うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

東京震災記

2021年07月31日 | 本と雑誌

田山花袋 河出文庫2011 初版は1924年 博文館


ここ数日なんなのか(暑気あたり?)調子悪くて、出社時間を遅らせたりしてしのぎました。二回目の接種したあとの状態と似ているから、またぶり返したかと思いましたが、ネットを見るとあまりそういう人はいないらしい。よくわからんが、だいたいいつも具合が悪くても自覚症状が綺麗に出ない人なので。

水曜日にうなぎくって、すたみなつけたつもりなんだけどな。
これはちがう、かば焼きクロワッサンです。まあパイみたいな食感の食べ物でしたが、微妙にうな丼のたれっぽい味がしなくもなかったです。

話は戻りますが、ワクチン副反応、職場では軒並みこれにやられていまして、木曜日には私も不調だったので、仕方なく会議をキャンセルしました。ワクチン、思ったより結構大変。。



前置きが長すぎました。

『蒲団』『田舎教師』などの作品を残した田山花袋が、関東大震災の様子を記した随筆的な文章です。ぜんたいは50余りの小文で構成されていて、今風にいえば、誰かのブログをまとめ読みするような感じです。

田山花袋は震災当時代々木に住んでいたようです。だいたい今の僕と同じくらいの年配だったようだ。家の中は家具や本などが散乱したが、家族、親族は無事だったようだ。

代々木は、当時は東京市の郊外に相当したのでしょう。当時の市街地は浅草、両国、上野、神田あたりで、新橋から銀座にかけては東京の玄関口として、明治以降新たに整備され、更に東京駅を開業させて丸の内地区の整備が始まったところ。丸ビルは完成したばかりだったようです。
新宿は今日のような繁華街ではもちろんないのですが、省線や市街電車、バス、郊外電車(京王線)などの交通が既に整備されつつあったようです。ちなみに小田急線や西武線はまだないです。

花袋は明治中頃から東京で暮らしてきたので、その変貌していった様子をあれこれ思い起こしながら、被災した街を訪ね歩いています。

かつては「江戸」の色彩を強く残していた街が次第に「東京」となっていったと述懐し、この震災から復興することで名実ともに「東京」となるのだろう、と(いう意味の事を)書いています。

徳川夢声日記や高見順の日記などにも、戦中から終戦にかけての東京が描かれていますが、それよりも20年余り前の東京を描写した記述として、これは興味深いです。
銀座通りのこととかも、これまで意識したことはなかったです。たしかに新橋から日本橋まで、まっすぐの道が通っているけど、あれは外国人が横浜から汽車に乗って新橋(汐留)について、最初に東京の街に触れる通りだったのですね。。花袋はしかし、当初は西洋の物まね風の貧相な建物が並んでいるみすぼらしい街並みであった、と記述しています。

御茶ノ水付近の鉄道も被災したようです。もう15年も前ですが、やはり台風でしばらく不通になりましたね。。
火事のこと、食料のこと、そして歴史に酷い傷跡をのこした朝鮮人虐殺のことなどにも触れています。知人が自警団に(『鮮人』に)間違えられ、悶着を起こした話などを紹介しています。甘粕事件について花袋は大杉栄にあまり同情はしていない。花袋はこうした世情の険悪化には比較的淡泊です。

というより、震災から1年余りで書かれた印象記なので、あまり詳しい情報は入っていなかったのでしょう。

被服廠のことも、克明に描写する形はとっていません。
これについて、本書解説の中で石井光太氏は花袋が「・その光景を意味づけることができないからではないか。現場を知らない人間は、起きた物事に意味や理屈を求める。・・だが、現実を見た人間は、物事に意味や理屈を付与する無意味さを嫌というほどわかっている。・・(黒こげの死体に)意味や理屈を求められても応えられるわけがないのだ。」と書いています。

大正の末に東京を襲ったこの未曽有の災害は、その後の日本に様々な影響を及ぼします。都市の復興は東京にあっては郊外への市域拡大をもたらし、交通網も整備されて今日の首都圏を形作ります。社会全体としては不穏な空気が強くなり、やがて大戦で一度は復興した東京も再び焼け野原になってしまう。。

ちょっと驚いたのは、花袋がこのことを予言するような記述を、本書の後段で述べていることです。

花袋は友人と遷都の話をしていて、そうなるといずれ東京がさびれた街になるかもしれない、と語り合います。

「しかし、そういう時代が来るかもしれませんよ。来ないとは決して言えませんね」
こういったBは深い眼色をした。

「それはないとも言えんね」
私もこう言ったが、二人の頭には、期せずして、外からやってくる敵のことが浮かんできた。海からやって来る強敵は、この都ではとても完全に防げそうには思えなかった。

「そうだってね?飛行機でもやってくる段になると、とてもこの地震の比ではないそうだね?この東京などは、一度で滅茶滅茶になってしまうってね?」

花袋は(空襲が)「ロンドンやパリさえあのような驚愕を来した・・」と書いていて、改めて調べたら、第一次大戦でも飛行船団による空襲は行われていたようです。以前何かで読んだのは、一次大戦中飛行機は偵察などの任務に使われ、敵機に遭遇しても互いにあいさつを交わし、などとあったのですが、そんなことはなかったか。。

ほぼ100年前の東京とその世相、とても興味深いです。

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おりえんたる

2021年07月27日 | うんちく・小ネタ


SNSで知人から教えてもらいました。BBCとフランスTVが制作した、東京オリンピックのプロモーション・ビデオです。

イギリスは東京のサブカル的な側面を、フランスは伝統的な日本文化をフィーチャーして、彼らなりの日本観を打ち出しています。

BBCのビデオはもちろん実在の街ではなくて創作ですが、しょうじきよく見てんなあ、と感心してしまう。スポーツ紙読んでる(スカイブラウン!)おじさんのいる店など、どちらかというと香港に近い感じもしますが、あちらから見たら今の香港も台北も東京も、まあこんなようなものなのでしょう。
街の屋台のメニューもゲーセンもガシャポンも、よく見るとぜんぶオリンピックがらみの創作です。

