うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

世界の10大オーケストラ 中川右介著

2012年10月28日 | 本と雑誌

中川氏の本を読むのは、「カラヤンとフルトヴェングラー」、「カラヤン帝国興亡史」に続いて3冊目である。
新書版だが500ページにも及ぶ大著である。

これら一連の中川氏の著作に共通しているのは、音楽そのもの、演奏法とか芸術論とかについて書かれているわけでは無く、そこで活躍した人たちや、組織そのものの歴史を追うことを基調としていることだ。何となく「海外ドキュメンタリー・シリーズ」みたいな視点での語り口だが、これが面白い。オーケストラの歴史は、ヨーロッパにおいては特に、政治情勢、戦争の影響を強く受けており、それらと絡めて説明しているところも、とてもうまい。

もう一つ、この3冊に関して言えば、共通項として彼が掲げているのは「カラヤン」である。前書きで中川氏は、10大オーケストラを選ぶ基準として、カラヤンと何らかの形で関わりのあった(あるいは、大オーケストラなのに関わりがなかった)オーケストラを選んだのだという。

この視点、カラヤンという、一時はヨーロッパ楽壇を席巻した指揮者を通じて、オーケストラの歴史を語るという手法もとても面白い。もちろん今の一流の指揮者が、世界の一流オーケストラを指揮する機会は、昔よりはずっと多くなっていると思うが、カラヤンの時代には本当に限られた人だけができたことで、そこから物語を作り出すこともできやすいのだろう。

オーケストラというのは、はじめから今日の僕たちが知っている今の状態だったわけではなく、絶えず様々な変化と歴史の洗礼を受けてきたものだと言うことをあらためて再認識した。

19世紀には次々新しい音楽が作られ(もちろん今も作られてはいるが)、それに応じてオーケストラもその内容を変えてきたし、演奏そのものに対する考え方も次第に変わってきた。やがて録音技術が生まれ、交通も発達し、またオケを政治的に利用するという考え方も生まれるようになってきた。

ということは、これからもオーケストラが、ずっと今のままの状態で運営されていくということはないかもしれない、というより、21世紀は21世紀なりのありかたに変わっていくという方が自然な流れのはずだ。

すでに有名指揮者と演奏した古典名曲を、レコードとして大量に販売する、というビジネスの形は、すこしずつ変わってきている(ように思える)。

演奏家がかつてのように、個性豊かではなくなったと言うことについては、中川氏も巻末で触れている。中川氏は、「個性がないのは、みんなが幸福になったからなのだ。個性のあるオーケストラ、個性ある指揮者が、戦争と革命の不幸な時代がもたらしたものだとしたら、それを生むためには、まだも何千万もの人々が殺されなければならない。」と書いている。

僕はそこまで言い切ってしまうことには抵抗を感じる。個性という形で、何らかの高い芸術性が表現されやすいのだとすれば、幸福な我々の世代は芸術的に劣るものしか生み出せないのだろうか?そもそも、我々はかつての人たちに比べて、そんなに「幸福」なのだろうか?

とりあえず、この秋は中川氏シリーズを読み進んでいる。今は「10大ピアニスト」を読んでいる。

 

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ピザカッター

2012年10月25日 | うんちく・小ネタ

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ずっと前、お昼にサイゼリヤに行って、ピザを頼んだときのこと。
ピザカッターを取り出して、ごりごりと切り始めたら、ぼろっと言う感じで、車輪の部分が外れてしまい、ひどく焦った記憶がある。店の人に言おうかどうか、一瞬迷った(馬鹿力で壊したと思われるんじゃないか・・)。
もちろん、店員さんも心得ていて、平静を装って?取り替えてくれたけど。

それ以来、ピザカッターには何となくトラウマがあって、いきなり力を入れて切ることができない。
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チェーン店ではない、街のイタリアン店だと、ちゃんと人数に合わせて切ってくれるけどね。




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草木が生える

2012年10月23日 | まち歩き
さびれてしまった場所の様子を、「ぺんぺん草が生えている」などと表現する事があるが、都心の真ん中、こんなところに草が生えているのを見た。
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地下鉄の駅名表だが、裏になにやら草のようなものが生えている。
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シダか何かのようにも見えるが、どうしてこんなところに草が生えているのか、わからない。
これを撮影したのは実は昨年暮れのことだ。ずっとこんな感じで気になっていたのだが、最近多少刈り込まれた?らしく、今はこんな風には見えない。



