うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

セイコー5

2015年10月31日 | 通販・買い物

立て続けに書いています。

今月の記事をちょっと見返してみたけど、どこにも出かけなかったせいか鳥と本の話ばかりですね・・。

外の写真がほとんどない。

 

数少ない外出の記事の一つが先週の「こがらし」ですが、冒頭に写っている腕時計は、中学の入学祝いに叔父に買ってもらったものだ。

昨年実家の引き出しから見つけて、数十年ぶりに使い始めた。多少止まったりすすんだりするものの、何とか使えていた。

OHが必要だとは思ったが、近くに適当な店がみあたらない。

いちどオアゾ丸善に入っている時計屋に見積もってもらったが、それなりに費用がかかるようなので、見送っていた(あそこは海外高級品を扱う店ですからね・・)。

 

先週土曜日、電車を降りたときに何かの弾みでベルトの留め金がはずれ、ゆっくりではあったがするすると落ちてしまった。

そのときはなんともなかったが、翌日、外出先で時計を見たら、止まっていた。

ゼンマイ切れかと思いふってみたが、秒針は動かない。前日の落下ショックのせいだろうか。。

時計が止まる直前に撮影したのが、「こがらし」の記事冒頭の写真だ。

SNSでどこかで修理したい、と書いたら、友達が近くの修理店を紹介してくれた。

とりあえず、修理ができそうだということになり少し安心。

 

そのお店には時間が取れたら行ってみることにして、とりあえず当面つかう時計がほしい。

いや、実はもう長いこと、腕時計は使っていなかったのですね。

高価な腕時計を持つ趣味もないし・・。カメラとか好きだから、結構はまりそうな気もするんですけどね。なぜかそっちには行かなかった。

でも、1年ほど使い出すと、やはりあった方がいいかと。

叔父の時計はセイコー5 ACTUSという、当時の若者向けの時計だ。このシリーズは60年代に発売され一世を風靡し、いろいろなバリエーションが展開された。

現在国内では製造販売を終了しているが、途上国を中心に以前人気があり、海外工場で継続して製造、販売されている。その一部が日本にも輸入され、比較的容易に入手できるらしい。

アマゾンその他のサイトを見たが、ものすごくたくさんの種類が販売されている・・。しかも6000円ぐらいからと、驚くほど安い。

というわけで、購入。

非常に立派なケースに入っている。

昔より立派かも知れない。5 ACTUSはたしか、プラスチックの青いケースに入っていた。

海外モデルとはいえ、セイコーの製品ということでちゃんと保証書もついている。

型番はSNK357KCという。基本的に同じものだが、文字盤などのちがいで相当のバリエーションがある。

本機の文字盤は濃いネイビー。写真ではわからないが(Q10にPLかましてISO800で撮りましたがノイズとして消されたかな)文字盤には”5”と盾の模様が透かしのように入っている。

ウェブを見ていると、バンドが安っぽい、という評価をよく見かける(金属無垢ではなく、プレスなので)、これは昔の5ACTUSもそうだった。

個人的にはそれほど見劣りするようには思えません。いくつかのサイトを見て、コマ調整を自分でやろうとしたが、かなり固くて挫折・・。翌日丸善の時計屋にお願いして調節してもらった。540円。

古い5ACTUSと並ぶ。アマゾンのサイトを見たときからわかっていたが、現代の5は全体にやや線が太く、角が少し甘いという感じがする。

竜頭は一段引っ張るとカレンダー調整(本機は英語とスペイン語。アラビア語のモデルもあるらしい)、二段引くと時刻調整になる。また、秒針は止められない。

5ACTUSではカレンダーは押して調整、秒針は竜頭を引っ張ると止まる。

でも、いいですね。僕には機械式を不便に思うようなことはないし、安いから、気をつけないとどんどん増えて行ってしまいそうな気がします。。

文字盤がグリーンの奴もいいですし、ダイバーズなんかもよさそう・。

止まった5ACTUSの修理は、友人に教えてもらったこちらにお願いしました。

完了は11月末くらいらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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30.5