フランスの、日本画風アニメも面白いですね。ちゃんと日本語のキャプションが映像とシンクロして生きている。スイカ背負ってる農夫とかがなんとなくベトナムっぽいってのも、逆にフランスっぽいっていうか。。

むかしアメリカのテレビショーで(僕はYouTubeで見た)日本のゆるキャラを紹介して(なんと日本では、市役所や刑務所がマスコットを作ってる!)、番組の最後に彼らなりの日本式ゆるキャラを創作(これは国務省のXXちゃん・このぴらぴらはナンとかをあらわしているんだ!)してたのを見たことがある。単に真似するだけじゃなくて、自分流に創作していることに感心した。。日本もそうやって色々な文化を作ってきたわけですけど、ちょっと面白いですよね。。

まあどこの国もずっと大変で、やっぱり楽しみたいんでしょうね。。そら、にんげんだもの。



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巨大ネコ(いまいち)

2021年07月26日 | まち歩き
新宿三丁目で降りて地下道をずっと歩いて、だいたいこの辺かと思うところで地上に出たのですが、それらしい姿はない。

少し歩いてオカダヤの入り口辺り(オカダヤの建物建て替えられるみたいですね・。数年前ドキュメント72時間でここやってたのが妙に印象に残ってます)で回りこんでみるが、見当たらない。

いったん休憩。ちょっとスタバで休んでから西口を眺めてみた。
小田急のビル、建て替えるんですよね。高層ビルになるらしい。
下のごちゃっとしたレストラン街の、万世もなくなったんだよね確か。パーコー麺なつかしいな。内幸町でもよく食べたな。

こっち側は既に相当変わってしまった。。スバルビルがなくなって、コクーンタワーがむき出しに見える。明治安田生命のビルもなくなってしまった。
昔ここにTACがあって、少し資格試験の勉強をしてたことがある。

スバルビルって昔、英会話のNOVAの広告に出てた気がするな。真面目なサラリーマン風の人がCMに出てた頃。

その隣がエルタワーという、比較的新しいビルでここも知ってるぞ。ニコンプラザもあるんだけど、ハローワークもあったりして、認定日になると同じ時間に、エレベーターにおんなじ境遇の人たちがたくさん乗りこむんだよね。。

なにひとりごといってるんだおれは。
ビルの建て替え中小田急デパートは、左側のハルクで営業を続けるらしい。
ハルクはビックカメラが半分入っているのだが、どうするのかな。

ビックカメラも懐かしい。昔は2階にカメラ売り場があって、年中出入りしていた。ミノルタのデジカメとリコーのGX200はここで買った。あとソニーのVAIOとか、布団乾燥機とか、空気清浄機とか、ラジカセとか。タブレットも買ったな。


さて、話はねこです。

スタバで住所調べて、Google mapのナビで歩いてみたんだけど、Googleのナビ、わかりにくい。なぜか始終ふらふら動いているし、目の前に対象があってもよくわからない。2,3回迷ってる。もうやめて次はYahooカーナビを使おう。。
それはともかく、おめあてのビルはこれらしいんだよね。


巨大ネコはたまにしか出てこない。
だから、最初に見たとき見逃したらしい。

それにしても、子どもにクレヨンで落書きされちゃったようなへんな色のネコになってしまっている。。


これ、カメラの設定の失敗です。
フルカラーのLEDモニターは赤、緑、青のLEDを適宜点滅させて色を表現する。駅や電車の方向幕などでよく見る表示はオレンジだが、あれは赤と緑のLEDだけで表示するタイプ(昔は青がなかったから)で、赤と緑を交互に点灯させてオレンジを表示している。残像効果のため人の目にはオレンジに見えるのだ。

フルカラーはその応用で、3色のLEDを組み合わせて点滅させている。ただ、写真に撮るとき、シャッター速度がLEDの点滅速度を上回る場合、色が混ざらずにもとのLEDの色がそのまま出てしまうことがある。
のが、この落書きネコの姿なのだと思う。

当日は大変明るかったので、カメラのシャッター速度が速くなった。
しかも、なぜかISO設定を6400に固定したままだった!(こないだ虹を撮った時に設定したのを、戻し忘れた)。
んだもんだから、絞りもF14ときちきちに絞り込まれていて、モワモワモワレになってしまった。。

つまり、撮影失敗です。

猫のポーズはまた変わるらしいので、またこんど再挑戦したいです。

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はじまると

2021年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム


オリンピックが始まると、テレビのニュースが見づらくなるのは困るな。
NHKの午後7時定時ニュースを見ようと思ってたら、柔道の中継で15分ぐらい遅れて、始まったと思ったらまた中継に戻った(らしい)。いい加減いやになって見るのやめたけど。

国際報道(日本のキャスターが外電を紹介)や海外ニュースも期間中は休止になる。海外ニュースはふだん朝5時から放送しているが、試合の中継録画を放送するらしい。海外ニュースなんて、放送局側はたいして手間かからない気がするのだが(同時通訳とニュースの取捨選択は必要か)、なんでやらんのかねえ。。

一方でネコ歩きとかクラシック倶楽部とかはふつうにやるのね。
あと、「トクサツガガガ」やるんですね。。

昔の同僚がボランティアをやっていて、アーチェリーの的を取り替えるのだそうです。テレビで映るかも、といってたけど、アーチェリーって実況ないような気がする。やり投げとかと違って、テレビだと間が持たないかも。
(余談ですがアーチェリー、おおむかしちらっとやったことありますが、試合に出るほど上達できなかった・)。*


 自分が新聞各紙を閲覧できる範囲は限られているのですが、毎日はけっこう五輪に辛口で、かつこだわっている印象があります。東京、朝日はそうでもない。読売、産経の朝刊一面はほぼ柔道金メダルの記事。日経は冷めてるというか、メダルの記事も出ているが、トップは越境リモート労働の話。

 海外の報道は更に限られたものしか見てませんが、五輪記事はそれなりに大きな扱いをしている。あとは気象の話が多いですね。。欧州はとくに洪水が。中国も。ただ、とりあえずどこかでミサイルのボタン押したとか、部隊が集結していると言う話はなさそうです。ならとりあえず、よし。

 日本の市民の間で五輪開催反対の声があるとか、無観客開催への反応とかは海外にも伝わっているようです。東京新聞は、次の開催を控える中国、フランスなどは肯定的あるいは同情的、アメリカは冷めた反応などと伝えています。。

 などと、ここでニュース解説をしても仕方ないですね。。

菅首相がNBCインタビューに、五輪開催は世界への義務、しかし世論の分断は最大の心配だった、と答えた(読売)そうですが、この世論の分断には正直驚いています。

1940年東京大会は日中戦争の膠着などから「開催に否定的な空気が国内で広まった。それまで五輪開催を盛り上げる一翼を担ってきた読売新聞や東京朝日新聞などでは、五輪関係の記事がこの年の半ばから打って変わって縮小している(wikipedia)」そうですが、当時の世論や返上までの経緯など、もう少し勉強してみたいと思い、さっきKindleをぽち、しました。ちょっと読むべき本が溜まってきてるな。。
大河ドラマ「いだてん」ではたしか、軍部がかなり圧力かけてきたという話でまとめてましたよね。。

東京に代わって開催都市になったヘルシンキでの大会も、第二次世界大戦の勃発とともに中止されています。もとより、直前のベルリン大会もひじょうに政治色が強いものだったようですし、そのベルリンでの大会も1916年の開催が予定されながら、第一次世界大戦中により中止になった、という経緯を経ています。近代オリンピックの歴史全体も、機会があれば勉強してみたいところです。

*追記:月曜午後、BSでアーチェリー男子団体、やってますね。ただ、レコーダーの番組表に出てこない。



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寝てた

2021年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

周りの人たちの話を聞くに、接種後1~2日たってから何らかの反応が出る、という人が多かったので、23日は何もしないことに決めて(つまりいつもとおなじ)、家にいました。

こういうとき僕の身体は明確に自分は不調だ、というサインを示さないことが多くて、今回も(別に悪くなさそうだけど、なんか変)ぐらいで推移。
ただ、前日の眠りが浅く、起きても日常の朝の作業がもたついて、ちょっとだめかな、と思ったので横になる。

それで、目が覚めたのは午後2時半。
何か食えると思ったので、買い置きの緑のたぬきを食べたらまた眠くなった。
次に目が覚めたのは6時前位。

流石に起きて、買い物とかなにやらで出かける。
体温をエクセルに記録しておいた。。。こないだは旨くブログに出力できたのに、今回はどうやったのかわからない。。

ともかく、ふだん結構体温低い(22日朝の体温は35.3℃)が、23日夜には36.7℃まで上がった。ただ、体感とは一致していない。

午後6時に起きたので、開会式はテレビで見ることができた。ちなみにブルーインパルスが飛んだ時は寝ていた。

・・とにかく、世界にはいろんな国(地域)があることに改めて感心しました。。僕が大学の教職科目(人文地理)を勉強したのははるか昔のことで、それからも色々な国が生まれたり、名前が変わったりしています。
ぜんぜん関係ないけど、今の今までマリ共和国の首都はトンブクツーだった(今はそうじゃないことはなぜか知っていたが、遷都したのかとか)と思ってた。。マリは今でも政情不安定らしいですね。。

自分の人生では、世界各国を巡るということはできなかったけど、はるか大洋の向こうに住んでいる人たちは、日々どんな暮らしをしているのでしょうかねえ。彼らが日本と聞いた時、どんな印象を持っている(そもそも知っている?)のかな。

*追記:ゲーム音楽なるものは、衒って言う訳ではなくまるっきりわからなかった。新聞に曲名と由来のゲーム名見ても、ひとつもわからない。。
同時代人として、これはちょっとまずいのかもしれないと思い始めている。。
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二回目の接種とさんぽ

2021年07月22日 | まち歩き
Tが隠れてしまった。。

今朝、二回目の接種を終えました。
本当は先週日曜日の予定でしたが、ワクチン手配の関係で4日遅れとなりました。

ふだんの出社よりは遅いですが、9時過ぎぐらいにオフィスのあるビルに到着。接種はすぐ。

第一回のときはちょっと緊張して、とんぼ返りで帰宅して家で寝ていたのですが、今日はすこしその辺を歩きたくなった。
以下ちょっと写真多めです。

今のオフィスに来たのがコロナ後だったので、オフィス周辺を歩いたことがほとんどありません。帰りにどこかに寄るということもありません。

とはいえ、長年都心で仕事してますから、見たこともない風景ってそんなにはないですけど。

ただ、長くいてなじみのある都心風景と言えば、前職のオフィスのあったあたりです。さいきんは訪れる機会も少ないので、地下鉄に乗ってみます。
家電量販店をちょっと冷やかした後、表にでるとこんな感じになっています。