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メモ:ワイコン

2012年10月20日 | マイクロフォーサーズ全般

パナソニックにDMW-GWC1というのがあって、手持ちのレンズでは14mm F2.5につけられて、22mmの広角単焦点レンズ相当になる。純正だし、軽くてよさそうだ。値段は量販店では13千円ぐらい。やや高い。しかし、amazonで買えばもっと安くなる。検索すると、よくわからないが複数の価格が出てくるのだが、安い方で言えば9千円しない。作りは今ひとつらしいが、写りはまあまあいいらしい。

ニコンからはNH-WM75というのが出ている。この種の、交換レンズにつけるフロントコンバータの走りのような製品だ。フィルター部分にねじ込む形式なので、52mm径のレンズであれば、とにかくつけることはできる。名前からわかるように焦点距離が0.75倍になるので、14mm F2.5につければ21mm相当になる。重量は重く、200gもあるので、14mm F2.5につけると、どっちが付属品だかわからなくなる。むしろ、標準ズーム(14-42mm)につけるのが正道だろう。重量は更に重くなるが。

春にオリンパスのマクロコンバータを買ったが、それほど頻繁には使っていない。最近、手持ちの14-42mm(初期型なので、取り付け不可)の前にかざしながら撮る、という方法を考えついたが、たいして効果がない(倍率が低いので)。そんなことをしなくても、Micro Nikkor 60mm をE-PL1につけた方が、きれいな写真が撮れるはずだ。バヨネット式だと、使い道が限られるのだ。
パナソニックも、手持ちの14-42mmにワイコンはつけられない。

NH-WM75は応用範囲が広そうだが、重すぎるのが難点だ。手元ではなく、先の側が重くなるので、バランスの悪さは使用した人たちのレポートで指摘されている。ニコンレンズでも、僕の持っている18-70mmにはつかない。もっとも、ニコンマウントではトキナーの12-24mmを持っているので、そもそも必要ないのだが。

結局、パナか。9千円弱なら買ってもいい気もするが・・。

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クレンペラーの「大地の歌」

2012年10月17日 | 音楽

マーラーの「大地の歌」である。この曲も、クラシックを聴き始めたころに買った、何枚かのレコードの一つだ。

そのとき買ったのはライナー/シカゴ響のものだった。あまりポピュラーではないが、わりとすっきりしていて、いい演奏だ。後から同じ録音を、CDで買い直した。

その後、色々本とかを読んで名盤と言われるものを聴きたくなり、買い足したのが有名なワルター/VPO(1952年)のもの。これはモノラルで、悪い音ではないがちょっとレンジが狭い。テノールのパツァークはいいけど、アルトのフェリアーはちょっとくせがあるかな。個人的には、これしか考えられない、と言うほどの名盤という感じでもない気がした。

で、今回買ったのはクレンペラーで、1964年から66年にかけての録音。やはり古い録音だが、音質はこの3枚の中では一番いい。ちょっとびっくりするぐらいの生々しさだ。歌手はヴンダーリヒも、ルートヴィヒもよく、やはり3枚の中では1番かもしれない。そういえば昔ドイツ人でクラシック好きの上司がいて、いちどだけ音楽の話をしたことがあったけど、ヴンダーリヒが好きだって言ってたな。
 クレンペラーの演奏はすこし遅めのところがあるが、もたれるような感じではなく、密度の高い演奏だ。まあ、例によって小学生の感想文みたいだけど。

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ドッグソルジャー(1978)/Who'll Stop the Rain

2012年10月14日 | 映画

このタイトルの映画は複数あるようで、検索するとよりさいきんのイギリス映画の方がたくさん出てくる。そっちの方は見ていないが、こちらはかなり地味な、あまりレビューなども書かれないような映画だ。

古い音楽を聴いていて、急に思いついて検索したらamazonでDVDがヒットしたので、買ってしまった。
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日本公開は1978年11月。僕が見たのは映画館ではなく、テレビの吹き替え版で、それもそうとうに昔のことだ。印象に残ったのは音楽(CCR、Creedence Clearwater Revival)だ。映画を見てからだったのか、見る前だったのか、前後してベスト盤のレコードを買った記憶がある。

