うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

人口の問題

2016年10月27日 | 社会・経済

「ヨコハマ買い出し紀行」最終回より

国勢調査が発表になった。報道によると、国勢調査で人口が減るのは、1920年の調査委開始以来初ということだ。

人口の減少自体は、例えば戦争などでも経験しているのではないかと思うが、ここ100年ほどの統計ではそうなったということ、それに、世間的に少子高齢化などと言われて随分久しいが、人々に「やっぱり・・」などと思わせる状況が続いていたこともあり、上記のような報道になったのだろう。

今年の初めごろ、増田寛也元総務大臣の公演を聞く機会があった。地方自治の問題を取り上げておられたが、そのとき資料として鎌倉時代ぐらいからの日本の人口動態を表として掲げていた。鎌倉時代の人口は約1千万強、江戸中期ぐらいから3千万人台前半で安定し、明治に入ってから急速に増加する。国勢調査の記事に掲げられた、1920年以降の人口を見ても、大正時代は4千万人ほどしかいなかった。

この百年で人口が急速に増加したのは、なにも日本だけのことではない。世界全体の人口も、20世紀初めの16億程度から2011年には70億を突破している。サンマやバッタなら異常発生といってもいいくらいの増え方といえるかもしれない。。

この話題はずっと温めていて、この機会にちょっと中途半端なかたちで掲げてしまうことになるが、考えてみると我々は(当然の話だが)、長い歴史の中の一局面を見ながら、物事を考えたり言っているに過ぎないのだ。そんなことは誰も言っていないといえばそれまでだが、人口が減ることは別に「衰退」ではない。将来長い目で見たら、今の時代は異常に人口が多すぎた、と思えてくる時期が来るのかもしれない。

いまの10分の1しか日本人がいなかった平安時代にも、都には多くの人がいて、今日に残る高度な建築、文化が築かれていた。やはり遠い将来に今の時代を見て、平安時代の10倍、歴史に残る文化が残っているかと考えてみると、それはどうだろうか。。

医学の進歩により、乳幼児の死亡率が減少、平均寿命も著しく上昇した。昔はすこしの病気で子供をなくしてしまうことも、珍しくなかったのだろう。また、適切な環境のもとでは、生物としての人間は100年ぐらいの寿命があるものなのだろう。

と、割り切った言い方をしてしまうと、色々異論が出てきちゃうかもしれません。たぶん、人口急増の背景には資本主義の発達もありそうな気もするのですが、そうしたことを語るには、ちゃんと勉強しないと責任ある発言ができなさそうなんですね。だから、ながいこと書けないでいるのですが。

 

それはそれとして、極めて情緒的、感覚的な発言を許してもらえば、明治以来の日本も、この辺で転換点に来ているのかもしれませんね。。

子供の頃、水田を埋め立て、山を切り拓いて住宅地にし、舗装道路ができて、通勤電車の編成がどんどん長くなっていくのを見てきた。それは当たり前のことのようにも思えたが、他方マスコミなどでは、昔の風景が失われたと、情緒的に訴えるような論調もあって、そうだよなあ、と思いながら育ってきた。

もうすでに始まっているけど、これからは、人のすまなくなった家がひとつひとつ崩れていき、鉄道が廃止され道路が草で埋もれていく。

とはいえ、それはただ、元の姿に戻っていくということに過ぎないのかもしれない。。

「ヨコハマ買い出し紀行」が描くように、次々と人の姿が消えていき、やがて「人の夜」を迎える、ということでもないんじゃないかな。たぶん。。

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子産石

2016年10月27日 | まち歩き

秋になっても雨や曇りの日が多いが、今日は珍しくきれいに晴れ、気温も上がった。鳥たちのいる部屋の寒暖計も、30℃ぐらいまで上昇している。

昼間はのんびり家で過ごし、午後遅く、出かけてみた。

昨年観音崎に行った時もそうだったが、このあたりを訪れるときは、季節外れにあったかい日に当たることが多い気がする。

昨日書いた、セドリックのタクシーですね。それにしてもこの辺り、道路の整備が悪いな。。

昨年夏に訪れたときは、立石というバス停で降りた。今日はその手前、子産石で降りる。子海石先生の名前の由来と言われていますね。

安産のお守り。ちょっと身の回りに関係のある人はいないのですが。

夕焼けになる時間まで少し待ちます。まだ4時半ぐらい。

相変わらずの軽量機材、Pentax Q10+06Telephoto zoom, Olympus E-P3+17mm F2.8ほかの組み合わせです。

オリンパスは最近使うことが多くなりましたが、やや癖があるので、いろいろ工夫も必要(実際には何もしていないが)。

ここは小さな港があります。

海も金色になり、かぜもとろとろになってきました。

E-P3+ 17mm F2.8 17mmは風景よりは、街撮りや室内のほうがつかいやすい気がしますが。

海が近い町は、僕の住む内陸の街とはたたずまいが全然違う。

とろっとした今日の気候のせいもあるが、道を歩く人々も、どこかのんびりしていて、こちらの心もしだいに解けてくる。

毎日をここで過ごしている人たちと自分は、どれほど違う人生を送っていることだろうか。

そのうち住むことができればとか、別荘でも持ちたいものだと、来るたびに思うのだが。。

 

 

 

富士山付近の雲は、複雑な表情を見せる。標高が高いせいだろうか。

色が独特なのは、ひとつにはPentaxの味付けもあります。シーンモードもたしか「夕焼け」にしたのでよけい。。

やっぱり、晴れていれば毎日これが眺められるというのは、贅沢の極みですね。

オリンパスは色がvividな傾向が強いんだけど、このE-P3は暗所のノイズが良くないので、暗くなると撮影が難しい。コントラストとか、帰宅してからまた見直したので、次回。。

