「たわけ」は、なぜ「たわけ」というような語源の説明で最も初歩的なのは語呂からの連想による説明です。。
「たわけ」は「田分け」で田を分割相続させると子孫が貧窮するから、愚かなことを「たわけ」というようなものです。
「たわけ」は昔は「たはけ」と表示していたので「田分け」がまったく根拠のない説であることは言うまでもありません。
「た」と「わけ」という音からの連想で考え付いたもので、落語の「矢が当たってカン、矢カン.やかんとなった」という語源説となんらかわることはありません。
それでも、こういう語呂合わせを信じるひとが結構いるので「はたらく」は「はた」を「楽」にすることだなどという説明に妙に納得したりします(「はたらき」は「はた」を「らき」にすること?)。
図の例は韓国人の作家による語源説で、緑の語源は韓国語音で解釈すると説明できるというものです
「ミドリ」は分解すれば韓国語音で「水石」と解釈することができ、水中の石は苔むして緑色だから「ミドリ」は緑色を指すことになったといいます。
普通の人は赤とか青とか基本的な言葉を何でそういうかなどと考えません。
説明される言葉というよりもほかの言葉を説明するための言葉だと考えているでしょう。
たまたま韓国人が「ミドリ」という日本語を聞いて韓国語音に対応させて語呂合わせをしたのでしょう。
説明のしかたはまったくの思いつきであることは、日本語で「石」のことを「ドリ」というような例がほかにないことですぐに分かります。
こんな説明でも大昔は朝鮮から渡来した人が多かったという歴史があるために、「そんなものかな」と納得する人もいるかもしれません。
水中の石は苔むして緑だなどというのも、いかにもこじつけで水中の石が緑色とは限らないし、そんな回り道をしなくても苔が緑色なら緑は「こけ」と呼べばよかったということになります。
つぎの「かしわ」についても韓国人なら「ガシバル」という音が「かしわ」と似ていると感じるかもしれませんが日本人には「エー?」という感じで「これが説明になるのかなあ」と不思議に思うはずです。
鶏だけでなくカラスもスズメもハトもみな「かしわ」というのかしらん。
鶏の足跡が木の枝に似ているから鶏のことを「木の枝」と呼んだというのですが、まさか韓国語で鶏のことを「木の枝」と呼んでいるわけではないでしょう。
それがなぜ日本で「かしわ」(ガシバル=木枝)となるのか、まったく混乱した思考法です。
言葉を分解して、似たような韓国語音を対応させてみて連想で結びつきそうなものを当てはめてみたということです。
言葉遊びの一種だと思えばよいのかもしれませんが、それにしてはできばえがいまいちです。
「たわけ」は「田分け」で田を分割相続させると子孫が貧窮するから、愚かなことを「たわけ」というようなものです。
「たわけ」は昔は「たはけ」と表示していたので「田分け」がまったく根拠のない説であることは言うまでもありません。
「た」と「わけ」という音からの連想で考え付いたもので、落語の「矢が当たってカン、矢カン.やかんとなった」という語源説となんらかわることはありません。
それでも、こういう語呂合わせを信じるひとが結構いるので「はたらく」は「はた」を「楽」にすることだなどという説明に妙に納得したりします(「はたらき」は「はた」を「らき」にすること?)。
図の例は韓国人の作家による語源説で、緑の語源は韓国語音で解釈すると説明できるというものです
「ミドリ」は分解すれば韓国語音で「水石」と解釈することができ、水中の石は苔むして緑色だから「ミドリ」は緑色を指すことになったといいます。
普通の人は赤とか青とか基本的な言葉を何でそういうかなどと考えません。
説明される言葉というよりもほかの言葉を説明するための言葉だと考えているでしょう。
たまたま韓国人が「ミドリ」という日本語を聞いて韓国語音に対応させて語呂合わせをしたのでしょう。
説明のしかたはまったくの思いつきであることは、日本語で「石」のことを「ドリ」というような例がほかにないことですぐに分かります。
こんな説明でも大昔は朝鮮から渡来した人が多かったという歴史があるために、「そんなものかな」と納得する人もいるかもしれません。
水中の石は苔むして緑だなどというのも、いかにもこじつけで水中の石が緑色とは限らないし、そんな回り道をしなくても苔が緑色なら緑は「こけ」と呼べばよかったということになります。
つぎの「かしわ」についても韓国人なら「ガシバル」という音が「かしわ」と似ていると感じるかもしれませんが日本人には「エー?」という感じで「これが説明になるのかなあ」と不思議に思うはずです。
鶏だけでなくカラスもスズメもハトもみな「かしわ」というのかしらん。
鶏の足跡が木の枝に似ているから鶏のことを「木の枝」と呼んだというのですが、まさか韓国語で鶏のことを「木の枝」と呼んでいるわけではないでしょう。
それがなぜ日本で「かしわ」(ガシバル=木枝)となるのか、まったく混乱した思考法です。
言葉を分解して、似たような韓国語音を対応させてみて連想で結びつきそうなものを当てはめてみたということです。
言葉遊びの一種だと思えばよいのかもしれませんが、それにしてはできばえがいまいちです。