 一見するとはなはだ地味だが、これはたしかに傑作だ。ウェブでいくつかレビューやブログを見たけど、僕も多くの人たちに賛同する。噛めば噛むほど味のある映画だ。

 物語は70年代初頭、戦火の中のベトナムから始まる。従軍記者ジョン・コンヴァースは、無意味な戦争に幻滅し、ヘロインの密輸を企てる。彼は海兵隊時代の友人で、現在は商戦乗務員のレイ・ヒックスに、サンフランシスコまでの麻薬輸送を依頼する。レイは最初はいやがっていたが、戦友のためならと引き受ける。

 サンフランシスコに着いたレイは、金を受け取るためジョンの妻マージに連絡するが、彼女はジョンから何も聞いていなかった。レイは不審を抱き、コンヴァース家に押しかけるが、そこでヘロイン供給者の手先と思われる男二人組に襲撃される。レイは二人組をとりあえず撃退し、マージと共にロスアンジェルスを目指して逃亡の旅に出る・・・。

いわゆるアメリカン・ニューシネマ系の映画で、その何とも言えない雰囲気が全体を貫いている。最初に見たときの僕の感想は、レイの力強さや侠気とマージの大人の女性らしいかわいらしさがとても印象的、というものだった。今回その印象は基本的には変わらないものの、気がついていなかったところ、忘れていたところがたくさんあって、ちょっとした意外感を感じた。最初見たときはまだ子供だったということもあるのかもしれないが。

ジョン・コンヴァースは、以前の印象ではきまじめなインテリで普通の善良な市民、みたいにしか思っていなかった。しかしこの人は、ベトナムの惨状に幻滅したという下敷きはあるが、友人を勝手に麻薬密輸という犯罪に巻き込んでしまうのである。妻まで巻き込んでいる。
 それに、ものすごくまぬけだ。俺は臆病だからとても慎重だ、などと言っておきながら、何者かに荒らされた自宅までふらふらと戻り、道の途中で敵に簡単に捕まってしまう。

コンヴァース夫人のマージも、善良な主婦とは言い切れないところがあって、心の不安を抱え、麻薬に頼るようになっている。
 (この女性らしい弱さ、の表現は、この時代を過ぎると見られなくなってくるような気がする)。

この夫婦の愛情がどの程度深いものなのか、物語の中盤まではよくわからない。ただ、後半になって夫の声を聞いたマージが、ヒックスの制止を振り切って敵の元に向かおうとするところ、そしてラスト、ジョンの運転するランド・ローバーの助手席に座り、ぎこちない表情を見せていたマージが、最後には夫の肩に手を掛けるところに、二人の結びつきの強さが表現されている。

レイはこの物語ではヒーローなのである。だから、港に麻薬を取りに行ったときも、尾行する追っ手を見つけて機敏な行動を取るし、コンヴァース家でも敵の手先を要領よく押さえつけたりもする。逃亡先のヒッピー・コミューンでも、地元の人には顔が利くし、5人の敵を相手に大立ち回りを有利に進める。

ジョンに麻薬輸送を押しつけられたときも、最初はとてもいやがる(当然だろう)。しかし、他でもない戦友の頼みだとして、これを受けるのである。手に余る麻薬をさばこうと、知り合いを通じて金持ちに売ろうとするが、途中で腹が立って投げ出してしまう。祖国のために海兵隊で闘ってきたのに、こんなにばかげた祖国の現状に、立腹したのだ。

 レイの行動はその場その場では適切な判断をしている、といえるかもしれないが、彼自身、麻薬組織に勝てると思って動いているのではないようだ。はじめから危険で、無茶なことだとわかっていたのだが、その場の行きがかり上、そうせざるを得なかった(何となく大戦中の日本軍人を思い出す)。行動原理としては、戦友ジョンへの友情と、戦争を戦い抜いてきたものの誇り、そして後半においてはマージへの愛情だろう。彼が心の底で絶望していたのかどうかはわからない。とにかく最後の最後まで、彼は前に進み続けるのだ。

 海岸に座り込んで沈んでいるマージを見て、麻薬を勧めてしまうというのも、そうしたレイの「行きがかり上」の愛情といえるかもしれない。

人質となったジョンの声を聞いて、動揺し敵の元に向かおうとするマージに対し、最初は何とか止めようとするが、彼女のつよい態度を見て彼は思い直す。
 そこでレイははっきりと、「惚れたぜ」と言って、マージへの愛情を自ら認め、彼女を援護するため銃を取る。
 もちろん、この台詞はマージには伝わっていない。レイは戦友の妻に対し、あくまでも一線を画しつづけたのだ。

 ラストシーンで、ジョンとマージは、二人してどこかに去って行くのだが、この先二人になにが待ち受けているのだろうか?

