うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

良いお年を

2017年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今年はいろいろと変化の多い年でしたが、なんとか無事終わりそうです。

ココちゃんは今年は何事もなく元気。

アル君のほうは既にお伝えしている通り、蝋幕が茶色くなるという問題が。

しかし、ここに来て朗報。すこしずつ、水色の蝋幕が戻りつつあります(アル君に悪いので、写真はお鼻を見せないところでご勘弁を)。

やはり、11月下旬からの寒さが、間接的には関係しているのかもしれませんね。。

 

それでは、皆様良いお年をお迎えください。

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古自動車

2017年12月31日 | 鉄道、車、のりもの

「その家に越して最初にやったのは、安価な中古車を手に入れることだった。それまで乗っていた車は、少し前に乗りつぶして廃車処分にしていたので、新たに車を購入する必要があった。地方都市では、とりわけ山の上に一人で住んでいるような場合には、日々の買い物をするのに車は必需品になる。小田原市郊外のトヨタの中古車センターに行って、格安のカローラ・ワゴンを見つけた。セールスマンはパウダーブルーと言ったが、病気をしてやつれた人の顔のような色合いの車だった。走行距離はまだ三万六千キロだが、過去に事故歴があるということで、大幅な値引きがあった。試乗してみたが、ブレーキとタイヤに問題はなさそうだった。高速道路を頻繁に利用することもないだろうから、それで十分だった。」(村上春樹「騎士団長殺し」より)。

キーワードだけ集めると、「騎士団長殺し」と今年の僕には関連するところが多い。まず転居して安価な中古車を買ったところが似ている。LPレコードを聞いている。今年は絵を再開して、肖像画を描いた。買った車はカローラじゃないけどワゴンだ。免色さんとは年が割と近い。「私」の友人雨田政彦は旧式のボルボに乗っている。実は、古い車を買うと決めたとき、カセットで音楽を聴くことも覚悟していた。まあ女性は、身の回りにはまりえも秋川笙子さんみたいな人もいないけど。

実家には介護用に車が置いてあり、さいしょは何か用事があるときはこれを使おうと考えていた。しかし現実には、私用で介護用の車を使うのはかなり気が引けて、使えない。

都区内に住んでいたころは、車を所有する気持ちは全くなかった。なによりコストがかかりすぎる。必要があればかカーシェアを利用するのが賢いと思っていた。

しかし、近郊では街の作りが全く違う。昔、30年近く前に車を持っていたときよりも、いっそう車を前提とした街づくりが進んでいるようだ。

うちは地方都市でも山の中の一軒家でもないが、ここに来たからには、やはり車はあったほうが良いと、判断した。

ただ、先の介護用の車のこともあり、前途が不透明な状況では、あまりお金をかけたくなかったことも確かだ。

新車で車を買っても、いつ処分することになるか、わからない。ならば、安価で手のかからない中古車でもいいや、と。

もうひとつ、僕が車好きだったのは30年近く前のこと。いちおう家の車や、カーシェアの車で、最近の車事情を垣間見ることはできたが、趣味的にみて面白いものとは思えない。昔好きだった車、あこがれても乗れなかった車のほうが、最新の高性能、高経済車よりも惹かれるのだ。というか、背の高い軽自動車とか、ミニバンとか、乗れば便利なことは認めるものの、別に高い金払ってまで乗りたかねえや!というのがほんとうのところ。。アクセルと車速が一致しないで、どうなってるのかわからないCVTとか、どうしてそうなっちゃったんだろうといつも不思議に思う、スイッチみたいな、加減の効かないブレーキとか、繁華街のイルミネーションみたいに、段々見飽きてくるばかりでなく、目が疲れてくるケバい計器類とか。。

でも、繰り返しですが、乗れば便利ですし、燃費もよくて、荷物もたくさん積めます。だから否定はしないのだけど。最近の車。。

とはいえ、この車も別に非常に古いわけではない。新車当時オーディオはMD対応だっらしいが、買ったときにはBluetooth対応の新式のものに変わっていた。ハンズフリーホンもついている。冷間時にチョークボタンを引いて濃いガスを送り込む必要もない(おいおい・)し、坂道発進で後ろに下がったりもしない・・。

