東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

今年こそ、脱・子どもの貧困元年に!

2016年01月04日 | 日記

 「子どもの貧困対策法」が昨年6月に成立した。日本の子どもの貧困率は先進国の中でも高く、15.7%(09年の子どもの相対的貧困率)。相対的貧困とは、社会の中で生活するために、通常得られるものが得られない、できることができない状況を指す。
 例えば、遠足や社会見学など学校のカリキュラムに組まれている行事の費用が工面できない場合、その子に孤立感や疎外感を持たせてしまいます。高校進学も、義務教育ではないから、教育費が出せないなら進学をあきらめさせるというのは、9割以上が高校進学する日本の現状では就労で期待されている最低限の学歴も保障しないことになるでしょう。このように遠足や高校進学の機会が奪われた状態の子どもは貧困である、とするのが相対的貧困だ。貧困率は、世帯所得の中央値の50%以下の層の割合だが、例えば、09年度の場合、中央値が250万円なので、125万円以下(一人世帯の場合)になる。この125万以下の所得の世帯に属する子どもが、全ての子どもの何%であるかというのが子どもの貧困率になる。貧困率は、90年代に入ってから大きく上昇し、95年は12.7%、98年14.2%、01年には15.2%と上昇率は他のどの世代よりも大きい。
 子どもの貧困率が15.7%は、6~7人に一人が貧困ということを示す。それだけ多くの子どもたちが貧困の中で育ったら、社会にはどのような影響が出るのか、私たち教職員ができることは何か、『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書)の著書もある阿部彩さんは、次のように語っている。

 15%もの人間が自分の可能性を最大限に活かせなければ、経済活動に影響が出るでしょう。優秀な子が経済的理由で大学進学ができなくて、よい職につけなかったり、それほど能力のない子が社会のトップになったりすれば、国の全体的なレベルが下がってくるという弊害もあります。また、貧困は連鎖することが様々なデータからも明らかになっています。つまり親が貧困であれば、その子が大人になってからも貧困から抜け出せず、その子の子ども、次世代まで貧困が連鎖します。また、貧困の若者は、結婚確率も低いので、少子化にも影響します。
 私は2006年に「社会生活に関する実態調査」を東京近郊の地域で20歳以上の男女2,600人を対象に行いました。その調査の中に「15歳時点での生活状況」という項目を設けたのですが、その結果からわかったことは、15歳時点での貧困は現在の所得の低さと強い関連があるということでした。つまり、15歳という義務教育の最終年齢時において貧困だった場合、限られた教育機会しか得られず、その結果恵まれない職に就き、低所得で低い生活水準となってしまう、という図式です。子ども時代の貧困は、その時点だけではなく、将来にわたってもその子にとって不利な条件を蓄積させてしまうものなのです。そしてそれは、次世代にも受け継がれていく場合が多いのです。
 学校現場では、不登校、学力の低下、集金が滞る、空腹による無気力や暴力的態度など、貧困が原因と思われる子どもの様々な教育問題に直面されている教員が多くいます。ただそれが貧困に起因するものかもしれない、と気づいている人といない人がいるようです。教員の皆さんには、児童生徒に問題が起きた時、「もしかしたら背景には貧困があるのでは」と想像力を働かせていただきたいと思います。というのも、今までは日本社会全体が「貧困など、この社会にはない」という前提でしたので、その存在が問題化されにくかったからです。まず貧困の存在を社会で認めること、それが法整備等へとつながり、貧困問題の解決への一歩になります。
 例えば参観日に全く親が来ない子を、ただ「かわいそうに」と思うのではなく、もしかしたら生活が苦しく、親は参観日に休むこともできないほど仕事を入れているのかもしれない、と考えていただきたいのです。特に母子家庭の50%は200万以下の収入しかありません。祖父母と同居していない母子家庭の生活は厳しく、昼も夜も仕事を掛け持ちしているケースが少なくありません。そうすると参観日だけでなく、日常的にも子どもに手をかけられる時間がなく、勉強も見てあげられず学力が落ちたり、満足に食事も与えられずに給食が命綱になったりと、様々な弊害が出てくるはずです。健康についても、自己負担が払えないとか、病院に連れて行く時間がないといったことで、病気になっても満足に医療を受けられないケースもあります。ですから、学校現場では常に、頭の隅に「貧困」という言葉を置いておいてほしいと思います。
 貧困家庭の保護者の中には、就学援助費や生活保護費などについて知らない方もいるので、これら制度があることを教えるだけでも違うと思います。専門的な知識が必要な場合や、先生方の手に余るケース等は、スクールソーシャルワーカーにその家庭をつなぐ、という方法もあります。
 また、公立学校でも、授業料や教科書は無料でも他に様々なお金がかかるもの。それらのうち教材費だけでもなくそうと努力している学校があります。1年間しか使わないものは学校で購入して毎年使い回すとか、朝顔のプランターは新品を購入せず、段ボールやペットボトルを再利用するとか、知恵と工夫で家庭負担の教材費を減らしている事例があります。
 北欧の学校では、鉛筆1本さえも学校負担です。極端な話、子どもは何も持たなくても学校に行きさえすれば、学ぶ環境が整っているのです。日本も予算の問題で限度があるかと思いますが、当たり前のように新品を全員に購入させることをやめるだけでも、家計は助かると思います。
 学力については、できれば早い段階、小学校低学年の頃につまずきのある児童へは丁寧に対応していただければと思います。貧困家庭で育った子どもの中には、中学生でも九九ができない、分数の足し算は分母の数字が異なるともうお手上げ、といった子が少なくありません。そうした子どもでも、中学校は留年や落第がないので卒業できます。しかし、いざ高校進学をと言われても、「これ以上勉強なんてしたくない」となるケースが多々です。その子の将来の選択肢を増やすためにも、貧困の連鎖を断ち切るためにも、最低限高校進学は実現させたいことの一つ。そのためには学力格差をなくす対策は欠かせません。ただこれは、教員の加配など、制度的な問題もあるのですぐには難しいかもしれませんが……。
 子どもが自己肯定感を持つためには、乳幼児期に特別な大人と一対一の関係を持つことが非常に大切であることは、よく知られています。自分に愛情を注いでくれる人がいることで安心感を得て、自分の存在の肯定につながるのです。少し大きくなってくると、例えば積み木のおもちゃで何かを作り上げた時に褒められる経験をすると、達成感を得て、チャレンジ精神ややり遂げる意欲を身に付けていきます。しかし、貧困家庭に育つ子は親が生活に追われていて、子どもとゆったり接する余裕がないため、このような経験がほとんどないままに育ってしまう傾向があります。その結果、自己肯定感が低く、学力も低いまま「どうせ自分は頭が悪いから」などと自己否定してしまうのです。乳幼児期の貧困が後々まで一番影響が強いのはこのためです。


 子どもにとって先生と一対一の信頼関係を築くことは、とても大切な機会です。自分のために親身になってくれる人がいる、ということは、自分の存在が認められているという安心感にもつながるでしょう。先程、高校進学が今の日本ではあらゆることの最低条件になっていると言いましたが、勉強でつまずいている子どもは「高校進学なんて……」と考えがちです。そして、多くは「少しでも家計を助けたいから」と、中学卒業後は就職を希望します。そんな時、例えば中学校で信頼できる先生と出会い、将来のこと、つまり高校進学をすることで開ける未来のことを語ってもらえたら、その子の意識はかなり違ってくると思います。

国がとるべき対策はたくさんあり、例えば低所得層への所得の再分配や、教員の加配等は早急に取り組むべき課題です。ただ、日常的に子どもと接している教員の皆さんが貧困について知ろうとして下さること、知ったことを仲間と共有していただくことも大事。社会全体が貧困に苦しむ子どもたちから目をそらさずに、まずはその子たちの存在を知ることが、解決への第一歩だと思いますから。