ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

花二題

2011-06-30 05:00:00 | 大阪にて
朝7時ごろ、ここは佐川急便が流通センター代わりに使っていた道路、あの告発から佐川急便はピタッとここでの仕事をしなくなりました。この時間は車1台も停まっていませんが、昼過ぎになって影が出来だすと多くの車が停まりだします。商用車なので休憩なのか、サボっているのか、兎に角少しでも影を歩きたい私にとっては邪魔な車達なのであります。

この夾竹桃は尼崎製缶のもの、沢山咲いているうちはきれいですが、雨が降ったり、少し強い風が吹くと花は散ってしまい、地面に落ちると汚くて見苦しくなるのです。

             

朝7時前にこの尼崎製缶の前(実際には裏)を通ると既に操業していて、なんと早くから仕事をしてるんやと思ったりしながら、夾竹桃の意味などを考えて歩いていました。

夾というのは挟むとか挟まれるとかいう意味ですから、竹と桃の木に挟まれたところに植わっている木、あるいは逆に竹と桃の木を挟むように植わっている木とか解釈しそうですが、そんなものを見た覚えがありません。

違う角度から考えると、桃に挟まれた竹というのは考えられませんから、竹に挟まれた桃というイメージが考えられるのですが、これも実際にはありそうもありません。

いろいろ調べても漢字に関する説明は無いようで、驚いたのは8月14日の木だとか。

             

未だ梅雨明け宣言は出ていませんが、そろそろ毎日晴天が続き、歩いていると汗が噴出してくる季節になってきました。この苦しみも今年で終わりかと思って気を取り直しているのですが、出てくる汗には敵いません。

原発事故の影響で電力の消費量を減らすよう協力が言われていて、ウメチカやCOCOEに入っても、去年までのように冷えていなくて、汗で濡れたシャツもなかなか乾かず、気色悪いのです。

暑くなってくるとこの木の出番、そろそろ花が咲き出すのではと思って毎日見ています。

                  

先端の方が赤く染まって花かなと思ってよく見てみると、残念ながらこれは葉っぱですね。

                  

少し違った種類の百日紅、葉の先端は赤くなっていませんが、何やら実のようなものが見えます。

             

葉が枯れた後に黒い実のようなものが残る百日紅ですが、それと同じものが未だ残っていたのでしょうか。それとも新たに出来てきて、ここからあの花が咲き出すのでしょうか。

             

こうして見ていると、あの先端部分の黒いのが、花になっていくような気がしてなりません。

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サンクンガーデン

2011-06-29 05:00:00 | 大阪にて
梅田の阪神百貨店から駅前第一~第三ビル方面へ南へと伸びる地下街ディアモール大阪、1995年に出来ていますから、もう15~6年も経とうとしています。

写真はその一角、第三ビル側通路と第一ビル側通路を東西に結ぶ通路、地下二階部分にありますから天井も高く、晴の日には太陽光が差し込み地下街の雰囲気はありません。

この広々としたスペースに(幅は狭いのですが)、円卓と椅子が並べてくれてあります。全部で22卓ぐらい有るかな、一つのテーブルに4つのイスがあるから88席あることになります。

             

ベンチではなくてこのテーブルとイスの組み合わせがいいですね。COCOEにもテーブルとイスを置いてあるところがありますが、安っぽいのが難。ここのテーブルやイスはシンプルですが重厚です。

この時間誰も座ってはいませんが、昼時になるとここでお弁当を食べる人や、本を読んでる人、足を休ませておしゃべりに耽る人、ケータイでメールする人、ゲームに耽ってる人、お化粧直しをする人にまで出会います。中には寝ている人もいますけどね。

勿論無料ですし、“長時間利用するな”というおせっかいな注意書きはありません。「コーヒー、紅茶は如何?」というような売り子の姿もありません。このように気兼ね無く、自由に休んでいけるところがいいですね。

                  