それで思い出したんですけど、例えばブルーバードとかですと、60年代410、510あたりはネット中古車で見ると、結構流通しているのですね。たしか910あたりまではそこそこ生き残っている。それに、シルフィ以降のモデルは、実用車として割といい値段でやり取りされています。実際、この頃の日本車は壊れないし使いやすいので、体裁さえ気にしなければ結構お得なんですよね。ところが、FF初期のU11とか、要は80年代半ばから90年代半ばくらいのモデルは、ネットでも全く引っかからない。これは、当時の車が特別に弱かった(その後の車よりは故障しやすかったのでしょうけど)ということより、趣味性もないので誰からも関心を持たれず、潰してしまったのではないか、と想像しています。

アコードも、リトラクタブルライトの第3世代などは、ほとんど見かけないです。あの辺のモデルには思い入れがあるのですが、だめみたい。初期のプラ製AFカメラや、MDとかその他、初期のデジモノが顧みられないのと、少し似たところがありますね。

 

ま、そんなことを、車買ったときに記事にしようとして、ここまで書けずにいたのでした。。

 

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HD PENTAX-DA 15mm F4ED AL Limited 購入と今年のデジモノ

2017年12月31日 | カメラ、写真

今年は曜日の並びが良いということで、多くの方が6連休、ぐらいになるのかな。僕の場合は27-8と休んで、29は出社、今日から3日まではカレンダー通りの5連休。

前半の休みは色々あって非常に忙しかった。今日は年賀状作りをするはずだったが、まだできていない。一応絵は描けたが。。

さて、休み中にレンズを一本追加したので、ご報告します。

例によって商品名がやたらと長いが、DA Limitedシリーズの超広角単焦点レンズです。このシリーズでは単焦点として 15mm、21mm、35mmマクロ、40mm、70mmをラインなっぷしています。HDではないほうですが、35mmマクロは既に所有済み。ほかに20-40mmのショートズームがあり、しばしばKPと組み合わせた作例や記事が掲げられるので、気にはなります。ただ、現状高倍率の18-135mmを便利に使っているので、焦点域の狭いズームをどれだけ使う機会があるか、確証が持てません。。15mmはその点、18-135mmの広角側を補うレンズとして、実務的に持つ意味がありそうです。。

一眼レフの超広角(ズーム)というのは、どうしても大きく重くなってしまいがちです。12-24mmのズームも、フィルター径77mm、重量430gと結構なサイズ(それでも小さいほうですが)。来年発売されるDA 11mm-18mm F2.8も、これと同じかたぶんもっと大きく重くなることでしょう。それに、焦点距離20mm以下の超広角は、それほど頻繁に利用するという訳でもありません。広い範囲が撮影したければ、現状手持ちのレンズでは08 Wide  Zoom(17.5mm-27mm相当)がありますので。

ネットでレビュー記事や購入記を見ると、ねじ込み式のキャップが面倒だからプラキャップに替えた方がよいという意見が複数出てきます。ので、一緒に買いました。

こういうところを写真に撮るのは、元箱フェチが治っていないからです。。

装着するとこんな感じ。格好いいです。惚れます。

プロテクトフィルタもつけたので、余計キャップが分厚く見えてしまいますね。。

その辺の部屋の中とかを試し撮りしましたが、結構広々とした感じに撮れます。。(その写真は・、お見せするようなしろものではございません)。。

まあそういうわけで、今年はKマウントに初めて手を出して、KPと4本のレンズとともに、年を越すのでした。

 

それでは恒例の年末棚卸を。

KPについてはこの6月に購入以来、基幹機種として定着。撮影の機会は減っているが、比較的軽いので気軽に持ち出せる点が良い。おかげで、下のMFTたちを持ち出す機会がへってしまっている。。

MFTは今年、Lumix G6とOlympus E-PL1を手放しました。残るはE-P3とLumix G3。ペンのほうは常時机の上に置いてあって、物撮りとかにも結構使っています。

G3はモダンでやわらかい感じが好きで、一眼レフだと大げさに感じるちょっとした旅行のときなどに、持ち出したりしています。

ただ、全体に稼働率が減ったことも確かで、もしかしたらレンズを多少整理したほうが良いのかもしれない。。

通勤時の常用カメラはQ-S1で決まり。

Q10は先日とうとう「電池交換時に日付がリセットされる」問題が発現してしまいました。。基盤に内蔵された、日付記憶用の電池が古くなって動作しなくなったのが原因らしいです。修理に出すと基盤交換となりかなり高額。ので、気にせず使うしかありません。