 

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YouTube: Creedence Clearwater Revival - Who'll Stop The Rain - Vietnam Montage

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シューベルトの「未完成」ほか

2012年10月14日 | 音楽

この週末に聴こうと思い、CDを2枚買ってきた。
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一つはシューベルトの「未完成」を含む、2枚組のセット。同じカール・ベーム指揮のものでウィーン・フィルと演奏したものはドヴォルザークの「新世界」との組み合わせになっている。少し迷ったが、ベルリン・フィルの演奏で、組み合わせが9番((ハ長調の)、もう1枚ピアノ5重奏曲その他がついた2枚組のこちらを選んだ。

「未完成」はいままでアバドが室内オーケストラを指揮したものしか持っていなくて(と思って棚を見直したらナクソスの廉価版も持っていたけど)、さいきんはあまり聴いていなかったが、今回聴いてみると、やはり傑作だと思う。考えて見ると、CDは聴いていないが、時々、道を歩いているときとか、仕事をしているときなど、急に頭の中で鳴り響いていたりした。だから今回買おうと思ったのだが。
演奏について、色々聞き比べた上での感想は当然言えないが、アバドとの比較で言うと、こちらの方が当然重厚感が加わって表情にもコクがある。アバドの軽さも決して悪くないが、今後はこちらを中心に聴くことになるだろう。

ハ長調の交響曲は、クラシックレコードを買い始めた頃に買った1枚の一つだ。初心者だから表題付きがわかりやすかったので。ワルターの演奏だった。この演奏も好きだが、今回ざっと聴いた限りでは、ベームの方はだいぶ印象が変わり、重厚さが強く感じられる。総じて、僕が今まで持っていたシューベルト(の交響曲)は、どちらも軽めの演奏だったようだ。

もう1枚はまたショスタコでで、7番。ショスタコーヴィチはこれで5,7~10番が揃うことになる。好きな作曲家という感じではないのだが、何となく、気になって。まだ聴いてない。
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IMF総会始まる

2012年10月10日 | まち歩き

48年ぶりにIMF総会が日本で開かれるという。会場は東京国際フォーラム。数週間前から、期間中は交通が規制されますよ、とアナウンスが繰り返しされていた。
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1階の入り口はこのような臨時のボードで覆われていて、入ることができない。もちろん、関係者はここから入るようだ。ちゅおうの女性は、案内係の方だと思う。
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付近の道路も規制されている。今日(9日)はまだ歩道を通ることができたが、11日からは通れなくなる。付近の道路も、数百メートル離れたところからフェンスが設けられ、いざとなったらいつでも封鎖できるようにしてあり、ワンボックスカーなどは念のため呼び止められていた。
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普段は屋台のデリバリーバンなどが乗り入れ、昼食を摂る人たちで賑わう広場だが、今日は封鎖されている。
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しかし、地下1階のレストラン街は通常通り営業しており、通路も普通に通れる。ちょっと拍子抜けするが、テナントの飲食店の営業を妨害するわけにはいかないのだろう。とはいえ、コンビニの前に警官がいたりと、ちょっと物々しい感じだ。
1階の歩道に沿ったところにあるいくつかの店、ホットドッグ屋やキッチンも営業していた。
あいだみつを美術館は臨時休館。この通路の先はロビーギャラリーだが、そこは通行止めになっている。
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地下の大きな展示会場は、なにがあるのかわからないが、何か準備をしていた。もしかしたら事務方のオフィスなのかもしれない。
これはガラスに浮き上がるように表示されている、「なにか」。右側は都市緑化フェアの案内で、左はテレビ番組のような感じでウェブの画面を紹介している(下に英語字幕が出ている)が、なんの事なのかわからない。総会に来たスタッフ向けのインフォメーションなのかもしれない。
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もともと外国人が多い街だが、今日は特に多く見かける。テレビカメラは外国人のツアー客らしき人にインタビューしていた。