梅田の地下街も徐々に長く伸びつつあり、南はドーチカ、北は阪急三番街、東は泉の広場、西はハービス大阪までを網羅しています。ハービス大阪以外は私が若かった頃からありますが、その間を縫うようにディアモール大阪も出来たし、阪急百貨店の入口付近も随分変りました。

            

夏や冬は、暑さ寒さを避けるために地下街は重宝しますし、雨が降っても傘が要りません。私が利用している地下鉄やJR東西線も地下を走っているので、梅田で地上を歩くことは滅多にありません。このように考えると自分はアリになってしまってるようにも感じてしまいます。

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一庫川

2011-06-28 05:00:00 | 大阪にて
東畦野の街の西端まで行くと、新緑のある風景に出会います。街角の並木ではなくて、やはりこういった木々が鬱蒼としているとのんびりとして、気が楽になりますね。

             

小さいけど田圃もあり、田舎の風景です。川西市の沿革は知らないのですが、市の中心部は南部にあり、山下駅は市の真ん中よりやや北側、以前通っていた日生中央と妙見山方面への分岐する駅になっています。

             

市の北部にはバス釣りで有名な一庫ダムがあり、ダムから流れ落ちる川を一庫川といい、少し下ると猪名川に合流しています。『一庫ダムからのお願い』とある案内板、それはウソやろ、ダムがお願いなどするはずがありません。行政側からの指図なのに、何故そのような表現をするのか、そのほうが可愛らしく聞こえがいいからなのでしょうか。

                  

東畦野の5丁目と6丁目の境にある橋から上流方向の一庫川、あまり広い川ではありませんし、水質も良いとは言えません。

             

川西市立の病院がこんなところにありました。能勢電鉄の川西能勢口の駅から数えて10個目の駅にあたる山下駅という遠いところに市民病院があるというのもなかなか解せるものではありませんが、昔はこの辺りが市の中心地だったのかも知れません。

             

5丁目の南端から北方面を臨んだ風景、来た頃はどんよりと曇っていた空も晴れてきて、日差しも強くなり、汗たらたらの毎日になってきました。

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慶昌寺

2011-06-27 05:00:00 | 大阪にて
尼崎での仕事を終えて、先週から川西市の東畦野という街へ行っています。能勢電鉄の山下駅で降り、西の方へ歩き、国道173号線を越えて行くのですが、地図を頼りに歩いていくと行き止まり、少し迷ってしまいました。でも慶昌寺の大きな看板が見え、そちらの方へ歩いていけば東畦野の北端に出られることが地図で確認できました。

             

久しぶりに見る川西能勢口の駅、阪急電車の宝塚線と能勢電鉄が乗り入れています。久々に能勢電鉄に乗ってびっくり、もう夏というのに冷房が入っていません。駅のホームの方が涼しいくらい、でも発車すると心地よい風が入ってきました。節電、節電。都会では窓の開かない電車やバスが多く、エアコンが欠かせないことはちっともエコじゃないですね。

             

国道沿いに大きな看板が掲げられたこの慶昌寺ですが、お寺自体は随分小さい。地図上で目印にしていただけで、別に期待していたわけでもないけど、ちょっとがっかりですね。

でも最初の写真の宝篋印塔は1372年、南北朝時代のものです。結構きれいに残っていますが、川西市指定の文化財になっているだけ、古さからいっても国が重文に指定しても良さそうな気がします。

             

階段を上がって左側、狭い境内に屋根まで届きそうな柱に字が書かれています。奥にお墓が見られます。

             

こちらはお堂に向かって右側に安置されていた碑、この奥にもお墓が並んでいます。境内にお墓があるお寺って郊外ならではなのでしょうか。都会ではあまり見かけませんね。

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忍法帖

2011-06-24 05:00:00 | 読書
山田風太郎の『八犬傳』並びに間違って買った『忍法八犬伝』を読んで、氏の忍法帖シリーズを読破しようと企みました。5月の終盤から現在までこのシリーズ8冊を読みきりました。今回は一つ一つの感想文は省きます。

忍法帖①が『甲賀忍法帖』②が『忍法忠臣蔵』③が『伊賀忍法帖』④が既説の『忍法八犬伝』⑤が『くの一忍法帖』、面白くて惹きつけられ、理屈などないので(忍法なので屁理屈はある)、簡単にしかも時間的にも早く読めました。ようもこんな忍法を考え出すなぁと呆れもし、感心もするのです。

ずっと前に読んだ『魔界転生』が巻の⑥と⑦、その表紙の艶かしさの割りに官能的な部分は無かったのですが、今回のものは表紙と一緒、女の忍者の艶かしい場面が多いのです。でも官能的かというとそうでもない、実にあっさりとした表現で、忍法なのだからそれはそれで闘争なのだなぁと思うのです。

             

忍法帖⑧は『江戸忍法帖』⑨と⑩が『魔界転生』に主演の柳生十兵衛が登場する『柳生忍法帖』、どれをとっても奇想天外、縦横無尽、天衣無縫はちょっと違うか、荒唐無稽と人を驚かすような四文字熟語が当てはまるストーリーの連続、摩訶不思議や奇妙奇天烈というような五文字熟語もあるかな、でも決して支離滅裂ではありません。周到に計算されたストーリーが読者を惹きつけるのです。

全体を通して思うのは、“にっと笑う”という表現が非常に多いこと、如何にも忍者が忍法を成功させた場面に適切な表現なのかも知れません。

                  

忍法帖シリーズ11番目が『風来忍法帖』、この本を読んでいてびっくりしたのは、最近読んだ『のぼうの城』と舞台が同じ忍城で繰り広げられる石田三成と成田家の戦模様であったこと、成田家家臣の政木丹波や酒巻靭負なども同じように登場しますが、こちらではあまり活躍しません。もちろんのぼう様こと成田長親も登場しませんが、城主・成田氏家の妻が登場、『のぼうの城』では珠という名前でしたが、こちらでは麻也姫という名前で登場させ(どちらも江戸城を築いた太田道灌の曾孫・太田三楽斎の娘)、『のぼうの城』で活躍した氏家の娘・甲斐姫のごとく活躍するようになっています。いやいや説明は逆、山田風太郎のほうがずっと先に書いているのですからね(初の文庫化は1964年)。主人公は香具師の7人、ストーリーの前半で風魔忍法を習う羽目になり、やがて彼らの意思に反して、三成の水攻めから麻也姫を助けて忍城を守り抜いていくようになります。

風太郎の忍法帖シリーズはまだまだ続いていきます。

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不思議な工程

2011-06-23 05:00:00 | 大阪にて
前回なかなか進まない道路工事のことをお伝えしましたが、JRの下を通るトンネルの手前の道を掘り下げていました。

掘り下げられた道の上にコンクリートを流し平に仕上げているのですが、明らかに段差を作っているので、それが不思議でなりません。

             

この写真で分ると思うのですが、作業されている方の左側、50cmぐらいの段になっています。50cmぐらいというのは、この段を上がろうとする人が簡単に足を上げただけでは上がれないのを見ているので、そう判断したのであって測った訳ではありません。

             

現在では鉄骨の量も増え、新たにコンクリートを流し込んでいる状態ですが、見ての通り段差はそのまま、明らかに何か目的があって段差を作ったのでしょうが、私にはとうてい想像だにすることが出来ません。

             

なかなか中に入れてくれませんので外から撮っていますが、段差を上から見た写真、まさかこのまま道路にしてしまうわけはないでしょうが、空洞をつくるとも考えられません。いや三角形の空洞を作ることによって強度を増すなんてことが有り得るのでしょうか。

             

この現場の隣の工場は最近閉まっていることもあるのですが、まだ時々仕事をしています。この工場の奥に新しく同じような容積の建物が建ちつつありますが、おそらくそちらに移転というより、移動させるのでしょうね。今の工場が無くなれば、私達が通勤に使っている近道(旧尼港線の橋塁の下)は暫くと言うか、永遠に通れなくなるような気がします。

今はこの道路もJRで遮断されているので用途もなく車は閑散としていますが、開通すれば便利になり交通量が増えて、おいそれと横断できなくなる可能性もあるし、20mほど南には東西に亘る道があり、そちらに信号でも付けるのではないかと思うから、もし信号が付かないなら私達はずっと北まで歩いて、新しく出来るトンネルの上を通ることになってしまいます。

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雨の合間

2011-06-22 05:00:00 | 大阪にて
今年は入梅が早く、例年より雨がよく降ると思っていたのですが、その予報も外れたかのような状態が続いて喜んでいたのに、先週あたりから雨が降る毎日が続いています。外勤をするものにとっては厳しい環境の毎日ですが、この梅雨が明けると暑い日差しが続き、それもまた私たちにとっては厳しい毎日が続くのです。

梅雨の雨が上がって晴れた日のことではありません。先週の日曜日の昼、未だ雲立ち込めていて、いつ雨が降るか分からない状態、自宅のマンションから東方を見ていると、二上山の手前に白い雲がかかっています。肉眼ではその二上山そのものに懸かっているのか、その手前なのか、ずっとこちら側なのかよく分かりません。でも写真で見ると随分こちら側を流れているのがよく分かります。

             

北東側は生駒山にも低い雲が懸かり、この雲は山より向こう側にあるのが分かります。きっとあの辺りでは雨が降っていることでしょう。

             

同時刻の北西方向、雲が立ち込め、六甲連山が全く見えません。遠く中央に聳えている3つのビルがあるのは弁天町近辺だと思うのですが、こちらから見えているの海の向こうは、兵庫のどの辺りなのか見当がついていません。

             

そして夕方7時前、なんと夕焼けが出来ていました。六甲山系の向こうに陽が落ちてゆきます。次の日は晴れなのか。

             

山が落ちていってる先端辺りは何処なんだろうと思いながら、UPにすると山に懸かっていたと思っていた夕日は雲にも懸かっていました。

             

同時刻の南東側、上空は雲が懸かっていますが、はるか遠くでは雲が切れてきているようです。そのまた向こうは雲、二上山などは裾に靄がかかっているのか、浮世絵の技法のように下が切れて浮いたように見えています。

             

北東の空はどんよりと雲が懸かったまま、生駒の山はぼんやりと見えています。

先日の朝焼けといい、過日のおどろおどろした雲といい、やけに空に拘っていますが、別に空が落ちてくると思ってるような杞憂ではありませんので、心配しないでくださいね。

夕焼けにも拘らず、残念ながら次の日は朝から雨、でも昨日は昼から晴れ出して暑くなってしまいました。急に暑くなったので私は去年の熱中症のような感じになり、帰ってきたときにはぐったり、とても疲れてしまいました。

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淡路島のビワ

2011-06-21 05:00:00 | 大阪にて
先週金曜日の朝、誰が買ってきたのか知らないけれど、淡路島のビワが冷蔵庫の中に置かれてありました。

淡路島と言えば、5年前に亡くなった灰谷健次郎氏が後年移り住んで、彼もまたそこでビワを育てだしたのを覚えています。『兎の眼』や『太陽の子』などの小説はもとより、『やさしさへの階段』という随筆なども子育てをしていた頃に読んだのを忘れられません。教師時代に解放同盟から“糾弾”を受け、教師生活を断念しながらも児童文学を書き続けていたのに、後年淡路島でビワを栽培するようになったのは、生身の人間を育てるという行為に嫌気がさしていたのかも知れません。

             

このビワ大粒ですが、未だ熟れていませんね、少し色が未だ淡いように思います。しかも冷蔵庫に保存していては熟成が進みません。販売所でどのようにして食べるのか教えなかったのでしょうか。

             

私の掌と比べてもビワの大きさが判ります。一つ黙って食べてみたのですが、普通熟れたビワは皮を手で剥くことが出来ますが、このビワは手では剥けませんでした。食べてもちっとも甘くありません。いくらしたのか知りませんが、高いお金を払ったのじゃなかったのかな。

               

話変わって、こちら職場の中庭に植わっていたビワの木です。ビワにしては大木ですから、随分前から植えられていたのでしょう。手入れもしてないのに毎年たわわに実がなります。5年も過ごしたのにカメラを向けたのは今年が初めて、これだけでは話題に乏しかったからでしょうか。

             

毎年この季節になると、掃除のおばちゃんが実を採ってくれ、リフレッシュルームで皆に食べさせてくれるらしいのですが、本来木を植えたのは会社であり、所有権は会社にあるのですから、いくら掃除のおばちゃんが好意で採ってくれたといっても、勝手に食べていいものではないと思っています。

             

以来一度も味わったことの無い私ですが、ひょっとすると淡路島のビワより美味しいかも知れませんけど、今年も口にすることはないでしょう。

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日の出前

2011-06-20 05:00:00 | 大阪にて
夏至まで後二日、暑い夏まではまだまだですが、日照時間の最大値の頂点に近づきつつあります。

この写真は夏至にあたる水曜日の丁度一週間前の水曜日、たまたまいつもより早く目が覚めて、ベランダの外を覘いた時の感動です。都会でもこんなにきれいな色が醸し出されるんですね。時間は4時半丁度、先週は曇り空が続き、晴れ間が見えたのはこの水曜日だけ、しかもこの頃は未だ雲が取れていません。

             

方角は北東方向、見えている高いビルは天王寺辺りのものだと思います。

天王寺界隈も再開発で大きく変貌したとか、出かける機会も無いし、自分でも確かめていないので、このブログで紹介することも出来ません。わざわざ出かけて紹介しようとも思わないし、まぁネタが無くなれば行ってこようかとは思います。

             

こちらは同時刻の南東方面、二上山や金剛山、葛城山が見える方向ですが、冬はこちらの方角から陽が昇りますが、真っ暗で山は影も見えません。

             

所も時刻も変わって、大阪キタのとあるビルから夕方の風景です。入社当時からよくお話を聞かされた方と再会し、久しぶりに飲みに行ったときのもの。ガラス越しなので室内の電灯が写りこんでいますが、朝と同じような色合いで、今度は闇がたち込めてきています。

先週はずっと飲み歩きが続いて、真っ直ぐ家へ帰ったのは火曜日だけ、どおりで水曜日の朝は早く眼が覚めたのでした。

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麒麟麦酒 神崎工場

2011-06-17 05:00:00 | 大阪にて
JR尼崎駅の北側、潮江と名の付く街の西側の広大な一角は、その昔キリンビールの工場があったそうな。

上の写真は当時、キリンビールが作ったのであろう栞、次の写真は同じ角度から撮った写真の絵葉書です。

尼崎駅は現在の位置より200mほど西にあり、左端には南北に走る尼港線のあることが確認できます。金楽寺という駅は何処にあったのかと探った記憶が甦ります。

             

尼崎のセンタに来た頃、尼港線の橋塁跡が残っていて、それが珍しくて尼港線の跡を辿ったものでした。

             

1998年、今から13年前の栞や絵葉書の位置より、もう少し西寄りの航空写真です。キリンビールの工場跡は公園のように見えます。真ん中の南北に走る道路は、現在JRの下を潜るトンネルを建設中のものでしょう。斜め上からその道路に徐々に近寄ってくる緑色の線は尼港線の跡だと思います。

             

2006年といえば、私が今の尼崎のセンタに赴任した年です。当時一度この潮江の街を仕事で回ったことがありましたが、住宅なんて殆んど無いところでした。航空写真で見ても明らかでしょう。


             

2008年になると一帯にビルが建ち並んでいます。2年間で大きく様変わりしましたが、未だCOCOEは出来ていません。写真下方の丸い屋根の下で一昨日紹介した弦楽四重奏をやっていました。
つい最近仕事の帰りにこの一帯を見て歩きましたが、写真で見るより閑散としている感がありましたね。


この資料はCOCOEの4階のゲームセンターの壁に展示されていたもの、COCOEの中では撮影が禁止ですが、店舗を撮ったりするのではありませんから、勝手に許してもらってこのブログのネタにしたのでした。

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