うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

父でもなく城山三郎でもなく

2018年09月30日 | 本と雑誌

経済小説の分野で活躍し、2007年に亡くなった城山三郎氏の長女である筆者が、家庭における城山氏や、城山氏より7年早く先立たれた母についてづづった随筆集。

城山氏の作品は学生時代を中心に読んだが、一途で不器用な感じの主人公と、それを支える男気溢れる友人といった構成の作品が多く、よく感情移入しながら読んだものだ。松下幸之助、本田宗一郎、あるいは平岩外四氏など、当時一流の財界人との交流を通じたエッセイもとても面白かった。社会の動きを見るとき、どこかで城山氏の視点を基準として観ようとするのが自分の癖となっていた。自分が社会人となり、世の中の様子が少しわかるころになると、氏のエッセイは社会をリタイアしたものとしての視点に変わっていくが、それでも心のどこかでは氏の意見を求めていた。亡くなられたときは、もう城山氏の意見を聞くことができなくなったのかと、とても寂しい気がしたものだ。

経済界や戦場を舞台とした小説が多かったため、氏の作品の読者は男性が中心だった。その最期のころに、愛妻への思いをつづった作品(「そうか、もうきみはいないのか」。この刊行にも井上紀子氏がかかわったらしい)が出たことにより、女性読者も獲得するようになったという。

経済学の講師から小説家に転身した城山氏の家庭生活は、普段静かでマイペースな城山氏と、陽気で活動的な夫人、それを受け継いだ長男、そして自称少し変わり者として育った井上紀子氏という構成。学生の頃盛んに一家で海外旅行に出たというところから、当時としては開明的な一家であったようだ。とはいえ、自分たちを含む同時代の家庭に共通する空気が感じられ、とても懐かしく思える。。

本書の文章自体は、そういってはなんだがあの時お父さんとこんなことがあって、とか、駅前でお母さんと別れたときの姿が・・という記述がひたすら続いていて、もしこれが城山氏の家庭でないのなら、こうして世間に出ることはなかったかもしれない。たとえば自分でもここで書こうと思えば書けるかもしれないけど・・。家族との兼ね合い、読む人と自分との兼ね合いとか、色々考えるとちょっとね。。逆に言うと、本書の刊行というのは、一見簡単そうに見えてとても貴重なものといえるのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Old Fashioned

2018年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

あ、水銀柱が曲がってる。。

今日も家の用事で各種精算や手続き、家族と買い物などで明け暮れる。少し作業が進むと、また別の手続きが必要なことに気がついて、やるべきことが減らないという、その、なんというか・・。

少し疲れたので帰りに本屋に寄って、久しぶりに鉄道模型の本でも買おうかと棚を探してみる。パラパラめくってみるが、なんとなく面倒くさくなってもとに戻してしまった。

さいきんは女子高生たち(だけじゃないけど)が学校対抗でいわゆるジオラマ(モジュールレイアウト)のアイデアや技術を競うなんて言うコンテストがあるらしいが、この分野もここ20年ぐらいで技術、コンセプトともに非常に進化している。街のジオラマ=3Dの風景画と考えれば、何も鉄道ファンならずとも興味を惹かれる人は多いはずだし、そもそも女子鉄も珍しくなくなっている昨今。

うちにも写真のようなものは一応あるのだが、全体のレベルは30年以上前のもので、ただぼんやり電車が走っているのを眺めていると癒される、程度のコンセプトでしかない。まあ例えば、昔の漫画は色々矛盾するところがあっても大して気にならなかったけど、今は人物設定や背景まで相当作りこんでいるのがふつう、というのと似ているかもしれない。

ただまあ、一おじさんとしては、幼少のころ模型店で見てカッコイイ、と思っていたものが一番良いのであって、あまりにスーパーリアルなものはちょっと敬遠したくなる、のが正直なところなのだ。それに、昔の素朴な模型のほうが、むしろセンスの良しあしが厳しく問われるところがある。ブリキのおもちゃを愛好する人は、精密さを求めているわけではなく、モノとしての質感やたたずまいの良さを愛でているのだ。まあその点でもうちのは。。

話は飛ぶが、ついでにカメラ雑誌も眺めてみる。家のことで忙殺されていたころ、ネットが騒がしくなっているをなんとなく目の隅で見ていたが、大手メーカーのフルサイズ・ミラーレスというやつ。自分の頭の中を探してみて、これっぽちも興味を持っていないことに自分自身が驚く。

雑誌を買うのは1月に、カレンダーが欲しくて買うだけだけど、パラパラと眺めていて、どうやら今年マスコミ(≒メーカー)は?マニアにミラーレスを主流と思わせたいのかな、と感じとってはいた。去年はまだそこまではいっていなくて、だからこそpentax KPを、特に気負いなく(というか一眼レフであることを意識せず)買うことができた(ので、去年買っておいたのは正解だったと思う。まあどうでもいいのだが)。