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横浜夜景

2012年10月09日 | まち歩き

知人のグループ展が横浜で開催されていたので行ってみた。他の用事もあったので、現地に着いたのが閉館ぎりぎりになってしまい、建物を出たときはもう街は夕闇に包まれていた。
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港の見える丘公園。10分ほどで閉園になった。
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日中は涼しい風がふいていて、秋らしい感じもあったが、どういうものか元町辺りはちょっと蒸すような感じだった。
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Lumix G3 Vario 14mm-42mm。モードをiAにして、普通に撮影するとちゃんと夜景モードになって、露出を調整してくれる。手ぶれ補正も効くので、横着して手持ちで撮影したが、それで撮れるのだから大したものだ。ただ、気を抜くとぶれてしまうので、油断は禁物。
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山下公園付近。
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奥にクルーズ船。
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ただ写真を並べているだけじゃ、たんなるお上りさんみたいなものか
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と、いいながらしつこく・・。
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観覧車など。これも手持ちだが、こういう遠景は三脚を使うか(一脚でもいい)、少なくともどこかにカメラを固定した方が良い。
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行きはみなとみらい線を使ったが、この電車は高いので、帰りは中華街、元町を経由してJRに乗ることにした。

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靴屋さん。
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石川町から電車に乗る。みなとみらい線が開通するまではJRしかなかったが、さいきんは競争に負け気味なのか、JR線付近はちょっと寂しい感じがする。もうすこし駅を整備すれば、利用しやすくなると思うのだが。

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日本マクドナルド社長 原田氏の講演を聴きに行く

2012年10月06日 | ビジネス

先日の木曜日、青年会議所主催の講演会を聞きにいった。日本マクドナルド株式会社社長の原田泳幸氏による、「日本のリーダー」をテーマとした講演だった。

日本マクドナルドは90年代後半から業績が低迷していたが、04年に原田氏が社長として就任し、V時回復を果たし8年連続増益を続けている。就任直後1週間で、地域本部制を取っていた社内体制を一元化し、社内の空気を一気に変えた。そして、1基本に返る、2らしさの追求、3Globalization 4顧客価値の向上をテーマに、順次改革に着手していったそうだ。

原田氏はもともと工学、コンピュータ畑の人であったようで、マクドナルド入社前にはアップルにおり、米国本社に勤務、97年からは日本で社長をつとめておられた。僕とは業界的に全然接点がないので、詳しい事は知らなかったが、マックの社長になられた直後の、新聞などでの論調は読んだことがあった。その後街でマクドナルドをみかけると、たしかにすこしずつ変わっているなあ、という印象は持ってはいたが、それ以上の知識や関心はなかった。

パワポを使った講演は要領よくまとまっていて、わかりやすかったが、それだけ聞いていてもそれほど心に残るようなものではない。雑誌の特集でもわかることだが、やはり本人の肉声で聞けたこと、後半の質疑応答や言葉のはしはしで言われたことのほうが面白かった。

一通りお話しされた後で言われた言葉、改革というのはそれほどきれいなものではない、もっと泥臭いものですと言う言葉、リーダーについても、仕事を誰よりも熱心にやればいい、権限や金は後からついてくるものだ、リーダーについての本なんかを読んで勉強している人がいるが、時間の無駄だと思う、この辺りは氏の本音だろう。

興味深かったのは、マックがこの7年間で22%も値上げしていたと言うことだ。僕は時々行く用務先にあるマックを利用するが、以前は2時前までは480円でセットが食べられた。今はたぶん、700円近く払うことも多いと思う。高いことはわかるのだが、いちど習慣がつくと何となく安かったときのイメージが残っていて、余り気にしないものらしい。原田氏もお客さんはあまり気にしてないと思う、それだけ商品価値、サービスも向上しているからだ、とおっしゃっていたが。この時代、黙っていればどんどん価格が下がっていくだけなのに、値上げを受け入れさせるというのはすごいことだ。(後で知人と話していたら、マックが高くなったのは一部の人達には話題になっているそうだ。学生の客が減ったとも言っていた。)

