S.Jブレイクモア「脳の学習力」によれば、文字を読むときは小さな子どもでも脳の左半球の特定の部分が活発化するといいます。
この部分の活動は年齢が上がるにつれて強くなり、各年齢の中では読む能力が高いほど強く活動したそうです。
これに対し左半球の活動が強くなるにつれて、上の図で見るように右半球の活動が弱くなったといいます。
これは長い間読むことを学習するにつれて、読むときの活動の中心が右半球から左半球に切り替わっていったと解釈されています。
左半球で音と文字の対応付けがおこなわれ、これが読むことの中心的な機能になるにつれて文字の視覚的な特徴の処理に強く関与する右半球はあまり重要でなくなってくるというわけです。
読みに熟達するにつれ、文字や文字の集まりである単語を見定めるのが素早く出来るようになり、ほとんど自動化されるにつれて、エネルギーが少ししか必要でなくなるということのようです。
文字を見れば自動的に読みが頭に浮かんで、その読みに対応して意味がはあくできるようになり、単語を組み合わせた文章に理解にエネルギーが向けられるというわけです。
年齢が上がるにつれ、また同じ年齢の中では読む能力が高いほど左半球の活動が強くなるというのはどういうことなのかは説明がありませんが、おそらく読む能力が高まれば読むスピードが速くなるわけですから、同じ時間での読む量の違いによるものと考えられます。
文字を見る分については読む量が増えてもそれほどエネルギーが増加しませんが、意味処理のほうは量が増えれば神経活動の量も増えます。
年齢が高いほうあるいは同じ年齢でも読む能力が高いほうが、意味処理の能率が高いので同じ量であればより少ないエネルギーで処理できますが、スピードが速くなるので同じ時間での処理量がずっと多くなるので、処理エネルギーの総量が増えるのでしょう。
このことの意味は、文字を読んで理解する上で、文字の視覚的処理を自動化して、視覚処理にエネルギーを使わないですむようにすることが大事だということです。
活字の発明が文字の普及に役立ったのは、コストの問題もありますが可読性ということで文字の視覚的処理を楽にしたという点にもあります。
文字を見て自動的に読んでしまうというのは、読む上で必要な能力なので、そういう点ではストループテストのようなものを練習して、わざわざ読みの自動化を妨げるというのは好ましくありません。