というわけで、つかの間の休息でした。

 

追記:小海石とか、子海石とか、いろいろ誤変換してくれますが、ここの地名は子産石ですね。。「ヨコハマ・・」にでてくるお医者さんは子海石先生。

 

 

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TAXI

2016年10月26日 | 鉄道、車、のりもの

さいきん目立つようになってきたミニバンのタクシー。NYやロンドンでも採用され、香港やシンガポールにも輸出されてるという(ウィキペディアによる)、日産NV200ですね。

これの前にはセドリックセダンが使われていたのですが、数年前に生産中止になったようですね。あれは長かったな。昭和バブル期から平成の失われたなんとやらを走りぬいてきた車です。そういう言い方をすると、なんとなく名残惜しくなってきて、どこかに残っている残党の写真でも撮っておこうかな。

昔ちょっとでも自動車少年だった人たちは、例えば古い駅前繁華街の写真を見ると、走っているタクシーの車種からおよその年代を特定できたりしますね。お、ここに二重顎のクジラクラウンがいる、しかもマイナーチェンジ前だ。たぶんこれは、昭和47~50年ぐらいの写真じゃないかな、 てなかんじで。

そのころの日本車は高級車でも2年でマイナー、4年でフルモデルチェンジが当たり前でした。だから、NYのチェッカーキャブとか、ロンドンタクシーみたいに、何十年前の設計の車をタクシーにしているのは、異様な感じがしたものです。

ところがおひざ元の日本でも、昭和末期以降は同じような感じに。。

以前、よくこちらにコメントを寄せてくださった方(モモパパさん)の話では、セドリックはクラウンよりヤレが早かったらしいです・・。そのクラウンはまだ現役のようですが、よく出かける先で使う地方のタクシー会社でも、先日利用したらプリウスが入っていました。あれをセダンというのかどうか、わかりませんが、いままでの箱型セダンは次第に過去のものになっていくのでしょうね。

ミニバンのことで思うのは(今更ですが)、これは先祖返りなんだろうな、ということ。戦前の、運転手付きの車などで使われていた車は、いずれも馬車由来の背の高い車で、天井も高かったはずです(昔はシルクハットや、女性もおおきな帽子をかぶって乗ることも多かったとか)。次第に流線形になり、モノコック構造で床も低く、車体もコンパクトになっていく。それが極端になって、バブル期には天井に頭がつかえるような車が出たりしたのですが。。

やはり、天井は高く、入り口は広いほうが乗りやすいはずです。

もう一つ思うこと、これはちょっとマニアックな感想ですが、今の自動車は、1930年代の蒸気機関車の世界と似たところがあるな、と。

戦間期の鉄道界は技術的に成熟期を迎えていた蒸気動力に、ようやく実用段階に入った電気動力、内燃機関が開発されつつある状況。蒸気機関車は信頼性、実用性がピークに達しており、欧州では試運転で200Km/h、営業運転でも150km/h以上で運転する機関車も登場しています。日本でも、大陸では最高速度130km/hの機関車を作っています。当時、汽車というのは蒸気機関車牽引の列車のことでした。電車はまだ開発途上で、そもそも設備が一部にしか整っておらず、騒音などの問題も解決していなかったようです。ディーゼルはハイテクの象徴という扱いで、希少な存在でした。

蒸気機関車を普通のガソリンエンジンの車、電気機関車はハイブリッドやEV、内燃機関は燃料電池、という感じでしょうか。

 

 

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すずめたち

2016年10月24日 | 動物 いきもの

昼休みのベンチ。結構近くに人が座っているのですが、この子たち、よほど大事な相談があるらしく、僕がスマホを向けても微動だにしない。

デジタルズームにして何枚か撮りましたが、倍率控えめなものを選びました。Galaxy S6edgeのカメラは1600万画素だそうですが、さすがに雀を拡大できるほどズームさせると、塗り絵みたいになってしまうので。。

今週は飛び石で休みを取って、少し休養をとるよてい。

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回復

2016年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数週間、仕事をしながら受けたダメージは次第に体に染みついていき、抜きがたいものとなりつつあった。

年取って鈍くもなったし図々しくもなった代わりに、多少厳しくても何とか乗り切れる、という自信を身に着けつつあったのだが、その自信も揺らぎつつあり。。

しかし、人は回復するものだ。

会合で古い友達と会い、話をしているうちに、昨日までのことがすぽっと取れて、元気回復。

いやあ、この会合がなかったら、今頃まだうつうつしていたかも。。

雑談の時に、お互いに色々あって、突発性難聴になったりとか、ちょっとメンタルきそうになったりとか。そんな話をするだけなんですけどね。

まあ、会合でまたやるべきことも出てきたし。

仕事のほうも、これで回復に向かうとよいのだが。。

ここでは触れなかったが、アルは先週換羽疲れで、少し弱っている様子だった。

いつもの彼らしくないので心配し、何度かお医者さんに電話で相談した。

季節の変わり目で、体調を崩す子も多いことだろう。

ペットヒーターをつけ、カバーもかけて保温するようにした。昨年まではペットーヒーター一つだったが、今年から大きなケージ二つになったので、土曜日にもう一つ買い、併せてビニールのカバーも買った(ココちゃん用)。

アルのケージの方は自作で、ヒーターを外掛けでき、四隅を適当に開けて温度調整できるのだが、ビニールカバーはそういう調整ができない。この季節だと、ちょっとあったかくなりすぎるようだ。

同じようなカバーをも一つ作るか。。

 

