東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

子どもの事故は親の責任?

2015年09月25日 | 日記

 最近聞いた最高裁での判決。学校の校庭で小学生が蹴ったサッカーボールが道路に飛び出し、それが交通事故につながって結果として被害者が亡くなるという「事件」で「親の監督責任」が問われ、高裁では親に損害賠償の判決。しかし、最高裁では逆転、親の監督責任は問われなかったという話があった。
 ここでは親の責任が問われず良かったと思う反面、子どもが起こした事故に対して親が賠償するということがあるんだということで考え込んでしまった。
 調べてみたら、キャッチボールのボールがそれて別の子にあたって死亡事故となった、その子のもった鉛筆が他の子に刺さりけがをした。といった事例では、数千万円単位の賠償が命じられている。ある被書者側の弁護士は、親を責めるというよりは被害者の救済が目的の裁判だ、と言っているというが、そこまで親が責任を問われなければならないのは、何か変だ。
 サッカーボールの飛び出しの話で写真を見たら、校門の前にサッカーゴールが置かれている。ボールが道路に飛び出さないような高いネットもはっていない。当然、シュートして高くそれたポールは道路に飛び出してしまうことは容易に想像がつく。そんなところにサッカーゴールを置くなよ、と思わず言ってしまいそうな、そんな状態。にもかかわらず学校の責任は問われていない。
 私は、学校内で起きた事故は、事情がどうあれ、まずは学校の責任であり、それが、自分のクラスの子どもや自分の関わるところで起きたものであれば、自分の責任だと思い続けてきた。長い教員生活の中で命に関わるような事故はなかったが、けんかやけがはよくあって、ときには骨折などの大けがもあった。その度に、申し訳なかったと言ってきた。けがさせた方の親にも少なくとも親が悪いとは言わなかった。
 これが、法的には親の管理、しつけが問われるのだという。ちよっと待って。自分の気持ちに正直に思うように動くのが子ども。その結果、やってはいけないことをやったり,友だちをけがさせてしまったりすることだってある。そういうことを通して、ひとつひとつ、子どもに教えていくのがおとなの役割ではないだろうか。子どもによっては精神的に不安定なところから、思わぬ行動を起こすことだってある。それを子どもや親のせいにしてはいけない。そんなときは、少しでも子どもの心が落ち着くように配慮したり工夫したりするのも周りのおとなの役割だと思う。子どもが起こす事故を心配していたら、子どもを閉じ込めておくしかない。動きの多い子どもは集団から排除されてしまう。それが子どものためになるのだろうか。子どもは思わぬこと、いろいろなことを
しでかすということを前提に、安全で楽しく、のぴのぴすごせるような環境を作り出していくのが、大人社会の役割ではないかと思う。
 子どもの起こした事故を親の責任にするような法律は一日も早くなくさなければならないと思う。