ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

寺町

2007-01-31 05:38:11 | 大阪にて
阪神電車・尼崎駅の少し南西に寺町という地名があります。
名前通り、お寺ばかりが並んでいる小さな一角です。
上の写真は真ん中辺りから西側を眺めたものです。

           

1番西側にあったのが『如来院』という浄土宗のお寺。

           

この寺町にはいろんな宗派のお寺があり、何か意図的なものが感じられます。

           

教育委員会の説明にある銅鐘がこの中にあるのでしょうか?
「ゴォ~ン」と鐘を撞けるようにはなっていないのですね。
1425年の年号は室町幕府の時代でした。

           

1327年製の笠塔婆はどれなんでしょう?3つともそうなんでしょうか?
1番左のが、古いように思うのですが・・・

1327年といえば、鎌倉幕府も滅亡寸前の頃。
          

貴布禰神社

2007-01-30 05:32:39 | 大阪にて
阪神尼崎駅前の尼崎商店街を西に向かって歩きます。
尼崎にも大きなスーパーが進出していないのでしょうか?ここも大きな商店街です。

まだシーズンは始まってませんが、野球が始まるとこの商店街、『タイガース』一色になってしまうんですね。
なんともおぞましい。

まぁ、この商店街のお話はまた今度ということで・・・

商店街を抜け、大きな道路に沿うように左に折れました。まっすぐ歩くと阪神・出屋敷駅の前へ、高架をくぐり更に南へ進むと43号線に出会ったので、そこを左へ(東へ)、尼崎駅の方に帰ります。

もうこの頃には歩きすぎかな?と首を竦めます。

          

正月明けやし、こじんまりしていて、小奇麗な神社です。

貴布禰神社とありますから、京都の貴船神社と関係あるのでしょうね。

尼崎市の神社仏閣には教育委員会の説明文が掲げられ、初めて訪れてもよく解るようにしてくれています。

          

かっての中国街道に側して立っているとありますから、43号線は旧中国街道だったということでしょうか。
神戸の三宮近くには西国街道があったけど、中国街道は覚えてないなぁ。


長洲の貴布禰社が元宮で、北城内の尼崎貴布禰宮屋敷が前の姿で、尼崎の一宮として現在地に・・・元宮?前の姿?一宮?ややこしくて私には解らない。

「尼崎の一宮として・・・」と言う事は、神戸のように八宮まであるんやろか?

          

祭壇が廊下の向こうにあるのも珍しくないですか?


今日から私、四捨五入で60歳になってしまいました。
人生もう幾許もありません。

退院して1ヶ月

2007-01-29 05:41:43 | 大阪にて
これが私に狭いと評価された病院の売店です。
狭いのは通路です。

車椅子でギリギリ、右側奥のコーナーは1回では回れません。

十分なスペースなのに物が多すぎなのか、物は最低限なのにスペースが狭すぎるのか・・・病院には考慮する余地が有り余るほどあります。

面と向かって撮るには勇気がいるので、斜め前から撮っています。

          

こちらは光回線を引いたインターネットのブースですが、院内には1つしかありません。
会社は2010年までに光回線を100万達成するようなことを述べていますが、その所有である病院には、患者用・見舞い客用合わせてインターネット環境はたった1つでよいという判断をしています。

実は入院する前、ノートPC持ち込んだら、枕元にLANの口があって、ネットもし放題になってるのかとついつい期待していたのですが、大間違いでした。

このような見通ししか持ってない会社が、私たち社員に「売れ売れ」と口を酸っぱくして言い続けても、現実味がありません。

ヒマでヒマで本を読むしか術が無かった私は、15分100円という余りにも無軌道的な料金設定にも目を瞑り、Blogを綴ったり、メールを点検したり、ある時にはゲームもしていたのですが、先に利用者がいるとなかなか終わりません。

利用しようと思う人は大体同じ時間に利用するらしく、いつ行っても利用中ということもしばしば、私が利用できたときはきっと誰かが待ってたかも知れません。

しかもこのブース、1000円札の投入口があるのに受け付けないんです。
100円玉・500円玉が無くなれば終了ってな仕組みになっていました。

それからリハビリ施設。

          

リハビリ科にかかるのに1回2000円位かかってたんじゃないかな。
そこら辺のジムよりはるかに高い。施設も貧弱。場所も狭い。

私のように下肢を痛めた者には上半身の力を衰えさせないような器具を、逆に上半身の故障者には下半身を鍛える器具を揃えたらどうだ?
ついでにプールなども完備しておれば、とても魅力的じゃないのか。

まぁ、たくさんのリハビリ患者相手に先生が2人というお粗末さ・・・我が社の職員である先生は年休をどう処理しているのだろう?

