うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

また会える夢

2018年06月25日 | うんちく・小ネタ

先週の半ばごろから風邪気味だ。風邪の症状そのものはあまり出ないのだが、疲れやすく、家に帰るとばたんと横になってしまう。しばらく休んで目が覚めると、思ったよりすっきりしてまた活動できるようになる。ただし長続きしない。。折しも仕事がやや忙しく、結局週末まで引きずってしまった。

症状が悪くならないので、かえって始末が悪い。週末も、普通に目が覚めるので、元気なつもりで外出したが、夕方帰宅したらすっかりくたびれてしまっていた。

横になって少し眠り、目が覚めたら買い物に行って食事をして、また寝て・・ということを繰り返した。

 


 

折しもWカップの試合があるという日。

日中出かけた先で昼食をとったところが、パブのようなところで、夜はサポーターの人たちが集まって一緒にテレビを見るようなしつらえになっていた。

 

夢を見る。

昼間のパブの様な場所に僕がいる。目の前に5,6人の人がいて(比較的若い女性が二人ぐらいと、男性数人)、知らない人たちなのだが、愛想よく話しかけてくれる。何か話をするのだが、話そのものは覚えていない。サッカーに詳しくないので、現実なら退屈させてしまいそうだが、皆さん友好的だ。

夜中に何度か目が覚めて、テレビを見ると前半が終わったところだったり、引き分けに終わってインタビューの時間だったり。。

また布団に戻って、まもなく眠る。結局、実際の試合はほとんど見ないでこんこんと眠り続けていた。

そうすると、夢ではまたさっきのシーンに戻って、同じ人たちが目の前にいる。2~3回目が覚めては眠ったけど、何度寝直しても同じ場所に戻って同じ人と話をしていた。。

こんな夢、初めて。だいたい、あの人たち知らないんだけど、だれなんだろう・。

 

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ドライビング Miss デイジー

2018年06月23日 | 映画

皆様よくご存じの、心温まる映画。公開は1989年というから、もう30年近く前の映画なんですね。。僕が見たのは1995年のこと。確か10年ほど前にケーブルの映画チャンネルでやっていたのを録画してあり、これを見返しています。

95年に見たとき、10年前に見たときよりも、今見た方がよほど心に来るし、正直きついとすら感じられることもありますね。。

ここではその辺のことは軽く流して、少し別の切り口から。ネタバレというほどのことはないですが、その辺はお覚悟を。

ジェシカ・タンディ(デイジー・ワサン役)の演技がとてもいいです。お墓参りのとき、文字が読めないことを知ったホークにふと昔の先生時代の教え方が蘇るシーンとか、旅行のとき州外に出るのは初めてだ、とホークから聞いた時の表情、お兄さんにあった時の晴れやかな様子など。もちろん、最初にホークが来たときの、つんとした態度も良い。

ただいちばん素敵なのはラスト近くの、少し弱ってきたころの姿かな。

 

「ダウントンアビー」のヴァイオレット様もそうですが、向こうの女優の方は年を重ねた姿が本当に魅力的。

日本の女優さんはどうなのだろうと考えると、あまり詳しくないのでコメントできる立場ではないけど、時折ドラマを見ていると、母娘のシーンでどちらが親かわからないことが多いのはどうもなあ、と思うことはあるな。

車も重要な役割を果たしていますが、今回見返してみて、1953年式キャディラックが一番興味深かった。ハドソンもいいけど、キャディラックの重厚さはショーファードリブンに相応しい。1/1はむりなので、せめてミニカーでも欲しくなるが、ミニカーでもいいやつはそれなりのお値段のらしく、手を出しにくい。。

後半出てくる1965年式ド・ヴィルは、おそらく前半と対照的にモダナイズされた姿を強調したかったのかもしれない。ドアがサッシュレスで、一昔前のクラウンマジェスタを連想しますね。。

それでまた意地悪なことを言うようだけど、日本でこういう、車に役者性を持たせるような映画を作ることができるかと考えてみると。。ただ古い車を集めるだけならできるかもしれないけど、その車のもつ意味合いとか、好んで乗った人の性格等を踏まえた映画作りを考えたりすると、監督は相当苦労しそうな気がします。。昔の車、例えばブルーバードでも、初期の310,410、510あたりは結構残っているのですが、80年代のFF車などはいま探してもほとんどないんじゃないかと思います。