Qも、使用機会は少ないですが元気です。01 STANDARD PRIMEはもっぱら本機につきっぱなし。今年はこれが故障して、修理に出しました。

もう一本、黒でも買おうかしら。

高齢化の進む我が家のカメラたち。。このIXYも動作に問題はありませんが、先ほどカードを見たら、最後に撮影したのはちょうど1年前でした。

デジタルマクロにして模型を撮るなどすると、結構便利です。

 

というわけで、すっかりペンタキシアンになってしまった今年でありました。

ちなみにPC、タブレット、携帯等は今年は買っていないのですね。スマホは、現状ソフトバンクに買いたい機種がなくて・・。

 

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歳末音楽

2017年12月29日 | 音楽

年末といえば第9番「合唱」だが、僕は実演をもう長いこと聞いていない。20年以上前、スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団の演奏を聞いたが、NHKホールは音響いまいちで、あまり堪能できなかった記憶がある。

それと、毎年チケットを取ろうとして失敗しているのだが、大みそかにベートーヴェンの全交響曲連続演奏会がある。たしか岩城宏之さんが始めて、今はコバケンさんが毎年担当されている。聞きたいのだが、年末は色々予定も立て込んでいて、果たせていない。

そんなわけで?先日車でちょっと遠出したときは、ベートーヴェンの交響曲ボックスセットを持って順番に聞いていた。

以来、うちにある全集をすこしずつまとめて聞いている。全集は何セットあるのか、よく覚えていないが、3セット目はセル・クリーブランドのもの。これ、音以外は一番好きですね。最近のリマスタリングされたものは、もっと音がいいのかしら。

実は順番が逆なのですが、その一つ前に聞いたのが、こちら朝比奈隆・大フィルの90年代初めごろの演奏。

これが朝比奈氏にとって5番目の全集だが、このテイクが話題に上ることは少ないようだ。

ほぼ同じころの、新日本フィルとの演奏。先の全集よりもこちらのほうがずっと有名で、ネットなどでも取り上げられる機会が多い。

これもリマスタリングで音が良くなったと聞くが、手持ちのは古いもので、全体にオフマイク気味であまり芳しい録音ではないという評判もよく聞く。

が、今回聞いてみて、一番目からうろこが落ちたのはこれだった。世評通り素晴らしい演奏だ。

録音は’88年から’89年にかけてで、ちょうど昭和から平成になるまさにその節目のころだ。サントリーホールも、開業間もないころだ。

ああ、あの頃ねえ・・と、ちょっと遠い目になってしまうが、多少のスノビズムやらなにやらはあっても、あの時代、経済や技術の面で世界中から注目を集めるようになっていた日本は、文化芸術に対してももっと関心を持ち、育成を図るべきだという、なんというか、余裕のようなものがあったと思う。その残り香は90年代の前半ぐらいまでは感じられたのだが、ちょうど阪神大震災のころぐらいから、それも変わってきてしまったような印象がある。

それでこの、キース・ジャレットのソロピアノもまた思い出して聞いてしまった。

こちらも’87年春のサントリーホールでの録音だ。まだ僕はキース・ジャレット知らなかったので、聞くすべもなかったのですが、あの時代の空気はなんとなく覚えているので。。

まあ、昔の話ですねえ。

 

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行方不明

2017年12月28日 | 通販・買い物

年末も押し詰まってきました。

そういうことを言うとなんなんですが、今回のように写真とちょっとしたコメントで構成する記事というのは、書く方は楽なのです。

ほんとうは本のこととか、色々書こうと思ってることもあるのですが、なかなか手が付けられなくて。。

そんな内輪話はともかく。。

色々あって、大掃除はなかなか進んでないのだが、その一環として、空気清浄機のフィルター交換をやろうとした。

転居のとき、寝室で使っていた清浄機のほうは引っ越す直前に交換して、新居に持って行った。リビングのものは購入が間に合わず(量販店で聞いたら、取り寄せで数週間かかるといわれた)、落ち着いたら手配することにして、そのまま使っていた。

