日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

出せるだけ

2011年11月22日 | Weblog
確実に出たと思っても、毒と云うのは消えてなくなる事はないものだなと思います。
出せるだけ出す、そう思っても、溜まりに溜まっているのでそう簡単には出てくれないし、ある程度出ると、また溜まり出す。
これの繰り返しで、ちっとも毒は減らないようです。
減らないにせよ、せめて増えずにいてくれたらいいのですが、そうも行かないもので。
溜めたくないものに限って増えて行きます。

とても自分一人の力じゃ進まないので、時々他人様の力を借りて毒出しをしても、少し軽くなった気持ちが何日かで曇り始める。
これは一体どう云う事なのか、どうしてもある一定量ないとダメと云う事のように思えます。
定量に慣れてしまうと、減る事で逆に不安が増すと云う、摩訶不思議な事が起きているようにも感じます。

いい事だらけでいることが悪いとは全く思いませんが、マイナスがあって初めてプラスを知る事が出来ると云うのは然りです。
それに、聖人君子か神様でもない限り、心からマイナスの思いがなくなるなんて事はないはず、あったら逆に気味悪い、人間じゃないだろと思う訳で。
問題はそのプラスとマイナスのバランスだと思います。
外から入って来なければ、わざわざ沈澱している毒を撹拌しないとなぜか不安になるとか、よくない状態に持って行く事で実は安心している、こう云う事はバランスが崩れた状態だと思いますが、自分を含めそう云う人ってとても多いと思います。
良くなる事が不安、自分が良い状態になってはいけないと云う、強い思い込みや刷り込みがある。
これを徐々に減らし、いい状態でいるのが自分の本来の姿だと思えるようになる、この毒出し作業を上手く進めたい、切実にそう思います。

でも最近ふとした感じで、もやっとした霧が晴れて行くような感覚になり始めました。
すっと腑に落ちるとか、急に目の前が明るくなるとか、そう云う急激でリアルな感じではありません。
でも今迄同様の事を繰返しても、その間隔が短くなり薄くなり、深みにはまらなくなったような、そんな感覚です。
色んな事が、繋がりそうな細い線上でリンクし始めている、或いはリンクしていた事に気付いたと云うか……。
少しずつクリアになって行くと云うのは、何にでも時間がかかる私らしくて苦笑いと云う感じですが、自分が心の奥底で何時も恐れている状況にならない為には、急激であってはいけないのだと思います、多分……。
やっと見えて来た・感じられて来た事を、これからは逃さずにいられるようにと願っています。