日本で車が生活の中に溶け込むようになったのは1970年代ぐらい~かもしれませんが、例えば田舎住まいでOLやってるお姉さんが乗ってる車が赤いカローラⅡの女性仕様、免許取ったばかりの弟は中古で330セドリックを買ったはいいが維持が辛すぎてスバルレックスになっちゃったとか、そういう映画を、さりげなく作れたらそれはすごいことでしょうね。映画界のことはくわしくないので、もうあるのかもしれませんが。。

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スマホ立ち

2018年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

もう何年か前のことだけど、50を過ぎて再び大学で勉強するようになった仕事上の先輩が「久しぶりに朝の通勤(通学)電車に乗ったら、新聞を読んでいる人がほとんどいなくて、みんなスマホとかをいじっているのに驚いた」と言っていた。

自分でもよく見ているし、駅の通路や階段で立ち止まったり、人にぶつかりそうになりながら歩く人よりは問題はない。というか、読むものが紙の本や新聞からスマホに変わっただけで、そういう意味では昔から変わらない風景ではある。

などといいながら、一度意識し始めるととても気になって仕方なくなることがある。

あれが気になるのは本質的には、(スマホをいじっている人は)周りにいる自分に対してなんの意識も配慮もしていない、と思えるからだと思う。混んだ車内で、お互いに体が触れる状態でも(それが本能的には不自然な状態であることを)共有できていれば、なんとか我慢できる。なにも言わなくても、普通の表情をしていても、そういうことはわかるものだ。

スマホをいじる、あるいは古典的?にはイヤホンで何かを聞くというのは、そうした不自然な状況から意識をそらしたい表れなのだろう。もちろんそれはわかるが、程度問題ということもある。

混んだ車内でドアの袖のところに立っていたら、すぐわきに背の高い若い人が来て、スマホをいじり始めた。かなり混んでいたので、別に気にしなかったが、そのうちだんだんと車内が空いてきて、立っている人はほとんどいなくなった。のに、この人は依然として自分のすぐわきに立ったまま、熱心にスマホをいじっている。。本人に悪気はないかもしれないが、なんだこいつは、という気がしてしまう。。

別の日、左わきに立っていた女性が、立ち眩みなのか急にしゃがみこんだ。混んでいるし、こちらが何かできる状況でもなかったが、とりあえずその人のほうを向いて多少場所を開けた。周りを見ると、同じくらいの年配の女性が数人、この人には目もくれずにひたすらスマホをいじっている。しゃがんでしまった人はそれほど重篤というわけでもなさそうだし、この人たちにもなにができるというわけではない。電車はあと数分で終点の駅に着く。のだけど、どうもなんだかなあ、とつい思ってしまう。。

でもまあ、自分も気がつかないところで迷惑かけているのかもしれないし。。

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ラフモノクローム

2018年06月20日 | E-P3

タイトルをラフモノクローム(笑)にしようと思ったが、そもそも時代遅れのカメラの、マニア筋ではすっかり消費されたエフェクト機能を、季節外れの寒いギャグで紹介してなんになるんだ、と思いなおし、やめた(わら)。

ただあれですね、こういうモノクロみたいな普遍性のある表現は、あまり一過性の遊び機能としてではなく、各社でモードダイヤルに明記するなどして、定着を図っていくといいと思ったりしますけど。それでもまあ、ラフモノクロームという名称自体は、ある程度定着はしているようです。

まあ写真そのものはうさ写真なので。。

たしかに季節的にモノクロが似合う時期なので、その点でもベタな感じではあります。。

 

 

 

というわけで。

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既存不適格

2018年06月18日 | 社会・経済

大阪のほうで大きな地震が起きたということで、夜のニュースはその話題で持ちきりだった。亡くなられた方、怪我をされたり、あるいは移動中に困難に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。

とりわけ、崩れてきた塀に巻き込まれて亡くなられた方が何名かおられるということで、大変痛ましく思う。ニュースでも、こうした事故は地震のたびに繰り返されるので、対策を取るべきだと解説していた。