金曜ごろからアルも、回復してきているようだ。

少しダイエットを緩和して、週半ばに増えていた体重は、再び40g程度に。

ココちゃんも一足先に換羽したが、まあ元気そう。

先週買い物に出た際、ついでに買ってきた中古CD。

お目当て(ショルティのオペラ「カルメン」)はなくて、それではということでピアノのコーナーを眺めていた。

ベートーヴェンのピアノソナタ、正直ここのところあまり聞いていないな。

聞くときはほとんどバックハウスの全集で、あとはブレンデルの新録音を、発売の度に少しずつ買ってきた(もう20年ぐらい前の話)のを主に聞いている。途中で買うのを止めたので、残りも集めたいのだが、たとえダブっても、全集を買ったほうが早いだろうな。

ポリーニも全集が完結したそうだが、若いころの録音についてはいろいろいう人もいて、なんとなく聞いてないし、最近の事情は知らなかった。

4番、9-11番の方は、発売時にどこかで見かけて買おうとしたことはある。まだ新譜、出しているんだなあ、なんて思ったほど、今の音楽事情を知らなかったのだけど。

「熱情」を含む、中期から後半のソナタは2003年のリリースらしいが、そのころの事情も知らない。

これ、今ウェブで検索しても絶賛している人が多いですけど、良いですね。熱情。

ジャケットには書いていなかったので、ボーナストラック(ライブ録音の23,34番)が入ってたのは驚いたが、どちらの録音も素晴らしいです。

評論家でもマニアでもないので、これ以上のことは書けないですけど。

ただ、ポリーニみたいな人は、自分の技量が年齢とともに衰えてくると、それを世間に見せたくなくなるのではないかと普通考えたりしますが、彼はその点、今の自分を正直に出しているあたり、すごいですね。

人が円熟していく、というのは、機能的に完璧な演奏を見せるのとはまた別の形で、新たな何かを獲得し、それを人々に伝える力を得る、ということなのでしょうね。

また、これだけピアノを長く続けてきて、なおも意欲的に取り組みつつあるという生き様を見せることで、若い頃「手が回るだけ」などと批判してきた人たちに対し答えているようにも思えます。

人は年老いもするが、円熟もするもののようだ。

というわけで、ポリーニ氏にも元気をもらって、感謝しなければ。

 

 

 

 

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吉田拓郎 爪

2016年10月22日 | 音楽

遅い日が続いている。

まあ、買い物に行ったり、必要に応じて適当に時間はやりくりしているが、重いものを抱えているような気分はずっと変わっていない。

そうやって、忙しくしていられるのは、本当は幸せなこと、貴重な恵みなのかもしれない。

そう思いながらも、後味の悪さに根負けして、そのうちに思わず扉を開けて出て行きたい、という気持ちを抑えられなくなるのではないか、という不安を、ずっと抱えている。そういう気持ちは、時間とともに成熟するものらしい。昔よりは生っぽくないというか、自分の中に違和感なく、大きくなってすぐそばに見えている。。

夜中に、なんとなく「ローリング30」を聴いていたら、2曲目にこれがかかって、それが自分のいまの心境とすとん、と結びついてしまった。

話はちょっと飛ぶが、ボブ・ディランがノーベル賞、という話を聞いて、知人がSNSでそれなら吉田拓郎も芥川賞ぐらい取れるだろう、みたいなことを書き込んで、なるほど、と思ってしまった。

さいきんの、というか、もう桑田佳祐よりあとの人たちで、歌と歌詞から何かの情景がありありと浮かんでくる、みたいな人をほとんど知らない(自分の感覚がマヒしているのだろうけど)。吉田拓郎の歌は、ほんとうに短編小説を読んでいるみたいな感覚で聞ける歌が多い。

とか、おもったのだけど、この「爪」の歌詞は、松本隆さんですね。。

 

男性が、別れ話を持ち出そうとしている。

 

女は爪を切っている。

静かな部屋に、ぷつり、という音が聞こえてくる。

電気時計が針を刻む。滑るように秒針が回る。

 

男は肩を丸めて爪を切る女を見ながら、頭に浮かんだことを片っ端から並べている。

深爪したら痛いよ、とか、夜爪は不幸とか、他愛のないことだ。

爪を切るって、普通は人に見せるものではない。前の会社の子は、時折職場の隣の席で爪を切っていた。ぷちぷち音がすると、なんだか妙に親密な相手と一緒にいるような気がしてきたものだ。先日退職した同僚も、トイレで爪を切っていた。出先で爪を切る感覚は、自分にはないな。。

先週は、京浜東北線の中で爪を切っている若い女性に遭遇した。これは別に、親密な相手なんて感じは全然しない。睨みつけてやろうかと思ったが、なにも感じていないようだった。

 

そのまま、何も言わないでいれば、ただの静かな夜が更けていくだけ、なのだろう。

その静けさは、とても儚いものだ。

そこに見えている、夜の背中をちょっと押しただけで、たちまち崩れてしまう。

だからこそ、目の前の風景が、なんの変哲もない部屋の風景が、心に焼き付いてくる。

 

人はなぜ出会い、別れるのだろうか?

