東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

遅いことはいけないことか

2016年01月25日 | 日記

 個人面談で「着替えが遅い」「帰りの支度が遅い」と担任から言われたという人がいた。この担任は何が言いたいのかと考えてしまう。
 まあ、学校での様子を伝えてくれるのは悪いことではないが。だいたい子どものやることが遅いか速いかは、言われなくても家で見ていればわかることだ。遅いのが迷惑とか困るとかいうことなら、そう言われた親も困るだろう。することが速い子もいれば遅い子もいる。そういういろいろな子がいることが前提で、学校はあるのだから、そういう速い子や遅い子とどう対応したらよいかを考えるのが教員の仕事である。親に解決を求める話ではない。
 私自身も教員なので大きい声では言えないが、どうも教員は自分の都合だけで子どもを見てしまう=評価してしまう傾向があるように思う。授業中、子どもたちがうるさいと、うるさいのは子どもたちがいけないからだと思ってしまう。学校では騒ぐのはいけないこと、うるさいことはいけないことと、一般に思う人は多い。それは学校時代、ずっと先生たちにそう言われ続けてきたからだ。騒ぐことは悪いことだと。確かに。みんながうるさいと授業はやりにくいので、私も「静かにしなさい」と言うしそれでもおさまらないと怒ってしまったりする。でも。子どもたちがうるさいのは、本当は授業の進め方が悪いからで子どものせいではない。
 落語でも演劇でも、お客が騒いだからといって、それをお客のせいにはしない。上手な落語家は、始める前にざわざわしているお客をいつのまにかし一んとさせてしまう。教員もプロだから本来そうでなければいけない。
 やることが遅いことにしてもそうだ。教員にとってはやりにくいだろうが、そういう子をどう受け入れるかが教員の仕事であるはずだ。
 遅いことはいけないことではない。先生の都合からいえば、みんな同じペースでやってくれればそれは楽だが、遅いこと、ゆっくりということは、それはそれで大切なことだ。何でも速ければ良いというものではない。ゆっくり歩けば。急いでいては気がつかないところにも目が向き、思わぬ発見もできる。その子が遅いことで、ゆっくりペースの子とどういっしょに行動出来るかを他の子も無意識のうちに学んでいくことができる。「道徳」で優しさなんて教えなくても、子どもたちは、優しさを自ら実行してくれる。何でも「速く」が求められる世の中でゆっくりの子がいることで助かっている子も実はたくさんいる。
 私もゆっくりの子がいたことで「待つ」ことの大切さを教えられた。ひとりひとりを大切にするということは、待つことから始まる。着替えが遅かったらその子が着替えるまで待てばいい。どうしても待てなかったらrごめんね、先にやっているから、それがすんだら来てね」という言葉がかけられたら、それだけでも、ほっとする関係がそこに生まれると思う。
(写真=ヒヨドリとシジュウカラ)