この件に関しては他人事とすることはできない。7年前の3.11のとき、我が家(旧宅)でも、ブロック塀の上にあった大谷石が落ちていたからだ。

ブロック塀は袋小路となっている私道に面して作られ、直角に奥に向かっていく塀と連結されており、太い門柱ともつながっていた。ただ、塀の最上段に飾りのつもりなのか、門柱と同じ大谷石がセメントで取り付けられていた。大谷石というのは表面が割とやわらかくて、ボロボロはがれる傾向がある。上の写真でも門柱が、近所の車にこすられて白い表面が出ているが、門柱の様に表面積が大きいものはともかく、ブロック塀のような細い接着面では、剥がれる恐れはありうる。経年もあっただろうけど(この10年ほど前には、ここにフックをつけてプランターをひっかけていた)、機会があれば取り除いておいた方が良かったのかもしれない。塀の高さは1.5mほどだが、小さな子供が脇にいたら、けがをさせる恐れは十分にありえた。

築年は昭和47年2月で、耐震性に対する基準を引き上げた新建築基準法施行前の建築、いわゆる既存不適格の建築に相当した。

ずっと前に書いたかもしれないが、この家は昔ながらの日本家屋ではなく、一時期流行した今風(当時なりの)の作りで、柱などは細く華奢な作りだったと思う。

ただし、古い日本家屋と違うのは、部屋をふすまで仕切るのではなく、壁としていたことだ。昔の家は、ふすまを外すと広い間続きの部屋になったものだが、この家は核家族むけというか、個々の部屋が独立している。各階に二部屋(バス、キッチン、廊下等をのぞく)あったので、ちょうど真ん中に壁の仕切りがある形だった。これが地震のときは有利に働いたようだ。建物は中央の仕切りを中心にして、ねじれるように揺れた。仕切りの付近に置かれた本棚等は比較的倒れにくかった。部屋の四隅ほどよく揺れるので、その付近のものはよく倒れたり落ちたりしていた。ふすまで仕切られた家は、応力を壁ではなく柱だけで受けるので、その分不利なこともあろう。

とはいえ、家の四隅に揺れの力が回れば、そこが壊れることになる。

上の写真は地震後に撮影した、建物の四隅の一角で、モルタルが剥がれて柱が露出している。

玄関わきのタイルの飾り。反対側の壁も割れていた。

地震保険の査定員がこれらを見て、建物半壊という認定を下した。お客さんがどうするかは自由だが、といって、保険金の手続きをしてくれたが、たしか10万円くらい支給されたと思う。

旧宅は遠目には丈夫だがあちこちに痛みが目立ち、地震のときもほんとうによく揺れた。各地で大きな地震が起きるたび、今度首都圏で大きな地震が起きたら、間違いなく全壊してしまうだろう、そうしたらご近所に迷惑かけるよな、と思い、気が気ではなかった。かといって、一度改修に手を出したら、それこそ全部立て直すくらいの覚悟が必要だろう、どうしたものか、と悩んでもいた。

家を処分して解体したのは、かなり急なことだったが、今でも関係者の方と話すとき、やっぱりあのとき解体して正解だった、という話になる。家に対するセンチメンタルな感情もないではないが、現実的な結論としては、うなづかざるを得ない。

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ねじまき鳥とペン デジタル

2018年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の魅力のひとつは、主人公とその周辺のきわめて緻密な描写だ。

主人公僕(岡田亨)は、春に法律事務所を辞め、終日家にいながら妻の帰りを待つ。主夫として買い物に行ったり、夕食の支度をするが、今まで気がつかなかった妻の食事の好みや、例えば青いティッシュペーパー(さいきんは見ないけど)が嫌いなことなどに初めて気がつき、人はほかの人のことをどの程度まで理解しうるのか、考え込んだりする。

妻に言われて、1週間ほど前から戻らなくなっていた猫を探すために、家の裏側にある路地を歩く。人の通らない路地からは、家々の生活の様子がありありと浮かんでくる。打ち捨てられた犬小屋や、子供の遊び用具、窓越しに見えるリビングルームなど。。夜中に路地を通れば、シャワーの音やテレビの音が聞こえてきたり、何かを揚げる匂いが漂ってきたりする。都会というか、戸建ての家が並ぶ住宅密集地というのは、たしかにこんな風景が広がっているものだ。

主人公もたぶん仕事をしていたころは、家の近くの様子など、心に留めることもなかったのだろう。路地も、歩くのはこれが初めてだ、と言っている。

仕事を辞めて家にいるようになると、そんなこまごまとしたことが目に入るようになってくるのだ。それは、僕もじっさいに経験している。

旧宅の裏側にも、路地ではないが塀で仕切られた境界があり、猫やほかの動物の通り道となっていた。今頃はちょうど、春に生まれた子猫たちが庭まで出てきて遊び始める。奥のほうでは母猫が待っている。