ここ(国際フォーラム)が競技会場になるのですね。

ふだん見慣れた道路が封鎖になっています。
路線バスも通る道ですが、この区間は休止のようです。

かない物々しい風景になっています。
後で触れますが、今日はけっこう人出は多かったようですが、この界隈だけは警官の方がはるかに多かった。

ひじょうに見慣れた風景なのですが、こういうのは初めて見ました。

白い囲いのあるところは、普段はふつうの道路です。
ここに関係者の車が入るのでしょう。

それこそ毎日のように通っていたところですが、暫くは入れないのですね。
ここは、有観客の場合は入り口になるはずのところだったようです。

この仕切りの間を、ジグザグに歩きながら入場する予定だったようです。

無観客開催の決定は2週間ほど前でしたか。

こうした施設はすぐに撤去という訳にはいかないのでしょう。

TIFといえば僕にとって印象深いのは5月のラ・フォル・ジュルネです。
この広場には屋台のお店がたくさん並び、一部スペースでは無料の公演が行渡りして賑わっていました。

昨年はベートーヴェン生誕200周年ということで、ひじょうに期待していたのですがあえなく中止に。今年は欧州ではやったようですが、今後の国内開催は未定と聞いています。

オリンピックはともかく、あれの喪失感はちょっとありますね。。

チケット販売所。
ラ・フォル・ジュルネでも、これほど立派ではなかったけど、有楽町寄りにこんな販売所ができるんですよね。

無観客開催になったから前売り券、当日券は売らないよ、と書いてあります。
パラリンピックのときはどうなるかわからないから、撤収はしないのでしょうね。

こうして散歩している間にも、スマホには色々なニュースが配信されてきていました。ツイッターの設定を変えて、五輪関係のキーワードはフィルタリングで出ないようにしているのですが、どうしても入ってきちゃいますね。

ここらへんはつくづく懐かしいです。。

まだお昼の時間に早かったので、昔良く行ったスタバでちょっと休憩しました。

駅前広場にカウントダウンの電光掲示板があるのですが、撮るのを忘れました。

KUA AINAでおひる。

ここもすごく久しぶり。
各テーブルに置いてあったケチャップとマスタードが小分けパックになっていたり、ここにも感染の影響が散見されます。入店時に検温しました。

帰りしな、地下道を通ったら行幸地下道がワクチン接種会場になっていました。

そんなこんなで、時代の息吹があちこちに感じられる散歩でした。



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モバイルモニターの購入

2021年07月21日 | デジタル・インターネット

職場のデスクには一人2台のモニターが据え付けられている。デスクトップPCの時代はデュアル、今はノートPCなので最大3つのモニターを同時に開きながら仕事をしている。3台はちょっと多すぎの気がするが、今では仕事のときは複数モニターでの運用にすっかり慣れてしまった。

在宅勤務が始まったのは去年の春頃だが、一時期使っていなかったテレビ(22インチくらい)をモニターとして使ってみたことがあった。ただ、テレビというのはPCほど画面の傾きを調整できないので、少し見にくいところがあった。だんだん余計なこと考えて、部屋の同軸ケーブルから分波アダプター噛ませてBSを映したりとか遊んでいたが、甥がゲームに使いたいというので、テレビはあげてしまった。

デスクトップPCで使うようなモニターは、部屋に置くには邪魔だ。なので買うつもりはなかったのだが、あるときモバイルモニターというのがあることを知る。。使わない時は袋に入れてしまっておく。職場のカフェコーナーでこれを使っている人がいて、そうか、そんなものがあるのか、ということに気がついた。

ただ、自分で買うにはそこそこお金もかかるので、タイミングがつかめなかったが、6月ごろアマゾンのセールがあったので、それを機会に買ってみた。

もっとも、特別セールのやつは売り切れになってしまい、代わりにこれを選んだ。こういうのは中国ブランドの製品が多いが、これはI-O DATAブランドだ。13.3インチと15.6インチがあったが、小さいほうを選んだ。

大きいほうが見やすいことは見やすいが、モバイルなので嵩張るのも困る。
仕事用のPCは14インチくらいらしいので、ちょうど同じくらい。

接続はHDMIかUSB-Cで、USB-Cの場合電源供給もできる。
いちおう自分用PCでもつなげるように、HDMI-USB-Cの変換ケーブルも買った。自分用PCにUSB-C端子はなく、HDMIのみ、仕事用PCは両方の端子がついている。モニターに同梱のケーブルはHDMIのみだ。

なのだが、結局この変換ケーブルで画像を表示することはできなかった。
また、電力も供給されない。
考えてみると、HDMI端子に電源供給機能はないので、変換ケーブルで電力を供給するのは無茶な話だったね。画像が出ないのはわからないが、まあとにかく使えない。

HDMIケーブルはこわい(かたい)ので、取り回しがちょっとあれなのだが、ひじょうに困るという訳でもない。

画面の色合わせに少々時間がかかった。

デフォルトだとかなり暖色寄りの表示になる。用途別にいくつかのオートパターンが用意されているが、どれも良くないので自分で色設定した。やや青みが残ったが、適当なところで妥協した。

解像度を推奨のものにすると、表示がおおきくなっていまう(とくに自分用PCの場合)。。普段見ているウェブページがやけに大きく見えるのだ。これは結局直せなかった。これもひじょうに困るほど大きいわけでもない。

HDMIでつなぐと、音声がモバイルモニタ側で再生と自動的に切り替わる。ところが、モバイルモニタそのものにはスピーカーがない。最初はわからなくて、音が出なくて困った。設定を変えて本体側音声にすることで解決できる。


自分用PCと組み合わせてみたが、ふだん1枚のモニターで作業をしているせいか、あまり有難味は感じなかった。自分用PCは解像度の関係もあり、1枚でも十分使えるのだ。

これに対し、仕事用PCのときはとても便利で、使いだすと手放せなくなる。
電源とか、セッティングはちょっと面倒だが、いずれUSB-C同士つなげるケーブルを買って、電源供給を一本化することも考えてみたい。