うちは8年前からMFTでしたが、一眼レフに戻して気がついたのは、例えば運転していて、信号で止まったときなどに、助手席にあるカメラを取り出してファインダーを覗いて・・というのはちょっと抵抗を感じる。。動いているときは当然厳禁ですが、停車中でも周りの様子は常に見ておきたい。Lumix G6ならアイセンサーonで、電源入れて手をかざせば自動的にモニター表示になる。KPにもLVモードはあるが、普段使わないし自動で切り替わりもしない。それに、小さいとはいえKPとG6を比べたら、それはKPのほうが大きくて重い。まあ慣れましたけど。。

とにかく、やっぱりファインダーの良さは捨てがたい。のだが、メーカーとしては機構が複雑で重くもなるし、コストもかかるから外したいのでしょうね。あと5年もすれば。。

うちはもうしばらく、KPとQシリーズとペン3、G3の組み合わせで十分。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Car wash

2018年09月23日 | 鉄道、車、のりもの

昨日に続き備忘記録。機械式の300円の洗車は病院を行き来する騒ぎの中でも定期的にしていたが、室内の清掃とか、ワックスがけなどは暫くしていなかった。

もっとも、8月上旬には少し丁寧な手洗い洗車をお願いしているし、7月中旬にもワックスがけをしているので、手入れとしてはまあまあしているほうかもしれない。

要するに、このひと月緊迫した気持ちで運転する日々をずっと過ごしていたので、少し気分一新を図りたいのだ。幸い今日は適度に晴れた、この季節らしい気候で野外が気持ちいい。

遠目には結構きれいに見える車だが、近くで見ると染みや細かい傷がたくさんある。15年の歳月はちゃんと刻まれているのだ。特に屋根の一部はつやが失せ、表面がざらざらしているところが何か所かある。ただ手入れをするだけではきれいにならない。

悲しいような気もするが、こんな受け止め方も考えられる。新しい車、買ってから数年でスクラップにされてしまう車には、この車のような年輪が刻まれていないか、刻まれる前に失われてしまう。年式の新しい車を、手入れもしないで雑な使い方をしても、この車と同じようにはならない。使ってきた人たちが15年にわたり、少しずつ年輪を刻んでいくことこそが大事なのだ。

人間だって、そうですよね。。。

せっかくきれいにしたのでその辺を走ってみる。親を隣に乗せて、あるいは自分が隣に乗って、色々話ながら移動したことを思い出したりしながら、ちょっとしんみりしたり、とかなんとかしてます。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エンジンオイル、パワステ

2018年09月22日 | 鉄道、車、のりもの

備忘録として。

前回オイル交換をしたのは2月だ。7月下旬に12か月点検をしたが、そのときはまだそれほど距離を走っていなかったので、オイル交換はしていない。

前回の44,000キロから約5,000キロ走った(46,850キロぐらい)ということで、お願いすることにした。

作業は前回と同じオートバックスにしたが、オイルフィルターの交換を頼んだら該当するパーツの在庫がない。これから作業をするというのに、注文しますか?と聞いてくる。今注文したって、交換はオイルと同時なのだから使うのは半年ぐらい先だ。または今日は交換をあきらめて、パーツの到着を待ってオイルと同時交換か。その方が正答だとは思ったが、面倒なのでフィルターは次回交換することにした。

車が古いとこんなことで悩まされる。

もう一つ手を入れたのはパワーステアリングオイルだ。この車のPSは電動ではなく、昔からの油圧式だ。今年の冬頃から、始動してすぐにハンドルを切ると、フロントからごごご、という振動を感じることがあった。少し経つと音がなくなるのだが、ここへきてそれがひどくなってきた。特にここしばらくは夜中に病院と自宅を往復することもあり、そんなときにフロントの鳴きが気になりながらも、何の対策も取れずにいた。

ネットで調べると、パワステのオイルが少ないか、劣化しているとこんな症状が出るらしい。ネットではオイルの全交換を勧めていたが、とりあえず自分で補充することにした。

ホームセンターに行くと、いくつか製品が並んでいる。ただ、裏の説明書きを見ると、「ホンダ車や欧州車には使えません」と書いてあるものが多い。ホンダ車と輸入車はなにかが違うのだろうか。写真の製品は唯一そういう記載が無く、あらゆるPSに適用可能と書いてあったもの。

もっとも、あとで調べると輸入車(の一部)は使えないとある製品でも、問題なく輸入車で使えている人はいるようだ。ホンダ車のことはわからない。。あちらももう20年ぐらい前から、電動PSばかりだとは思いますが。