裏側の窓を開けると、その先に見えるのはやはり他の家の裏窓で、軒に洗濯物が干してあったり、出窓らしきところになぜか大きなボウリングのピンが置いてあったり、電話の音や、意味の聞き取れない話声、子供の泣き声、犬の声などが聞こえてくる。

土日などの休日に家にいるときとは、どこか空気が違う。もっと静かで、非妥協的といったらいいのか。。この感覚は、実際に体験した人にしか伝わらないかもしれない。

仕事のない日々、稼ぎはなくても、娑婆っ気は抜けないというか、毎日なんとなくITニュースとか、そういうのを眺めながら、この新製品はいいとか、こっちはどうだとか考えたりしていた。まだそのくらいの健全さ?みたいなのはあった。思い詰めても食事はけっこうのどを通っちゃう性格なのである。その辺図太いというか、自分でもあきれたりしているが。そのうち、本当に駄目になってくると、さすがに遊ぶ気がしなくなってくるが、それはまだもっと時間がたってからの話だ。

これもわからない人には通用しない感覚だが、それどころじゃない時に、物欲に駆り立てられるのは非常に背徳的な感覚(無駄遣い、意志薄弱、オタクっぽい)を伴う。だから余計悩む。悩みはするが、モルヒネ的に強力な(心の)鎮痛効果があることも事実だ。それはともかく。。

 

オリンパス初のミラーレスカメラ、E-P1が出たのはそんな時だった。

パナソニックと共同で開発したフォーサーズから発展して、今日ミラーレスといわれる初の規格、マイクロフォーサーズが発表されたのが前年のこと。パナソニックからはその年の秋にDMC-G1が、女流一眼の名のもとに発売されていた。オリンパスも同様の規格の製品を出すと発表していたが、発表は翌夏のボーナス時期になった。ネットで調べると、ちょうど今日、16日に発表されたようだ。

前年に、気に入っていたフィルムコンパクト、Conax T3を手放し、IXY Digitalを使っていた。IXYは比較的優秀だが(カメラ雑誌で詳細にレビューがされたこともあった)実用には良くても趣味性には物足りないところがある。T3は35mm, F2.8のレンズを備える。E-P1も17mm (換算34mm) F2.8のレンズキットがあるのでこれに近く、そこから興味がわいてきた。ちなみにこの時点で発表されたレンズはこの17mm F2.8(パンケーキと呼ばれた)と、14-42mm F3.5-5.6 の2本だけ。価格はパンケーキとのセットが約11万円、ズームレンズのセットが10万円、ほかにツインレンズキットもあった。

10万円というのはちょっとした値段だが、当時はまだデジタルカメラもそれほど値崩れしておらず、普及型の一眼レフで7万円ぐらいだったと思う。ので、新ジャンルの製品としては、それほど極端に高いものではなかった。

とはいえ、収入のない身には大金だ。前年に買ったパソコンで蓄えたポイントとか、商品券を使っても買うのは無理だ。

ただ、逆に言えばポイントと商品券プラスアルファでなら、何かほかのカメラが買えるかもしれない。

Penはいずれ仕事が決まってから考えることにして、手の届く高級コンパクト系を探し始めた。今でも多くの製品が覇を競うこの分野は、当時もCanon G10, ニコンP6000、リコーGR2またはGX200などが店頭に並んでいた。とりわけ興味を持ったのは、Panasonic LX3だった。マニア市場では地味なモデルだが、マルチアスペクト、当時は珍しかった24mm相当からのズーム、更にワイコンが使える点などが魅力的だった。E-P1を含め、これらの製品のネット上での評判を深夜までつぶさに眺めて、浮世のことをしばし忘れたり?していた。

このとき最終的に買うことにしたのは、リコーのGX200という機種だ。

真っ黒でよくわからないが、1年ちょっとしか家にいなかったこのカメラ、こんな写真しか残っていない。VF Kitすなわち外付けの液晶ファインダー(別売もされていた)が同梱されたモデルだ。これも24mmからの3倍ズームで、LX3よりはマニア筋からの評判が特に良かった。僕はどちらかというと天邪鬼なので、マニア受けするモデルよりはLX3のほうが良かったが、いかんせん店頭に在庫がない。リコーも少なかったが、最初考えていたVFなしのモデルではなく、VFつきをどうにか押さえることができた。