2015年10月30日 | セキセイインコ

先日はたいへんご心配をおかけいたしました。

体のほうはすぐに回復し、いまはげんきです・・。

さて、こちらアル君の体重の件(たびたびで恐縮ですが)、お医者さんに電話して経過を報告しました。

40を切りました。ありがとうございました!とお話ししましたが・・

まあ2週間弱で45gから39gまで下がっているわけで、ちょっと下がり方が急ではあるのです。

その点の指摘がひとつ。

もうひとつ、僕はなんとなく、アルの体重が前35gだと思っていたのですが、1年前の体重は30.5gだったのですね。

その点は、お医者さんも今の様子を見ていないので、30gに戻ることが必要かどうかはわからないということでしたが、あと1ヶ月ぐらい様子を見て、週に1~2グラムの減量を目標に、焦らないで様子を見てほしいという助言をいただきました。

なんども電話でご助言をいただいて、申し訳ないと思っています・。

遅い時間に折り返しいただくことになったので、喫茶店で電話を待ちました。

来月ぐらい、伺って診ていただきたいと思っています。

長い間体重が減らなかったのは、僕が餌をあげすぎていた(いまのふたりは、あればあるだけ食べてしまうようです)のが原因ということになります。

前のペンは、多めにあげてもそれほど食べなくて、体重もいつも31~2gで変わらなかったのですが、個体によってずいぶん違うようです。

ここに来てアルもココも、ペレットをだいぶ食べるようになりました。シードがなくなった後に限るようですが。

ずっとケージを分けていますが、しばらくこのままで続きそう。

 

 

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あれこれ

2015年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

昨朝は急な体調不良に見舞われ、自分でも驚いた。関係者の方々にご迷惑をおかけしてしまう。

このほかここで触れていないことをふくめて、すこしいろいろなことがつづく。

いずれも大きな事ではないのですが、代わり映えのしない日常が、ちょっとガタガタしました。

アルは38g台まで体重をおとす。すこし急ですね。もうすこしご飯をあげることにします。

体重、以前はずっと変わらなかったのに、ここにきてよく変わります。

ココは変わりなし。

二人ともペレットを毎日あげているのに、全然食べてくれなかったが、ようやく食べてくれるようになった。

今日も頑張りましょう。

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こがらし

2015年10月25日 | まち歩き

休養と片付けの一日。

土曜日は暖かく、まだ初秋の名残を感じさせたが、夜半から北風が入り込んだ。

少し外に出てみることにする。

風は終日強かったようだ。

まだ紅葉には早い。

そういえば、「新映像の世紀」が始まりましたね。

全部きちんとは見られなかったが、映像は前回とダブったものではなく、新たに発見されたものが中心らしい。

第1次大戦から始まっている。前作はまず映像記録ありきで、そこに史実を解説として加えるという構成だった。

今回ももちろん中心は映像だが、もうすこし史実の解説に重点を置いている感がある。とりあえずの感想だけど。

それより、前作から20年が既に経過している、という事実がなんとも・・。

なんか、前作の再放送をBSとかでやっていたようなのですが(完全に見そびれてしまったのですが)、いまだにいろいろな映像が鮮明に心に残っているんですけどね。

あれからもう20年たったのか・・。

こうして季節の変わり目を実感し、昨年の寒かった頃を思い出したりしていると、時の流れをいっそう強く感じますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こんでじ(追記あり)

2015年10月24日 | IXY 31S

僕が知らなかっただけかも知れないですけど、「寝落ち」という言い方は昔はなかったですよねえ。

でも便利な言葉というか・・。ついやるんですよね。寝落ち。

話の枕にも何にもなっていないのですが、先日ビックカメラで買い物をして、帰りになんとなくカメラ売り場を見ていたら、キヤノンのG9Xというカメラが「本日発売」と書かれて展示してあった。おじさんが二人ほど、ながく張り付いていたのでなかなか見られなかったが、しばらく順番を待って手にしてみると・・。小さくて軽くて、いいですね。これ。

時々訪れるブログ(鳥さん系の+αのブログ。ただしインコではない)の方は、ソニーのRX100がお気に入りらしくて、そんな記事も書いておられた。ので、それも見たが、RX系って、たくさん種類があって、どういう種類分けなのかはわからなかった。人気はあるようですね・・。

G9Xというのは、少し前のS120とか、あの辺の後継なのだろうな。

それほど頻繁には使わないけど、今手持ちのコンデジ、IXY 31Sは4年半が経過した。元気なので、別に替える気はないけど・・。まあ、もしコンデジを新しくするならこのG9Xあたりかなあ?

ふだんはミラーレスのPentax Q10を持ち出すことが一番多いが、たぶん、上記のコンデジたちは、Q10より画質がいいのかも知れない(ではなくて、実際良いでしょう)。

たしかに、Q10は画質至上主義ではないのだけど。

10/25追記:週末、金、土とも疲れていて、上記記事もうとうとしながら書いている始末。こういうときは下書きにして朝見直すのですが、今朝見たらもう公開してました

いくつかの事情からか、秋口からあまりあれこれ出かけたりすることがなくなっています。家の中も、片付けないとなあ、とおもいつつ。

こんなときにはあまりカメラも出番がない。まあ、うちの鳥のことは日々記録していますが。

スマホをGalaxyにしてから、これで撮影することも確実に増えました。Q10というのは、気軽にオートで撮るとあまりうまい結果が出ないので、カバンにQ10が入っていてもGalaxyで撮影することもけっこうあります。

IXYを外に持ち出すことは、今はほとんどありません。室内では存在感があり、ブログに載せる物撮りとか、インコの体重記録とかによく使います。デジタルテレコンは便利です・。

MFTの現用機は3種(Lumix G6, G3, Pen E-P3)で、G6は動体撮影が主、G3はそのサブ、E-P3は小旅行用に使っています。E-P3は4年前の発売(うちに来たのは2年前)ですが、性能はうちでは必要十分という感じです。安物買いの銭失いだったPowershot SX150は、それでもたまに使っています。

厳めしい外観のカメラはとうも苦手で、高級コンパクトにもあまり興味がなかったのですが、世間的にはだいぶ定着しているようですね。

Gシリーズと、RXシリーズについて、もう少し調べてみたのですが、G9Xは以前からのコンデジの延長という感じです。価格も、10年前のコンパクト機はこのくらいが普通だった気もするし。RX100が、3年間継続販売されているのってすごいですね・・。

それほど気負わずに、しかし撮影している実感を味わえると言う点では、Qシリーズがいちばんだと思います。無理にフィルムカメラのUIを再現したりせず、デジタルならではの色再現とか、エフェクトで遊べるようにしたのは(多少洗練度に欠けるにしても)非常に優れたコンセプトだと思います。あれだけ小さいのに、MFも実用になるし。沈胴式のコンデジは、この点はどうしても難しい。

さて、外はいい天気で・・。すこしだけ外に出てみようか。

1巻だけ買ってみた「カブのイサキ」。すこしわかりにくい世界という気もしますが、心のどこかで惹かれるものを感じますね。

 

 

 

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やったあ!

2015年10月22日 | セキセイインコ

アル、体重がついに40g台になる。やったー!

シード餌を極力減らし、オーチャードとペレットを中心にあげるように変えました。ペレットは潤沢に与えてますが、未だにあまり食べてくれていません。

これからも体調に気をつけながら、体重維持に気をつけていきます。

今日はがんばったので、ごほうびに大好きな粟穂をあげます。

手のひらにのせて、取りにおいでと誘ったら、手乗りしてくれました。

お迎えして以来、ケージ外での手乗りは初めて。

右手にG6を持って連写していたら、いつの間にか撮影枚数が240枚を越えてしまった・・。

以前にも手乗りを教えようとしたときがあったけど、そのときは指ばかりかじるので、こちらが先に音をあげてしまった。

これで慣れてくれれば、自然と肩とかに乗ってくれるのでは、と期待はしています。

 

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メタボリック税制

2015年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今話題の消費税軽減税率ですが・。

昔はよくコンビニでお菓子とか買って食べていたが、今はコンビニ自体、めったに行かなくなった。

たまに行くと、甘いお菓子やポテチなどがとても安い値段で販売されている。カロリーは高いがねだんは安い。

他方、コーラでも特保マークがついていたりするが、特保商品は概して高い。

ので・・。高カロリー低タンパクとか、トランス脂肪酸含有、など、体にあまり良くない商品には高い税率を課して、特保系商品には税率軽減する、というのはどうだろう。ニュートリションの表示は広く普及している。カロリーを基準に税率を計算する、とかもできやすそう。

メタボ税制では差し障りがあるなら、国民健康税制。医療費の軽減は我が国喫緊の課題であります。。とか。

そんなの、あちこちから文句が出て、めためたになってしまうに決まっていますけどね。業界はカンカンになるだろうし、あれこれ手を回す業者が横行、海外からも圧力がかかるかも知れない。

もとより酒、タバコにはそれぞれ酒税、タバコ税がかかるが、ビールなどは高い税率を逃れる商品が出ている。複雑な税体系は様々な副作用をもたらす。。

アル、42g台が定着。ゴールは見えてきたか。

 

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人間交差点

2015年10月20日 | 本と雑誌

昨日「私だけの十字架」を書いているうちに、ふと思い出した「人間交差点」をAmazonで買ってしまった(Kindle)。

20代の頃、つまりこの漫画が連載され、順次単行本が出ていた頃、これを買ったことがある。Amazonでは冒頭を試し読みできるので、記憶を頼りに全27巻からこれを探し出した。

後に実際にドラマにもなったらしいが、漫画でも昔のドラマを見ているような感じだ。小説で言うと、藤沢周平とかに近いのかな。

トーンとしては暗めなのだが、決して冷たい暗さではなく、人のぬくもりを感じさせるほの暗さ。

文章で書いても素敵だと思うが、漫画とすることでスピード感が与えられ、重めのテーマに押しつぶされることなく読み進められる。

弘兼憲史氏の絵柄も安定していて、物語の良さを実に良く引き出している。

20数年ぶりに読み返すことになるが、各エピソードのことは、良く覚えていた。アフリカで自分の子供と出会い、それまでのキャリアを投げ出してしまうエリートビジネスマン「その時から」、中国では尊敬される医師だった残留孤児が、帰国した日本で直面する過酷な現実と、それを追う新聞記者の話「帰国」(これはかなり泣けます・・)など。

いちばん好きで、確かこういう話があったよな、と探すきっかけになったのは「廃線」だ。今は刑事をやっている主人公が、中卒後勤めた製鉄所の上司であり、今は保険金殺人犯として逃走している男を追って、かつて働いていた土地にやってくる。工場は撤退し、再開発を待っている。汗臭い労働者を運んでいた「カリント電車」も、今は廃線になって線路だけが残っている。男は取り残された様にそこで営業している、飯屋の若い女と語らいながら犯人を待つ。女はいう。

「でも、どうして人間って、悪いときに過去の事ばっかり振り返るのかしらね・・。別にこの土地で働いていた頃がそれほど良かったわけでもないんでしょう・・」

そう問いかける飯屋の女将も、この土地に出戻ってきた身だ。

問わず語りに男は「どうしてなんだ・・こんな苦しい思い出しか残っていない所になぜ戻ってくるんだろう」

「みんな、ただ汗を流して働くだけの生活が、懐かしくなって戻ってくるのかも知れないわ・・」

 

いやあ、たしかに重いし暗いんだけど、しばらくこの世界に浸っていたい気持ちも、正直するんですよ・・。

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私だけの十字架

2015年10月19日 | 昔のラジオ、テレビ

ご存じ(かどうか)「特捜最前線」のテーマとして使われた曲である。

といいながら、僕は特捜最前線をそれほどよく見た記憶がない。大滝秀治さんと、音楽がなぜか印象に残っている。

この音楽-刑事ものドラマなのに、なぜか妙にしんみりとした曲調・・。

なにより、「十字架」という言葉が引っかかる。

話者はあの人に対し何か取り返しのつかない悔いのようなものを感じているのだろうか?

よくわからないですね。

ただね・・、昔の刑事ドラマにはこういうしんみりした感じが似合うものがよくあったような気がしますよね。

こういう曲は、都会の音楽なのだと思う。田舎には似合わない。牛が草を食んでいるような牧草地や、軒先に干し柿がぶら下がっている農家の縁側に、似合わないでしょう・。

表参道とか道玄坂あたりの、ほこりっぽい歩道をコートの襟立ててあるいたりとか、三愛のネオンを見ながら有楽町に向かって歩くと、向こうに国電が走っていたりとか、知っているんだか、頭で作り上げたんだかわからない、懐かしい都会風景を思い起こしたりしてしまう。

「特捜最前線」は70年代後半からバブル直前くらいの放映だそうだ。あの頃は日本がいちばんきらきらしていた時代だと思うが、まだすこし大人の世界が残っていたのかも知れないな。そうした大人の香りは、社会や経済が落ち着いてくると急速に姿を消してしまったような気がする。まあ、世代が変わったということなのでしょうね。あと、社会が上り調子な分、すこししんみりできるだけの、ゆとりもあったのかも知れない。

僕はちょっとだけ昔を知っているから、ときおりこんな曲を聴いて、忘れていたものを思い出したくなる。

 

藍川由美さんの代表的なCD(を録音したMD)。20年ほど前のリリースだが、この「私だけの十字架」はじめ、誰もが知っている(かな?)有名なテレビドラマや映画のテーマ曲が収録されている。

話がとぶようだけど、「人間交差点」も、日本経済の成熟期からバブル最盛期にかけて書かれているんですね。あの頃の日本・・。日本人、やっぱり変わったよね。

 

 

 

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けいそく

2015年10月18日 | セキセイインコ

金曜日、一月ぶりにお医者さんに相談。

病院に行って、お医者さんに診ていただこう、という話になりかけたが、ペレットを残している、と言う話を聞いてお医者さんから、餌の量を量ってペレットを中心に与えながら、様子を見ましょう、という助言をいただいた。

まあ、忙しいときにご飯を与えている(今はケージが別なので、2回分)ので、これまで餌の与え方は目分量だったのですね。

まずはいままで普通にあげていた分量を量ってみた。ココの場合、シードは6-7g、ペレットが6gぐらい。合わせて12gもあげていた。

ただし、ペレットはほとんど食べてくれない。1日たって、食べ終わったトレイを量ると6gぐらい。

これを受けて、アルはシードとオーチャード(シードはほとんどあげない)4.2g、ペレット7gとした。今日からペレットは、別のえさ箱にもふんだんに入れるようにした。

このほか、小松菜は以前からあげている。豆苗は発情を促進するそうなので、今はあげていない。

やはりペレットは残る。アルの方が多少はペレットを食べているように思えるが、トレイを置くと一生懸命になってシードを探している。

ちょっと、かわいそうなんですけどね・・。

これを機会にペレットを食べてくれるようになればいいのだが。

昨日の体重、43.2g。

もう少しだが、けっこう体重の増減はあるので、食事量はこれからも注意が必要ですね。

 

ウェブでセキセイインコ ダイエットで検索すると、50g越えのインコちゃんはけっこういるらしく、飼い主さんは苦労しているようだ。

だいたい、シード5gぐらいが標準らしく、何度かに分けて食べさせる、早寝早起きさせる、などの対策が示唆されている。

二人一緒のケージだった頃は、食べる量は自分たちで調整するだろうと思い、えさ箱にどっさりあげていたものだが・・。

ケージ越しの撮影、今日は明るいせいかケージが光ってしまい、色が淡く見えますね。ソフトフォーカスにしたつもりはないのですが。

ここのところ携帯でばかり撮っていたので、こつを忘れたかしら。Lumix G6, 20mm F1.7解放です。

前から思っているのですが、なんで冬バージョンのビールがこんな早くから出回っているのでしょうね。

目立つからつい買うけど、春バージョンとか、夏バージョンはみたことあったかな?

 

 

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二つの母国に生きて

2015年10月17日 | 本と雑誌

ドナルド・キーン著 朝日文庫

ふだん僕は遅読で、かなりたらたらと読むのだが、本書は一気に読んでしまった。凝縮感のある、面白い本でした・・。

本屋を冷やかしているときに、たまたま目について手に取り、そのままレジに向かった。

目についたのは、キーン氏のドキュメンタリーを数日前に見たから、というのはもちろんある。

キーン氏の名前を知ったのは、安部公房の小説の解説文が初めてだと思う。その頃から今日に至るまで、アメリカ人の日本文学者さん、という程度の認識しかなかった。

本書の文庫化(9月末)や、先のテレビ放映など、ここに来て急に氏のことがクローズアップされてきているようだ。

 

 

この文庫のもとになった単行本の刊行と、記事の初出となる雑誌への執筆は30年ほど前のことだ。

なので、本書に出てくるキーン氏と触れあった「日本人」の描写は、その時代のものだ。そこには多少の時代の変化を感じることができる(キーン氏自身は、その頃のご自身とあまり変わっておられない、のだそうだが)。当時の日本人は、キーン氏を見ると、日本に来ると色々と不自由でしょう、と聞いてきたという。曰く、刺身は食べられますか、納豆はどうですか、等々。

総じてその頃の日本人は、自分たちは他の国と全く違っていて、他国人には理解することが難しい民族なのだ、と思っていたらしい。

外国人は、そもそも一部の地域や施設などを除けば、ほとんど目にすることもなかった時代だ。僕も若い頃、友人と道を歩いていて、彼が小声で白人親子を示し「ガイジン」とささやいてきたのを覚えている。この30年の変化は大きい。

文庫本あとがきでキーン氏が書いておられるように、「今の日本人はコスモポリタンになったようである」。同時に日本的な生活様式も抜けてきつつある。

それは、日本人全般の変化にとどまらず、というか、日本人全般の変化と共に、僕自身の意識が知らないうちに変化している、ということも意味している。

ニューヨークの24時間や、ほかでも前に書いたと思うが、自分の意識が時代と共に、社会と共に変わってきている、ということが、とても興味深く思える。

昔の僕や、僕の周辺にいた人たちは西洋かぶれだったし、いま身近にいる人は中国系かぶれ?なんてひともいる。なんだか恥ずかしいような気もするが、異文化へのあこがれは自然なことだし、やがて「異物」としての刺激も薄れて、完全に自分(達)のなかに同化して行くものなのだろう。

僕も、時代と共に「かぶれ症」はなおってしまったと思っているが、なぜか古き良き欧州、米国の映像に郷愁と安堵感を感じるし、和食より中華より洋食の方が落ち着く。他方、邦楽や能、歌舞伎はちかごろとてもエキゾチックで刺激的に思えてきている。

 

 

話がそれた。キーン氏の本に戻る。

「海外における日本研究」ではとても面白い事実を紹介されている。

英米では外国語の研究は伝統的に、ラテン語を学ぶときのアプローチを基準とする。

日本語はてにをはがあるが、中国語にはそれがなく、日本語の方が中国語より取っつきやすいらしい(マスターするのは難しいようだが)。

ので、英米の人が中国を研究するためには、まず日本語を学んで、日本語で中国に関する文献の解説書(豊富にあった)を読んで研究をしたのだという。つまり、日本語は中国研究のための便利なツールだったそうだ。

欧州では日本文化は模倣文化に過ぎない、という認識が強かったらしい。まず中国を模倣し、次にドイツを模倣したと。全体に、欧州の日本への感心は非常に低かった(浮世絵などは当時の西欧の画家達に強い影響を与えたのだが)。

周辺の国、中国や朝鮮も、日本や日本語の研究をした形跡はないらしい。

中国などは自分の周りの国は野蛮国であり、向こうが自分たちを学べば良いという認識だった、と。ポルトガルは逆に、キリスト教を布教させるために、熱心に日本研究をしたそうだ。また、意外なことにロシアでは日本語研究が古くから盛んで、日本語学校も江戸時代からあったという。それを知った幕府が、そのことを不快に感じた、と言うのも面白い。

このほかにも日本人の無常観の話とか、東京裁判に関する認識とか、興味深い話がたくさん収められている。200ページ少々の本だが、これほど内容の濃いエッセイ集はめったにお目にかかれるものではない、と思う。

例によって、面白いと思ったページには折り目をつける様にしているが、本書は折り目だらけになり、写真を撮るときも表紙が半開きになって斜めに写ってしまった。

 

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短信

2015年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は季節の進みが早いのだそうだ。天気が良い日は、風もさわやかで良い季節だ。日が短いのは好きではないが、それすらなんとなく気持ちが落ち着く感じがする。

昨日は所用で新宿へ。用件を済ませたら、CD屋さんでも行こうかと思っていたが、遅くなりすぎたのでビックロを冷やかしてみた。

Pentax Q-S1の、新しいカタログが置いてあった。2015年10月現在、とある。以前は女の子のモデルさんが表紙のもので、1年間ずっと変わらなかった。

この時期に新しいカタログを刷ったということは、しばらくモデルチェンジはしないということか。といって、すぐにディスコンにするわけでもないようだ。

しかし・・、もしかしたらQシリーズはここまで、ということはないだろうな。

店頭価格もずいぶん安くなったが、ちょっとお金がなくなってしまった。

本屋さんによって、目についた2冊を買ってみた。

半沢直樹シリーズは、ドラマも見そびれてしまい、小説も読んでいない。

これは、文庫版発売記念のおまけつき「ロスジェネの逆襲」。おまけは名刺、です。

この本はたいへんな人気作らしく、少し前から大きなポスターと共に、書店の目立つところに置かれていた。

平積みされたコーナーでは、増刷されたおまけなしのものが大半になり、おまけ付き初版はこれ1冊になっていたので、とりあえず保護した。

千代田区丸の内は3丁目までしかないと思いますが、郵便番号は実際に丸の内のものです。

「ロスジェネ」はシリーズの第3弾らしいので、1,2を読むまで、しばらくお預けにしておきます。

もう1冊、ドナルド・キーン氏のエッセイを買ったのですが、これが面白い・・。

他の本をおっぽり出して読んでいます。

アルにダイエットをさせるのは心苦しいのだが・・。ちょっとまた戻りつつある。

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相思相愛

2015年10月15日 | セキセイインコ

妙な会議があったり、セミナーに出たりして・・・いろいろ気疲れします。

まあ、写真は今日じゃないのですが。

セミナーは、健診をお願いしているクリニックが毎年開いているもの。健康にいい社食で有名な会社の方が講演。色々勉強になりました。

体にいい食事というのも・・・色々とたいへんですな。

アルの体重は45g付近をいったり来たりが続いています。もうちょっと頑張ってほしいのだが。

今月初旬にはリバウンドもしてくれました。

アルくん、おちりが・・。

スマホに日々の体重を、写真と共につけています。スマホというかジョルテ・クラウドなので、タブレットでもOK。

スマホなら内蔵のカメラで撮影するけど、スマホもいろんなことに使って忙しくて、テレビの録画待機とかしているときもある。代わりにEye-Fiの入ったIXYを使うことも多い。画像は自動的にスマホに転送されるので、あとで追加編集している。コンデジの方がズームも効くから撮影しやすいんだけどね。アスペクト比は、スマホの癖が伝染って?、16:9とかで撮ったりしている。

ココちゃん、なにをひっくりかえっているの?

はやくダイエットを終わらせて、一緒のケージに戻ろうよ。

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シベリウスとマーラー

2015年10月12日 | 音楽

久し振りですが、クラシックCD購入の話です。

 

ふとしたきっかけで、また小澤征爾さんと村上春樹氏の対談を読み返してみた。マーラーに関するところが面白くなり、手元にあるマーラーを聞きなおしたりしている。

手元にあるマーラー、特に交響曲はあまり種類がない。クーベリックとショルティの全集、カラヤンの5番、クレンペラーその他の「大地の歌」数枚、そしてサイトウ・キネンの9番ぐらいですかねえ。

クーベリック氏が亡くなった頃に買った全集。これはこれで定評があり、今聞いてもわかりやすい、というより、僕にとってのリファレンスなのだろう・・。

1番から9番までと、さすらう若人の歌、第10番アダージョつき。大地の歌は入っていない。

ショルティの方がより現代的で、演奏としても迫力がある。この全集は1番から9番までをまとめたもので、やはり大地の歌はない。CD枚数を節約するためか、ディスクが数枚にまたがっているものがあってちょっと聞きにくい。

小澤征爾 サイトウ・キネンの9番。正直まだ聞き込みが足りなくて、こういう演奏だ、と言えるまで至っていない。

9番はそれでも曲の良さはわかるが、7番などはどう捉えていいのか、わからなかったりする。

今回、このCDを購入した(中古)。高級感漂うフィリップスのパッケージが懐かしい・・。

小澤 BSOのとても緻密で美しい演奏。不思議なことに、とても日本人を感じますね。

さて、お次はシベリウスです。

これもうちにはCDがほとんどなくて、これまでベルグルンドの全集しか持っていなかった。

シベリウスの交響曲には人が住んでいないそうだが、このベルグルンドはそういう解釈で言うと確かに人の気配がない。

これも中古購入だが、カラヤンの80年前後の選集。

有名な2番を聞くと、こちらの方がまだすこし人の気配がある。

好みの問題はあるが、個人的には、普通に聞いている分にはカラヤンの方がソフィスティケートされていて、聞きやすいかな、と言う気がする。

マウスを新しくしました。 以前のはBluetoothでしょっちゅう不調をきたしていたので、今回はふつうのUSB無線に。

 

 

 

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聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎

2015年10月11日 | 本と雑誌

今年は読みかけで止まっていたり、ここに書くつもりでなかなか書けない本が増えてしまった。

この「聖断」は、夏に見た映画「日本のいちばん長い日」の原作となったもので、8月下旬に買ったものだ。 半藤一利著 PHP文庫

「日本のいちばん長い日」は大宅壮一氏名義で、1965年に出版されたとのことだが、これはその20年後に書かれたものだ。まだ昭和時代は続いていた。

「日本のいちばん長い日」が、終戦直前のきわめて短い瞬間を描いているのに対し、「聖断」は鈴木貫太郎が生まれた慶応3年から亡くなる昭和23年までの生涯を描くと共に、彼が深く関わった海軍、そしてその背景となる、維新後終戦までの日本そのものの歴史を描いている。

漫画の描写などで、主人公とその背景をどう描くかというバランス取りは人によって様々だ。主人公のポートレイトはど~んとアップで目立つが、周りの建物や室内描写などは単純な線画で済ませる人もいるし、人物よりもむしろそちらに主題があるのだとばかり、草木や空などの風景に力が入れられているような描写をする人もいる。

半藤氏はそのたとえで言うと、背景の絵をしっかりと描くタイプなのだと思う。それも、単なる一過性の取材ではなしえないような、幅広い知識を持つ半藤氏でなければできない描写として。

だた、たとえば司馬遼太郎氏などと比べると、その描写は精密デッサンというべきもので、司馬氏のように、そのテクスチャや風合いを楽しむ、という描写ではない。

まえ書きそびれたことだけど、半藤氏や、水木しげる氏など、先の戦争のことをよく取り上げている方々って、なんとなく戦争で無念の死を遂げられた人たちに生かされているのかも、という気がする。半藤氏自身が対談でそういうことを話していた(夢でうなされて、皆さんのことを書きますから、と答えたとか)し。

昨日、テレビでドナルド・キーン氏のことを特集した番組を見た。戦前、海兵隊兵士の頃から日本を見続け、日本文学を世界に知らしめた人だ。キーンさんもなにものかが彼にその使命をあたえ、彼もそれに答えてきたことで、90歳を超えた今でもお元気で活躍され続けているのかな、などと考えながら見ていた。ちょっと奇妙な感想かも知れないが。

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