史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

飯塚

2016年06月25日 | 福岡県
(嚢祖八幡宮)


嚢祖八幡宮

 野村望東尼は、歌の師大隈言道が滞在していたことから、度々飯塚宿を訪れている。大隈言道は飯塚の産土神嚢祖(のうそ)八幡宮の近くにあった、弟子の古川直道の別荘「宝月楼」に滞在していた。言道はここを拠点に古川をはじめ嚢祖八幡宮宮司青柳直雄、森崎屋の小林重治ら飯塚の歌人、商人らと交遊し、歌の指導を行った。嚢祖八幡宮境内に青柳直雄ら飯塚宿の人々が建立した「和魂漢才碑」が残されている。


和魂漢才碑

(内野宿)
 長崎街道は、山家宿(現・筑紫野市)から薩摩街道や秋月に至る九州の幹線道路であった。参勤交代の大名行列や多くの志士たちも往来した。今も沿道には往時の雰囲気を残す建造物が残されている。
 吉田松陰は、嘉永三年(1850)、兵学や海防の研究のため、平戸や長崎、熊本へ遊学のため長崎街道を通行している。内野宿については「寂寥の山駅」と日記に書き残した。


内野宿
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