60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

図形文字と絵文字

2006-02-08 22:35:05 | 言葉と文字
 図は心理学者のプレマックがチンパンジーに言葉を教えるために使ったプラスチックの図形文字の例です。
 チンパンジーは人間のように声が出せないので、身振りとか文字のような視覚によって言葉を教えなければなりません。
 この場合は色のついたプラスチックで、模様ではなく色と形で言葉をあらわしています。
 チンパンジーは赤い四角をバナナ、紫の三角をリンゴをさす言葉として覚えるわけです。
 プラスチックの図形文字は見ればバナナとかリンゴを表しているということが分かるものではありません。
 象形文字のように、ものの形に似せたほうがチンパンジーには分かりやすいのではないかと考えるかもしれませんが、そういうことは関係ないそうです。
 チンパンジーなどに言葉を覚えさせようとするとき、物に似せた絵文字などを使う試みもあったようですが、どの研究者も絵文字を使わなくなっています。

 絵文字を使わないのは研究者自身がが象形文字を使わないという理由ではありません。
 チンパンジーが絵文字でなくて、適当な図形や模様をものの名前として使うことを覚えられるからですが、それだけではありません。
 たとえば「犬」という言葉を覚えさせようとするとき、絵文字を使うと特定の種類の犬には都合がよくても違った種類の犬も「犬」というのだと覚えさせるのには不便です。
 「犬」という言葉を覚えさせるには、いろんな犬を見せてそれらがみな「犬」という言葉で表されるのだと教えなければなりません。
 そうなると実物に似た絵文字は、かえって混乱の元になります。
 
 文字の起源が絵文字であったとしても、写生的な絵文字ではなくなり、写実性を失った図形に変化したり、象徴的な記号として使われるようになったのは絵が文字としては不適当だからです。
 音声言語の場合でも幼児なら犬を「ワンワン」と呼んだりするかもしれませんが、泣き声に似せて名前をつけるのは結局は不便なので使われなくなります。
 子供も「ワンワン」と鳴かない犬が多いということを覚え、声に似せて名前をつける野は帰って不便だということが分かるのです。
 まして人類が言葉を使い出したとき、魚は「パシャン」と呼んだはずだなどということはないでしょう。

絵文字は写生ではない

2006-02-07 22:53:01 | 言葉とイメージ
 文字はどの文明の場合も絵文字が起源になっているといわれています。
 示そうとするものを写生しようとしたので、見れば何をを表わしているかがわかるという風に思われています。
 ムーアハウス「文字の起源」には魚を意味する文字の例が示され、どの文明でも同じようなあらわし方をしている、つまり人間共通の表現法だとしています。
 つまり、人間の感覚は似たようなもので、似た表現をするというのです。

 このような例を示されて説明されると、象形文字の元になっている絵文字というのは人類共通なのだと思わされそうになります。
 しかし、これは都合のよい例を示したもので、動物でも植物でも何でも似たような表現をしているわけではありません。
 また、図に示されている例では、魚を表していると言われるからそう見えるので、いわれなければ分からないものもあります。
 読者は「これは魚をあらわしている」というフレームの中で考えさせられるので、人間は同じような表現をするものだと思い、また見れば意味が分かると思ってしまうのです。
 
 実際に絵文字が写実的で、見ればわかるようにできているかどうかは疑問です。
 絵というものは同じものを描いたつもりでも、描き手によってイメージが違ったり、表現になるので、誰が見ても分かるとは限りません。
 絵の上手下手という問題もありますし、形を決めておかないと前に描いた形と違った形のものを描いてしまうことすらあります。
 図の例だけで見ても、学者でもなければ、あらかじめ魚だといわれなければなんだか分からないというというのが正直なところではないでしょうか。
 魚かもしれないと思うものがあっても、「そうではない」といわれたりすれば引き下がってしまうのではないでしょうか。
 

クレーターの錯視

2006-02-06 22:14:07 | 眼と脳の働き
 左の二つの円を見ると凹んでいるように見えますが、しばらくみていると膨らんでいるように見えます。
 さらも、見ているとまた凹んで見えたり、ふくらんで見えたりします。
 普通はこれは凹んで見えるものとされ、光が上から来るのが普通なので凹んで見えるという風に説明されています。
 ところが現代の日常生活では下のほうから照明が当てられる場合も多く経験するので、必ず凹んで見えるというものではありません。
 最初に見たとき凹んで見えてもしばらく見ているうちにふくらんで見え、互いに見え方は交代するのです。
 
 真ん中の二つは平面的に見えるので交代はありませんが、右側の二つはどうでしょうか。
 この場合上の円がふくらんで見え、下の円は凹んで見えます。
 上の円は光が上から当たった感じなのでふくらんで見えるのですが、この場合はしばらく見ていても、見え方の交代は起きません。
 下の円は左の二つの円と同じなので、これだけを集中して見ていれば見え方の交代が起きるのですが、上の円が目に入ると見え方の交代はおきにくく、凹んだ状態に見えたままです。
 つまりフレームによって見え方が違ってくるのです。

