東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

なぜ薩摩芋(サツマイモ)?

2015年11月13日 | 日記

 実りの秋。子ども達と春に苗を植えたサツマイモの蔓はすくすくと育ち、まるまると育った芋が収穫できた。蔓はクリスマスのリースにもなる。
 秋の味覚である柿も栗もうまいが、栗よりうまい十三里といわれるサツマイモ。なぜ十三里か?諸説あるようですが、宝永年間になると京都にやきいも屋が現れた。このやきいも屋は、サツマイモの味が栗(九里)に近いとなぞかけて「八里半」と言う看板を出したそうだ。江戸には寛政年間に初めてやきいも屋ができ、この店も八里半と書いた行燈を出していたが、やがて小石川に十三里と言う看板を掲げた店が現れました。栗(九里)より(四里)うまいと言うしゃれというわけ。
 サツマイモの原産地は、中南米。インドをめざしてアメリカ大陸にたどり着いたコロンブスが、スペインにサツマイモを持ち帰り、フィリピン、中国、琉球を経て元禄時代の日本に入って来たようです。サツマイモはフィリピンから中国に1594年に伝わり、その10年後の1605年(薩摩侵略の4年前)に野国総監が沖縄に伝えたという。総監とは中国への進貢船の事務をやる役名で、野国とは村の名前で、本人の名前はよく分からないそうだ。
 その野国総監が故郷の北谷(チャタン)間切りの野国村や野里・砂辺で芋ので栽培をはじめた(現在嘉手納基地脇の58号線 沿いの一画に野国総監の碑が立っている)。
 その野国総監から儀間真常(真和志間切の垣花=今の那覇)が栽培方法を習い沖縄全国に広め、いつも台風後の飢饉 で苦しめられていた人々を救ったといわれている。
 沖縄では「芋」といえばサツマイモのことである。それが1698年薩摩に献上され、長崎を経て江戸に伝わり8代将軍吉宗が青木昆陽に栽培を命じ、やがて全国に広まり「サツマイモ」と呼ばれるようになったという。
 沖縄の友人は、琉球から薩摩に伝わったんだから沖縄でサツマイモというのは変じゃない?と言っていたがもっともだ。