ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大阪警察病院

2013-11-29 05:00:00 | 大阪にて

先週の金曜日に大阪に戻ってきています。月曜日に結石を砕く手術の紹介状を取りに病院へ行く予定でしたが、前日から雨の予報だったので自転車で出ていくのは嫌だし、「いつでもいい」と言われていたので家でじっとしていました。すると病院から電話があり、「明日10時に警察病院の予約を取ってあるので、それまでに紹介状を取りに来てくれ」と言うのです。まぁ手回しの良いことだと思ったのですが、勝手に予約を取るのも何だかおかしいことではありませんか?まぁ毎日がヒマな人間ですから怒りませんが、忙しい人なら「怒るで、しかし」でしょ。とにかく雨が降るのに自転車で行くのはゴメンなので、「明日行きます」と答え、火曜日の9時ごろに家を出たのでした。

             

9時半ごろには病院で紹介状を受け取りましたが、その料金が要ると言います。紹介状の料金ぐらい相手の病院から貰えよと、儲けさせてやる方から取るのが筋だとは思いますが、どうも病院のすることには納得できないことが多々あります。だいたい前回痛い目に遭わせといて、結果も出せてないのにキッチリお金だけふんだくるなどと言うやり方がこの世で通用すると思っているのかと言いたいけど、通るのですね、病院は。今回も「もう少し痛くない方法を考えて・・・」と言うので、「石が砕けるんやったら痛いのは我慢できるが、何度やっても砕けんやろ」と思って、違う方法をということでした。その設備がこの病院には無いので、何処か設備がある病院に紹介状を書くと言うことになったのでした。

お金を払うのに順番を待たねばなりません。待っていてもまだまだ時間がかかりそう、10時までに入らねばならないので、先に警察病院へ行くことにしたのです。

             

警察病院へ行くのは初めて、だいたい警察などというところには行ったことがありません。あるとすれば何かを拾得した時に交番へ行くぐらいでした。警察などというものは国民の安全を守るより、国家の安泰を守るためにあるようなもの、彼等が個人の命を守ることが使命だと一度も思ったことは有りません。数々の刑事ドラマが有りますが、最後は必ず犯人を検挙する話ばかり、一つぐらいはストーカーからの被害を未然に守ったと言うような話は無いものでしょうか。

待合室で待たされましたが、ここの待合は一風変わっています。待っている人みんなが見えるよう液晶のモニタが設置されており、そこに順番が近づくと予約番号が印字されるのです。これなら少しはイライラ感が少なくなりますが、だからと言って順番が早くなることはありません。

自転車でやってきましたが、病院から病院へは歩いていきました。診察してから、CT検査をし、また診察して、結局8000円程度取られましたが、警察病院では順番を待たずにすぐ支払うことが出来ました。コンピュータで制御しているのですから、それ位の事は何処の病院でも出来る筈です。

                       

桃谷駅から西へと延びる道路を『夕陽丘ストリート』と呼んでいるようですが、その途中にあるNTTの病院から警察病院まで西へ歩いて5分もかかりません。警察病院から更に西へ行くと天王寺区役所があります。何処の区役所も新しく改築が進んでいますが、この区役所は古いまま残されています。

夕陽丘ストリートの照明柱に“祝100年”の文字が見えます。近くの五条小学校が100周年らしい。私が通っていた岸里小学校も今年100周年だったとか、近隣の照明柱にこのような幟が立てられていたのかどうか、気が付いていませんが、24日の日曜日に祭典があったらしい。私は岸里小学校に6年通ったし、弟も通い、私の息子たちも通ったので、述べ30年も通っていたにも係らず、招待状1枚も届きません。どうやら卒業生に祝ってもらうようなイベントではなく、現PTA役員たちの勝手な催しだったのでしょう。

             

改築前に橋下市長からストップがかかったのかも知れませんが、大阪都構想が実現されたら、26区ある行政区を7つにすると言いますが、新しくなった区役所などはどうするつもりなのか、建て替えにも相当な税金が投入されていますが、まさか安い値段で民間に払い下げるなどということはないでしょうね。でも市民には厳しく、大企業には甘い橋下市長ですから、市民目線からすると何をしでかすか分かりません。

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大島港

2013-11-28 05:00:00 | 田舎

自民党・公明党の与党はみんなの党を取り込んで秘密保護法案を衆議院で強行採決してしまいましたね。福島の公聴会で7人の参考人全員が反対あるいは慎重だったという報道された当日です。何処の世論調査でも反対・慎重という意見が7割にも達しているというのに、この暴挙は何なんでしょう。国民がどう考えていようが、数で勝る今のうちに決めてしまおうと言う魂胆が丸見えです。次の選挙で少々数を減らそうが、何としてもこの法律を通しておきたかったのでしょう。これで戦争する国家へのレールは敷かれてしまいましたが、良識の府ではどのような論議がされるのでしょう。廃案になることを念じるしかありません。

釣りに行くなら船釣りになってしまった今日この頃ですが、大島港はどうなっているのか、釣果と防波堤の工事が気になっていました。12月9日までかかるとされていた陸閘の工事は、大島港を訪れた21日には終了していたようで、工事中の看板も有りませんでした。

             

防波堤の根元部分をすっかり閉じてしまったのではなく、外に出られる(外から入れる)ように隙間を残してあります。

             

根元部分を見ると大きな変化があるように見えますが、先端の方から見るとあまり変わり映えしていないようにも感じます。

この日はグレ釣りの人が二人と、先端部分で老夫婦が釣りをしていました。スカリが入っていたので見ると、一人の方には40cmほどのグレが1匹入っていました。もう一人の方は小型ですが数匹のグレが入っていました。まぁ未だ釣れているということでしょう。海水温は高い筈なので、エサ取りが居そうなのですが、二人とも軽い仕掛けでやっているよう、これではグレにエサが届かないのではないかと思いながら見ていました。

             

港内には黒くて丸いブイが浮いています。これは黒い球ですが、小型船舶に付けなければならない黒球ではありません。よく見るとこのブイは固定されているようで、岸壁へとロープで繋がっています。こんなに長く沖へとロープがあれば、船を何処で止めてもロープさえ掴めれば、簡単に船付けが完了します。でも桟橋の岸壁にこのようなものを付けたら怒られるのでしょうね。

             

くしもと大橋を渡って大島に入り、直進して樫野と大島港への三叉路のところに『びっくり伊勢海老』という看板が掲げられていました。先月来た時は気付かなかったので、新たに出来たのでしょう。ここから5分と書いてありましたが、車でなのか歩いてなのか分かりませんでしたが、歩いて5分ぐらいのところにはそれらしきものはありません。田代港への曲がり角にも出ていたので、標識通りに行ってみましたが、イセエビにびっくりではなくて店の構えにビックリです。イセエビを食べるところではなく、買うところなのでしょうか。イセエビの値段も正月が近づいてきたので、上がり気味だと聞きました。

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ジオパーク

2013-11-27 05:00:00 | 田舎

今回ぼたん荘に入浴に行った20日の水曜日は、ぼたん荘自体も混んでいたけど、串本の各施設も人が多くて何故だろうと思ったけども、その理由はよく分かりませんでした。そのぼたん荘で仕入れたパンフレットがこれ、和歌山県はジオパーク認定に向けて活動しているようですが、その一環を見るようです。

ジオパークとは地球科学的に見て、重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園。そのために①地元の人たちが大地の遺産を保全し、②大地の遺産を教育に役立て、③大地の遺産を楽しむジオツーリズムを推進し、地域の経済を持続的な形で活性化することが求められています。

             

和歌山県がジオパークに認定できるよう取り組んでいる地域は何処なのか、よくは知らないのですが、私としては1回だけ高速道路が混雑した時の迂回の為に使った県道で観た白崎海岸が第一の候補のように思われます。確かに一枚岩も驚くべき塊なのでしょうが、初めて見た白崎海岸の様相は、とてもきれいなものでした。

和歌山県がジオパークに認定されるよう運動を起こしているのは、たまたま姫の家に配達されたこの『串本民報』と言う新聞と言うかビラと言うか、その記事を見たからなのですが、先のパンフで知り得たのは古座川町の催し、この記事では串本町がどのように予算を付けていくのかが質問の主旨であるように思えます。ぼたん荘で見つけたパンフ自体が、串本町と古座川町のジオパークに対する考えの違いを示していると思うのです。串本町にはそのようなジオパークに関するパンフを見つけることが出来なかったのですが、昨年の5月、須江崎方面にジオパーク見学と称して『地獄の釜』を観に行ったことがありました。あの時のゴミを報道したからなのか、この『串本民報』には、地獄の釜の清掃作業をしたことが載っていました。

             

いつもハーフパンツにサンダルと言うあまりにも軽装過ぎる出で立ちで訪れる熊野古道の大辺路、これではいけないと思い、ゴアテックス製のトレッキングシューズや杖、ズボンやトランジスタラジオまで買い込みました。夏でもこういう服装でなければいけないのでしょう。ハーフパンツやサンダルでは何処で何(虫や蛇)に食われるか知れたものではありません。これで完璧やと思っているのですが、下里以降、東には未だ行けていません。と言うのも何故か買ったはずの大辺路のパンフレットが見当たらないのです。

             

今回も時間が有り余っていたのにも拘らず、何処にも歩いて行ってはいません。下里の大泰寺からは湯川方面に歩いていくはず、何とか何処かで大辺路のパンフレットを見つけ出して歩いていきたいものだと思っています。

ぼたん荘で見つけたパンフレット、この日程では④の1月11日の虫喰岩から国王山のトレッキングに参加できそうです。覚えておれば是非参加したいと思っています。

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桟橋

2013-11-26 05:00:00 | 田舎

高名な歴史学の教授の本を読んでいて、南京大虐殺のことは戦後になって知ったという件を読んだことがあるのですが、その教授は当時(1938年)中国からの留学生と友人になり、大虐殺に関するフランスの新聞の切り抜きを見せられて、「合成写真だろう」と言ってしまったと述懐しています。それ位日本の軍国主義者たちは自分に都合の悪いことは国民に知らせることは無かったし、知られることを恐れたのでしょう。今再び秘密保護法なるものを成立させようと企むスーツの下に鎧を隠す軍国主義者たち、平和と民主主義を愛する国民は、こぞってこの法案の成立に反対しようではありませんか。

             

船は今、桟橋の交差点の近くにある岸壁に停めてあります。夏に釣りに出た後、台風が来るまで繋いでいた岸壁です。三男はどうも南防波堤(海図ではそう書かれていた)に停めるのが面倒らしく、今回もこの岸壁に繋ぎっ放しで帰ってきたのです。利用するわけでもないのに、ここにずっと停めておいてよいのか、そこが心配なのですが、私一人では南防波堤へ係留するのは困難だと思っています。

               

この桟橋の波止場には海上保安庁の『もちづき』という巡視艇が係留されていますが、この間2回ほど留守にしていました。1回目は田辺で大量の覚醒剤が漁港から持ち込まれたと想定された訓練の際、前日から大きな声で訓練が行われていました。2回目はすさみ沖でメタンハイドレードの調査が有った時、いつも暇そうにしている船ですが、今回は忙しかったようです。でも私の船を検挙しようなどとして活躍しないでほしいものです。

                       

桟橋と言う名が残っているのですから、ここは大島への巡航船が発着していた港だったのでしょう。くしもと大橋が出来、巡航船が廃止されて25年近くなりましたが、私が巡航船を利用した記憶は全くありません。

             

船検の際には指摘されなかったのですが、おそらく無線機のアンテナであろう部分が1本折れて倒れています。船に乗るには無線の免許も取りに行かなければならないようですが、私が航海するのはケータイでも連絡が取れる程度の距離ですから、無線の免許を取りに行こうと言う気がなかなか起こりません。海の事故ならケータイから118で海上保安庁に繋がります。

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鍛冶屋

2013-11-25 05:00:00 | 田舎

秘密保護法案を巡ってNHKのニュースなどを見ていると、最初から秘密保護法は当然のものであり、その法案への与野党の修正論議が如何になされるのかばかりが報道されていますが、そのような報道の仕方で国民のためになっていると思っているのでしょうか。国家あるいは自民党が「秘密にしたいことをバラしたら刑を執行されますよ」と国民を脅すのは、どう考えてもおかしなことなのです。ます第一にどのようなことが秘密なのか、それ自体がハッキリしていません。例えば昔こんなことがありました。外国の企業から賄賂を貰って国に飛行機を売り付けたことが発覚し、有罪になった総理大臣がいましたが、それを秘密だと指定すれば、汚職を知り得た人の良心はどうなるのでしょう。そんなことはあり得ないだろうと思うところが日本人のお人好しなところなのかもしれませんが、どのようなことが秘密なのかハッキリしていないのですから、こういうことも疑いたくなるのです、秘密なんて他人に知られたくないものなのですから。

NHKの報道の不手際は秘密保護法案に反対する意見を封殺していること、全く平等な報道の仕方ではなく、秘密保護法を作ろうと言う勢力にだけ加担しています。秘密保護法なんて、戦争はしない国から、戦争をしようとする国への道筋であり、戦前の治安維持法を彷彿とさせ、うすら寒くもあり、おぞましいと思うのは私だけではないと思います。現に多くの団体(日本弁護士連合会や日本新聞協会、日本雑誌協会、日本ジャーナリスト会議、日本民間放送連盟、日本ペンクラブ、日本消費者連盟、日本科学者会議など)や個人(鳥越俊太郎氏や嫌いやけど田原総一朗氏、岩波書店や平凡社の社長、多数の演劇人ら)が反対の声明を掲げていますし、政府が9月に行ったパブリックコメントでは15日間に90480件の意見が寄せられ、反対意見は77%に登っていたといいます。多くの人たちが懸念の声を挙げている時に、NHKは何故多数の意見を撥ね退けて、国会では多数とは言え政府自民党に都合の良い報道をするのでしょうか。多くの人がNHKの受信料を払いたくない理由がここにも表れています。

             

船検で指摘された自動拡散型消火器や救命胴衣、黒球、汽笛のうち、先ず汽笛だけは取り付けが完了しました。“♪粉雪舞い込む北国の駅~♪”で始まる歌は五木ひろしの『汽笛』、これは汽車の汽笛ですから「ボォーッ」と鳴るのでしょうが、この船に取りつけられた汽笛の音は「ピェーッ」と言うような甲高い音、こんな汽笛を鳴らすことなどあるのかと、未だ送られてはしない請求書のことを考えると腹が立ちます。救命胴衣はあの定休日が多い船具屋さんでは一着3000円、黒球は1個2000円、ネットで見ると救命胴衣は2000円、黒球は1000円ぐらい、それぞれ6着と3個買わないといけませんから、それだけでも1万円ぐらい余計にかかってしまいますので、船具屋さんで買ってあげたいけど、ネットで買うでしょう。

             

繋留ロープが沈まないようにとウキを付けてみましたが、ロープが沖に向かって伸びていてくれれば良いのですが、風に押し戻されて岸壁にくっついているような状態では、ウキなどは必要なかったみたいです。

               

そのロープを船から拾い上げる鈎懸けが付いた棒、この間船を岸壁に付ける際にY下君が手伝ってくれたのですが、どのように使ったのか鈎が開いてしまって、ロープを拾い上げることが困難になってしまいました。一番右は治して貰ったものですが、鈎が伸びてしまった時にはどうすれば良いのか分かりませんでした。

             

先ず頭に閃いたのは高富の信号の近くに有った鍛冶屋、『かじや』と大きく書かれた看板が目に焼き付いていたのですが、鍛冶屋など滅多に見ることのない今日この頃、まさか鍛冶屋にお世話になるとは思いもしませんでした。鍛冶屋と言えば“♪暫しも止まずに槌打つ響き~♪”と小学校で習った『村のかじや』を思い出しますが、仕事に精出すのが美徳なのだと幼い子供に教え込むための歌だったのだろうとこの歳になって思います。

「ロープを引っ掛けるようにするんやね」と言って、万力に棒を固定し、鉛管のようなものに鈎を通すとそのまま曲げていきました。案外簡単に曲がるのであっけに取られて見ていましたが、1分も経たないうちに治ってしまいました。お代は要らないと言われましたが、何だか悪いような気もしたのですが、時間もかかってないのでそのままお礼を言って帰ったのでした。丁度、この鍛冶屋に知っている人が来作業していて、声をかけてくれたのもラッキーだったと思っています。

             

話は変わってここは船倉の入口、私が居ない時に船に乗り、エンジンをかけようとしてもかからない時は、この灰色の切り替えスイッチを左に回すとかかるようになりますが、一度エンジンをかけたら、このスイッチは元に戻さないといけません。私の居ない時にこの船に乗る可能性のある人はよく覚えておいて下さい。

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11月17日の釣り

2013-11-22 05:00:00 | 田舎

前夜飲み過ぎたのを反省し、土曜日の夜はホテル浦島の食べ放題2000円というイベントに参加、飲み放題2000円で計4000円でしたが、入浴も付いていたので実質は3500円の食べ放題・飲み放題でした。ところが食べ物ときたら、茄子や里芋の煮付けや筑前煮、鶏のから揚げやポテトフライ、おでんなど家庭料理に毛の生えた程度のもの、これで普段3500円も取っているなんて信じられません。アホ臭くて写真を撮ろうにも艶やかなものは無いので、撮らずにおきました。私は飲み放題の2000円分は(ホテルの設定料金でですが)飲みはしましたが、そんなに酔ったわけではありません。制限時間90分なのに終わりとも言わないのが不思議でした。結局2時間余り居たのですが、やはり食べ物の質が物足りません。送迎バスで串本駅までの代わりに姫まで送って貰い、私は家で少し飲み足しましたが、Y下君はすぐに眠ってしまいました。

             

翌朝、私は4時半ごろに目覚めましたが、Y下君は目覚ましが鳴るまで熟睡、前日の失敗も有るので7時には船に乗り込むようにし、一路ウス島の手前まで走りました。酔い止めの薬が効いたのか、船に慣れたのか、どちらか分かりませんが、前の日より波が少し高めだったのにY下君は好調なようでした。

             

一投目、私にかすかなアタリ、ちょっと竿で聞くと確かに魚が付いているので、アワセを喰らわせてリールを巻きますが、重い。これは結構デカイと思いながら、後ろを振り返るとY下君も大きく竿を曲げています。これではどちらもタモを入れる助けが出来ません。私は糸がジリジリと出ていくのを見ながら、慎重に巻きました。先に上がって来たのはY下君の魚、昨日と同じキジハタでしたが、かなりの大物でした。私のを海中で見ると白いので、これは同じ魚かと思った時に、Y下君がタモを入れてくれました。同じようにキジハタ、Y下君の方が少し大きめ、後で計ると41cmと40cmでした。私の方は古谷魚店で重さを量ったら1kgでした。

       

一投目から幸先の良いスタートでしたが、私は以降釣れていません。30分ほどして、またY下君が竿を曲げました。40cmのアカハタでした。釣果としては数が少ないですが、もう帰っても良いほどの重さです。確かにその判断は正しかったようで、以降持ち帰れるような魚は一切釣れませんでした。

             

アタリが無くなったので場所移動、前日タイ島の横でタイを釣ったので、大箱の近くで竿を出してみることにしました。目の前に屋形船のような洒落た船が停まっていて、何だろうと思っていたら、最初二人しか居なかったのにだんだん人が増えてくるので、不思議に思っていたらダイビングの船でした。ここからは動鳴気漁港も近いので、KOOZAの船かと思っていたら、船尾に居る人が手を振ります。曇っているしあまりよく見えなかったのですが、少し近づくとやはりKOOZAの船で、船尾に座って手を振ったのは古谷魚店で会った代表の人でした。

                       

釣れないのと少し雨が降り出したので再び移動、帰り易いようにと橋杭岩の方で竿を出しました。私はもう疲れてしまって竿を出さず仕舞い、Y下君はこの日帰る予定なのに釣りを止めようとはしません。こちらの方が気を使ってしまいますが、翌日も年休を取っているので少々遅くなっても構わないということでした。

             

それならと昼からは再び串本大橋を潜って大島の表の方へ移動、ここは通夜島の横、釣れそうな気配はしますが、なかなかアタリは無かったようです。

             

そして須江崎の前に移動、そこでパノラマ撮影したのが最初の写真です。朝よりも波が高くなっており、パノラマで撮ると波が上下しているのが分かります。ここは今年のGWにY下君と歩いてきた磯の前、ここも沢山の釣り人が来ていましたが、2時を超えていたので皆帰り支度を整えていました。ここでY下君の仕掛けが切れたので私たちもここで終了としました。

             

結局、二日間で持ち帰ったのはこの5匹、数は少ないけど大物ばかりなので、Y下君も土産自慢にはなったことでしょう。これ以上釣っても有り余るだけです。私は自分の釣ったキジハタをA竹君に宅急便で送ることにしました。

             

この日は満月、大潮の日でした。このテンヤ釣りでは朝方が良いことを実感したのですが、他の潮ならどうだったのか、未だ検証が出来ていません。

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11月16日の釣り

2013-11-21 05:00:00 | 田舎

先週金曜日、午前中が雨という予報だったのになかなか雨が上がらない中、Y下君がやって来ました。日曜日になると台風が来ていた秋とは違い、日曜毎に雨が降るこの頃でしたが、幸いこの週は金曜日に降ってくれたので、土・日は天気が良かったのです。金曜は移動日というY下君ですが、昼には到着したのですから、出来れば釣りを楽しみたいところですが、雨が降っていては海も荒れているし、船を出すことも躊躇われます。かと言って、カッパを出してまで波止場で釣りをしようとは思いません。夕方まで何をしていたのか、アルツハイマー症が進行している私には、なかなか思い出せませんが、雨が止んで夕食は古谷魚店に行きました。

       

前日、ズゴガニを古座に住む叔父さんに貰ったので、古谷魚店で活かして貰って当日湯掻いたのを食べました。それに古谷さんが貰ったと言うアユの塩焼き、普段この店では売ってない川の生き物を食べることが出来ました。いつも通り20時26分発の新宮行き電車で帰り、家で再び飲み直し、釣りの話はするのですが、そんなに飲んだら次の日しんどくなるのを忘れています。

             

翌朝6時にY下君の目覚ましが鳴ったのになかなか起きれず、船に乗ったのは8時頃、天気は良かったのですが多少波がありました。須江崎を超えた所で船を停め、釣りをしようとテンヤを渡して仕掛けを作っていると、「アカン」と言ってY下君は海に撒き餌をしています。船が走っている時はどうも無いけど、停まると気分が悪いらしい。

             

仕方が無いので波の穏やかな内海、橋杭岩の前まで行くことにしました。樫野漁港を出た所は大敷網が多量に張られ、かなりの距離を迂回しなければなりません。船を走らせている最中、あれやこれやと景色を説明していると、橋杭岩まで到着するのに1時間近くかかってしまいました。

                       

大島の表は多少波がありましたが、裏は穏やか、さっそく釣りを始めてY下君に30cmぐらいのキジハタが釣れました。船はきっと偶然岩の上を流れていたのでしょう。夏に三男等とアカハタを釣ったのは表側でしたが、内側でもハタが釣れるのには驚きました。だいたい波止や磯では同じような魚が釣れますが、船で海底を釣ると全く違う魚が喰って来るものです。

       

大島の裏側は砂質になっている底が多く、喰ってくるのはチャリコやエソ、ベラ系の魚が主で、特にエソがよく釣れます。蒲鉾屋ならいざ知らず、エソなど釣りたくもありません。2週間前に来た三男たちはガシラやオコゼを釣っているので、裏側にも岩場は有る筈なので電話で聞いてみたのですが、なかなかそういう場所は見つけられません。

             

エソばかり釣れるので、橋杭岩の前は1時間半ほどで切り上げ、九龍島の方へ移動しました。そうするといきなりY下君の竿がしなり、上がったのは50cmのマダイ、最初の写真のタイです。タイが暴れるので掬ったタモにハリが絡んで、外すのに一苦労でしたが、こうも釣れるとY下君の船酔いも何処かに吹き飛んだようでした。でもここも砂場の様子、エソばかり釣れるのです。

       

大きなタイが釣れたものの後が芳しくなく、Y下君の酔いも収まったようなので昼過ぎに再び大島の表に出ようと考えました。と言ってもなるべく波の穏やかなカセ釣りの船が停まっている近くを流しました。

             

Y下君にはベラ系の魚が釣れるのですが、私にはなかなか釣れません。テンヤ仕掛けのハリはこの写真のようなものなのですが、左の仕掛けでは小さい針が有りません。きっとフグに食いちぎられたと思うのですが、ナイロンの糸ならともかく、この糸は編んだ糸なのに噛み切るなんてとんでもない奴です。まぁハリが1本残っていますからそのまま釣っていたのですが、釣れなかった原因はこれだったかもしれません。

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紀伊姫駅ノート

2013-11-20 05:00:00 | 田舎

11日月曜日から冷え込んできましたね。空気が透明なのもそのせいかもしれません。12日に古谷魚店に行った時、「今日はよう冷えるよ」と店の人が言っていましたが、私は前日の方が寒かった、と言うのも私はその日から靴下を履くようにしたのです。例年なら11月の声を聞くとサンダルをやめて、靴に履き替えていたのですが、今年は未だそう寒くなかったので、サンダルを履いたままでおったのです。いつまで靴下を履かんでエエのかと思いつつ、とうとう12日からは履き始めたのですが、大阪に居たらもっと長い間履かなかったかもしれません。朝夕は大阪よりこちらの方が寒く感じます。と言えども昼はかなり暖かい、長袖など着てると汗をかいてしまいますが、そうかと言って半袖でいるわけにはいきません。

             

コメリで針金を買ってきて、船の繋留ロープにビニールホースを巻き付けました。夏にゴムホースを買ったもののロープの端が膨れていて、ホースも締め付け金具も通らないので、途方に暮れていたのですが、何度も台風が来るので、この間三男たちが釣りに来るまでは南防波堤に縦付けで繋留、横の船としっかり結び合っていたので、ホースは不要だったのです。三男たちは南防波堤に持って行くのが面倒臭いのか、この桟橋に横付けで繋留して帰ってしまいました。海は穏やかでしたが、一人で船を出すと繋留するのが大変なので、Y下君が来るまでは船には乗っていませんでしたが、することも無いのでホースを取り付けたと言う次第です。月・火・水は北風が吹いていたので船は目いっぱいロープを張って沖に出ようとし、反動で岸まで戻って来ますが、木曜は南風が吹いたので船は岸壁に寄ったまま、こういう状態ではホースは要らないのでしょう。

                       

4代目の紀伊姫駅ノートは未だ無事、お盆から置かれていますから3ヶ月は生き永らえています。今はもう18時11分発の田辺行きの電車に乗る頃は真っ暗なので、昼の間に駅まで行ったのでした。ガラス戸に見かけないポスターが貼られていました。この23日に歌声広場が開催されるとか、私はその前日に帰るので参加できませんが、楽しそうですね。場所の養春って何処にあるのでしょう?旧の養春小学校のことでしょうか。

             

前回来た時はこの書き込みに気付いていません。10月12日は第2土曜でしたから、私は次の週に来ていて、ノートを見たと思うのですが・・・読んでいて何かおかしいなぁと思ったら弘坊の『坊』が違いますね。弘法大師は坊さんですから、きっと勘違いしたんでしょうね。

             

11月3日に書き込みがあります。三男たちが来ていた時ですが、わざわざ駅まで来て書きこむような連中ではありません。

             

間が空いて書き込みが無い時は全く何も無いのに、連休だったせいでしょうか、続けて4日にも書き込まれていました。カゼをひいて喉が痛いと書いている割にははしゃいだ感じです。
右のページの書き込みは日付がありませんが11月12日のもの、古谷魚店に来る前に駅に寄って書き込んだと、私の干支と誕生日と血液型が同じ女性が言っていました。住所まで書いているのですから、コマーシャルするなら電話番号も入れておいた方が良かったんではありませんか?

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DIVE KOOZA

2013-11-19 05:00:00 | 田舎

11日に串本にやって来て気付いたことは、近づくにつれて波が穏やかになっていったことと、空気が澄んでいて遠くの山々の木々がはっきりと見えるということでした。大島も九龍島も潮岬もみんなハッキリ見えるのです。それが火曜になっても水曜になっても(水曜日は雲が出始めた)続いていたということ、景色がそう見えるということはなかなか素晴らしいことだと思います。

             

ここは動鳴気漁港、42号線の山側にあります。釣り大会をしていた防波堤が新たに出来たので、波が入って来れ難くなり、台風に強い港になったのではないかと思います。台風は今年はもう日本にはやって来ないと思うのですが、避難するには良さそうに思います。でも姫からは串本の方が近いので、この港で厄介になることはなさそうです。けど、古座の船は串本に避難しに来てるなぁ、一部だけかもしれませんが。

             

この港に『DIVE KOOZA』というスキューバダイビングの基地が有ります。ダイビングなどしない私が何故こんなところに来たのかと訝しいでしょうが、チョッとビックリするような話があったのです。

11日の夜は古谷魚店で夕食を済ませようと思い、そこで焼酎を飲んでいたのですが、予約が入っているのか、イセエビの鍋が用意されていました。暫くするとそのお客はやってきて、片方の女の子は来たことが有る様子、片方の男性は海に縁のない群馬からやってきたと言っていました。イセエビのお造りや鍋に「食べたことが無い」と舌鼓を打っていましたが、暫らく喋っているうちにもう一人若そうで賑やかな男性がやってきて、群馬から来た人はどうやら串本でダイビングにやって来た様子、後の二人はダイビングのスタッフのようでした。

             

話をしているうちに自分の名刺を差し出すと、相手の方からも名刺を頂きました。その名刺の裏がこの写真、表は名前が載っているので写しません。女の子の名前は海で働くのにピッタリの珍しくて良い名前でした。イセエビに感動した三人は次の日も来ると言うので、それなら私もと火曜の夜も古谷魚店へ赴いたわけです。火曜日の夜はグレのすき鍋、イズスミがあれば最高なのでしょうが、イズスミは手に入らなかったらしい。

             

どのような話をしていて誕生日の話になったのかは覚えていないのですが、私が1月30日と言うと、女性のスタッフは「私も1月30日」と言います。そういう偶然もしばしば有るものですが、誰かが干支はと聞いたので、私は「辰」だと言えば、女性も辰年だと言います。それで歳がすぐにバレますよね、12の倍数に1を足せばいいのです(もっと若いと思っていました)。

今度はもう一つと誰かが言い、「血液型は?」の問いに先ず女性が「オーです」、偶然もこう重なると面白い、私もO型なのです。ハグまでとは行きませんが、盛り上がって握手を交わし、男性スタッフにツーショットを撮って貰いました。男性スタッフは名刺によると『DIVE KOOZA』の代表になっていました。

             

まぁこういう話、私が面白いと思っただけなのですが、これもこれ、一つのネタになりました。

でも何故『DIVE KOOZA』なのか、意味からすれば「ダイブ 古座」なのでしょうが、読めば「ダイブ コーザ」ですよね。

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船舶検査

2013-11-18 05:00:00 | 田舎

先週月曜日に串本へ来ています。日曜日は大阪では夕方まで雨が降ったけど、串本はどうだったのでしょう。来る途中見た海は白浜・すさみ辺りでは荒れていましたが、串本に近づくにつれ徐々に収まって、橋杭を超えると全く波の無い状態でした。翌12日火曜日には小型船舶検査機構による船の検査があり、いったいどのような検査をしてくれるのか、怖いような、楽しみなような複雑な気持ちになっていたのでした。

             

それに先立ち、三男と釣り友のT中君が今月2日・3日の両日、串本に釣りに来たのでした。私も行きたかったのですが、その土曜日はソフトボールの練習があるので行けません。出発した金曜日と土曜日は何とか天気はもったのですが、日曜日は雨だったようで、大島の表には出れなかったようです。でも魚を持ち帰った日曜日の釣果は橋杭側で釣ったとのことですが、これが背鰭に毒があるオコゼ、煮付けにすれば美味しいと思ったのですが、三男は唐揚げにすると言います。

                       

こちらはガシラとマルハゲです。ガシラも唐揚げ、マルハゲは煮付けで頂きました。日曜日の夕方に飲みに行って出払っていた私は、釣って来たタイの写真を撮ることも、食べることも出来ませんでした。T中君はアカハタや40cmぐらいのマダイを釣ったようです。大島の裏のような一見流れが無いような海でも、船で出れば釣れるものです。

             

船検当日、11時25分と言うビミョーな設定の待ち合わせ時間、早くから出かけたのに腕時計を忘れてしまい、今何時なのか分からない状態で待っていました。待ち合わせ時間に現れたのはメガネをかけた若い男の人が一人、結構気さくそうな人でした。でも「今から検査を行います」という宣言、日本の官僚機構の様そのものです。まずエンジンをかけて、全ての灯火を点けて下さいと言われました。何だかよく分かりませんが、兎に角スイッチを前部ONにしたのですが、白灯が点かないと言われました。私たちは夜に船を出そうなどとはこれっぽっちも思っていないのですよ。

それから延々と設備やエンジンルームの点検を受けましたが、納得のいかないのが救命胴衣です。船には一着だけ救命胴衣が有ったのですが、私は持っていた磯釣り用のライフジャケットも載せていたのですが、それはカウントできないと言うのです。訳が分かりませんが、そんなことよりも最大搭載人員が7人だから7つ要ると言うのです。商売をしようと思っているわけではないので、せいぜい3~4人、そんなに人を乗せることはないと思うのですが、何故7着も要るのか納得できません。「この船に乗る人はみんな磯釣り用のライフジャケットを持ってるよ」と言っても、そんなことは関係ないといった様子、磯釣り用のライフジャケットは救命用具ではないのかと思ってしまいます。だいたい今まで乗っていた遊漁船、漁船にそんなに救命胴衣が有ったのか、多分そんなに多くの胴衣を積んでいたのを見たことがありません。

                       

「汽笛を鳴らして下さい」と言われても、何処に汽笛を鳴らすスイッチがあるのか知りません。挙句の果てに汽笛は潮風によって潰れていると言われました。汽笛を鳴らすスイッチが何処に有るのか、こちらが教えて欲しいくらいです。

船室に消火器があるかと聞かれましたが、そんなものは有りません。操縦する場から直接計器類が見えないような船では自動拡散型消火器が要ると言われました。
更に黒球が三つ要ると言われたのですが、黒球とは錨泊中やシモリに乗り上げた時、運転が不自由な時に掲げておく標識です。まぁ何があるか分かりませんから装備しておくのが当然なのでしょうが、今まで乗った船にそんなものが有ったという認識は有りません。一体元の船主はどうやって船検を受けてきたのでしょう。

それにしても前部揃えて、領収書をFAXで送れと言われたのですが、壊れた汽笛や無かった消火器は買わないといけないにしても、救命胴衣や黒球などは何処かに仕舞ってあるかもしれません。現にオレンジの救命胴衣(子供用ですが)なら姫の家にも2つあるのです。数を揃えよと言うのは、業者を儲けさせるための方便だとしか思えません。我が日本国はこのようなシステムが罷り通っています。

検査自体の費用は47000円と車検より安いのですが、検査員に「ラジエーターはどれですか?」と尋ねても知らないというほどの人でした。私はもっと専門的な検査をされ、もし疑問があれば答えてくれるし、何か不備があったら治して貰えると思っていたのです。お金だけかかり、実りの無い船舶検査でした。

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