集塵フィルターの交換目安は10年。脱臭フィルターの目安は7年で、もう期限を過ぎているが、前提条件が「1日にたばこ6本を吸った場合」なので、まあ大丈夫(僕は非喫煙者)だろうと、そのまま使っていた。

年も押し詰まり、10年の期限ももうすぐになった。

交換期限が長いのは、メーカーにとっては売りの一つになるが、消耗品管理が大変だろうね。今回のうちだって、本体ごと買い替える手もあったかもしれないものね。。

 

それはともかく、今回はアマゾンで発注。集塵フィルターはアマゾンから発送、脱臭フィルターは出品者より発送。アマゾンは翌日お届け、と書かれていた。

宅配業者の人手不足は、今年話題となったニュースの一つだ。アマゾンのことも間接的にニュースになっていた。今は大手宅配業者のうち佐川がアマゾンの発送業務を撤退して、ヤマトが主に担当している、というということも、その時のニュースで知った。ただ、それはアマゾンが直接発送する場合であり、出品者が発送する場合は、佐川が扱うこともある。

今回脱臭フィルターも、佐川急便から送ってくれた。不在配達の時間調整がつかなかったので、営業所に取りに行った。夜、車で行ったが、途中周りに人家のない、真っ暗な平原を走っていった。なんだかアメリカンなというか、日本離れした風景でした。。

 

それで、集塵フィルターのほうなんですが。。

 

アマゾンが発送、翌日お送りします、というはなしだったやつ。

 

4日前に大阪の営業所から発送されたらしいが、その後行方不明。お問い合わせページ見ても、ずっと「発送」のまま。。

 

今年は何回か経験しました。やはりこの国の物流は、ちょっとやばい状態なのかもしれません。。。

 

 

 

 

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アルの課題など

2017年12月27日 | セキセイインコ

色々ありまして、今日は急遽、実家で夜を明かしています。

ちょっと写真が用意できないので残念ですが。。

アルは23日に2週間ぶりの通院でした。以前よりは元気になり、けっこう大きな声で鳴いたりしていますが、蝋幕はやはり茶色いままです。

不安と期待半々で先生に診てもらいましたが、どうやらうんちはきれいだったようです。

ちょっとほっとしました。

抗生物質の投与は終わりになり、肝機能を整える薬だったかな、を続行。

ご飯は現状、ペレット3.5g+、シード1g, オーチャード0.5g、ボレー0.2g 計5グラムから5.5グラムくらいという感じでした。これを、どれでもいいから0.5gへらすようにとのこと。

しばらくダイエットして、おちついたらレントゲンを撮りましょう、ということでした。

アルの体重は40g~42gぐらいですが、もう少し頑張ってもらいます。というか、自分も一緒にがんばらないと。。

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視線

2017年12月24日 | 動物 いきもの

地下街を歩いていたら、ハンサがまた特売会をやっていた。8月以来だ。

通販サイトもあるが、一か所にこれだけたくさんのぬいぐるみが見られる機会は、ありそうでないのだ。

色々眺めて(モモンガかムササビも面白そうでしたが。。)、この子をげっと。。目があってしまいました。。

ラブちゃんはとても柔和な目をしているし、ドードーさんは・・なんだかよくわからないが、白うさぎ君はとても目力がある。

来たばかりで慣れないのか、緊張しているのかな。

ここはそう怖いところではないから、落ち着きなさい。。

ラブちゃんの視線は水平だが、白うさぎ君は上を向いている。

床に置くと、椅子に座った時にちょうど目が合うような姿勢だ。

試しに玄関に置いてみた。扉を開けると目が合う。ただ、玄関の担当は前からラブちゃんで、この子は靴箱の上にいる。

ので、視線がばらける。

というわけで、いまのところ、昼間は和室の畳の上にいる。

部屋の真ん中に置いておくと、番うさぎという風情になる。

あちこちかじったりはしないでくれているようだ。

 

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今のうちに

2017年12月23日 | まち歩き

今週はけっこう凹んでおりました・・。とはいえ、いい加減タフにもなっているので、やけ酒煽ったりもしませんし、まあなんてこともないのですが。。

転居が関係するのか、例えばイルミネーションを求めて帰りがけに街を歩く、なんてことをあまりしなくなった気がする。

それともやはり、年のせいかな。

少しずつ、新しい建物ができていて、風景が変わっている。

いつの間にか季節に取り残されていて、気がつけばこの週末はもうクリスマス・イブだ。ツリーがみられるのも今のうち。

これは新しい試み。

TIFが20周年を迎えた、という企画。

メーテルですが、よく見るとたくさんのポートレイトからできている、という趣向。

来週まだ1週間ありますが、時間はさらに加速しそうですね。

これも、時期をずらすと気が抜けてしまうので一生懸命?今聞いています。

聴き飽きがしないかというと、必ずしもそうでもないので、無造作に聴いたりしないようにはしています。

 

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アルの今週

2017年12月18日 | セキセイインコ

先週末はお医者、お休みで、次は今度の土曜日。

あまり色々書くのはあれですが、ちょっと蝋幕の色変化は進んだ感じ。多少換羽もあり、ちょっと羽根もバサバサして見えるときがもあるが、まあまあ普通に元気そうにしてはいる。ご飯とかは残さず食べている(計量して一定分あげている)、体重も変わりない。

保温はやや高めに。サーモスタットはかなり正確に動作していて、28度に設定すると寒暖計がちゃんとその温度を示している。外はマイナス3度ぐらいまで下がったようだが、ケージの中は暖かい。

ココはアルより大食いなのに、体重はずっと少ない。アルには気の毒だが、引き続き計量したご飯とお薬で、頑張っていこう。

 

 

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カズオ・イシグロ氏インタビュー

2017年12月17日 | テレビ番組

16日(土)のNHK BS1で放映された、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞に伴う単独インタビュー番組を見た。

イシグロ氏は自らの生い立ちについて触れ、両親の生き方が自分が小説家になることそのものに強い影響を与えた、という。イシグロ氏の父は海洋学者で、イギリスに招かれて北海油田の開発に携わった。最初は数年で日本に戻ることを考えていたが、なかなか戻れずにいた。このことは、イシグロ氏をして自分たちは「訪問者」であって「移民」ではないという意識を与えた。イギリス人は異郷の地の「先住民」であり、その慣習を尊重するように言われた。が、「適応」することは求められなかった。自然、イシグロ氏は二つの異なる社会規範があることを理解し、イギリス人に距離を置いてみるように育った。ものごとを一方的に正しいとしてうのみのすることはなかった。

イシグロ氏は日本の50~60年代の小津映画などに、両親と過ごした家庭を見る。それは今日の日本の家庭とは違うかもしれないが、イシグロ氏にとっては懐かしい日本の家庭生活にうつるようだ。それがかれの小説世界の一つの背景になっているのだという。インタビューの最後のほうで触れているが、漫画(日本の)もまた彼に強い影響を与えており、その手法をこれからの作品に反映させたいのだという。表現形式のクロスオーバーというか、表現手法の多様性については例えば、昨年ノーベル賞を受賞したボブ・ディランについても、イシグロ氏は強い影響を受けている。かれの表現手法をスウェーデンの選考委員会が、文学賞に値すると判断したことは素晴らしいことだ、と激賞している。

イシグロ氏の作品世界については、僕は彼の作品をそれほど読んでいない(前にも書いたが、「浮世の画家」を英語と邦訳で、「ノクターン」を英語で読んでいる)ので、作品に関する彼のコメントは語りにくいのだが、彼の初期の一つの大きなテーマは、人生を振り返った時に、自らが打ち込んでしてきた仕事が、実は恥ずべき事であり、今は罪悪感を感じているという「記憶」にかんするものだったという。「浮世の画家」にはたしかにそういう面がある。彼は戦前にあっては国威を発揚する(戦争画のような?)絵を描く師匠のような存在であったものが、戦後はそれゆえに画壇での地位を失い、同時に家庭においても家長としての威厳を失っている。が、自らは直接その記憶に直面しようとはしていない。

こうしたテーマは、イシグロ氏が第二次大戦の直後に生を受け、また戦争を引き起こした日本の出身であることが影響している。しかし一方、自分を日本のことだけを書く作家とは見られたくない、という思いも強かったようだ。「日の名残り」は、戦前ナチスとの融和を図ろうとしたイギリス貴族の、執事の回想が主題なのだという(読んでいないのでわからないが、映画化もされているようだ。見たい)。