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週末日記

2021年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム


金曜日の午後、クリニックに行って検査の結果を聞いて帰る。問題はなかったのだけど、その前に色々な想いがよぎっていて、すっかりくたびれて・・。
翌日はアル君の通院。

今日はいつもとちがう車(車検中で、修理箇所が見つかったので長引く見通し)に乗って出かける。

代車の軽ワゴンは意外と乗りやすくて便利なんだけど、たぶんこれ、エンジンが椅子の下にあるやつだね(いわゆるワンボックス)。エアコンはいちおう効いているけど、なんかもわっと暑い。。

SNSにこのことを、アルくんの目線になって
「窓越しにおそらをみたら ぼくの羽根と同じ色だった」
と、詩みたいなことをかいてみたけど、じつはフィクションです。

アルくんのキャリーケージはバスタオルでくるんじゃったので、おそらは見えなかったのでした。。

まあ、よく晴れた日でした。


土曜日はこのあと電車で都内まで往復。

日曜日は、ほんとうは2回目の接種だったのですが、厚労省の手違い(担当者弁)で延期になりました。

接種申し込みの時、月曜日が祭日だからちょうどいい(万一の時休養取れる)と思ってたのですが、祭日が変わったことに気がついて、慌てて休暇申請取りました。

そしたら接種延期でまた休暇取り消して・。



なので、別の用事を入れて・。親に会ったり出かけたり。

親は2回目の接種後2週間経過しているので、いちおうやれることはやったことになるんだけど、こちらがまだだし、なっかなか、安心安全って気持ちにはなれないですねえ。。



紳士服屋ー若い頃は、どこか馴染みのテーラー見つけてちゃんと作ってもらうようにしよう、ってのにあこがれていたのに、結局このとしまで量販店みたいなとこで買い続けている。。いちおう同じ店ではあるけど。

それで、その店からクーポンもらったので、スラックス3本買った。

僕は他の人より寒がりなのか?(←鳥体質?)暑くなってきても長袖と上着きてたりする。それでふと気がつくと、電車の中で上着着ている人が自分一人だったりする。

まあ、接客営業の人は1年中上下決めてるのでしょうね。。こちら、基本事務仕事なので(顧客面会もあるけど、毎日ではない)。

でもこの先しばらくはさすがにあれなので、上着はいいと思ってスラックスだけにした。こんなことを書くのは、これまではちゃんと上下を買っていたからだ。

紳士服店もたいへんらしくて、街道沿いの店もひとつ減ってるのを見たけど。。クリーニング屋さんとかも、あれですかねえ。。

とにかくみんな笑顔で過ごせるようになってほしいですねえ。
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はらはら

2021年07月16日 | うんちく・小ネタ

職場の研修を受けました。テーマは職場におけるハラスメント。
(内容はまあ機密事項というわけでもないので、軽く紹介しても良いでしょう)。

ハラスメントは厳禁ですが、現実問題として大手企業でも時折裁判や労働審判等で明らかになることがある。
その根本となるものは、加害者側の無自覚という言葉に尽きるようです。僕等昭和世代には当たり前に思えることがそうではない。昔はそれが普通だった、自分は正しいことをしている、という意識が間違いを引き起こす、と。

講師の方も昭和世代ですが、ご自身も昔は相当絞られた経験をお持ちのようでした。「そんなこと言ったら昔なんか・」と仰っていたけど、それが本音なのでしょう。しかしそれでも、であります。

ちなみに僕は若い頃、ほんとうに危ないところまでいきました。幸いいまこうしてなんとか生きてますけど。さいきんだって、色々見てきたし、色々な思いもしましたが、とにかくそれが人の世ですからね。明智光秀しかり、浅野内匠頭しかり・、星飛雄馬、岡ひろみ・。

でも我々はハラスメントという言葉を発見してしまったのです。

先生は冒頭つかみとして、いろいろなハラスメントを紹介していました。
パワハラ、セクハラはしっていますが、ほかにもたくさんあるということで・。
マタハラ、モラハラはまあ聞いたことはある。が、アカハラっていうのがあるそうで、なんだそれ?(今でもわかりません)。シルハラ、オカハラ(よくこんなこと思いつくな・)。最新のハラスメントはワクチンハラだとか。

ブラハラ。 なんでしょう。


なんと、ブラッドタイプハラスメントなのだそうで。とくにB型、AB型が被害者になりやすいのだと。ひでえなあ。。
余談ですが昔、職場でいつも集まっている遊び仲間がいて、ある日みんなの血液型をきいたら、BとABしかいませんでした。どうりで。。

ハラハラ。 
「それはハラスメントだ!」と言って、相手を責めるような行為をハラハラというらしい。

そうするとたとえば、若くて威勢のいい原くんに、新任課長の原田さんがなにか命令すると、原くんがそんなこと言うとハラスメントですよ!とくってかかっている。側でみている僕はハラハラして、
「ハラ、それはハラダにハラハラだ!」と言うとか、ですかね。。

パワハラはやっかいというか、熱心に指導するあまり、結果としてハラスメントになるということがある。
これに対しセクハラは弁解の余地がない。一発アウトだ、と。

僕が最初に働いた職場は女性の方が多いところで、たぶん当時としては女性の権利は守られていた方だった(が、他の歪みがあってかなり追い詰められたけど)。
しかし、当時の上司によると、前の職場ではひじょうにアレなところがあったのだそうだ(どうアレだったかはここではいえないけど)。
その上司が赴任してまもなく、前の職場的なマナーで女性と接したところ、大騒ぎになって・・という話を聞いたことがある。
今さすがにこの上司の前職のようなところはないと思うが・・。