手に入ればうれしいもので、いつも連れ出していた。VFをつけると嵩張るのだが、これが入るようなポーチというかソフトケースを見つけて、つけっぱなしで収納していた。

今見返してみると、繊細でたしかに優れた描写だと思うが、反面ノイズが目立つ場面や、動き回る子供などの撮影は苦手で、オールマイティとは言いかねた。結局1年後には、E-PL1(E-P1が欲しかったのだがまたしても品薄な時期に直面し、最新の廉価版を買った)の下取りとして手放した。

E-PL1はE-P1をカジュアルにしたデザインで、機能や操作系が簡略化されていたが、性能は後発な分E-P1より多少良かったようだ。シャッターやボタンの質感などが猛烈に安っぽくて閉口したが、不思議なもので使っていて楽しかった。この時点ではマイクロフォーサーズ(以下MFT)を主力にするつもりはなくて、レンズも増やさないつもりだったが、結局こればかり使うことになる。ニコンは重く、後発の軽量なボディは既存のレンズ使用に制限が出る。MFTはまだちょっと(電車など動体撮影とか)不安な面もあったが、Lumix G3を買うころには実務上問題なくなっていた。

ただ、最初のペン デジタルへの思いは断ちがたく、新型が出た後に、E-P1のデザインを受け継いだE-P3を入手した。

この後さらに、鉄道撮影用にLumix G6も買ったので、一時期MFTのボディを4台も持っていた。そのころにはE-PL1はほぼ使っていなかったけど。

E-P3はGX200と少し似ていて、使うシーンを選ぶ。出かけるとき、意識して持っていくこともあったが、今ではPentax KPのほうが便利だし、これだけでたいていの用は足りる。

しかし、このボディには(本当はE-P1だけど)思い入れが強く、手放す気にはなれない。今でもあの頃のこと、宮崎あおいさんを使った宣伝とか、雑誌の特集などを見ると、どこか心ときめくものを感じる。そういえば、あの頃手こずったGX200も、今思うと懐かしく感じられて、中古で手元に置いてみたい気も湧き上がってくる。

現行のPEN-Fが出たときもちょっと惹かれたし、昨年買ったpentax KPもいい感じ(KPにはフィルム時代のPentax MZ3の面影を感じた-これも強く惹かれたモデル)だと思ったが、ペン デジタルが出たときの印象には及ばない。それは製品そのものの魅力や市場へのインパクトもさることながら、自分がそういう「モノ」に思い入れることができる環境に(良くも悪くも)あったことの影響が強い。

もしかしたら、これからはもうあの頃のように、なにかに夢中になることはできないのかもしれない。たとえどんなに素敵な、世間を驚かす何かが登場しても、自分と関連付けることができなければ、悩んだりすることもない。高級乗用車、豪華マンション(というより、今や郊外の手ごろな家なんかもそう)などはもうこの人生とは関係ない。できる男の仕事術とか、世紀の大恋愛とかも無縁だ。まあ、人生が180度変わってしまうようなことが、このさき全く起きないとは限らないかもしれないが、そんなことはその時に考えればいい。

というか、あの頃の濃密な思いというのは、ある種背徳的な物欲への思いを通じて、いずれ「社会復帰」したときの健全な幻影?を思い描いていたといえるのかもしれない。そういう、曲がりなりにも前向きな思いを、これからも抱き続けられるかというと。。

 


冒頭のねじまき鳥に話をちょっと戻すと、笠原メイさんは先月、50歳の誕生日を迎えているはずですね。あれからどうしているのか。。どこかで美容院でも経営して、忙しく働いているのかもしれません。ねじまき鳥さんが住んでいた街も変わって、小田急線は地下にもぐってるのかもしれないし、クリーニング屋も工場取次ぎになっているのでしょうね。

時代は流れていくものです。

 

 

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小学生時代の友達と会いますか?