インタビューは多くの示唆に富んでいて、すべてを書き尽くすことはできないが、あと二つほど取り上げておく。

「私にとって文学とは、人間の感情に大きくかかわるもので、人間が作り出した壁を越えて感情を分かち合うことなのです」

「国家は暗い過去を忘れる方法をどのように決めるのか。国家は全身や結束のために社会が分裂し内戦に陥るのを防ごうと、過去を忘れなければならないことがあります。」国家はときに過去を忘れなければならないことがあると説き、しかし一方で、それまでおきた恐怖や不正に対処せず、安定した民主主義を保てるのか、ともいう。国もまた個人が抱える問題と同じ問題に悩んでいる。いつ思い出すべきか、いつ忘れるべきか、イシグロ氏はずっと、このテーマに心を奪われているのだ、という。

インタビュアーの「日本は過去の記憶にうまく向き合ってきたか」という質問に対しては、これはBS「国際報道」でもそこだけ抜粋して流していたが、「日本人にとってはは記憶にふたをして、自分たちが原爆の被害者と思おうとするほうが楽なのだろう。しかしだからこそ、事は微妙な問題になる。なぜなら、日本は軍国主義のファシズム社会から、近代的で自由な民主主義社会に移行するのに成功した輝かしい手本だからです。世界が不安定になりつつある今、日本は安定してる。これは日本が過去の暗い記憶を脇へ追いやらずになしえただろうか?日本のような良い社会を気づけるかどうかは無理にでも物事を忘れることにかかっているのかもしれません。それが正義ではなくてもです」

かなり踏み込んだ発言だ。インタビュアーはこのあともさらに畳みかけようとしているが、それは余分だろう。

先日、中国人の同僚とイシグロ氏について話す機会があった。たしかに文学は、人々をつなぐ架け橋としての役割があるようだ。

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献灯使

2017年12月14日 | 本と雑誌

 

多和田葉子 講談社2014

3年前の出版だがリアルタイムでは知らなくて、ロバート・キャンベル氏がSNSで多和田氏との対談をするというお知らせの中で言及していたことが、本書を知ったきっかけだ。キャンベル氏は作品について本の数行言及されただけなのだが、なぜか気になり、Amazonで検索して入手した。表題作のほか、いくつかの短編を収録しているが、いずれも震災後の近未来日本?がテーマとなっているところが共通している。

帯のコピーに「デストピア文学の傑作!」とある。ユートピアの対義語である、ディストピアが、文学ジャンルの一つとして確立しているのかどうか、僕にはわからないが、言われてみると僕の身近にも「ヨコハマ買い出し紀行」「少女終末旅行」など(どちらも漫画だけど)いわゆるディストピア系といわれる世界には結構足を踏み入れている。「カブのイサキ」もちょっとよんだけど、葦奈野さんの作品は基本的にそっち系ですね。。

これらディストピア系の作品に共通しているのは、と普遍的に語れるのかどうかは自信がないが、僕の目にした範囲の作品で言えるのは、どれも時間の観念が希薄になっているのが印象に残る。平たく言えば、のんびりしている(平たすぎか。。)。基本的に、希少資源の再分配という観念が半ば崩壊して、ないものは仕方ないし、なくても困らない。どうしても必要なものはどうにか手に入るし、場合によっては余るほどある。みたいな前提をとる作品が多い。「ヨコハマー」でも、アルファさんは人類には及びつかないほどの長い時間を生き続けることが、本人の悩みとすらなっているし、経済が崩壊している割には電気やガス、食料などには不自由していない。。「少女終末紀行」でも、時間の観念は希薄だ。

献灯使では、老人たちの寿命が著しく伸長?されていて、100を超えても心身ともに健康でいる半面、こどもたちの健康はひどく損なわれている。しかし、当の子供たちがそれを悲観する気配は全くなく、当然のこととして受け止めている。老人たちはそんな子供たちに、自分たちの世代が犯した罪を見出し、いつまでもつづく自らの寿命とともに、当惑している。