ただ、何気ない言葉がセクハラにあたる、みたいなのは依然として注意を要するようです。
ここで時折紹介するドラマ「ザ・ホワイトハウス」で、こんなシーンがあります。
夜のパーティに出るため、肩の出るドレスを着てオフィスに入ってきた法律顧問の女性(エインズリー)を見て、彼女と仲の良い広報部次長(サム)は「おお・犬も鎖を切って飛びつくよ!」と声をかけます。
そのオフィスには別の女性(セリア)が仕事をしていて、後からサムに「あの発言はセクハラだ、許せない」と言います。
言われてサムはひじょうに動揺しますが、エインズリーは「私は気にしない。仲間と思われている証拠だ」と言い返します。セリアは「そういうのはリップスティック・フェミニズムだ」と反論し・・。

なんだか難しいですが、アメリカでも職場でのセクハラには色々神経を使わされる、ということなのでしょう。

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Speak easy

2021年07月14日 | 社会・経済
第一次世界大戦終結後、アメリカ合衆国はその存在感を著しく高め、経済のみならず文化、芸術面でも、当時急速に進歩しつつあった様々なテクノロジーとともに、従来の常識を打ち破る発展を遂げた。いわゆる狂騒の20年代(Roaring Twenties)である。リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成功させたのは、この時代の象徴的な出来事の一つだ。
女性の社会進出や参政権付与、黒人や少数民族への注目など、今なお課題とされる問題への取り組みも、この頃始まっている。

反面、排日移民法の成立など、人種差別的な偏見は強く残っていた。アジア系に代わり流入したイタリア、東欧系の移民たちは社会の底辺を支えた。
20年に成立したいわゆる禁酒法(修正18条およびボルステッド法)はその運営の拙さから裏社会の暗躍を許した。アル・カポネが活躍したのもこの時代だ。
歴代政権はカポネをなかなか捕らえることができなかったが、最終的に脱税その他の容疑で逮捕された。



というわけで、すこしもったいぶりすぎた気もするが、翻って2021年の日本では;
要約:
国税庁は13日、居酒屋で飲酒した同庁課税部の職員7人が、新型コロナウィルスに感染したと発表した。
東京都内の居酒屋で送別会などの名目で複数回会合が開かれ、同庁や国税局の職員14人が参加、最大2時間半飲酒したという。10日に1人が発熱し、感染がわかった。
 国税庁は8日、要請を守らずに酒を出す飲食店との取引を停止するよう求める趣旨の文書を内閣官房と連名で業界団体に出し、批判を浴びていた。
(注:飲酒した店はまん延防止措置に伴う要請に応じていない店だったらしい。職員は同庁が職員向けに示したガイドラインに従っていなかった)。

酒提供飲食店との取引停止要請は、(要請に応じない飲食店と取引のある)金融機関への協力要請とともに、先週西村経済再生大臣から発言があった方針ですが、いずれも昨日までに撤回されています。
これらの要請は内閣官房だけではなく、関係省庁とも事前調整、検討されていたとのこと。

これとは別に、政府が飲食店利用者に、グルメサイトを通じて対策は適切だったかアンケートを行う、という施策が発表されています。ウェブでは密告まがいではないか、というコメントが出ていますが、こちらは今運用されているのか、確認できませんでした。

なお、感染された職員の方々の回復をお祈りします。



ヴァージン創業者の方が宇宙旅行に成功した、なんてニュースも聞こえてきて、また世の中が進歩しそうですね。あれは遊覧だけではなく(将来は)移動にも役に立つそうで、たしか東京ーシンガポールが29分で行ける、とか報じていました。

いろいろなことがあって、ごく控えめに言ってたいへんに興味深いですね。


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夏の災厄

2021年07月12日 | 本と雑誌
篠田節子 角川文庫(Kindle版)2015.2 
初版は毎日新聞社1995.3 

昨年、よく拝見させていただいているブログで紹介されていて、気になっていた一冊。篠田節子さんの小説を読むのは初めて。

首都圏近郊の平凡な街に突如発生した感染症流行に、市の保健センターの職員たちは時に戸惑い、時に組織や医療の壁に憤りながら戦いを挑む、という物語。昨年、拡大しつつあるコロナ禍のなかで、カミュ「ペスト」と共に注目を浴びた作品です。

篠田さんは小説家になる前は市役所の職員を長年務めてきたそうで、そうした経験がこの作品の視点として有効に使われているようで、その辺がとても興味深いです。

そう、考えてみると、天下国家を憂うとか、生き馬の目を抜くビジネス界とか、そういう視点のドラマは結構見かけますが、地方自治体もの、医療ものはいままで経験ないかな。
「推定無罪」は地方ものだったけどあれは刑事もの(殺人事件解決系)。
検屍官スカーペッタシリーズ(あれ懐かしいな・。意外とねマリーノ好きなんですよ。誰だっけあの色男・あと姪御さんとか)も刑事ものですね。

登場人物の描写はよく考えられていて、若くて事なかれ主義(だが、時にはそれなりに正義感を発揮する)な市職員小西、経験豊富で肝の座った看護師の堂元房江、左翼がかった医師梶川、ほかにも小西の上司や保健センターの事務員、製薬会社の営業など、多くの登場人物がよく動いている。
梶川氏のような、市民運動家的な人というのは、地方自治レベルではけっこう存在感があるのでしょうね。。

小西たちは目の前で起こっていること(多数の住民たちが急に高熱を発して倒れて死亡、存命でも人事不省になる)と、それに対する自治体や医療界の見解と対処法に疑念と反感を感じながら、原因究明と対応を考えていくのだが、色々考察を重ねながらも、真相にはなかなかたどり着けない。

話は飛んで、私事で恐縮ですが、僕はふだん本を3冊ぐらい同時に読んでいます(平日出社しているときなど)。朝の電車では例えば歴史考察もの(先週書いた「満鉄全史」など)、昼休みは法律関係とか、またちがうやつ。
今回の「夏の災厄」は、もっぱら帰りの電車で読むことにしてました(前にも書きましたが遅読家です)。そのうえ道中半分ぐらい寝てたりするので、結構読むのに時間がかかります。

それで、毎日ちびっとずつこの「夏の災厄」を読んでいると、なんだか連続もののテレビドラマを見ているような気分になってくるんですね。

というのも、後半主人公たちが「真相はこれだ!」と色々試すのですが、やってみると空振りだったとか、壁にぶつかったとかになって、ストーリーがまた戻ってしまう、を繰り返すのです。
そこだけ一話完結、だけど登場人物の説明は最初にされているというのが、なんだかテレビドラマっぽい。裏を返せばストーリーの流れが悪く、すこし色々なものを詰めすぎている感じがしないでもありません。というか、クライマックスがない、あるいは弱いのかな。。

小説冒頭に物語の舞台となる埼玉県昭川市(架空の地名)の市勢と地形図が掲げられています。面積、人口、市の標語のようなものまで設定されていて、ちょっと驚きます。。

おそらく青梅市、飯能市辺りがモチーフなのかな。。
今日的な目で見ると、面積のわりに人口が少なすぎる感じもするし、かなり都心から離れている(池袋まで特急で43分。これは現実世界の飯能市とほぼ符合する)気もします。現実の飯能市は西側がほとんど山岳地帯ですが、昭川市は南側にもう一本鉄道が通っていて、飯能よりは市内全体が宅地化できる環境にあるみたいです。
それにしても広い街です。

携帯電話がなくて、ネットの普及もほとんど進んでいないように見える辺りも時代が感じられますが、他の部分はそれほど古い感じがしません。とはいえ、ちょっと平成レトロ的な懐かしさを感じるのですよね。。物語の同時代に、自分がどこで何をしていたのかが、ふつふつ浮かんでくる(おそらく平成の初期)。

パンデミック終息は現実世界同様に難航して、またぶり返したり、市民が規制に不満を持ったりと、この辺は相当今の様子を予言しています。。そこらへんはネタバレになってしまうのであまり触れませんが、現実の世界でもこの物語のエンディングのように、早く平静になってほしいものです。。

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にじ

2021年07月11日 | まち歩き
昨日車を車検に出して、代車を借りて使っているんだけど、今日はチョコチョコつかってしまったので少しだけガソリンを入れてあげることにした。フュエールリッドがどこにあるのかわからなくて、一回帰って取説読んで確認する。

10lだけ入れて、さて家に戻ろうとしたら前方に虹が見えた。
とにかく家まで帰って車を車庫に入れ、偶々カバンに入っていたE-PL9を持って、さっき見えたスタンドの近くまで行ってみる。
よく見ると外側にもう一つ虹が見える。二重になっているのは初めて見た。
ただ、あいにくとPL-9についているレンズ(14-42mm EZ)では広角が十分でなくて、虹の全周というのか、丸くなっているのをぜんぶ撮れない。

ので、もういちど引き返し、今度はPentax KPにシグマ10-20mmを付けてまた同じところに戻る。もうこの辺で汗だく。

撮れるには撮れたが、外周の虹は消えていたし、本体もだんだん色を失ってきていた。こういうのは一瞬ですからね。。
露出補正かけてみたが、却って暗くなってしまって失敗。

地元系SNS見ると、みんな虹の写真、掲げてますね。やはりみんな見たな。
夕焼けもきれいでした。
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聖火リレー

2021年07月10日 | スポーツ


また間が空いてしまって、なんとなく週刊ブログと化していますが。。

今週半ば、聖火リレーがあったので沿道で見てきました。

うちの辺りは田舎でして、まんぼうの重点地域でもありません。
ですが、起点の公園で行われたセレモニーとかは予約制で早々に締め切ったらしいです。

そういう、人が集まりそうなところは遠慮して、沿道のどこか空いているところを探して待つことにしました。

この辺は有名な渋滞道路で、ふだんこんな状態なのを見たことがありません。
周辺のどこかが混雑していたかもしれませんが、駅から歩いてきた限りではあまりふだんと変わりありませんでした。

沿道の店とかは当然影響を受けますが、中古車店や喫茶店は閉まっているように思えました。ガソリンスタンドは開いていて、車はもちろん全く来ないので店員さんが給油ノズルを拭いて?いました。

この地域の区間終点となるところです。
子供たちを中心とした和太鼓の演奏?みたいなことをやっていました。

観客はまばらです。

この辺りは中間的な区間で、聖火の中継やセレモニー的なことをする場所ではないためですが、それにしても少ない気はします。

以下順不同ですが、スポンサー会社の冠のついたパレードのようなもの(なんか言い方があったと思うけど忘れた)を掲げていきます。

この方にタオルをもらいました。





これはトラックの側面についた超大型のLEDモニター。





色々続いた後で、また警察車両や関係者の車が来て、そのあとに聖火ランナーが来ました。

けっこう唐突に来ます。


聖火ランナーは2年ほど前に53万人以上の人が応募し、1万人が選ばれたそうです。詳しいことはわかりませんが基本的に誰でも応募でき、提出された志望動機等をもとに選考して決められたらしいです。

各都道府県(の準備委員会)では1日22人の走者が割り当てられ、半数以上は公募で選ばれたとのこと。

このほかにスポンサー企業の公募枠があり、数は未公表だそうです。更にIOCやスポンサー推薦の枠もある由(以上は募集時の朝日新聞より)。

こうしたランナーたちが一日あたり80~90人、一人200mぐらいを走って聖火をつないでいくとのこと。

県の推進委員会のサイトに掲げられている聖火ランナーは、公式枠の方々だけのようです。

NHKに聖火リレーストリーミングというサイトがありますが、そこでは全ランナーのリレーの様子と、それぞれの方のコメントを見ることができます。

NHKテレビで夜遅くに聖火リレーハイライトを放送していますが、ハイライトなので当然紹介されなかったランナーや地区もけっこうあるんですね。。この区間もテレビでは取り上げられなかったみたいです。

