雷門でだららんて」。右は365 Birthday Mascot。日付はペンの誕生日じゃなくて、自分の。メーカー終了在庫限りだそう。
Img_1896
さいきんはドラゴン(正月の鏡餅についていたフィギュア)も飽きてしまったらしい。カエル君とは遊んでいるが、新しいおもちゃで遊んでもらおうかと。いつものことだが、最初は怖がって逃げ回る。そのうちなじんでくると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IXY 31SのAF性能

2012年03月02日 | IXY 31S

Eye Fiを使うようになってから、さいきんちょっと影の薄かったIXY31sをよく使うようになった。
ところが変なことに気がついた。AFが遅くなったような気がする。飛び抜けてAFの速いLumixG3を使い慣れたせいかとも思ったが、そういう問題でもないようだ。

レンズが明るいし、裏面照射CMOSと言うことで夜には強いはずだが、夜の街で撮影しようとしても、合焦サインが出なくていらいらすることが多くなった。故障したのではないかと思い、サービスに持ち込もうと思ったほどだ(今でも少し思っている)。
しかし、これはEye Fiカードのせいかもしれない。

Eye Fiカードは読み込みに時間がかかる。再生ボタンを押すと、普通のカードなら瞬時に画像が見えるが、Eye Fiカードは読み込みボタンが点滅し、再生が始まるまで5秒以上はかかる。撮影モードで電源を入れた場合、一見普通に起動しているが、カードの読み込みが終わるには相当時間がかかっているように思われる。

Eye Fiは便利だが、その代償もまだ多いように思われる。その点、さいきんのWi-Fi内蔵デジカメの方が性能がいいかもしれない。

先日ソニーのデジカメを見たせいもあり、店頭でさいきんのデジカメを見てみた。今は新製品に入れ替わったばかりのようで、型落ち品も姿を消していた。ソニーの製品はどれも小さくて軽い。店員がデモ撮影してくれたが、わざと暗くした筒の中に書かれた文字を撮影するときれいに写る。単純に感心してしまった。ただ、実際にそれをどう使っていくのか、ちょっと思いつかないが・・。
キヤノンも一時期にくらべると質感が明らかに良くなっている。僕が去年31Sを買ったときは正直、どれもそんなに魅力のある形はしていなかったが、新しいモデルはどれも魅力的。30系列のボディは後継がないようだ。

3/4追記。近所のコジマに行くと、型落ちの製品が安く売られている。中には6千円台のものもなる。我がIXY 31Sも1万3千円ほどで売られている。ちょっと悲しい気もするが、さすがに型落ちしてから半年以上では仕方ないか。コンパクト機は完全にパソコンや携帯のような発売サイクルになっている。型落ちといっても数ヶ月前の製品だから、気分転換に何台か安いのを買っても良いのだが、いざとなると何となく無駄遣いしているみたいな気がして(実際にそうだ)、手が出ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする