うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

アンネはどこに

2014年02月28日 | 社会・経済

最近時事ネタが多いけどこの事件、僕の生活範囲に割と近いところで起きている。それに薄気味悪い。ので、ちょっと触れておこう。

いろいろな憶測があるようだが、個人的には相当偏執的な愉快犯のようなものかな、とおもっている。

多くの人が感じているように、これは明らかに思想的な意味合いがある。にもかかわらず、それがこの日本で起きた事件である点で、主張のポイントが大きくそがれてしまっているようだ。

もし、アメリカで「進化論」を破く事件が起きたら、現地の人はその主張を読み取るかもしれないが、日本で起きてもまったく意味がわからないだろう。

それよりはましとはいえ、この事件にいわゆる反ユダヤ的な思想背景を読み取ることはかなり難しい。むしろ、わざとポイントをはずしているんじゃないかと思いたくなるくらいだ。つまり、本当の意味での思想的な主張は無いのではないか。

この件についてはこちらのブログの方で、上手にまとめられている。見事な考察であり、僕の方で特に付け加えるべきこともなさそうだ。欧州や、イスラエルのメディアがかなり冷めた目で日本人を見ていることには感心する。同時に、我々日本人の自己認識がどこかでずれていることがはっきり見えてきて、とても興味深い。

近年、書店に行けば思想的にはひどく冷静さを欠いた、過激なタイトルの本がたくさん並んでいるが、そんな、ある種閉塞的になりつつある社会状況の中で起きた、珍事件だ。やはり薄気味悪い。

ずいぶん前にセールで買ったペーパーバックが、どこかにあるはずだけど、押し入れの奥の方にあるのかすぐには見つからなさそうだ。本屋で売っているかな、と思って、帰りに寄って探してみたが、店にある検索システムでは品切れだった。
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店頭の検索システムは、利用が終わったら「検索終了」ボタンを押して結果表示を消すのだが、うっかりリストを表示したままその場を離れてしまった。後から利用する人がスクリーンを見て、「なに、アンネの日記?さては、あの男が犯人か??」と思われなかったかな??

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ありがとう

2014年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

小学校の同窓会に行った。

それで、その時のことを書こうと思ったけど、筆力がないのでなんだか薄っぺらい文章になりそうな気がして、なかなか手が動かなかった。

とにかく・・、すごく楽しかった。

いつも遊んでた友達は来ていなかったけど、みんな同じ時間を過ごしたもの同士だ。会場全体に、不思議なムードが漂っていた。平凡な言い方だけど、時空が巻き戻ったような気分。その感覚は、4年生から6年生まで教わった担任の先生の声を聞いて、一気に加速した。あの頃と全然変わらないお声。

先生方はうれしい、ありがとうとおっしゃっていたけど、あの頃はずいぶんと苦労をおかけしたんじゃないかな。現代の子供たちも、いろいろな時代の試練を受けているのだろうけど、当時の僕らは僕らなりの方法で、大人たちを困らせたり、怒らせたり、笑わせたりしていたはずだ。

先生をおたずねしてお話ししていると、先生はお話ししながら、さりげなく僕が胸につけた、名前の書かれたシールを押さえて直してくれた。いつまでたっても子供、という感じだ。

幼なじみの女の子にも会った。一緒に絵の教室に通っていた。何度か、山にハイキングに行って、写生したりしたなあ。何十年も会っていないのに、話し始めるとすっと時代が戻る。ふしぎだ。

一緒の班で、課外で集まった後鬼ごっこして遊んだ子。話をしているうちにそのときの楽しかった気持ちがだんだんよみがえってくる。

あと、昔好きだった子にも会えた・・

不思議なことに、みんな話しているうちにその頃の姿に見えてくるのだ。まあ、確かに街で出会ったら本人と気がつかないかもしれないが、みんなその面影を残しているのがわかる。話し始めると、簡単に時空を超越してしまう。

子供時代には子供たちなりの、世界があった。ちょうど江戸時代の人たちが、それなりの完結した世界を築いていたみたいに。しかし同時に、子供たちはとても、不安定なものだ。そんな僕たちを導いてくれた先生方、ありがとうございました。もちろん、仲間たちも。

そして、この同窓会を開いてくれた幹事の方々、どうもありがとう。

ああ、やっぱり上手に書けなかったな・・。

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翌日、地元を訪れる。

絵の教室は、僕の通っていた幼稚園でやっていた。
幼稚園は、駅前通りを一つ裏側にはいったところにあった。生け垣の間の細い道を入ると門があり、その先に校庭があった。ずいぶん前に閉園になってしまい、生け垣と路地だけが残っていたが、さいきんの再開発で、道ごと無くなってしまったようだ。

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IT好きのペン

2014年02月22日 | セキセイインコ

ペンは子供の頃からパソコンで遊んでいたから、ITには詳しい。
小さい頃は、You Tubeにアップされたおじいさんインコの声が好きで、よく画面に飛び込もうとしたり、液晶の裏側をのぞいたりしていた。
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今はさすがにスクリーンの意味がわかるようになったらしい。
おしゃべりに熱心だった頃の自分を見て、反省する?ペン。
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晩酌のとき、えだまめを食べていたら興味を示してきた。まめも食べるが、さやの方に興味があるらしい。枝豆、インコにあげてもいいものか、と調べてみた。
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枝豆そのものはいいと思うけど、市販のゆでたやつは、塩分が強いかもね。
タブレットにも興味津々なペンは、すぐに画面に乗って、リンクを開いたり、ページをフリップさせたりしている。
キーボードをつかって、筆談できたら楽しいだろうけどね。
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もちろん、スマホも大好きだ。
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う~ん、ゆびのほうが興味があるかな?

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忙しいとか言いながら・・

2014年02月21日 | スポーツ

(雑談です)。

忙しい。

今の時期、実際に公私色々あるのだが、そんなこと言いながら、うつらうつらとテレビを見ていたりしているので、あまり人に胸を張って?忙しいなんて言えない(言ってもしょうがないけど)。

それと、余りにも寒くて、動くのが億劫になるというのもある。ほんと、この季節、苦手である。
まあ、僕は苦手な季節がやたらと多いのだけど・・。

僕はそれほど熱心にオリンピックを見る方ではない(と思っていたが、なんだかんだで結構テレビをつけっぱなしにしている。FBとかで友人たちが盛り上がっているのを見ると、平均視聴者+αぐらいいってるかも)。

ただ、僕も日本人なので見ているうちにだんだん引き込まれていくけど、テレビの特番で大騒ぎしているを見ると、ちょっと引いてしまうところがあるのも事実だ。

夏の北京大会の時、あまり壮大な開会式とかの様子にいささか辟易したのと、露骨にナショナリスティックになっちゃう人たちにもだんだん違和感を感じるようになって以来かもしれない。

あの時、ブッシュ大統領とプーチン首相が開会式を見ている最中に、グルジア(今回の開催地ソチのすぐ近くだ)で南オセチア紛争が勃発した。普段ならトップニュースで大騒ぎのはずだ。のに、テレビでは相変わらずオリンピックで大騒ぎで、そんなニュースはどこでもやっていなかった。うちは偶々CNNとかBBCが入ったので、そっちを見たら、こちらはさすがにきちんとトップで報道していた。

あの時はロシアが五輪の喧騒にまぎれて、小国グルジアを痛めつけてるのかと思って義憤に駆られた。けど、実態はその時の理解とは違っていたみたいだけどねえ。

それで、ソチの大会でも、どこかで何か起きないかな、国会でなんかこっそりやばい事決めてないかな、と疑心暗鬼になったりしていた。

でも、繰り返しだが、見始めるとやっぱり引き込まれる。それは、競技をする人たちが本物で、真剣に自己を見つめて戦っているからだろうな。

メダルの数競争も、あまり周りで大騒ぎしているのは好きじゃない。いつも訪問している、こちらのブログでも、僕の思っているのと同じことを、上手に書かれている。

メダルや順位が全てではない、というのを、見事に人々に感じさせたのは昨日のフィギュア(真央ちゃん!)でしたね。これを見て、いままで僕自身がただひねくれていただけかな?と、ちょっと反省させられた。
そういう本物の闘志を、間近に見て共に感じることができるというのは、やはり五輪の素晴らしさ、ということだろうか。

追記:そういえばプッシー・ライオットがまたパフォーマンスをやろうとして、暴行を受けたらしいな。以前の教会での事件については、色々意見もあるが、なんだかこの反骨精神はやるねえ、ロックだねえ、かっこいいねえとかいいたくなっちゃう、ちょっと心のどこかを揺さぶられるものがあるな・。

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また雪

2014年02月15日 | まち歩き

金曜日は終日雪が降っていたが、都心では日中積もることはなかった。
夕方、帰宅する頃になると、気温が下がり、地面がシャーベット状になってきた。
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この町は風の流れが複雑だ。いわゆる、ビル風というやつだが、場所によって全く積もっていないところと、吹きだまりのようになっているところがあった。
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このあたりは白っぽいが、多くの場所は水気の多い、シャーベット状の雪だ。
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昨年のミッドタウンのイルミネーションの時もそうだったが、こういうときに使うカメラは夜景に強い(我が家比)ペンタックスQ10を使う。こういう雨の日はボディもぬれてしまうし、レンズフードを使っていないので、レンズ(プロテクトフィルターを使っているが)にも水滴がかかってしまう。めんどくさいので指でぬぐったりして・・。
小さいからとても使いやすいのだが、そんなことしていると、いつか壊れてしまいそうで怖い。
防塵防滴のカメラがほしい・・。
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体は濡れるし、さすがに手が寒い。
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イルミネーションと雪のコントラストは、見栄えがするが、このあと雪は容赦なく降り続ける。
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雪はこんこんと降り続けた。
都心では翌日、雪が排水溝をふさぎ、道路が洪水状態になっていたようだ。
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雪は風に舞い、視界を遮る。
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より内陸にある自宅の周りは、こんなものではなかった。帰宅する頃にはもう北国のような風景だった。
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これでまた、翌日は雪かきに忙殺されることになる。
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雪がふると、ペン殿に雪を見せてあげる。見てごらん、雪だよ、って、全然見てないな。

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コンピュータのリカバリ

2014年02月14日 | デジタル・インターネット

土曜日の朝、居眠りから目覚めたら、コンピュータがハングアップしていた。
あちゃあ、ハードディスクいかれたか、と観念した。

ハードディスクのクラッシュは、パソコン時代が始まってからこのかた、何度か経験している。

今思い出しても身の毛がよだつ経験は、HDDが不気味にカリカリと音を立てている中、画面上のアイコンがひとつひとつ、消えていったときだ。そんな中、必死になってデータを移し替えようと焦っていたことを思い出す。

しかし、今回はドライブのチェックをしても、サポートに電話していろいろ確認しても、ハード的なトラブルでは無いようなのだ。起動の時は問題なく、最初は普通にうごいているが、少しするとマウスもキーボードの操作も受け付けなくなる。そして、普段はランプがついて、動きを知らせてくれるはずのハードディスクが全く反応していない。

土曜日の夕方、リカバリを決心した。折からの大雪で、外ではおおさわぎ。

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実際の作業は翌日、雪かきを終えた夕方に開始した。出荷状態まではそれほど時間がかからないが、その後アップデートを繰り返すのが大変だった。なにしろ5年前のパソコンなので、5年分アップデートをしないといけないのだ。

アップデートが終わらないと、ウィルスソフトのインストールすらできない。夜更かししてアップデートしたが、結局翌日までかかってしまった。

もう一つ困ったのは、各種のドライバソフトだ。無線LANやプリンタなど、ドライバCDをどこにやったのかわからない。押し入れを探したら、CDケースが出てきたが、もうとっくに捨てた10年以上前のプリンタとかのディスクしかない。古いCDは後生大事にとってあるが、最近はいい加減で、そこいらにおっぽり出したままで、どこかに埋まってしまったらしい。やれやれ。

無線LANがないとネットに接続できない。自動接続なので、パスキーが本体に書いていないのだ。タブレットでホームページにアクセスし、ドライバをインストールしてPCに移し替えた。
プリンタも、ウェブからドライバ等をインストールした。

ソフトは必要なものを適宜インストールした。写真関連ソフトは、デジカメ付属のものがいろいろ入ってごちゃごちゃしていたが、ビュワーはキヤノンのものだけに整理した。ニコンの、RAW加工ソフトは、結構高いお金を払ってダウンロードした記憶があるが、もう古いので入れ直さなかった。昔は写真家さんのまねごとで、RAWもいじったけど、さいきんはあまりやらないし。

Photoshopも、箱を開けたらCDが入ってなかった。ので、お店に行ってCorel Paintshopを買ってきた。うちのはCSではなくてElementsだったけど、photshopは使いやすいソフトではなかった。重いし。paintshopはニコンのNEF形式も読める。安価で使いやすい。

アドビの悪口ではないが、そういえばパソコンを起動するとよく、Flashやpdfのアップデートをしろとメッセージが出る。漫然とボタンを押すと、全然関係ないGoogle ChromeやMcfeeのインストールまでしてしまう。あのやり口は何とかならんのか。

本体にはたいしたドキュメント等は保存していなかったのと、セーフモードでデータを移動できたので、データの被害はなかった。ただ、音楽データ(SONYのウォークマンで使用)はバックアップできず、ほとんどのデータ(ATRAC形式)は使えなくなってしまった。

ちょうど10年前、当時はまだMDに転送する形で使っていた音楽データだが、もう読めないようだ。mp3のものは問題ない。配信されたものは、配信元に相談すると戻してくれるらしいし、これから少しずつ再構築していこうと思う。

というわけで、設定完了。ここまで3日かかった。昔に比べるとクラウド化やタブレット、スマホの利用が進んで、パソコンの負担は減っているが、やはり壊れてしまうととても不便だ。
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大変だったが、いったん各種の設定を終えると、何となく機械を新しく変えたみたいで気分がよい。壁紙をグリーン系に変えて、気分一新。

このパソコンはソニーVAIOだが、ちょうど先週、ソニーのパソコン事業撤退のニュースが流れた。僕はソニーの信者ではないが、やはり寂しい気持ちがする。次を買うときはなにをえらべばいいのかな?(VAIOのブランド名は残るらしいが)。

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おまけ。今年は近所や、よく行く場所にあった梅の木が切られてしまい、なかなか梅の花を見ることができなかった。雪景色の中で、花が映える。
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これはこれで、冬らしい、美しい眺めだ。
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でも、また明日も降るんだよねえ。


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中頓別事件

2014年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

少し旧聞に属するが(余談だが、「旧聞に属する」というい言い回しがなかなか思いだせずに弱った。さいきんこういうことが増えた・・)、村上春樹氏の短編小説に出てくる、北海道の地名(中頓別)について、地元の議員団がクレームを表明した、という話について。

話の発端は、地元町議会議員のブログでのコメントらしいが、これ自体はそれほど大した問題ではない。

若い町議会議員は小説(文芸春秋13年12月号に掲載された、「ドライブ・マイ・カー」)で、中頓別出身の女性が、火のついたタバコを窓から捨てるのを見て、主人公が「たぶん中頓別ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と独白しているところにかみついた。
主人公は中頓別がどこにあるのかも知らないし、町の人がみな煙草を投げ捨てている、と言ったわけでもない。

当然この議員のブログは炎上していて(コメント50件なので、これまた大したことではないが)、その多くはこの議員を非難している。そのほかのネット(SNS, 2ch)上の意見もおおむねこの件に冷ややかなようだ。
少数意見としては、町民は日ごろ山火事に非常に神経をとがらせているのに、無神経な書かれ方に怒ったのでは、というものや、わざと騒ぎを起こして、注目を浴びたかったのだろう、というものがあった。

そう言っては何だが、この議員の行動はいささか次元が低いように思えるが、たとえそうだとしても、意見を述べるのは自由だ。もし町議会が非難決議を可決したとしても、民主主義の社会ではとがめられるべきではない。

問題はむしろ、村上氏がこれに反応して、謝罪したことである。それも、「僕は北海道に親近感を持っている。もし不快に感じられたのであれば心苦しく、残念です、単行本では地名を差し替える」とコメントしたのだ。

村上氏は海外での生活経験も長いし、大学で講座を持っていた経験もある人だ。典型的日本人(いまはそういう言い方もないのかもしれないけど)みたいに、まず「すみません」というのが得、などと考える人ではないはずだ。賞を贈ったイスラエル政府に対し、受賞スピーチであえて批判の声をあげたほどの人だ。

なので、この早々の白旗には失望した。というか、一体なにを考えているのだろうかと、疑問に思った。

しかし、こういう考え方もできるかもしれない。

 まず、この村上氏のコメントは文芸春秋を通じて出されたものだ。文春では、これは小説作品であり、作者の表現を尊重し支持する、としているが、文春単独というより出版サイドのどこかで、話を収めたいという圧力が働いたのではないか。

 また、村上氏はイスラエルに対しては厳しい姿勢で批判をしたが、これは相手がその批判を受け入れるだけの許容度を持っているからこそ、発言したのであって、同様の反応を、この町議会の人々に期待するのは無理、と判断したのかもしれない。ありていにいえば、相手にするだけ無駄、と考えて、ことを荒立てないように、という判断かもしれない。

ただ、僕が改めて言うまでもなく、このことは悪しき前例として人々の記憶に残ることになる。百歩譲って、謝罪のコメントをするにしても「地元の人たちが山火事に非常に神経をとがらせているとは、思いが及ばなかった。失礼をした」ぐらいは言えなかったのだろうか。

話は飛ぶが、むかし、埼玉出身ではない人がうたった、「なぜか埼玉」という歌がはやったことがある。歌詞は直接埼玉を馬鹿にしているわけではないが、礼賛されているとはとても思えない。「目蒲線物語」という歌では、東武東上線を、一番陰気な路線で、忘れもので一番多いのはクワとスコップだ、というくだりがある。

まあ、僕はどちらにも関係があったわけだけど、聞いたときは・・わっはっはというか、ぼりぼりというか。たぶん、青筋立てて怒る県民や沿線住民は少ないんじゃないかな。そういう、懐の深いところが、僕は好きなんですけどね・・。

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2014年02月08日 | まち歩き
また稿を改めて書くが、今朝ほど突然PCが壊れてしまった。修理に出そうとサポートに電話をしたが、いろいろと確認を求められ思ったよりずっと時間がかかっている。雪掻きもやらねばならないし、他にも壊れているものがあって半泣き状態だ

トラブルはみんな、誘い合わせてやって来る、みたいな法則があるのだろうか?

さて、雪である・。

いつも、雪が降ると嬉しくなって、駆け回って写真を撮ったりしているが、今日は予定を変更したり、雪掻きをしたりと、いろいろと忙しくて、遊んでばかりもいられない。

それにしても、いつもなら一度雪掻きすればいいのだが、今回ばかりは1、2度払ってもすぐに雪でおおわれてしまう。さすがに面倒だ。豪雪地帯の苦労を少しだけ、理解できるような気がする。

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昨年は成人の日の連休に、まとまった雪が降った。

今日は土曜日。

お子さんの入試などで、やきもきされた知人の方もおられたが、とりあえず、ウィークデイでなかったことは幸いだったというべきか。

今日も交通の乱れがあり、オフィスに出ていたら社員を返すかどうかなど、いろいろと悩んだことだろう。
明後日は少し落ち着いてくれているといいのだが。

ニュースではさいしょ、20年に一度の大雪と報じ、いまは都心部でも積雪が45年ぶりに25cmを越えた、といっている。

20年前のことは覚えている。

たしか日曜日で、僕はバスにのって出掛けようとしていた。

バスに二人くらいしか客がいなかった。

すれ違うのがやっとの坂道で、対向車を避けて発信しようとしたバスが、スリップして動けなくなった。
やがてコツンと、ちょっとだけ電柱に接触、運転手さんは僕らに向かって、申し訳ないがここから歩いてくれ?みたいなことを言ったのだと思う。
そこでバスを降りて、駅まで行ったが、ずいぶん時間がかかった。

1969年のことも、少しだけ覚えている。

隣の空き地にかまくらをつくって、隣の女の子と遊んだ記憶がある。
かまくらを作れるほどの雪は、その後僕の住まいの近くでは遭遇していない。

今か。

でも、あの頃より大きくなっちゃったから、やっぱりだめかな?


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この寒いのに、セキレイが降りてきた。近くに柿の木があるので、それを探しに来たのかな?

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どこに飛んでいくのだろうか?



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サムラゴウチさん

2014年02月06日 | 音楽

僕は去年3月のNHKスペシャルを録画していた。しかしつい先日、レコーダーの中身を整理しているとき、もう見ないかな、と思って消してしまった。中身はちらちらとは見たが、何となく重そうな内容で、息苦しくなって全部は見ていない。ただ、聴衆はみんな感動して泣いていたし、評論家もたしか絶賛していたのは覚えている。
消すんじゃなかったな。

いろいろと、CDや本が売れなくなったり、コンサートができなくなるなど金銭的な問題も起きている人がいるから、「~なんちゃって!」ではすまないのだろうな。精神的に傷ついている人も、彼の回りにはいるだろう。

しかし、音楽に感動したのであれば、その感動は本物であるはずだ。もしいま聴いて、面白くないと思うなら、最初のときは彼の「物語」に感動していたことになる。

でもまあ、僕も音楽を聴くと背景の物語を色々探して、それに感動したりしてるよな。ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタとかもそうだし、ビル・エヴァンスとジム・ホールの「枯れ葉(アンダーカレント)」とかも、ライナーノーツを読みながら感激したりしていた。

今日、本屋の中にあるCD屋に行ってみたが、当然のことながらもう置いてなかった。本なんかも、一昨日までは目立つところに置いてあったのかもしれないが、見つけることはできなかった。別になんの断りもない。なんだかどこかの国の、反逆者扱いになった重鎮みたいだ。まあ、その作品が本物であれば、いずれまた聴く機会もあることだろう。

それにしても、見事な騙しぶりだ。なんとなく、村上春樹の「1Q84」を連想する。あれは、最後まで書き直しがばれなかったんだっけ?読み返そうと思ったが、本が押し入れの奥に入っていてすぐに取り出せない。

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永遠の0(小説版)

2014年02月04日 | 本と雑誌

昨年末に見た映画の原作を読んでみた。600ページもの大作だが、数百万部のベストセラーとなっているらしい。
本屋に行くと、この永遠のゼロの他、作者百田氏の様々な著作が販売されている。それを見ていると、いろいろと政治的な主張をおもちの方のようだが、ここではそれは問わないし、永遠の0自体は、政治的な主張は出て来ない。ただ、戦争 指導をした士官たちを強く批判している。また、実在すると思われる新聞社の記者を登場させて、元特攻要員であった経営者と議論させている。

現代のストーリーは一応あるが、本文のほとんどは元将兵たちの独白による、戦争当時の証言で構成されている。内容は特定の人の実話、という訳ではないだろうが、なかなか真実味のある「証言」で、それを読んでいるうちに、ある程度戦争の経緯がわかるように、証言者に解説をさせている。他の小説等で同類の構成が試みられているのかもしれないが、これはなかなか新鮮で、勉強になる。僕も、これを読んではじめてわかったことがいくつもある。
この作品の目的として、若い人たちに先の大戦の経緯をコンパクトに説明したかった、ということがあることは間違いないと思う。(ただ、これはあくまでも創作なわけで、その点をどう解釈するかは議論の余地があるとは思う)。

もとより歴史というのは、その時代の無数の人たちの様々な思いと、それに裏付けられた行動が積み重なって構成されているものである。一人一人が、そのとき何を感じたか、何を思ってそういうことを言ったのかなど、その場にいなかった人にはわかりようがないし、誤った解釈が一人歩きしてしまうことも多い。僕は歴史の専門家ではないから、歴史学者がどういうスタンスで研究をしているのかわからないが、いわゆる歴史認識の違い、というのは、そういうところから来るのだろう。

いずれにしても、戦争を経験した人たちのお話を聞けなくなる時期が迫りつつある。お元気だった小野田寛郎氏も先日亡くなられたし、同じく戦争を経験された経験から発言をされていた、やなせたかしさんも、昨年亡くなられている。今日、あらためてあの時代を振り返ることは、意義のある事だと思う。

惜しむらくは、文学作品としてみると、文章構成に難があるというか、ちょっと書きすぎの感がある。これを原作とした映画版は、その点実に良くまとまっていると思う。

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