2018年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

gooの「お題」というものに初めて参加します。

僕は中学から私立校に通うようになり、社会人になってから転居もしたので、小学校時代の仲間と合う機会は全くありませんでした。

数年前に久しぶりに同窓会に参加し、それからは時折会っています。いちばんさいきんは先週。

小学校時代の友人というのはまた特別で。。

先年、中、高、大の同窓会(一貫校なので)にも出ましたが、久しぶりに会って話をすると、お互いやはりどこかで仕事につなげられないか、みたいな感触がどうしても出てくる。まあそんな世代だからね。あと10年もしたらどう変わるのかな、というのも興味深いですが、もちろんこれはこれで面白い。

地元の子供時代の友達だと、そういう要素はあまり出てこない。

二十代、三十代の頃の中間の歴史がないので、自分の場合は特にそうなのかもしれないけど、非常にタイムスリップ感を強く感じます。地質調査みたいに、自分の頭の中の古生層が表出して、今の自分と入れ替わる。

自分が、「これが自分」と意識しているものはもしかしたら、レイヤー状になっていて、何枚か剥がすと昔の自分になるのだろうか。これがあんまり頻繁に会っていると、情報が更新されて前後混ざり合ってしまい、層をなさないとか、そういう感じかしら。。

 

初めにも書きましたが、長く離れていたにもかかわらず、仲間と認めてくれている友人たちに感謝しなければ。

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この時期

2018年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

忙しさのピークはまだなのだが、今週は予想外にてこずった案件があるなどして、連日遅くなってしまった。

現宅に越したころから、働き方改革というか(というか、特に今年は家の用も多かったので)早めに帰宅するのが普通になっていた。ので、急に遅くなると家のロジスティクスにちょっと支障が出たりして、あれあれということも。

そんなことに追われているうちに、もうまた週末だ。。

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おみごと

2018年06月12日 | 社会・経済

SNSで、いつも政治的なことに口にしている知人たちが、今日はだんまりを決め込んでいる。というか、関心がないのかな。一人で興奮しているみたいで恥ずかしい。。だって、面白くないですか?せっかくの政治ショーなんだから、楽しめばいいのに。。実効性がないとか、ケチ付けたって仕方ないじゃないですか。だいたいこの人たちに何を期待しているんですか。はじめからわかってるでしょうに。

こういう、ことの理非にかかわらず世間を騒がせないと気が済まないという「視聴率男」は、自分とは対極の世界にいるだけに、どこかで爽快感を感じてしまうことは否定できない。いや、家ではテレビ見ながらしょっちゅう「このXX」とか、「ネコンプ、お前はまた・・」などと罵倒していますけど。

ちなみにネコンプ(トラじゃない)をネットで検索すると、ちゃんとヒットするのには恐れ入ります。。

それでも、ライブ中継中のつぶやきを見ると、「トランプすげえ」とか「オバマもブッシュもできなかった」などと絶賛しているアメリカ人はたくさんいるみたいだし、やっぱり政治は小利口なだけじゃダメなのかも、と考えなおしたりもしてしまう。

ネコンプに「素晴らしい人格だ」「26歳で国を率いて(本当は35ぐらいだと思ったけど)・・」と持ち上げられた金氏はもっとすごい。大国を手玉に取るという偉業を成し遂げてしまった。

この人あたりになると、サイコパスという言葉が使えなくもない気がしてくるが、あの年齢で国を(客観的には内外ともに問題だらけの)率いるというのは、どんな気分がするものだろうか。

昔、30ぐらいの頃に、ほぼ同年の上司が、名の知れた企業のコントローラーの誘いを受けたとき、先輩から「あの会社にいるとたくさん人を切る(解雇する)仕事をしないといけない。まだ若いんだからやらないほうがいい」と止められた、と話してくれたことがある。現実問題として、上に立つものは、時には手を汚すことを避けられないことがある。若い頃は心の機微が分からず、事を荒立てたり、返り血を浴びたりする危険がある。その上司は結局、その仕事を受けなかったという。

ビジネスの世界では本当の血は流れないが、この若者は・・。それは必死にもなるだろう。追い詰められて、下手をすれば本当に、ボタンを押してしまったりするかもしれない。

とりあえず握手している間は、その危険からは多少離れていられる。。まあ、ネットではミュンヘン会談2018かも、などという人がいて、ちょっと言えてるかもな、思ったりもしますが。。

引き続き見守っていきましょう。。

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水浴びするアル

2018年06月12日 | セキセイインコ

この週末、特に土曜日は都内も初の真夏日とかで、暑かったですからね。。

体質的にものすごく寒がりなのですが、この日は初めて、ちょっとだけエアコンの除湿を使った。

ふと気がついて、アルにアウタードバードバスをつけてあげたら、すぐに反応した。

 