出会うことも偶然だが、別れることも、別に子細な理由があるわけではないだろう。

理由はあるかもしれないが、それは、先に別れという事実があり、それを自分なりに解釈しているだけだ。

彼女がぼくを床屋に行かせ、毒気を抜いたこと、清潔好きで床をピカピカにしたこと、そんなことでも、別れの理由になる。

いずれにしても別れは来る。来るものは来るのであり、努力したくらいでは止めることはできない。

 

「ローリング30」には、「外は白い雪の夜」も収録されている。これも男が女に別れ話をする、という歌詞だ。この歌も一時期、病気のようにヘビロテしたことがあったな。。

いま記憶をたどると、今月は毎金曜日、ひとり残業をしているな。。

 

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画像転送サービス

2016年10月18日 | デジタル・インターネット

Eye-fi X2カードの転送サービスが使えなくなって、もう一月くらいになる。

今になってそんなことを記事にするのも気が抜けた話だが、僕が気が付いたのは1週間くらい前のことだ。

我が家では8月にパソコンをリカバリした際に、Eye-Fiのアプリをインストールすることができなくなり、画像自動保存には使えなくなってしまった。Eye-Fiセンターには1週間保存されているので、それを利用していたのだが、サービス終了でそれもできなくなった。

カードそのものは、コンデジのIXY31Sに入れてあった。IXYも以前は毎日持ち歩いていたが、今はスマホがその地位にある。

スマホの画像はEye-Fiアプリを使ってパソコンに転送することができた。さいきんではEye-Fiの役割はこちらのほうが重要になっていた。

Eye-fi亡きあとは、One drive(スマホ画像も自動でアップロードさせている。ただし、タイムラグが大きい)か、必要な画像を都度dropboxにアップして使っている。

Eye-fiサービス終了に伴い、これを救済するためのアプリも出ているようだが、利用はしないかもしれない。もうEye-fiを使うこともあるまい。

サービス終了については、いくつかのブログなどで取り上げられていた。結構使っていた人も多かったようだ。

Eye-Fi画像を、Flickrに転送する設定をしている人がいた。Flickerは一人1テラバイトの容量が与えられている。Eye-Fi+Flicrなら、撮った画像を転送の手間なしに、いつでもどこでも利用できるという、理想の状態が実現できたのだ。

ただし、こうしたサービスは今回のように、業者側の都合であっけなく打ち切られてしまう。カメラメーカーなどが提供している(カメラ組み込みの)wi-fi転送サービスやアプリ、オンラインストレージなども、未来永劫提供されるというわけではない。結局地道にHDDに自分で転送保存するのが確実かな。

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経済セミナー

2016年10月16日 | 社会・経済

土曜日、品川でこちらのセミナーを聴講してきました。午前中から夕方5時までやっている、長いセミナーなのですが、朝は別の用があったため、午後の第二部、第三部を聴講。

なにしろ、竹中平蔵氏、吉崎達彦氏、宮家邦彦氏という、当代一流の論客によるフォーラムですから、面白くないはずはない。

竹中氏は黒田日銀の功罪というテーマで1時間公演されました。マイナス金利については、自然利子率、貯蓄と投資の関係など、オーソドックスな説明。日銀については「専門性が高く、即断即決を求められる為独立性は重要。しかし目標設定については政府の政策と一致を図らねばならない」とし、過去にはいくつもの失敗を繰り返してきた、という批判も。

黒田総裁はこれまでの日銀首脳と違い、目標と時期を明示した点で画期的、金融政策としてやるべきことはしているが、政府側が歩調を合わせて構造改革等を進めることができなかった。消費増税も失敗だった。ただしそれは前政権の負の遺産だ、と。

年内にあるかもしれない、米利上げが、黒田日銀にとって挽回のチャンスになるのでは、として締めくくりました。

第三部では竹中氏をモデレーターに、吉崎氏、宮家氏が持論を展開するという構成。ちょっときちんと要約する自信がないのですが。

  • 米大統領選について、両氏とも酷い戦いだと酷評。勝敗はほぼ見えているが、票差が小さかった場合「トランプ現象」は尾を引くだろう。米国に限らず、保護主義、ナショナリズムの流れは、世界の分断を招きつつある。
  • TPPについて、クリントン氏は本心では賛成であり、1~2年後には実現させるだろう。
  • かつての常識がいまでは通用しない。米ロはともに資源国(米は世界一の産油国)となり、原油価格の下落は必ずしも米景気を刺激しない。米の製造業は活況を呈しているが、雇用を伴わない。日本の貯蓄率はいまや極めて低い。。
  • 米利上げは、年内1回、来年も数回はあるかも。景気後退の可能性について、吉崎氏は現状それほど過熱感がないと楽観視。
  • 欧州。英国のBrexitと同様の流れ、ナショナリズムとポピュリズムは欧州全体に蔓延している。来年にかけて伊仏独蘭で選挙があり、これがどう表れてくるか。さらにこれが中国に広がっていくと?
  • 宮家氏、かつては東西冷戦がナショナリズムを封印し、世界は安定していた。これからは冷戦以前の状態に戻る。冷戦後に出た楽観論、フランシス・フクヤマ氏などを暗に批判。人の本質はそんなに変わらないと。
  • 吉崎氏、グローバル化と民主主義と国家主権は、両立しない(トリレンマ)。→お二人とも、だいぶ悲観的、と言うか・・。「新しい中世」も、天安門もアラブの春も、今は昔。。
  • 竹中氏は今後のCityの地位について関心が強い。吉崎氏は、イギリスは市場主義なので、多少振れがあってもいずれは、と楽観。むしろEUに不安感。
  • 中国。2020年までは6%成長で行けるだろう。問題はその先。国有企業改革はとん挫するだろう。ことによると中所得国の罠に陥る恐れも。
  • 一人当たりGDPは2001年の1000ドルから昨年8000ドルに増えた。ので、消費側は良いのだが、生産側には問題がある。粗鋼生産量8億トンをどうさばくというのか。
  • 習近平は権力を掌握しきれているか。宮家氏は掌握はしていると思う。外交政策のブレは、常務委員ほかの政権中枢に外交への関心がなく、国内ばかり気にしているから。強硬派は軍を握っている。それが問題。
  • 中東。宮家氏、「オスマン帝国はまだ壊れていない」。シリア、イラクはもう壊れてしまった。ヨルダン、レバノン、サウジは大丈夫か?
  • アメリカは中東から手を引くことはない。中東からの撤退は、アジア太平洋地域からの撤退を意味する。その選択肢はないはずだ。
  • 中印の成長ピークは2010年。翌年から石炭、鉄などの一次産品価格が下がり始めた。石油はアラブの春などの影響で高止まったが、14年ごろから下がり始め、今年初めに底を打ったと思う。
  • ロシア。アメリカの横槍が入らない、この時期に訪日のシナリオは予測できた。双方とも、なにか考えがあるはず。結果次第で政局に。
  • 吉崎氏。民主党は下院を取れず、ヒラリー氏はしばらくは慎重運転をするだろう。
  • 宮家氏。中露は米新政権を試すだろう。時期は就任後数か月のあいだ。中国は南シナ海。ロシアはバルト三国か。欧州と中東の状況に注目。
  •  竹中氏。日本はオリンピックのある20年までは勢いを保てる。その先を見る必要がある。構造改革を進めるべき。

