東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

絶望は虚妄だ、希望がそうであるように!

2014年10月30日 | 日記

上海と南京を訪れる機会をいただいた。孫文の故居、宗慶齢の故居、魯迅の故居、内山書店跡、魯迅記念館、そして南京総統府など、社会科の教員としてはまさに感激、感無量の行程でした。そして、何と言っても南京大虐殺記念館には、ことばもありませんでした。

残虐な犠牲者のパネル写真は非常に迫力がありました。犠牲者の顔写真と名前が書かれている延々と続くパネルには、ことばもありません。また、大虐殺当時、南京に住んでいた外国人の写真や証言もたくさん展示されていました。見学しながら、いたたまれない気持ちでいっぱいでした。中国の方たちは、飽きることもなく、スマホで写真を撮ったり、長い時間をかけて丁寧に資料を読み込んでいる姿が印象的でした。彼らがどのような感想を抱いたのかはわかりませんが、私は重い気持ちで記念館の外に出ました。犠牲者の数や細かい出来事の信憑性はともかくとして、戦時中に日本がこの地でしたことは事実であり、辛くても日本人として真摯に受け止めなければいけないとの思いを強くしました。

 

 最近は、「南京大虐殺はなかった」など、歴史を歪曲し、都合よく改ざんしようとする動きが強まっています。しかし、歴史は未来を写す鏡であり、鏡が歪んでいれば未来への指針を誤ることとなります。どんなにそれが辛いことであったとしても、歴史の真実を曲げてはならないと思いました。そして、それこそが日中の不幸な過去をお互いが乗り越える道だろうとも思えます。

「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように!」、孫文による辛亥革命に期待し、裏切られた魯迅は、独立戦争で死んだハンガリーの詩人ペテーフィ・シャンドルのこの言葉を、「希望」という文章で引用しています。ここには「薄っぺらな希望はしりぞけよ。絶望の底から拾ってきた希望こそがほんものだ」という魯迅の信念が語られています。何度も希望を抱いては、かなわず悲嘆にくれた魯迅は、また、絶望の底にあってさえも希望の芽はあることを知っている人でもありました。絶望の底からの希望を語った魯迅は、その代表作である「故郷」においては、「それ(希望)は地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と結んでいます。

 

集団的自衛権行使容認が閣議決定され、特定秘密保護法も施行されました。教科書検定基準の改悪、教育委員会制度の改悪、道徳の教科化など、日中の友好を危うくし、平和と民主主義を破壊する政策が急速にすすむ中、ともすればうつむいてしまいがちな私たちですが、絶望の中にあってもなを希望を失わなかった魯迅のように、子ども達の未来に向けて一層頑張っていかなければとの思いを新たにすることが出来た素敵な訪中でした。



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