経営陣はそんなこと、考えもしないのだろうか???

退院してほぼ1ヶ月が経過、まだまだ完全には復活しない歩き方ではありますが、病院での気付いた事などは出し切ったと思います。

ひなたぼっこ

2007-01-26 05:55:03 | 大阪にて
出勤するようになって、担当地域が川西市や猪名川町ではなく、尼崎市に変わっていました。
みんな歩いて行ってるというので、私の担当地域の方へリハビリも兼ねて、歩いていってみました。

今度は、JR尼崎方面へ行くのではなく、阪神尼崎の方へ行くのです。

庄下川の玉江橋のたもとまでやってくると、川原に何やら無数の白いものが・・・この川ではばかデカイ鯉が泳いでいるのを見ていただけなので、珍しい。

          

よく見るとカモメのようです。
中に鵜も1羽、羽根を広げていました。

          

国道2号線に架かるこの橋を西に向かって見ると、こんな感じです。


          

下の台座の部分に大正15年5月架とあり、大正時代の天皇が亡くなる年にかけられた橋で、私事ではありますが父親の生まれた年でありました。父は関連付ければ昭和という時代の終焉の年に亡くなっています。
つまり、裕仁という名の天皇が即位していた時間しか生きていなかった。
昭和天皇は生没年が確認されている天皇では、即位期間も享年も最長であったそうな。

          

この橋から海側、つまり南側を見ると、川を跨ぐ配管の上にも今までに見られなかった白いものが・・・

          

これもカモメだったんですネ。

          

大胆不敵というか、慣れているのか、近寄っても逃げないんですよ。
余程、ひなたぼっこが気持ちいいのかなぁ。

集中力がありません

2007-01-25 09:46:46 | 大阪にて
先週木曜日から出社、翌金曜日には外販開始、歩きすぎて帰社する足が進まない。
翌日土曜日、しんどくて起きれない状態、1日中寝てました。

月曜日、金曜日のしんどさも忘れて、また外販。
金曜日よりは抑えて歩きましたが、翌朝火曜またしんどい。
一旦は出社準備をしておきながら、またまたベッドに倒れこんだのでした。

疲れた体に忍び寄るウィルスがあったのでしょうか?
その日からひどい下痢が・・・

火曜日は何も食べれません。ジュースやお茶を飲むばかり、それもすぐに体外へ排出され、水曜日は熱も無いので出勤しようと思ったのですが、ひょっとして『ノロ』か?と思い、うつっては悪いと思い、もう1日休んだのでした。

病院に行くと、「もうノロはピークが過ぎてるし、下痢の原因が特定できないのでノロとは言えない」とのこと、「出社してもええんかなぁ」との問いに「海外から帰ってきて赤痢とかで無い限り、出社したらアカンという法律は無い」との答え。

う~ん、法律上の問題ではないんやけどなぁ・・・

それやったら、出社したらよかったかなぁなどと思いながら、昼にお粥を炊いて食べたのでした。

2日間も休んだのに、集中力が無く、Blogを綴ることが全く出来ませんでした。期待している方・楽しみにしておられる方ははおられないにしても、申し訳ない気持ちで一杯です。

まぁ、ウィルス性の病気であったとしても、そちらのPCには感染しませんので、ご安心を・・・


天の鎖

2007-01-22 05:56:48 | 読書
病院で読んだ本は19日の投稿分で終わりです。
文庫本で26冊・12タイトル、新書版で2冊でした。
ほぼ1日1冊のペースで読めたものと、健康であればこれだけも読めなかっただろうと満足しています。

退院してからも自宅療養が続くのですが、TVも買ったし、正月にもなったし、犬もおるし・・・なかなか本を読む機会も作り出せずじまいでした。
それでも働きに出るよりは時間もあり、澤田ふじ子『天の鎖』3部作を読んだのでした。

この本、神戸在職中に書店でパラパラと捲ってみた時は、“空海”の本か・・・一度読んでみようと思っていたのですが、主人公は“空海”ではありませんでした。

          