というわけで、やはりまとめきれなかったですね。。

帰り道。何人かのひとが写真を撮っていたので見ると、大きな月。

写真に撮ると、小さくなってしまいますが、肉眼ではけっこうインパクトがありました。

今日が満月かと思ったら、これは「14番目の月」だったようです。

 

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いつのまに

2016年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

今日もお客が来たり、ええっ、と思うようなことがわかって、ラインでちょっと盛り上がったりと、いろいろあったのですが・・。

夕方、買い物をしに出たら、久しぶりにきれいな秋空を見た。

今週の時候の挨拶は「いつの間に秋めいて」ですね。雨ばかり多く、気温も梅雨のころのそれと同じような感じだったのが先週の末頃まで。そこから一気に季節が進んだ。

ここのところ、基本的にはちょっとばかり忙しくて、それに良くも悪くも心震えるようなことが続けて起こって、なかなか気が休まらない。

この年になるとそうめったなことでは心折れたりはしないし、嫌だと思っても適当な落としどころに落ち着いたりするものだが、「これでいいんかなあ?」と思うことは結構ある。。

それを掻きだしながら、時が流れていくのを待つ。

掻きだすのが忙しい気もするが、そのうちそれすら懐かしくなってくるのかしら・・。

 

夜中に、ひとり残業しながら、なぜか’80年代前後の歌謡曲を聴き始めた。

ピンク・レディとか、歌詞が面白いですね。なんだってアラブの大富豪とか、しゃれた音楽家に大変装するんだろうかとか、宇宙人とつき合いだすのかしらとか、聞きながら思うのですが、結構飽きないよな。

松田聖子が意外と「古い」感じがするのには、ちょっとびっくりした。いわく「あなたの生き方が好き。あなたについていきたい・・。」

たぶん、ですけど、これは’80年代初頭においても、ネオクラシカルだったのかもしれない。

中森明菜のほうが、安定した「歌謡曲」の良さを伝えてくれていて、完成された美を感じたりする。ただ、歌詞はぜんぜん耳に入ってこないですね。

最後に水谷豊の「熱中時代」のテーマが流れて終わった。あのドラマは前半が先生役で、翌年春から刑事役で水谷豊が活躍するシリーズだった気が。

この方も共演した外国人のかたと結婚したのでしたね。

 

写真の話になかなかなれないが、昼、知人から牛丼がただになるよ、という情報をもらったのが気になって、仕事を終えてからわざわざ吉野家のあるところまで行ってみた。

ソフトバンクのスマホを持っていると、という情報だけで、どうするのか全然わからず、まあお店に入ればなんとななるだろう、と。

ところが、店に行ってもなんの掲示もないし、よくわからない。しかも夜中なのに、順番待ちする客がいるほど混んでいる。

仕方がないから普通に注文して食べた。

なんかメールが来てるらしかったのですが。。

 

という、週末だったのでした。

 

 

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あれこれと

2016年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ふだんは終日机に向かって仕事をし、昼は喫茶店で読書して、という1日の過ごし方をしているが、今日は客人が来たり、昼は近くの会場で催し物をしている友人に会い、午後はセミナーに出たりと、ふだんとちがう一日だった。

  • 様々な分野で特色のある活動をしている中小企業が集う催し。友人の会社も参加していて、それをFBで告知していた。偶々会場が近くだったので、急遽会いに行った。世界中から信頼されている日本の製造業だが、それを維持していくのは大変な努力が必要だとのこと。
  • 午後は健診をお願いしているクリニック主催の記念講演。近年のがん検診、治療体制の動向と、乳がんの第一人者の先生のお話。胃がん、肝がんの治療は長足の進歩を遂げ、早期治療なら完治の割合が高くなっている。逆に、今日でもすい臓がんは発見が難しいのだそう。
  • 乳がんは近年罹患率が上がっているが、進行がゆっくりしているため、早期に見つかれば完治の割合は高い。検査方法も進歩し、健診を受ける人も増えてきた。患者の中には男性もいるそうだが、患者の5%は男性、ときいて驚いた。
    関心が高いのか、例年より女性の受講者が多い気がした。
  • とまあ、のんきに受講をしていたわけだが、職場ではいろいろと対応に追われてアタフタする場面もあったようで。。戻ってきて、会社の子にのんきにはなしかけようとしたら、ぴしゃり、ぴしゃり。。

 

  • 送電設備の火災事故で、一部地域が停電になった由。帰りの電車、動いてはいたが、多少乱れがあったらしく、結構混んでいた。帰宅して、ラジオとか空気清浄機の様子を見ると、どうも我が家も一時停電していたらしい。この季節だから、留守番をしている鳥たちに特に影響はない(ヒーターやエアコンなど)のは良かった。彼らに聞いても、「うん、昼間ていでんしてたよ。」などとは答えてくれないけど。
     

  • 電気といえば・・。先日来、電池の極端な減り方に悩まされていたタブレット(ASUS ZenPad 370C)。なにしろ、寝る前に満充電を確認して充電器を外し、朝見たらもう半分近くに減っているという具合だったのだ。。裏で何かやっているのかもしれないし、電池がヘタっているのかもしれない。
    一応ダメもとで、壁紙をライブのものから普通のものに変え、いくつかのアプリを強制停止し、wi-fiやBluetoothも切っておいた。
    これを見ると、どうやら対策が功を奏したようで、待機中の電池の減りが止まった。前だったら、このグラフが右下がり一直線だったはずだ。

 

  • また最後まで読み返した「ヨコハマ-」の一節より。人は、その生活の思い出を、痕跡として地上に残したまま、去っていこうとしている。たとえ「思い」を形に残せたとしても、それを読み受け止める者がいなくなっては、仕方がないような気もする。が、それでも人は、何かを遺そうという気持ちを抑えられないものなのかもしれない。。     
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ふたり

2016年10月11日 | セキセイインコ

ふたりを迎えてから、もうすぐ2年になる。

仲はよいが、餌の関係などからいまは別のケージに入っている。

アルのほうが積極的にアピールする。ココはアルのことが嫌いではないが、いまはあまり動かない。

アルの体重はかなり安定してきた。40gを切るのは難しいが、そこにとどまっている。季節は涼しくなりつつあるが、やはり二人とも暑いほうが好きで、そのころのほうが食欲も旺盛だ。

ココは、春にお医者さんに診てもらったとき、この子は飛ぶのが苦手じゃないか、と言われた。羽根が上まで上がり切らないのだ。

お医者さんの推測では、どこかの時点で、気づかないうちに骨折していたのかもしれない、とのこと。以前はケージに戻すのに苦労するほど、やたらと飛び回っていたのだ。今は飛ぶのが苦手なようだ。無理させないで、というご指導だったので、そっとしておいている。

ご飯とかはよく食べる。

この写真ではココのぽっちりが取れているが、アルも今は向かって右側のぽっちりがなくなっている。

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70km,12時

2016年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、「東京味わいフェスタ」で、花を買いそびれたというようなことを書いたが、結局、翌日土曜日に近くまで来たので、立ち寄ってシクラメンその他を買うことができた。

この日も、翌日曜日も、午前中は雨、それも一時はかなり強く降る雨で、午後は多少持ち直す、という天候が続いた。。

アユを売ってるのではなく、放流して数の増えつつある多摩川のアユを紹介している由。

花の売り場は女性に人気。

 

日曜日は、家の用で家族を車に乗せて親戚の家に。

ちょうど都心を横切って郊外からまた郊外の街に行くという形になる。

それほどひどい渋滞には遭わなかったが、それなりの距離は走るので、時間がかかった。片道2時間半ぐらいだ。

当初から懸念していたのだが、年配の家族を同乗させる場合、トイレの心配をしなければならない。

今回の場合、首都高と東名を利用したのだが、途中区間にSA等がないのだ。東名は降りるインターよりちょっと先にしかSAがないし、首都高にもない。

高速通行中はいかんともしがたいので、行きは高速を降りてからコンビニに停車。帰りは一部ルートを変更してSAに立ち寄った。

往路は中央環状線を使ったので、延々とトンネル内を走った。これ、完成したころはちょっと話題になっていて、ニュースとかでも取り上げられていた。それはなんとなく覚えていたのだが、運転中はそんなことすっかり忘れていて(利用するのは今回が初めて)、いつまでたってもトンネルが終わらないのでびっくりした。ほんと、こんな道あったっけ?という浦島太郎状態でした。。

郊外から都心の地下道をを経て郊外へ。ちょうど、郊外鉄道の地下鉄乗り入れを思い出す。

JRでも都心経由で関東北部から東海道、横須賀方面まで直通する、かなり長距離の直通列車を走らせている。JRの列車にはトイレがあるが、地下鉄と私鉄の直通の場合、トイレがある車両を使っていないので、ちょっと困ることもあるかもしれない。よく、横浜などに直通して、観光に便利などと宣伝しているが、現実に乗りとおすのはちょっとしんどいんじゃないかな。

道路も然りで・・。まあ、ふだんあまり車に乗らないので、何をいまさらという感想を言っていることになるのかもしれないけど・。

車にナビはついていない。普段は近所で使うだけなので不要なのだが、今回は知らない住宅街を走るので、ちょっとほしい。よく見るサイトで紹介されていたナビアプリ、Yahooカーナビを、今回インストールして使ってみた。けっこう、車載機並みに便利に使えるものですね。。スマホ(Galaxy S6edge)の画面が小さくて、運転中見えにくいとか、ちゃんと固定してなくて落っこちたりとかはしたが、対策を講じればこれで十分かもな。。

位置情報をオンにすると、電池が極端に持たなくなる、という問題もあるが、シガーソケットとスマホとの接続コードを買って車から給電すればいいわけだし。もっとも、かなり発熱するのでスマホの電池への負担が厳しいかな。