家に帰って、リザーバタンクのレベルゲージ見たがカラカラだ。とりあえず補充して様子見ることにした。減るものではないので、どこか漏っているのかもしれません。12か月点検のときは何も言われませんでしたが。。

夜、しばらくその辺を試走してみたが、音もなくなり滑らかにステアできるようになったようだ。しばらく様子を見ます。


そうだ、12か月点検のとき、ATセレクターの動きが渋いことと、左側ドアミラーが時々途中で止まることを聞いたが、解決しなかった件、その後呉5-56に替えてシリコンスプレーというのを使ってみたら、今のところ調子良好です。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福が遠すぎたら

2018年09月20日 | 本と雑誌

寺山修二詩集 ハルキ文庫より

さよならだけが

人生ならば

 また来る春は何だろう

 はるかなはるかな地の果てに

 咲いてる野の百合何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

 めぐりあう日は何だろう

 やさしいやさしい夕焼けと

 ふたりの愛は何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

 建てたわが家は何だろう

 さみしいさみしい平原に

 ともす灯りは何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

人生なんか いりません

 


市役所等で書類手続きをするため、再びお休みをいただいています。

昨夜も別の親戚のお通夜に出たりして、色々慌ただしい。。今朝は少々風邪気味のようで、なんとなくこんなことしてさぼっちょります。。

ちなみに表題の「幸福が遠すぎたら」は寺山氏の詩のタイトルですが、僕が幸福が遠いとおもっているわけではありません。。まあ、詩の内容をみればわかりますね。。

さて、しごとしないとな・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご挨拶

2018年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

皆さま、しばらくのご無沙汰でした。

9月5日に父が亡くなり、今週はじめ、滞りなく式を終えました。木曜日から職場に復帰しております。

身内の兼ね合いもありますので、あまり詳細に触れることはここではしませんが、、この辺は難しいところですね。

娑婆に戻ると、なんというか世間の濁りみたいなものがまた新鮮に感じられて。。当然ですがこの3週間も、世間はそれ以前と全く同じように動いているわけで、ただ自分のなかでいろんなことを棚上げしていたということに、改めて気づかされたりします。

まあ、残されたものの責務として、またその沼の中に身体を突っ込んでいかなければなりません。

その一方で、家の様々な残務処理はまだ端緒についたばかりです。この辺りが大変なことは、おなじ経験をされた皆様おっしゃる通りなのでしょう。立ち止まって嘆いている暇はないようです。

ここでは少しずつまた、身近などうでもいいことを書いていくことになると思います。。

というわけで。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

VHS

2018年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

30年以上前の家族のビデオムービーがテープで残されていたのを見つけ、DVDにしてみた。

最初はふつうにキタムラなどに行って、ディスク作成をお願いしようと考えていた。ただ、家にも古いテープデッキがあるので、使えるかどうかわからないが試してみた。

何度かクリーニングテープで調整したが、再生は可能だった。レコーダーで録画してDVDを作成。

このデッキ、昨年の転居前にも少し動かしたが、まだ動作してくれている。もしダメになったら、最初考えたように写真屋等に委託するか、オークションなどでデッキを調達するしかない。テープデッキの生産は数年前に終了しているらしい。8ミリビデオなどもそうだが、思い出のムービーが再生できないというのは深刻な問題ではないかと思う。。

転居のときにかなり捨ててしまったが、それでもいくつかは残しておいた。すごく久しぶりにBSマンガ夜話とかを再生してみた。よく見ていたのは2005年ごろぐらいまでだったかな。うちがHDDレコーダーを入れたのは2007年なので、夜話の録画は全部テープ。

懐かしいな。ひと時、あの頃に帰った気分に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常

2018年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

先週の更新の後、家の事情が生じまして、それから記事を書くことができませんでした。

少しだけ落ち着きましたので、雨の朝、こうしてPCに向かっています。

 

色々な人と会ったりして毎日「非日常」という感じです。が、当然それと並行して買い物をしたり、まあ洗濯したりごみ出したりと、ふつうのせいかつもしております。

スーパーの食品売り場って、前にも感じたことあるけど、ある種究極の「日常」ですね。毎日の食卓をにぎわす野菜や肉、お惣菜。ふだん食べなれた、ふつうにおいしい食べ物たち。冒険心あふれるスペクタクルな音楽とか、哀愁漂う演歌なんてのは流れていなくて、長閑でかわいい感じのBGM。館内のご案内放送もそんな感じ。

帰りにスーパーに寄ると、仕事で厳しい現実に晒され、疲れた体がすっと溶けていくような癒しを感じることもありました。

郊外の街はどこをみてもそんな日常にあふれています。

それが退屈に思えるときもありますが、心癒されることもある、ですね。。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする