第2期キング・クリムゾンの第1弾アルバムである。
デビュー以来、常に真摯に音と向き合ってきたロバート・フィリップを中心としたキング・クリムゾンは、一方で「アイランズ」を発表後のツアーにおいては既に崩壊状態であった。理由は一重に音楽性とそれを実現するための高度な音楽テクニック、さらにはプログレッシブ要素を表現することのできる心理的な描写力と高いモチベーションのそれぞれを維持しつづけるという難題が、このロック界の哲学者ロバート・フィリップと対峙するには不可欠であった。当然、オリジナルメンバーはその状態が普通の人たちだったが、最後までフィリップと共に活動していた核であるピート・シンフィールドとの決別はクリムゾン崩壊の決定打となってしまった。
新しいメンバーは、ベースとヴォーカルのジョン・ウェットン、ドラムのビル・ブラッフォード、そしてパーカッションにジェイミー・ミューア、ヴァイオリンにデヴィット・クロスという構成であった。ジョン・ウェットンはフィリップの大学時代の友人でもあり、直近まではファミリーというバンドに在籍、また、ビルはあのイエスのオリジナルメンバーで「こわれもの」、「危機」というロック史上に残る名作で画期的なドラミングを披露した天才ドラマーである。この二人の参加はクリムゾンに、また、プログレッシブ・ロックの歴史に大きな影響を残すことになる。そしてその序章がこの作品である。まずもってタイトル曲はパート1、パート2に分かれていて、後々ライヴ演奏でパート2はクリムゾンの定番になるが、スタジオ盤はどちらも素晴らしい。さらに「土曜日の本」、「放浪者」では、シンプルな構成であるが、そこは新生クリムゾンらしい質の高いバラードを試作している。そして、「イージー・マネー」は、第2期クリムゾンの代表曲になる、また「21世紀の精神異常者」と並ぶ名曲だ。このアルバムで、クリムゾンは初めてロバート・フィリップの意とした、インテリジェンスの高いプログレ音楽を完成させた。ある意味で宮殿から始まったクリムゾンが、はじめて、数々のメンバー変遷を経て、第2の宮殿に近い作品を発表することが出来たのである。こう書いていると、改めて、クリムゾンというのはロバートのバンドの様であるが、そうではなくてロバートの意のままにこのバンドのこの音楽が出来たのではなく、初期のクリムゾンメンバーの中で唯一、ロバートだけが自分の方向性の行き先を決められなかった。なかった故にクリムゾンに留まり、宮殿塾の専任講師をやりながら(だんだん塾長みたいになってきたが・・・)常に自分の音楽を表現できる仲間を待ち続けてきたのである。その結果がこの新生クリムゾンであり、このアルバムなのである。また、実はこの作品が「クリムゾン・キングの宮殿」より、どこか勝っているとしたら、それはジョン・ウェットンのヴォーカルと、ジェイミー・ミューアのパーカッションである。ウェットンの声質はグレッグ・レイクより少し高いがどことなく似ていて、ライヴの「21世紀の精神異常者」などは実にふたりが被る。しかし、このレイクよりもどことない気だるい美声というのが、新しいクリムゾン、新しいプログレに必要不可欠だったのはいうまでもない。クリムゾンは自分たちで作ったプログレの定番を、自分たちで打開することにも成功したのである。
惜しむらくはミューアであり、このアルバムの「トーキング・ドラム」を筆頭に、新しい打楽器の提案を沢山出して、そういう意味ではビルもとてもやり易かったと思う。これはロバートの配慮で、イエスから彼を引き抜いたロバートはビルに彼のめざしているジャズドラムを披露する最高の環境を作るためにパーカッションまで気遣いしないようにミューアを加入させた。残念ながらミューアは宗教上の理由(別に諍いがあった訳ではなく、ミューアは個人的に信仰を貫きたかった)で去ったが、彼の残したものはしっかりとビルが受け継ぎ、したがってビルはこれから後もパーカッションを取り入れた、新しいプログレスなトラミングを追求することになる。まさに、クリムゾンはここに蘇ったのである。
こちらから試聴できます
確か、日本公演の際にMUSIC MANのベースを彼が弾いていたら、翌日、神田の楽器店に買いにいってまらんでしたっけ。
フェンダーのプレジジョンも同じ色を持ってませんでしたか?
私も影響で、クリムゾンは聴きまくりましたよ。
ちょっと嫉妬しつつ・・・