また、改革の順番が大事というのも興味深かった。基本に立ち返り、バリュー感を持たせる(=値下げする、100円商品を出す)、・・・と続き、そこから値上げしてサービス向上、商品価値向上を図る、逆はダメだそうだ。

原田氏は仕事も家庭も'Life'の一部として、どちらも大切にされるそうだ。48年間ドラマーとして活躍し、また、60歳を過ぎてからフルマラソン、更にトライアスロンにも挑戦されたいという。この辺り、見習いたいな、と思った。

写真は本文と関係なく、天気の良いときに丸ビルのテラスで撮った東京駅。
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IXY31sは24mmのレンズを持つが、それでもここまでしか収まらない。
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そうか、ミニチュア風で撮れば良かったな。
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屋根のふちのところが、茶色くなっているが、ここは春には銅色でぴかぴかの状態だった。
それもきれいだったのだが。
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月曜から東京駅の記事がしつこく続いたので、今回はついでに載せたつもりだが、その割には結構写真の数が増えてしまった・・。
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この日のお昼。マックでなくて失礼。マックはこれよりはバリュー感がある。

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東京駅 雨の合間に

2012年10月04日 | まち歩き

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月曜ほどではないが、まだカメラやスマホを構えている人がたくさんいる。今日は雨。ちょうどオフィスを出たときに小やみになっていた。
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道が雨に濡れてきれいだ。
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ドームの下の辺りには、以前はなかったと思われる大きな庇がついている。これは建物のデザインには似合わない近代的な構築物だ。
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今日はE-PL1を持ってきたので、ドームの上の方の装飾を撮ってみた。もう少し長いレンズでないと、ディティールがわからないかな。

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2階にも上れるのだろうか?
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鳩、じゃないか。
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前回も書いたが、なんか気になる色使いだ。
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少し戻って、丸ビルの5階か6階に行ってみる。駅側にテラスのようなものがあるのだ。ところが、今日は雨で閉鎖だという。残念!仕方なく、3階辺りにある休憩所に行ってみた。駅を見下ろすことができるが、夜はガラスの反射が強くて、こんな風にしか写らない。
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空を暗く写すために、マイナス補正をするのだが、そうするとライトアップの明かりが赤っぽくなってしまう。見た目に近いのはこんな感じの色だ。
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東京駅付近も再開発が進み、周りを高層ビル群に取り囲まれるようになった。
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ここはしばらく前から既に姿を現していた。
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途中からドーム上のライトが青(紫?)に変わった。
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一番北側の部分。何となくお城みたいだ。
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こうしてみると、何となくロシアっぽい感じがしないでもない。
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この後また雨が降り始めたので、ここで退散。

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カラヤン帝国興亡史

2012年10月03日 | 本と雑誌

前回まとめて読んだ 指揮者の本の続きである。中川氏の本は、前回の「カラヤンとフルトヴェングラー」に続いて2冊目だ。

最初にちょっと思ったのだが、もしかしたらこの本、カラヤンの全盛期を(何らかの形で)知っている人とそうでない人では、受け止め方が違うのかもしれない、ということ。中川氏はカラヤンを、歴史上の人物と同じ方法で描こうとしている、と言われているが、ある程度音楽やレコードのことを知っている人でないと、あるいは、同時代を生きた人でないと、カラヤンの『帝王』ぶりを実感できないかもしれない。

時折、カラヤンとヒトラーの共通性に触れたり、帝国が版図を広げることになぞらえた表現が見られるが、知っている人はそこまで書かなくても実感として理解できるが、知らない人はなにやら極端な表現、と捉えられるのではないか。

もはやCD屋さんに行っても、カラヤンだけが飛び抜けてたくさん売られている、という感覚はなくなってきていているようだ。すこしずつ時代の中に埋もれてきて、遠目にはフルトヴェングラーやトスカニーニのように、かつて一世を風靡した人、という見られ方をし始めている気がする。
これが本物の帝王とか独裁者だったら、そこまで風化はしないのだが。

とはいえ、読み進んでいけば、カラヤンがどれほどの権力を握っていたかがだんだんわかってくるので、それほど心配する必要もないのかもしれない。

あとがきでも触れられているが、この本にはカラヤンの芸術そのものについての記述はない。あくまでもカラヤンの権力掌握と喪失の歴史にこだわって論じられている。それはつまり政治家や「帝王」、いやサラリーマンだって誰でも経験する、権力闘争の普遍的な姿を描く、という事である。この本のおもしろさはそこにある。
ただし、中川氏が「芸術」に触れなかった理由は別にある。