あ~、いい湯だった。

湯じゃないか。

もういっかい

 

 

 

さっぱりしたっす。

ココのおふろは年間通して、床に置いているが、あまり水浴び姿は人には見せない。

レイディですからね。

ちょっとだけ換羽が残っているココ。

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Country ジョージ・ウィンストン

2018年06月10日 | 音楽

ウィンダム・ヒルもので、購入のいきさつは4月ごろ紹介したSLITに似ている。80年代中頃、借りてきたレコードをテープにダビングして、それを繰り返し聴き、近年はさらにそれをデータ化して聴いていた。それをCDで買いなおしたというわけだ。

ウィンダム・ヒルのアルバムの多くは今入手するのが難しく、あってもやや高価だ。これはAmazonで偶然見つけた国内版中古で、出会ったのも何かの縁と思い購入した。

映画のサウンドトラックであり、そこにウィンダム・ヒルのメンバーがかかわったということらしい。その映画は「怒りのぶどう」の現代版のような内容で、日本でも公開されたがあまり反応は芳しくなかった、とライナーにはある。曲を聞いていると、見たことはないのに、なんとなく映画のシーンが浮かんできそうな音楽だな、という気がする。まあそれが音楽、または映画としていいことなのかどうかはわからないが。

ただ、とにかく聴いていると偉大なる大地、タイトルどおり田舎を連想させる曲調(どんなものかといわれても形容しにくいけど)で、現宅から車で少し走ると出くわす、何の変哲もない田畑のあたりを走りながら聴くと、ひじょうに気持ちがいいというか、よく似合うんですねこれが。

田園地帯というものは本来、「日の名残り」ではないが、本来とても美しいものだと思うのだけど、なにぶん避暑地や人の手の入らない高原などと違い、人が頻繁に行き交うところであるせいか、今日の日本では高圧電柱やガススタンド、コンビニなどがぼこぼこできていて、調和を崩しているところが多いんですよね。。

てんでに勝手なデザインの建物を並べる感覚とともに、日本人の美意識の「隙」らしいのですが、あれは何とかならないものでしょうか。昔話や童話に出てくるような田舎、故郷はさぞ美しいものではなかったかと想像するのですが。

 

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私の中の鬼

2018年06月09日 | 社会・経済

東京都内の5歳の女の子が両親に虐待され死亡した事件は、自宅から彼女が書いたものと思われる「もうしませんからゆるしてください」という、哀切極まる「反省文」が発見されたことから、マスコミに大きく取り上げられた。SNSなどでも酷すぎる、という感想を多く目にした。

何と言っても、犯人である母のSNSから引用した、かわいらしい女の子の写真と、それをバックに「おねがいしますゆるしてください」という「反省文」がテロップで流されたニュース番組を見ると、心が凍り付く思いがする。多くの人が逮捕された両親を糾弾するのは無理もないことだ。

だが、この二人が自分たちとは全く異質な、サイコパスのような人間であったかというと、こうしたことに詳しいわけではないので単なる印象に過ぎないが、そうでもないのではないか、という気はする。たぶん始まりはほんのわずかな「狂い」で、時間とともにそのずれが拡大し、あとはほぼ自動的に、一つの方向に突き進むしかなくなってしまったのではないか。自治体など周りのサポートも、まったく機能していなかったというわけでもなさそうだ(参照)。ここでも父親が過去に行き過ぎを認め、軌道修正を図ろうとしていたとされている。

演出家(でいいのだろうか。僕などは昔やっていた「BSマンガ夜話」の司会が真っ先に浮かぶけど)の笹峯愛さんは、ツイッターで次のように呟いている。丸ごと引用していいのかどうかわからないので、要約を;

 (悲しいニュースを聞いて心が痛むことについて)明日は我が身と思っている。虐待は絶対しないと思っているけど、子育ては愛があふれ幸せばかりではない。私の中にも鬼がいると実感することは多い。未熟な親は子とともに成長する。親はそんなに偉くない。

ここ数日に目にしたつぶやきの中では、一番なんというか、ハッとさせられた意見だ。

これは親と幼い子だけに限らず、たとえばスポーツのコーチと選手とか、上司と部下とか、子と親とか、色々な関係性の中で出てくる問題のように思う。鬼は人々の心の中で、自分の力を発揮しようと虎視眈々と機会をうかがっているのだ。