桓武天皇の時代、長岡京造営から平安京遷都に至る間を“牛”という人物に焦点を当て、庶民の立場に立って書かれた小説です。

歴史小説の多くは、偉人や覇者や剣豪・・・等、歴史に名を留めてきた人物を描いているものが多く、勿論この本にも桓武天皇や空海や坂上田村麻呂・・・等有名人も出てくるのですが、それは主人公ではなく脇役に過ぎないのです。

題名『天の鎖』からして、この話は“牛”と呼ばれた3人の男の繋がりにまつわる物語です。
1人目の“牛”が長岡京造営の頃、山背国<やましろのくに>愛宕郡<あたぎごおり>折田郷土車里<つちぐるまのさと>に流れる川で魚を漁っていたところから始まります。土車里は今の下京区室町通四条下る付近だとか。

平安遷都はされていないので、5件の掘建て小屋が並ぶだけの寂れた地域だったらしい。

この地で“牛”が、桓武天皇とは知らなかったとは言え、その人物に楯を衝いた。天皇が乗った馬に追いたてられようとする幼い子供を助けようとして、その落ち度とも狼藉とも言える行為に憤慨したのだった。
寸でのところで斬罪になる“牛”を助けたのが飄々と騾馬に跨って現れた“行叡”、この“行叡”が歳をとらないのが物語所以、“牛”に阮籍の五言詩を書き付け授けたのが“牛”のお守りとなり、3人の“牛”を貫いてゆく。

そのお守りの五言詩を読んで教えてくれるのが“真魚=空海”、“牛”は真魚と共に唐の国に行きたかったのだが儘ならず、真魚に諭され陸奥の地で仏像を彫ることに専念する。

そして50歳になった頃福島の寺で“行叡”と再会し、五言詩の続きを書いてもらいお守り袋に加えるのだった。その2~30年後、同郷土車里の知人の孫を連れて帰郷する。

帰郷を果たした“牛”だったが、土車里=室町小路では知る者は居らず邪険に扱われる中、“豊安”という童が握り飯をくれ、東寺まで案内する。
その“豊安”が2代目の“牛”と呼ばれるようになる。

当時、庶民は死人や死寸前の病人や老人は戸外に捨てられてしまうという慣習があり、野犬や野鳥の餌となっていた。
平安京には『悲田院』という福祉施設があり、裏を鴨川が流れており、その川原にも未だ生きているにも拘らず、肉親にまで見放された人々が捨てられていた。

悲田院で働いていた東寺奴の“石根”が、病末の捨てられた女が1日経っても生きているのを見つけ、悲田院で療養させ少しづつ回復させた。いつしか“石根”とその女の娘“夜登女”とが恋仲になり・・・と平民が所帯を持つなどは不埒な話と、娘の父親=病に倒れた妻を食い扶持が減って助かると妻を鴨川に捨てた男が10人余りの助っ人を携え、悲田院に殴りこんで来たのだった。

“石根”は一旦投獄されるが、“牛”やある検非違使の計らいで脱獄し、やがて“夜登女”と暮らし始めるが、見つかってしまい自害する。が、その時“夜登女”は懐妊していた。

そして、生まれた子が赤麻呂という名で3番目の“牛”になる。
東寺の夜叉神堂に住む“唯空”なる法師の奴となり、東寺において人の目についてはならない汚い片付け仕事を引き受けることになる。


そして東寺と高野山の確執、最澄と空海の処遇の違いなども書き記されています。
長岡京を造り、使いもしないまま平安京へと都を変える浪費、蝦夷征伐の軍行などに疲弊に苦しむ庶民の様子も窺えます。

副題に『日本庶民通史・平安篇』とあるように、この京都・室町四条を舞台に“牛”を中心にした話を江戸時代まで鎖を繋いでいく決意であるようで、楽しみにしています。

プリズンホテル

2007-01-19 05:33:17 | 読書
『地下鉄に乗って』『椿山課長の7日間』が相次いで映画化されたせいか、浅田次郎の作品が売れているようです。
上映された当時は観ようかなとも思っていたのですが、結構ヒマが無くて、とうとう観に行きませんでした。

家人に頼んで買って来てもらったのですが、1・2巻と3・4巻の本屋が付けてくれるカバーが違ってたので理由を尋ねると、1件目の本屋では3・4巻しか無かったし、2件目を探しに行ったけど、2巻が無かったけどレジで聞いたら後ろから出してくれたらしい。
売れてるんですよネ。私だけでも勘定したら16冊買ってたんですから・・・

          


話の中心人物は“木戸孝之介”なる売れっ子小説家、そして叔父であり『プリズンホテル』正式には奥湯元あじさいホテルのオーナー・総会屋の“木戸仲蔵”、元々このホテルの板長だった“梶平太郎”、クラウンホテル系列の次期総料理長と言われていてこのホテルに赴任した“服部正彦”、同じクラウンホテル系列で名支配人と謳われこのホテルに赴任してきた“花沢一馬”、孝之介の親父の後添い“富江”、孝之介の愛人“清子”、仲蔵一家の子分達が勤めるホテルの従業員・・・そうそうたる面々が迎える任侠団体専用『プリズンホテル』での四季おりおりの大騒動が話を盛り立てます。

この『プリズンホテル』第1巻は夏から始まっています。

個々の登場人物の紹介を巧みに描き、自殺願望や離婚志望の客と任侠団体の客がらみの丁々発止・・・自殺願望や離婚志望の家族は考え直して帰っていきます。

2巻は秋。

この任侠団体専用の『プリズンホテル』に何故か警察の団体が泊まるハメに・・・加えてニセ大学教授や老歌手が織り成す人生模様でしょうか。

3巻は冬。

雪景色の冬山をバックに、自殺願望の子供を救う著名な登山家、救急医療センターの看護婦長、安楽死を与えたことに悩みを持つ医師等、命についての物語が展開。

最後は春。

孝之介の日本文芸大賞の受賞を待ち受ける『プリズンホテル』での、52年の懲役を終えて出所してきた博徒と破産寸前の零細企業家、未来の舞台のヒロインを夢見る親子、孝之介のファンだという支配人・花沢の息子の担任、そして富江は何処へ?シェフ服部は?

なんとも読者を飽きさせない展開と筆致でありましょう。
文章はこういう風に書かなければならないと、感嘆させられます。

この話は全くのフィクションだけど、先日猛批判した綾辻行人の著書とは全く違います。この本には著者の言いたいことが山ほどある。

愛とは何か?死とは何か?仕事とは何か?縁とは?人生とは?いろんなことをテーマに考えて書いてある。

それが昨年私が読んだ数十冊の小説の中で、16冊にも上る所以であろう。

それにしても、浅田作品に登場する黒目がちで、鼻のつんと上を向いた、100人居たら100人ともが振り返る美人とは、どんな人なんだろう?

大地の子

2007-01-18 06:42:41 | 読書
沈まぬ太陽』に続いて、山崎豊子の『大地の子』を読みました。

主人公“陸一心”は中国残留孤児、時代は文化大革命前後の中国。
関東軍に置いてきぼりを喰わされ、ソ連軍の襲撃に逃げ惑った子供が、中国人に売られる寸前に小学校の先生であり、後に父と仰ぐ“陸徳志”に助けられ、大学まで通わせてもらい、やがて国家のため・人民のためと北京の製鉄所で働き始める。

しかし、そこでの造反派の批判大会なるものの最中、“一心”は、日本人であるが故にスパイというあらぬ罪状を着せられ、労働改造所送りとなる。
労働改造所で出会った看護婦の“江月梅”や、父“徳志”の懸命の嘆願によって、冤罪が晴れて北京に戻ってくるまでの5年半の凄惨な生活は、当時の中国の辺境の地を彷彿させる。

それにしても、当時中国の紅兵衛=造反派の蛮行は、およそ主義と呼べるものではなく、まだその国家体制を維持している中国が、取材や調査をよく許可したものだと感心しています。

          

1972年に日中国交回復が実現し、中国は上海に最新鋭の製鉄所を作るべく、日本に助力を求めてきた。“一心”はその建設に付く任務を与えられ、奔走する中で実の父親“松本耕次”に再会することが出来たのだったが、完成前にまたまた冤罪を着せられ左遷されてしまう。

昔の恋人“趙丹青”の手により冤罪も晴れて、再び上海に戻り・・・という筋書きなのだが、山崎豊子らしい綿密な取材や調査により、8年もかけて執筆されたというのには、驚いてしまいます。

中国の歴史物を愛読してきた私にとって、この本の中国は私の生きていた時代の中国であり、我が社に入社した当時、この造反派みたいな労働運動をされている先輩がいたことも思い出されます。

『華麗なる一族』がTVドラマで始まっていますが、製鉄所がらみの話が好きなのかなぁ、山崎さんは。


ところで、今日から仕事再開、いやぁ、まだ満足に歩けんから、再開と言うわけにはいきません・・・会社に行くだけなのかも。

天切り松 闇がたり

2007-01-17 07:02:34 | 読書
五郎治殿御始末』以来、浅田次郎の描く物語の世界が、読みたくて仕方の無い私ですが、病院の売店に置いてあった浅田ものは、『勇気凛々ルリの色・福音編』だけという、お粗末なもの、もっと展示内容を豊かにしてあげないと患者さんの要望に応えられないと思うのですが・・・

『勇気凛々・・・』はご存知『少年探偵団』のテーマソングの一節です。
題名を読んだだけでも、浅田次郎らしいと興奮するのですが、どうも浅田自身のことを書いているらしく、私には面白くない。

おそらく彼は私と同学年か1つ上のはず、育った地域は全く違ったとは言え、同じ日本を見つめてきたに違いありません。確かに少しですが、歴史観に似通った所があります。
なのに、自衛隊に入隊したり、競馬をこよなく愛したり、何が何でも小説家になるなど、私には考えられない生活を過されてきたのですが、そこはそれ私には全く関心がないのです。

こんな本を置くぐらいなら、下の本を3冊揃えておいて欲しかったなぁ。

          

大正初期の頃、主人公“村田松蔵”が、父親の博打・放蕩から職人の一家に売られていく話から始まる物語を、今まさしも歳老いた“松蔵”が留置場の中で語る人生の訓話。
闇がたりだから、6尺四方=1尺30cmと考えても2m以内にしか聞こえない、当日の留置人に混じって看守の方々・署長まで聞き耳を立ててやって来るという人気振り。

職人といっても、大工や左官じゃない、掏摸<もさ>や泥棒<のし>を通して人生の修行をするのだった。

松蔵の世話になった一家には親分の抜弁天の安吉=中抜き・おこん=ゲンノマエ・寅弥=若頭、説教強盗・常次郎=百面相という面々がいた。その並々ならぬ連中の中で松蔵が憧れ、その名を引き継いだのが黄不動の栄治=天切りだった。

この3巻の中で中抜きだの、ゲンノマエ・説教強盗・百面相・そして天切りまで、能や技が展開されてます。ここでの説明はご勘弁を・・・

そして、物語には“山県有朋”“永井荷風”“武久夢二”などが登場、他にも松蔵の姉が放蕩親父に色街に売られ、それを身請けしたいという松蔵の悲哀、女衒と廓の意地汚さが描かれる。

そして最終章には、安吉親分とその親分だった仕立屋銀次の軋轢が、検察の手により銀次が送られた極寒網走の地で・・・

何故か“天切り松”自身の仕事振りは出てこない。

十日えびすⅡ

2007-01-16 08:37:38 | 大阪にて
若い福娘さん達が、参拝客の持ってきた笹に飾り?を付けています。
タダではありません。付けてもらう度に1000円札を払っているようです。

私は商人ではないので、そういう行為をしてもらったこともないので、お金を払った覚えもありませんし、実はと言えば賽銭も投げていません。

          

こちらは昔の福娘さん達でしょうか?
やはり空いてるでしょ・・・本戎ならカメラを向けている場合じゃありませんよ。
『残り福』だから、ケガ人の私なんかが歩けたのでしょうね。それが『残り福』だったりして。

          

境内にこんな『貼り絵』が・・・横着して近寄ってないので、細かいことは判りませんが、亥が描かれていることは解ります。
でも中に金で書かれてる“はつしば”って何でしょう?

南海電車の高野線に初芝駅がありますが、関係あるのでしょうか。

          

よくよく考えてみると、『戎』は中国西方にいた部族を蔑んで用いた総称、何故『恵比寿』『えびす』『ゑびす』『恵比須』などの七福神と同じ読みなのか、不思議です。

ところで、何とは無しに撮った最後の写真、七福神の面がかごにくっつけられていますが、奥の左・・・大黒さんとゑびすさんは全く同じ顔をしてますなぁ。帽子が違うだけのようです。

二人ともようよう見れば、情けない顔しています。
オマケに『おかめ』は七福神と違いまっせ。