そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月27日(日)代々木上原へ

2011年03月27日 | 公開

 井上宗雄先生を偲ぶ会の相談に、代々木上原の喪家をお訪ねする。まず、肖柏の九首和歌幅が掛けられた床に安置されたご遺骨に拝礼。参集したのは、立教のK教授、お弟子筋のWさん母子、Yさん夫妻、Nさん、そして娘婿のK氏。奥様とお嬢様お2人にもお加わりいただいて色々お話しをし、いくつかの修正点を含めて、おおまかな方向性を定めた。

 お嬢さまがまとめられたという写真帖を見せていただく。奥様は至極明るく振舞っておられた。お亡くなりになる数日前に、額と頭の境が分かったとおっしゃる。汗をかくのが額で、つるっとするところからが頭なのだそうだ。

 先生の書斎は先般の地震で書籍が落下していたが、少し片付けられていた。しかし、お机の上は地震の時のままかもしれない。真中に、私も寄稿した『和して歌う』が置かれていた。その向って右脇には、日記のノートが見える。

 奥様から先生のお写真をいただいた。また、先生ご蒐集の短冊帖から、好きなのを1枚ずつ持って行ってよとおっしゃるので、皆で拝見する。窪田空穂が1枚あり、皆から、××××君は躊躇なく空穂だよねと言われたので、それではと謹んで頂戴した。私の師匠(故F教授)の師匠(故I教授)のお師匠様である。早々と形見分けをお受けした格好だ。

  そゞろにも洗ひ落すな衷ふかきこゝろの垢はあるにたのしき 空穂

 ううむ、意味深長な歌だな…。(汗 「衷」は「うち」と訓むのであろう。私の「心の垢」は、鰻重とロースかつかもしれん。

 明日から計画停電は細切れになるらしい。我が地域は午前中とのこと。東電の発表も右往左往で、大丈夫かいな。黙して語らぬ人もあれば、要らぬことを言って顰蹙をかう人も。記事をよく読むと、病院が停電にならないようにしたということなのかな。しかし、私の住んでいるところは病院もどこも停電だ。荒川・足立両区長が不公平だと怒ったというのも、品のない話である。何が「がんばろう日本」だ。だんだん、むかむかしてきたわい。


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