テレビのリレーハイライトはちょこちょこ見ていましたが、色々な経歴の方々がいて、結構見ていて楽しんでいました。パラの人たちは特に興味深かったです。

リレー開始時(3月末)のニュースでは、開始時時点で90人ほどの方が辞退したり、または亡くなられたと報じています。延期によりスケジュールの都合がつかなくなった方が多いそうですが、当時の感染状況から参加を適切ではないと考えた方もおられたとのこと。

この地区ではありませんが、県内でも一人のランナーの方が2月になくなられたそうです。公式サイトには生前のインタビューが掲載されています。

公式サイトではこのほか、各ランナーおすすめの地元スポット、グルメなんてのも紹介されています。コロナ禍なかりせば、たくさんの観客で賑わったのでしょうけど、この辺は夢の跡という感じですね。。

ですがとにかく、2021年の夏に、こうした形で聖火を、この目で見ることができたのは紛れもない事実です。
他のあらゆる事と共に、自分の心にとどめておきたいと思います。

もらったタオル。

このほか、地元の子供たちが絵を描いた旗を配っていたけど、それはもらえなかった。









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満鉄全史

2021年07月04日 | 本と雑誌
加藤聖文 講談社(学術文庫版2019 今回はkindleにて購入。オリジナルは2006年刊行)

日露戦争後、ロシアが建設した東清鉄道の支線を譲り受け、日本の大陸進出の足掛かりとして特異な役割を担った南満洲鉄道の歴史を辿った本。

白状すると、読み進めるまでは本書を鉄道史あるいは経営史的なものかと思っていました。たとえば「近鉄全史」とかだったら、橿原線か奈良線あたりから始まって周辺の鉄道を吸収して東を目指し・・などと、ちょっとした戦国武将的な話になっていきますが、とうぜん満鉄はスケールも複雑さもまったく違います。

満鉄は「陽に鉄道会社の仮面を装い、陰に百般の施設を実行する」、実質的な国家機関としての役割を担っていた。その源流としてはイギリス東インド会社があったとされている。・・などと書いているが、正直なところこの辺は僕の歴史知識に限界があり、なぜこのような形態をとることになったのか、よくわからないところがある。。

国策に翻弄された株式会社というと、いきさつとかは抜きにすると日本郵便とか、東京電力とかでしょうか。少し前に話題になった東芝とかもそうですが、国が関与すると民間企業もなかなか難しくなってきます(その反対がGAFAとかになるのかな。。)。
小さい会社だってやってくのは大変だけど、満鉄も意見をまとめて方向性を定め、利益を上げていくのは容易なことではなかったらしい。

戦時中には関東軍にも睨まれ、そのうえソ連参戦後は関東軍は満鉄社員を含む在満邦人の保護を放棄するようなこともあったようです。が、鉄道関係者は輸送に不可欠ということで現地に留用され、軍人と異なりシベリア抑留にも遭わずに平和裏に引き揚げとなった(一部例外あり)とのこと。

もう少し周辺の近代史を読み返して(新たに勉強して)から改めて読み返したほうがよさそうだ。。という訳で、いくつか追加でまた本を買ってしまった。。だいたい、昭和に入って満州国が建国されたあたりのことはうっすらと・・いや、知ったかぶりはできないっすね。。
 とにかく、明治以後の日本って、西欧諸国と国交を持つことで、泥縄式に周辺諸国との関係性を再定義しているうちに、どんどん抜き差しならない状態に陥ってしまった感が強いです。それを無定見で場当たり的と、言うのは簡単ですが、その前に事実をしらないと話になりませんね。。
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Nikon Z fc

2021年07月03日 | カメラ、写真
写真はデジカメWatchから借用しました。

ニコンのSNS見たらあんのじょうマニアさんが「なんでフルサイズじゃないの?」みたいなコメントたくさん寄せていたから「え?そういえばフィルムどこから入れんのかな・裏蓋全部はずすんすかね?」とか、「フルサイズって、8X10の事っすか?いくらなんでもそれは・・」とか、まぜっかえそうと思ったけど・、やめてやったぜ。。

カメラに限らず、まにあってどうしてああ何とかのひとつ覚えみたいな状態になっちゃうんでしょうかね。知っている分野では、自動車なんかも高性能車競争のころは、雑誌の評論とかかなり変でした。今はよくわからんけど。

それはそうと、やはりニコンとしてはいわゆるフルサイズとDX(APS-Cサイズ)の2ラインを堅持したいのでしょうね。2年前に Z 50が出たけど、初心者向けの小さなDXレンズとか少なくて、どうするのかな?と思っていたところでした。。Fマウントは安価で小さくて写りのいいレンズ多いし、去年ぐらいの段階だと、古くてもD5600だっけ?とか買ったほうが、すぐに色々楽しめそうだったんですよね。マウントアダプターはうすら高くて、ああいうのは初心者は買わないだろうし。

だから、Z50がメーカーの思惑通り売れていたかどうか知りませんが、ここへきて、ちょっと人目を引く外観のモデルを投入するのは理にかなっていると思います。張り革のバリエーションとかを含め、もう他社が何度もやっているベタなマーケティングですが、証券会社のアナリストさん的にみれば、良い戦略だと思う。。

28mmの単焦点レンズがフルサイズ対応ってのもいい。あとからZ5とかステップアップしても無駄にならないしね。

外観のレトロ具合はちょうどいいですね。Dfって確かにあの時期は人目を引いたけど、今思うと全体にぼってりしていて、なにか引っかかるものがあった。
この辺は微妙です。初期のオリンパスOM-Dもどこか違う感じがして、手が出ませんでしたが、今のマーク3は良くなったね。。

というわけで、いい感じの新製品ですね。。しかし、うちでかうかというとう~ん、パソコンも更新時期だし。ちょっとステイ・。



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