1年前に買ったGalaxy S6edgeとタブレットのASUS ZenPad 370Cはどちらも、電池の減りやすさには神経を使う。普段はオフィスで充電できるし出歩かないのでそうは困らないが、それにしてもさいきんへたってきたのか、ちょっと減りが早いよなあ、両方とも。

おまけ。クレーンと東京駅、とくると、やはりリアルヤシオリ作戦か、とつい喜んでしまいますよね。。

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いわかん

2016年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年この時期は東京味わいフェスタというのをやっていて、屋台が並ぶ。屋台で食べることはあまりしないが、以前は行幸のところで花の鉢植えを売っていたので、何年か続けてそれを買ったりしていた。

金曜日の昼には屋台が始まっていたが、夜は少し遅くまで残っていて、オフィスを出るのが遅くなった。そのときはまだいくつかの屋台が営業していたが、銀行に寄って戻る頃には、みんな片づけをはじめていた。花の販売がされていたかどうかもわからない。

それにしても、金曜日はお天気がなんとかもったが、土曜日はまた大雨で、この種のイベントをやるには、今年はたいへんな年になったな。

 

オフィスを出るのが遅くなったのは、仕事もあるが、同僚が金曜日で退職した影響、ということもある。それも、直接本人との仕事がらみ、ということでもない。前日、木曜日には上司と、金曜日は別の同僚と、その退職した同僚やらなにやらを話題に長話をしてしまったのだ。

退職する同僚は典型的な体育会系の男で、また、自己認識と周りの評価にちょっとギャップのある人でもあった。そういうことが特に目立たない組織も多いと思うが、ここは完全な女性社会(それも、だんだんにそうなっていった)であり、本人も周りも随分と違和感を感じる場面が多かったと思う。

よくあることであり、それほど気に留めるようなことでもない。多少高飛車でも、ごまかす癖があっても、世間常識を逸脱していたわけではない。それに、この人と今後仕事をすることも、また会うことも多分ないだろう。気持ちよく挨拶して別れればいいだけの話だ。

ただ、木曜日に上司と話をしたときは、話は別の方に流れていった。あの時彼は何を言ったとか、どういう話に敏感になるか、どんなときに自分とは違う感覚の持ち主だと思ったか、どんな家族自慢、家の自慢をするか、みたいな話が延々と続いてしまった。上司も話したし、僕も話した。ずいぶんと長く話していたと思う。

しかし・・。このときの話は、時間がたつとどうも後味が良くなく思えるようになってきた。落ち着いて考えるまでもなく、欠点のない人間などいない。もし、欠点がなく、どんな人が接しても好感をもたれるような態度の人がいたら、それ自体が大きな欠点といえるはずだ。まず、裏になにかあると考えて間違いないだろう。

どこかの大統領候補(のいっぽう)だって、欠点だらけなように思えるが、却ってそれが親しみを感じさせる、と思う人もいるのだろう。逆に知識や経験、対応にもそつがない別の候補は、それがゆえに「鼻もちならない」などと思う人もいる。

翌日、別の同僚と話をした。本人も色々大変だったのだろう、みたいな事を話したが、話題としてはそう長続きはしなかった。まあ、そういうものかもしれない。

ただし、僕はこのとき、この組織がだんだんと、窮屈なものになっているね、ということも話した。人が少しずつ入れ替わっていき、だんだんと組織がひとつの色に染まってきて、異端(一般にはとてもそうはいえないレベルだが)のひとの影が薄くなってくる。というより、自分たちと少しでも違う色合いの人がいると、それを肴にあれこれいじりまくる。

別に、だれが悪いと言っているわけではない。それどころか、自分自身がそういった流れのなかの一員ですらある。その責めを逃れるつもりはない。

ひとつ思うのは、この風潮はいま目の前にある組織(吹けば飛ぶような小さな組織だが)だけではなく、社会全体がそうなりつつあるのかもしれない、ということだ。

毎週小田嶋氏のコラムを引き合いに出すのはいささか気が引けるが、今週は透析患者を批判したフリーアナウンサーの騒動に触れており、例によってたくさんのコメントが寄せられている(この騒動、僕は知らなかったし、騒動の張本人の方の名前も初めて知った)。今回触れたいのはコラムそのものではなく、寄せられた読者からのコメントのひとつだ。

コメント文をそっくり引用するのはどんなものかと思うので、要旨を書くが、この方は大学の教員で、学生たちを見ていると、将来への不安からか、自分より弱いものを容赦なく排除しようとする傾向が強まっているようだ、という。中流家庭に育ち、成績も中くらいの学生に多い。確実に勝てると思う弱者を貶める。それで安心するかというと、かえって不安が増し、負のスパイラルに陥る。故に現状維持姿勢が強い。根源には未来への悲観がある。。というもの。

この方は、ネットは暴言の嵐だ、とも書いている。暴言が暴言を呼び、やがてそれが普通のことになってしまう。たぶん、インターネットは人々の倫理観も少しずつ変えていくのだろう。

こういうことも考えたりする。 素晴らしい未来は期待薄だが、今が最悪なわけでもない。何かを変えると、むしろ今より悪くなってしまうかもしれないし、自分にも咎が及ぶこともあるだろう。だから、とりあえずほかに理由をつける。みんなが批判できる先として「共有」できる人をスケープゴートにする。

現実はそう単純ではない。僕も上司も、そのときはついそういう話をしてしまったが、もちろん、いつもそんなことを考えているわけではない(とおもう)。曲がりなりにも、現実を少しでも変えようとしているつもりだ。ただ、社会の傾向というのは、現場にいるとみずからそれを意識することは難しい。この現状で、なんとか器用にうまく立ち回っている人たちなどは、とくにそうだろう。