今の日本という時代背景が、これらの作品を生み出したということはたしかだろう。特に献灯使は、多和田氏が(おそらく震災時に住んでいた)ドイツから、日本を見たときの印象を文学世界に投影したものなのだろう。作品では日本が「鎖国」して、海外からの文物は時に不透明な形で禁じられ、人の目に触れないように圧力がかけられている。人々はそうした社会に困惑しながらも、少なくとも表面上は順応し日々の暮らしを過ごしている。

もしかしたら日本の鎖国という発想は、今日のこの国の文化圏に浸っていると生まれえない視点かもしれない。そう考えてみると、自分の中にも鎖国への衝動、というか、鎖国の魅力、みたいな日本人的発想は、あるように思える。

献灯使は一定のボリュームを持つことが、作品の陰影を深くしていることは確かだが、収録されているいくつかの短編のほうが、切れ味は良いように思える。最後の「動物たちのバベル」はとても楽しい。寝入りばなに、夢の中でおはなしを作っていく、みたいな軽さがある。たとえば一緒に暮らしているネコたちと夜のニュースを見ながら、おたがいに感想を言い合ってみる、ことを想像してみるみたいな。。

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ゆびきり

2017年12月13日 | 健康・病気

先日倉庫に書類を送ったので、キャビネットに残った書類を整理していた。ケースファイルを持ち上げて、別の場所に置こうとしたとき、なんだかファイルがぺたぺたすることに気がついた。なにか食べ物でもくっついたのかな、と思ってみたら、あれ、手が切れている。。

はなれたところで作業していた会社の子に「手、切ったみたいだ」といったら(なんだそれはママに報告するこどもかおまえは・・)、キッチンからウェットティッシュを持ってきてくれた。。とりあえず自分は救急箱を出して絆創膏を・。結構切れてるね。。不思議なことに、ぜんぜん痛くない。切れたことすら気がつかなかったし、今でも痛くない。キャビネットに戻るが、部下の子が「ここにもついてる・・こっちにも」とあちこち拭いている。しばし呆然。。

僕は茫然としているが、周りは慌てている。そりゃそうだ。。すっかりみんなに迷惑をかけてしまった。。

このあと、部下の子のところに、クリップに挟んだ書類を持ってきて、話をしていたら、クリップがはじけ飛んで部下の子のほうへ・・。ああ、なんという自分。

夜は早々にオフィスを出て、知人と飲み会。起業で頑張っている彼の応援。

幸いこれは、この暮れで最も楽しい飲みの一つになった。。

久しぶりに八重洲側へ。この辺、ごじらが横たわっているような気が・・。

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ひとりじゃない

2017年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

You are not alone というと、まあそういう歌もあったが、だいたい悩んでいるのはあなただけじゃないのだから・、という意味合いで語られることが多い。

とか、思って探してみたら天地真理が「ひとりじゃないの」などと歌っていたのを思い出しました。。そういえば10年くらい前、総務のスタッフの若い子(当時)に「天地真理って知ってる?」などと、おじさんとおばさん(当時)がいぢわるく尋ねたら(知らないだろうなあ)、意外にもお母さんに聞いて名前は知ってる、歌がじょうずで。。という答えが返ってきたのを思い出すな。。

話がどんどん脱線しているが、ひとりじゃないの意味が、ビリー・ミリガンみたいな多重人格だったらどうかという。。

あるときはトラウマを抱える人嫌い、またある時は知的な人格者、別のときは女性。。

人格が入れ替わるほど極端な話ではないが、立場や一緒にいる人たちとの関係性から、自分が少しずつ違う人格を見せる、というのは誰しも経験する話だ。

いちばんシンプルなのは親の前の自分、怖い先輩の前の自分、気の置けない仲間の前の自分、好きな女性の前、それぞれ違う態度をとるが、ビリーと違っていずれも自分であることに違いはない。親のいる前で好きな女性と話をするとなると、これらが混ざってうまく話せなくなったり。。

時間とともに変わっていく自分というのもある。少し前の自分と今の自分は、お互い似ているが少し違う。

今年は住まいと生活が変わり、自分の中に新旧別の感覚というか、ちがう自分が少しずつ生まれてきた。

一方で、昔からの仲間と会うと、うんと古い自分の感覚も、脳の奥のほうから出てくる。

この季節、色々な人たち、仲間と会う機会があるので、その度に少しずつ自分が切り替わって忙しいというか、なんか変な感じというか。。

 