ここで文章を終わりにすれば、それなりにカッコいいかもしれないが、では鬼とどう戦えばいいのかという話になると、さてわからない。だからこそ、やりきれない思いになるのだろうけど。

 

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もしも

2018年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

先日の記事のために古い写真を探してたら、そのころ家にいたわんこの写真が出てきた。

手すさびに、写真を見ながら色鉛筆で絵にしてみたが・、色鉛筆って、手軽な気がするけどけっこう時間がかかるんだよね。。

自己流の書き方がいけないのかもしれないけど。今日は途中まで。

 

現宅付近でも、道を歩けば犬を散歩している人は結構見かけるが、うらやましいというか、結構大変だろうなあ、と思いながら眺めていたりする。

散歩やら予防注射、餌やり・・。

子供のころは家で何代か飼っていたし、業者に頼んで子を産ませる、ということもしていた。親たちは色々大変な思いをしていたのかもしれない・。

前宅は戸建てだったので、飼おうと思えば飼えたし、近所の家でも飼っている人は多かった。前宅に引っ越すとき、飼おうと思えば飼えると、意識しなかったわけではないが、結局踏み切ることはなかった。現実問題として、20年の間には色々なことがあったので、飼ったらやはり、難しいことになっていたかもしれない。

今は・・、アルとココが家にいるだけで結構大変。

それはそれで楽しいけど。

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なんとも

2018年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

もうまもなく梅雨になり、もったいないと思えるほどのキラキラした陽ざしもお預けになりそう。

そりゃもう仕方ないし、お天気がもったいないと思っても取っておくわけにもいかない。

人生もそんな感じですかねえ。

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6.4

2018年06月04日 | 記憶の断片

29年前の6月4日はお隣の国で色々あった日ですが、ちょうどその時僕は青森にいました。

前から予定してたわけでもなく、普通の土日で行って帰ってくるという、ちょっと信じられないというか、無謀な旅でしたが。。

昭和から平成に変わったこの年は、世界全体が騒然とした年だったわけですが、個人的にも、この数週間前には友人の訃報に触れるなど、色々あって・・。

まあその後の人生では毎年なにがしか色々あったりしたので、この年だけどうということは今思うとないのですが。

とにかく、土曜日の朝になって急に思い立ち、衝動的に。。

この朝の新聞一面に「ホメイニ師死去」というニュースが出ていた気がするが、ウィキを見ると6月3日死去なので、記憶違いかもしれません(ちなみにホメイニ師とはイラン革命の指導者。今の人は知らないかもしれませんね)。

車に飛び乗って、東北道をひた走ったのですが、夕方までに到着してます。仙台から先は前後にほとんど車がおらず、なんというか非常に日本離れした道路状況を、それにふさわしい運転で(なんという回りくどい言い方・)走ったのでした。周りの風景が流れる中、リアの座席脇にある物入れがカタカタ音を立てていたのを、29年たった今でもなぜか覚えています。

青森、弘前付近にはいくつか小私鉄があって、それらを訪問しました。ので、手元に残っている写真はそんなのしかありません。

写真はストーブ列車で有名な津軽鉄道ですが、終点の津軽中里は時がとまったかのような長閑な駅でした。

こういうのは別のブログ(鉄道部)で書くものですが、話のついでなので。

この終端部のたたずまいに萌えてしまうのですね。。線路の両脇も丘になっていて、突っ込むような形で線路が終わっています。

丘の上の住宅はちょっとご愛敬。

 

この駅のことはだいぶ昔に別のところで書いたのですが、今でも不思議なくらい色々覚えています。

書きながら思い出したけど、この季節はリンゴ畑が白い花でいっぱいになって、とてもきれいだと何かで読んで、それを期待して行ったんだった。

確か高速の途中で畑を見ることができたが、写真は撮れなかった。

急にこんなことを書いているのは、ちょうど今日が4日だということもあるし、このときは実家暮らしで自分の車もあり、こんな風に車で出かけることが容易な環境だった、ということが頭にあるからでしょう。この後しばらくして環境が変わり、車とは無縁の状態が長く続くことになります。

今は再び手元に車がありますが、もうこんな無茶はできんでしょうな。。

コメント
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