その意味では、僕がなんだか窮屈、と思うのは、現状のメインストリームをいささか外れているから、そう感じた、ということなのかもしれないな。。

 

 

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ミッドナイトプレスクラブ

2016年10月04日 | 昔のラジオ、テレビ

この番組を最初に聞いたのは、中学1年の冬だった。一人で試験勉強しているのが寂しくて、ラジオをつけてみたら、ブルージーな音楽とともに、中年の男がよくわからない英語でべらべらしゃべっている。。深夜の時間は外人向けに放送しているのか、と勘違いして、しばらくはこの番組が始まるとラジオを消していた(放送は平日深夜0時から10分ぐらい)。

外人向け、が勘違いであったことは間もなく分かったが、前後の時間帯が若者向け娯楽番組(「恵美子の長い付き合い」とかね)なのに、この番組だけはかなり異色の硬派な放送内容だった。ほとんど理解できてなかったと思うが、子供というのは意外と敏感に世相をキャッチできるもので、この竹村健一という人は、やや保守的な意見の持ち主だな、ということは、肌で感じていた。

英語を全面的に打ち出すというのも、当時は珍しかった。80年代に入ると、FMを中心にして、英語で放送案内したりDJやったりというのは普通のことになっていくが、この時代に でぃす ぷろぐらむ いず ぷれぜんてっど ばい XX なんてことを言っている番組はほとんどなかったんじゃないかな。英語がファッションになっていくと、だんだんと薄味になってきて、ほとんど日本語みたいな感覚になっているが、この時代の英語は妙に味が濃い。

前後に流れる女性のナレーションも、どこがどうとは言えないが、なぜか70年代の北米企業の秘書が話しているような、時代性を感じる・・昔の日本語アナウンスが、今のそれとはどこか違うように。。 

”みどないと ぷれーすくらぶ ぷれぜんてど ばい おり べてぃ あいほうぷ ゆー えんじょいど りすにんぐつぅあわ ぷろーぐらむ ぐっない” この、オリベッティというところの発音、オリとベティの間にためがはいるあたり、聞いているとなんとも心地よいというか・。西欧の女性特有の、乾いた色気みたいのを感じてしまう。 

あの頃の、ウェスタナイズ、アメリカナイズされたビジネス世界の雰囲気は、もうアメリカ本国でもみることはできないんだろうな。今はより薄味に - 都内のイタリアンレストランが、本国に迫る味とアコモデーションを備えながら、微妙に味の癖を消しているようなやり方で - なっているはずだ。

この番組のテーマ曲を聞くと、そんなこんなの思い出が一度に噴き出して、心が震えてくる。

 

 

 

 

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横浜外人墓地

2016年10月02日 | まち歩き

絵の先生(以前習っていた)の主催するグループ展に行く。先月21日からやっていたが、行こうと思うとひどり雨だったり、ほかの用事が入ったりして、結局最終日の今日になってしまった。

かなり長く続いているグループだが、毎年盛況な様子で何よりだ。全体のレベルは相当上がっていて、昔のような素朴な絵は見られなくなった。

最近僕も、時間をぬって少し書いたりしているので、今回は興味がひとしおだった。いちど参加してみたい気がするが、ちょっと気おくれがする。。

いままで、石川町か元町・中華街駅を降りたら、迎賓館のところからえっちらおっちら山を登って行っていた。今回初めて、駅からアメリカ山公園まで、エレベーターを使って登った(というのだろうか)。もうかれこれ15年近く、ここに来ているが、こんな出口があるなんて、知らなかった。。

考えてみると、僕は横浜の本当に限られたところを、繰り返し訪れているだけなのだ。

アメリカ山公園からも結構坂を上って歩くのだが、その先に横浜外人墓地がある。

今日は、一般公開をしていた。ので、展覧会のあと、ちょっと訪れてみた。

以前にも入ったことがあったと思うが、たしか14,5年前のことだ。

幕末から明治初期にかけて、日本で鉄道建設とか海外文献の紹介などに携わり、日本で骨をうずめた人たちの墓が並んでいる。

斜面に墓碑が並んでいるが、歴史的な人物の墓碑がなければ、まあ普通の霊園という感じではある。

鉄道関係の技師(モレルさん)のばあい、「連日の過労のため、開通直前に死亡」とある。本国で死亡したが、遺言により夫人の墓所のある日本で埋葬された元大使、関東大震災で殉職した学園長など、色々な人間模様がここで苔むしている。

帰りはいつも通り、港の見える丘公園から坂を下りていった。ここにこんなに人が溜まっているのを見るのは初めてだ。。みんなポケGoするためにきているの??

と、訝りながらスマホをひらき、2匹ゲットした僕は、ごくごくライトなプレーヤーなり。。

しかし・・展望台なのに、外の風景を見ないで、みんな画面を見ているとは・・。

まあいいか。それにしても久しぶりに良く晴れた休日だ。また台風が来るみたいだけど。

横浜はいつ来ても楽しい。ここに来ると、普段いろいろあってもすっとそれがリセットされるような気がする。

ここまできてコメダというのもなんだが、なにぶんどこも混んでて。。

午前中は別の用事で忙しくて、昼食を取っていないので。ただ、このフィッシュバーガー、思ったより大きかったですね。。

というわけでした。今回写真は、一般には評価が芳しくないM.Zuiko 17mm F2.8(ボディはE-P3)で撮影(展望台の遠景をのぞく)。個人的には、周辺に主題が行かないようにすれば画質は「可」だと思っています。折角持ってるのに、使わないのはもったいない。。

 

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