 心理学では、いくつかの上が明るい円と、下側が明るい円を同時に見せ上が明るい円がふくらんで見え、下が明るい円が凹んで見えるのを、クレーターの錯視と呼んでいます。
 光が上から来るという経験からそのように見えるというふうに説明されていますが、はじめに見たようにかならずしもそうとはいえません。
 二種類の円を同時に見るというフレームをいつの間にか作って、そのフレームの中での見え方を一般的な見え方であるように説明しているわけです。
 例が挙げられたときはその例が一般性を持っているかどうか検討する必要があるのです。

フレームの外から見る

2006-02-05 22:47:10 | 眼と脳の働き
 山口真美「視覚世界のの謎に迫る」によると、生後四ヶ月の乳児の場合は図の①と②の二つの図は区別できたが、一ヶ月の乳児は①の二つは区別ができないそうです。
 一ヶ月の乳児は①の枠をはずした場合は中の小さな図形の違いが分かるので、枠があると、それに注意を奪われて違いが分からなくなると思われるとのことです。
 乳児の場合は視覚能力が未発達なので簡単な違いが分からないということなのですが、①と②は違い方というのはどちらも一通りです。
 ①は中の図形が異なり、②は外の図形が異なっています。
 成人でも②の二つの図形が異なることはすぐに分かっても、中の図形は同じだということに気がつかない場合があります。
 人間の注意は外側のフレームのほうに向かいやすく、中側への注意が少なくなりやすいのです。
 
 ①や②の場合は図形が単純なので、成人の場合は簡単に見分けがつきますが、③や④のように複雑になるとフレームの影響を排除することは難しくなります。
ちょっと見ると③と④は①や②とは違う問題のように見えますが、フレームに注意が奪われて、中が正しく見えにくいという点では同じです。
 ③は同心円と正方形が描かれているのですが、正方形がゆがんで見えます。
 同心円と正方形を平等に見るか、正方形にもっぱら注意を向けてみればよいのですが、つい同心円のほうに注意が奪われるので、正方形がゆがんで見えてしまうのです。
 そこで同心円の外側を見るようにすると、同心円も正方形も少しぼんやり見えますが、正方形のゆがみはなくなります。
 また、正方形の辺をジッと注視し続けるといつの間にかゆがみは消えます。

 ④は放射線と大小二つの円が描かれているのですが、小円はゆがんで見えます。
 この場合も大きな円の外側を見ていると小円のゆがみは消えますし、小円をジッと注視し続ければやはりゆがみは消えます。
 全体を広く見るか、部分に集中するかどちらかにすれば正しい見え方をつかむことができます。
 問題を考えるとき、広く外側から考えるか、内側から考えるなら徹底的に論理をつめるかすれば正解しやすいのと似た関係です。

枠組み効果の錯視

2006-02-04 22:30:18 | 眼と脳の働き
 A図は枠組み効果による錯視といわれるものです。
 左側の図では外側の長方形の枠による影響で中の図形は正方形に見えるのに、右側の図ではひし形に見えるというものです。
 中の四辺形は左右とも同じ正方形なのですが、外側にある長方形の向きが違うので、その影響を受けて見え方が違ってくるのです。
 中の四辺形だけに注意を集中して見れば同じ図形に見えるのですが、外側の図形のほうに注意を向けてしまうと違う形に見えてしまうのです。

 この場合も長方形の外の部分に視線を移して(二つの正方形の中間あたり)見ると、二つの正方形は同じ形に見えます。
 長方形と中の正方形をひとつのまとまりとして見るというのが普通の見方ですが、二つの正方形の中間あたりに視線を当てた場合は、枠の長方形よりも中の正方形のほうに注意が向くからです。

 つぎにB図を見ると、A図の場合と比べれば、中の正方形は特に注意しなくても、二つともひし形に見えると思います。
 この場合は中の正方形は黒く塗りつぶしてあるので、自然に中の正方形のほうに注意が向かうため、両方とも同じ形に見えるからです。
 二つの黒い正方形のほうにまず注意が向くので、二つの正方形の配列のほうが沸くとなる長方形の配列より優先して見えるのです。
 光学的にはA図の場合もB図の場合も、中の正方形は同じ形なのですが、注意の向け方あるいは向かい方によって見え方が違うのです。

配列のゆがみ

2006-02-03 22:55:14 | 眼と脳の働き
 重力レンズの錯視やジョバネリの錯視は、整列している図形が近接する図形の影響で配列がゆがんで見えるというものです。
 では、なぜ影響を受けるのかということは説明されていません。
 近接する図形がどんなときに影響を受けるのかということも、事例が示されるだけで説明がありません。
 近接する図形がごく小さなものであれば影響を受けないだろうということは予測できるので、ある程度の大きさが必要だということは直感的にわかります。
 図形の形は丸でも三角でも四角でも影響があるということが分かっているので、後は大きさや形がそろっているかどうかです。
 
 図は大きさや形を不ぞろいにさせてみたものです。
 前回のように形や大きさがそろっている場合と比べれば黒点(黒丸)や縦線がせいれつしているのが分かりやすいでしょう。
 一番上の例では黒点が横一線に並んでいるのは、黒点に注目すればそれほど注意を集中しなくても見て取れます。
 この場合は近接する図形が大きさや形が不ぞろいなのに、黒点(黒丸)は同じ形、大きさなので小さくても注意を引くためです。
 
 次の縦線の場合も水平に等間隔でならんでいることが分かるのにそれほど強い集中力が必要ではありません。
 縦線にのみ注意を集中するのでなく、真ん中の空白部分にしせんをむけ、周辺視野で見ればさらにハッキリと縦線が水平に等間隔で整列していることが分かります。
 近接している図形が不ぞろいであるため、整列している縦線が対照的に見て取りやすくなっているといえます。
 
 下の図形の場合も、数は少ないのですが、隣接する図形が不ぞろいのため、小さな黒点が整列していることが分かりやすくなっています。
 埋め込み図形のようなもので、周りの図形が不ぞろいのため、さほど集中力がなくても整列していることがわかるのです。
 隣接する図形が同じ大きさや形であれば、そちらのほうが大きいので、注意をひきつけてしまい配列がゆがんで見えてしまうのです。

ジョバネリの錯視

2006-02-02 21:45:01 | 眼と脳の働き
 図はジョバネリの錯視と呼ばれ、枠組み効果がはたらく錯視とされています。
 上の図では黒い円は一直線に並んでいるのですが、それを囲んでいる三角形がランダムに並んでいるため、ジグザグ状に見えます。
 下の図でも縦線は水平に並んでいるのですが、囲んでいる四角形がランダムニ並んでいるためジグザグ上に見えます。
 近くにある関係枠への依存によって、直線的に並んでいるものが崩れて見えるのだという風に心理学では説明されています。

 この現象は枠組みによるとされているのですが、重力レンズの錯視と本質は同じです。
 重力レンズの錯視の場合は小さな図形が大きな図形に外側から近接していたのですが、この場合は内側から近接しているのです。
 この場合も小さな図形に注意を集中して見ていると、水平に直線的にならんでいると見えるようになります。
 横に並んでいる7つを同時に見ることができればよいのですが、できない場合は三つずつとか四つづつを集中して見れば水平線上にあることが分かります。

 つぎに真ん中の空白部分つまり背景となっている地の部分に視線を向けてしばらく見ていると、周辺視野にある小さな黒い円は水平に一直線上にあるように見えてきます。
 同じように下の縦線も水平線上に並んでいるのが見てとれます。
 つまり大きく全体的に黒い円がひとまとまりに見れば水平に見え、縦線もひとまとまりのものと見れば水平に見えます。
 つまり、小さい図形と大きい図形をペアとしてみる見方を捨て、切り離して見ることができれば錯視しなくなるのですから、重力レンズの錯視の場合とまったく同じ原理なのだということが分かります。
 重力レンズの錯視とは見かけが違っても構造は同じなのです。

重力レンズの錯視

2006-02-01 23:27:01 | 眼と脳の働き
 図は重力レンズの錯視と名づけられています。
 アインシュタインの相対性理論の中に出てくる「重力レンズ効果」に似ているということでつけられた名前だということです。
 何のことか分かりませんが、4つの黒い小さな丸は長方形をかたちづくっているのに、大きな円がくっついているためにゆがんで見えます。
 左の図ではは黒い円が近接していますが、右のように白い円でも同じような効果が得られます。
 
 大きな円のほうに小さな円が引き寄せられて見えるために、ゆがんで見えるのだろうと思うのが普通かもしれません。
 しかしこれは、小さな円と近接する大きな円を、ひとつのまとまりとしてみてしまうことから起きる錯視です。
 小さな円だけに注意を向けて見ていると、長方形に見えてきます。
 大きな円との関係を無視することができるほど小さな円に注意を集中できればゆがんでは見えなくなるのです。

 つぎに、小さな円や大きな円ではなくそれを曲線で囲んだ図形全体に注意を向けて見ます。
 いわば背景となる白地の部分を見ると小さな円をひとつのまとまり、大きな円を別のまとまりとして見るわけです。
 そうすると小さな円と大きな円をワンセットにして見ないので、小さな円の配置が正確に見えるようになります。
 
 つまり、細かい部分に注意を集中して見ても、全体的に大きく見ても錯視が消え、中間の見方をすると錯視が生じてくるということになります。