そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月3日(木)最も悲壮なる我が校歌

2011年11月03日 | 公開

 やっとこさ祝日が休みとなった。文部科学省のせいで、祝日がホントの休みになると、なんだか有り難い気がするね。先月の創立記念日も授業をしたからなあ。

 明日は体育祭で、あさって、しあさっては学園祭だ。自慢ではないが、学生時代から自分の大学の学園祭には、一度も行ったことが無い。家で溜まった仕事を片づけるにしくはなし。

 同居人から、食器戸棚の中を片付けろと殴られた。ネクタイやらチーフやら、変なものまで突っ込んでいるから仕方がない。おいおい何とかいたしますから…

 話は変わるが、数ある我が大学の校歌斉唱の中で、もっとも悲壮なるは これ であろう。第5チャプターの、08:38あたりから再生されたし。

 私の故指導教授も、昭和18年学徒出陣組だった。

 なんだかよく分からん連想だが、義列空挺部隊指揮官の奥山道郎大尉は、何となく親しみが持てるキャラクターだなあ、と思ったりする。体型がね。ああいう丸眼鏡が欲しいなあ。


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3 コメント

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ただただ頭を下げるのみ (ガマン専任)
2011-11-04 10:52:52
ご紹介の映像のなかで何名が生還されたのでしょうか。

時世を経てもしも今のこの国に戻られたらただただあさましさに涙されるのかも知れません。

この国の行く末ひたすら案じつつ外つ国に死すあはれ思へよ
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英霊 (亭主)
2011-11-04 17:38:16
義烈空挺部隊は全滅ですね。
1機が強行着陸に成功し、
戦果をあげましたが…

早大生壮行会のほうで、
西郷像の前で答辞を述べている巨漢は、
相撲部の岡部幸夫です。
海軍飛行科予備学生13期。
昭和20年5月11日、
菊水六号作戦により
第五筑波隊指揮官として
沖縄沖の敵艦に突入しています。
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突入機 (亭主)
2011-11-05 03:38:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_Suicide_Plane_on_Okinawa.jpg
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