史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

梅田 Ⅱ

2018年09月21日 | 大阪府
(太融寺)
 今年(平成三十年(2018))の夏休みは、京都の実家を拠点に大阪、滋賀、福井、奈良そして京都市内の史跡を回る計画をたてた。初日は久しぶりに大阪である。真夏の太陽が容赦なく照りつけ、とても暑い日であった。ずっと帽子をかぶっていたが、帰宅したときには顔は真っ赤かに日焼けしていた。


太融寺


國會期成同盟発祥之地

 最初の訪問地は、東梅田の太融寺である。境内には淀殿の墓がある。寺の周囲はラブホテル街となっている。
 明治十三年(1880)、大阪で国会期成同盟結成大会が開かれ、国会開設の請願書と国民的運動の方向が決定された。この大会は、同年三月十五日、北久宝寺町喜多福亭で始まり、十九日、会場を太融寺に移し、四月八日まで白熱した議論が続けられ、その後の全国的な運動の発展に画期的な意義をもった。故にこの寺は国会期成同盟の発祥の地であり、自由民権運動の飛躍の場所として歴史に刻まれることになった。
 昭和六十年(1985)、自由民権百年を契機に太融寺境内に「国会期成同盟発祥之地」記念碑が建立された。

 国会期成同盟発祥之地の横に横綱玉の海の碑がある。玉の海は愛知県の出身とされているが、生まれは大阪市であった。その関係で太融寺境内に記念碑が建てられたのであろう。
 北の冨士のライバルとされ、大鵬引退後は「北玉時代」と呼ばれるが、虫垂炎により二十七歳という若さで急逝した。ムラっ気のある北の冨士と比べると安定感があった。玉の海が亡くなった時、私はまだ小学生であったが、あの時の衝撃は今も忘れられない。


第五十一代横綱 玉の海正洋之碑

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