この、中川氏の「あとがき」では、カラヤンは『理想主義者』だったのか、『芸術家』だったのか、について、フルトヴェングラーの著作と、それを論じた三島由紀夫のエッセイを引き合いにして論じている。ここのところが、ものすごく面白かった。

フルトヴェングラーは、リヒャルト・シュトラウスのことを、「彼は芸術家だったから、すなわち行為の人であり、「理想主義者」ではなかった-と著書の中で書いたそうだ。

日本ではふつう、「芸術家は理想主義者」というのが常識と思われている。

フルトヴェングラーがさりげなく触れたこの言葉に驚いた三島は、ワーグナーは理想の劇場など、この世にできるはずがないとわかっていた。だからこそ彼の「理想の劇場」が立ってしまっ
たのだ、と続けている(のだそうだ)。

中川氏は、カラヤンも心の底では理想を追い求めてなどいなかった。ひたすら音楽が好きで、その実現のために、理想主義者のふりをして、人を動かし仕事をやりやすくしただけなのではないか、という。あるいは、彼の生きた時代の政治情勢(ファシズムと共産主義)から、「理想」という言葉の持つ狂気を感じ取り、自らに理想を持つことを禁じたのではないか。

だから、カラヤンの演奏は客観的で、そこが表層的とか深みがないと批判されてきたのではないか、と。

・・・けっこう、難しいですね。ただ、カラヤンが権力を最終目標にしていたのではなく、それこそいい音楽が作れれば権力などどうでも良かった、という解釈には頷けるものがある。

もちろん「芸術家」としてのプライドも強く持っていただろうし、強い嫉妬心も持っていたかもしれない(ショルティが世界初の「指輪」全曲を録音したので、カラヤンが彼を避けるようになった、という記述には笑った。それにしてもショルティという人は、とぼけてるんだかなんだか、妙な愛嬌を感じる)。また、現世的な処世術だって人一倍持っていたのだろう(それがないとオペラができない)。

いくら技量が優れていても、あるいは頭のなかでは素晴らしい演奏を奏でることができても、演奏家は人前で演奏できなければどうしようもないのだ。そういう意味では、フルトヴェングラーの言う、「芸術家は行為の人」というのは、そんなに理解が難しいことではない。何かを残すことのできる力と、現実的能力を持つものが、芸術家と言うことか。
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となりのCDは、この本を読んで聴きたくなった、ショスタコーヴィチの交響曲第10番。「生涯で最高の演奏」という66年ライブではなく、81年のデジタル録音版。さっき1回通して聴いたけど、う~ん、僕には難しすぎるかな?
前回に続き、今回も新宿の中古CD店で買ったけど、考えて見ると昔は中古でCD買ったことは、ほとんどなかったな。新譜で廃盤だといわれても、ここにいくとたいていあるような感じがする。

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東京駅の復元完了

2012年10月01日 | まち歩き

工事中、特に今年に入ってからはすこしずつ姿が見えてきて、完成を楽しみにしていたが、ようやく完成し、お披露目となった。
ところが、今日はいつも持ち歩いているコンデジを忘れてきてしまった。仕方がないのでスマホで撮ったが、シャープガラパゴスに夜景は無理だ。
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とりあえずドームはそれなりに撮れた。ただこれ、何の説明もないとなんの写真だかよくわからないな。
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落ち着いた色合いだ。この色合いも復元されているのだろうか?また、ドイツやロシアなどの国々で、色使いとかに違いはあるのだろうか?
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スマホは便利なんだけど、こういう写真を見ていると、まだコンデジの出番はあるな、と思ってしまうな。とにかく、優雅な装飾は何となくわかる。
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上を見ると典雅な世界だが、下ではみんなこんなことをしている。
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こんな写真がせいぜいで、くやしい。明日は用があって写真を撮っている暇はない。水曜だな。
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中央部分。4月頃、屋根の銅を葺き直したときはぴかぴかだったが、やがて落ち着いた色になった。なんだか夢の世界のような画像。
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ステーションホテルは3日開業だそうだ。

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