イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

3月12日から始まった。

2015年03月12日 | 被災地から
3月に入ってから昨日まで、マスコミでは3.11にまつわる話題が目白押しだった。
まるでこの日を待っていたかのように、沿岸には取材陣が殺到した。
実は、僕も某TV局の依頼を受けて、吹雪の中を大槌と山田に出向いた。
本当に大変な一日だった。

同行した某TV局のディレクターは、昨日の寒さにまいっていたが、
想えばあの日の寒さはこんなものではなかった気がする。
まぁそれでも、「あの日を風化させてはいけない」という建前での取材なら
我々岩手県民とすれば大歓迎なので、喜んで被災地に出向いた。

昨日の仕事は無事に完了し、僕たちは四年目の3月11日を見届けた。
ただ…
僕個人としては、昨日を前に会っておきたい人々がたくさんいたはずなのに…
という想いが重く心に残っていた。
とりわけ、大槌町吉里吉里のNPO法人吉里吉里国の理事長・芳賀正彦さんの今が
とても気になっている。
あの方のことだから、きっと今日も元気に森と海に向き合っていると思うのだが…

そんなことを想いながら、震災から1年目を迎えた2012年3月に
芳賀さんを想いながら綴った詩を3月12日の今日、ここに残します。



あの夜の焚き火
菅野芳彦


あの日の夜は、寒かった。
だから、真っ先に君は火を焚いた。
広場の横に瓦礫を集め、火を焚いた。
濡れた瓦礫は燃えにくく、燻りながら煙をまいた。
焚き火に集まった誰もが無口で、
目にしみる煙が、大きな炎に変わるのを震えながら待っていた。

焚き火が大きくなるにつれ、更に多くの人が集まった。
大きな炎は、濡れた瓦礫でさえも、いともた易く焼き尽くした。

やがて焚き火は分けられて、広場のあちらでも、こちらでも焚き火が起きた。
そして焚き火を囲む人の輪が、幾重も出来た。
すると誰かが語りだす。
「さぁ、これからどうすべぇ」
焚き火の向こうで老婆が呟く。
「まずは、飯を炊くべぇ」

そして女達は飯を炊き、男達は飯場を整えた。
それから広場のみんなは、夜具を集め寝床をわりふり、
それぞれの明日に備えた。

しかし、真っ先に焚き火を起こした君は、
火を絶やすまいと一晩中火を焚いた。
濡れた瓦礫を燃やし続けた。
母も、父も、兄弟も広場には居なかったが、
君は、誰かと自分のために焚き火を焚いた。
氷点下の星空の下で、火を燃やし続けた。

やがて空が白む頃、
君は変わり果てた故郷を見た。
焚き火の向こうに歪んだ景色が揺れていた。
そして君は、焚き火を広場の仲間にゆだね、
母と父と兄弟を捜すため、瓦礫の荒野へ歩み出た。

あの日の夜、真っ先に焚き火を起こした君は、
今どこにいるのだろう。
母に、父に、兄弟に会えたのだろうか。

あの日から四年が過ぎた今、君を想う。
君のことだから、この町のどこかで、
また新しい火を起こしていることだろう。

あの日、君が焚いた火は、広場の横でいつの間にか消されたが、
あの夜、広場に集まった誰もが皆、
あの焚き火の暖かな炎を忘れはしない。
君もきっとそうなんだろう。

あの日から四年。
まだ、たったの四年。



2015年3月11日、
大槌町吉里吉里に生きる芳賀正彦氏を想いながら。

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