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アルの寒さ対策

2017年12月10日 | セキセイインコ

アルのことでお医者に行くのは先週に続いて2度目だ。うんちをみると、先週までの大きな雑菌は見えなくなり、代わりに別の雑菌が見える。ということは、アルはちゃんとお薬を飲んでくれたが、まだ体が弱っていて、別の菌を退治できていないらしい。そのうも見てもらったが、こちらは比較的きれい。だが、多少菌がある。ということで、弱っていることは確かだが、しばらく様子を見てダイエット、レントゲンと進みたい、とのこと。

ところで、インコさんの病気は保温8割、薬2割なのだそう。

弱ったインコはとにかく暖かくしてあげる。人間は具合が悪くなると熱が出るが、鳥は体温がさがるのだそうで、それゆえ温度管理は大事らしい。

今週、アルはたしかにちょっと元気がなかった。

現宅は鉄筋コンクリートでかなり暖かく感じるので、ヒーターはつけたがカバーはかけていなかった(もちろん寝る前のカバーはかけている)。が、アルの様子を見て、週半ばからカバーをかけるようにしていた。それだけでは寒いと思い、留守中も1日中エアコンをかけた。電気代が恐ろしいが、やむを得ない。前宅でも、留守中オイルヒーターをつけっぱなしにしていた。あれは電気、ものすごい使っていたな。。

今日お医者さんと相談し、サーモスタットを使って温度調整をしたほうが良い、ということになった。ペットヒーターも、いままで20wのものを使っていたが、100wに。温度は自動調整されるから、熱くなることはないはずだが、様子を見るように、とのこと。

買ってきた。サーモスタットのことはもちろん知っていたが、ちょっとお高いので手を出さずにいた。

100wのペットヒーターは、箱がでかい、気がする。。

やはり大きい。デザインは同じなので、なんだか熟れすぎた何とかみたいに感じる。

これらを設置するに先立ち、使っているカバーの気密をあげる措置を取った。

といっても、透明塩ビ板からすだれ状に下がっているビニールを、マスキングテープでとめるだけだ。

写真では正面側になっているが、設置後これは背面側に回る。

設置。ケージの配置等を工夫して、何とか収めた。

手前側のカバーは開閉のため、クリップで止めている。温度センサーは左側面、温度計は手前に置いた。

25℃に設定してしばらく様子を見たが、サーモスタットはきちんと仕事をしているようだ。

ココは従来通り、20wのペットヒーターに市販のカバーで寒さ対策をしている。

ペットヒーターはそれなりに暖かい。温度計がないが、適当なものをさがして取り付けたい。

 

 

 

 

 

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エルサレム

2017年12月08日 | 社会・経済

旅行が好きな人は、戻るとまたすぐ出かけたくなる。僕などはその逆で、出るのがとても億劫だ。だが、行きたい場所がないわけではなく、エルサレムなどはその一つだ。

かなり昔だが、NHKでドキュメンタリーをやっていた。細かいところはすっかり忘れたが、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地であり、狭い旧市街地の細い通路を、巧みな時間調整でお互いの礼拝に支障がないようにやりくりしている、という意味の解説をしていた。

首相になる前のシャロン将軍が、それまでの禁忌を破り、神殿の丘に足を踏み入れた(だったかな)ということで、それをきっかけにパレスチナとの抗争が激化した、そんなニュースがテレビをにぎわしていたころだ。

こんな場所はほかにはない。いったい、この土地の何が人々を引き付けるのか。何が、人を狂わせるのか。

荒涼としたパレスチナの土地は、不思議な郷愁をそそられる風景でもある。自分のずっと昔の前世が、見ていたのではないと思ったりもする。もっとも、実際にその土地を見ていないのだから、それ自体自分のイメージの中だけの風景なのかもしれない。

映画「ジーザスクライスト・スーパースター」に出てくる、暑くて乾いた風が、汗を吹き飛ばしてしまうような気候、ああいうところで暮らすのも、案外悪くないのではないか。考えてみると、日本とは正反対だな。暑いのはおなじか。

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