史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

笹子

2021年07月03日 | 山梨県

(黒野田)

 笹子は大月市に合併されて、現在は大月市笹子町となっている。黒野田宿は笹子峠の難所を控える宿場町であった。

 本陣跡には明治天皇行在所趾碑が建てられている。明治天皇が当地に宿泊したのは、明治十三年(1880)六月十八日のことであった。

 

明治天皇行在所趾

 

(矢立の杉)

 

矢立の杉

 

 笹子峠は大月から甲州へ抜ける最大の難所であった。その後、昭和十三年(1938)、笹子隧道が貫通し、昭和四十年(1965)、さらに別ルートである国道20号線の新笹子隧道が開通し、旧街道の交通量は激減した。昭和五十二年(1977)には全長4・7キロメートルの中央高速道路笹子トンネルが穿たれ、今となっては難所というイメージはないが、むしろ渋滞の名所として知られるようになった。平成二十四年(2012)に天井崩落により死者九名を出す大事故が起きたことは記憶に新しい。

 今やほとんど見向きもされることがなくなった旧道であるが、天然記念物矢立の杉や明治天皇御野立所跡碑を訪問した。

 国道から旧道に入って4キロメートルほど行くと入り口がある。そこから矢立の杉まで百メートルである。

 

天然記念物笹子峠の矢立のスギ

 

 矢立の杉は、樹齢千年を超えるという古木である。戦国時代、笹子峠を通って合戦に行く武士は、必勝を祈願してこの杉に矢を射ったことがその名の由来という。江戸時代に甲州街道が整備されると、ここも人々の往来が盛んになった。葛飾北斎や二代目歌川広重の浮世絵にも描かれている。

 矢立の杉の幹は空洞になっていて、強風に襲われれば何時倒壊しても不思議はないが、それでも青々とした葉が茂っている。千年の樹齢を経てなお生命力を感じさせる巨木である。

 矢立の杉から二百メートルほど下ると明治天皇御野立所の石碑がある。

 

明治天皇御野立所跡碑

 

 明治十三年(1880)六月の明治天皇の山梨、三重、京都への御巡幸の際、同月十九日、御野立所として利用された場所である。今や鬱蒼たる木立に囲まれているが、往時この場所には天野治兵衛家があった。昭和十二年(1937)、天野の手により陸軍大将菱刈隆の揮毫を得てこの記念碑が建立された。

 

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