ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

SMART PHON

2012-09-28 05:00:00 | 田舎

早いもので9月ももう終わりですね、今年も残すところ後3ヶ月になりました。ケータイをスマホに替えたのが5ヶ月前、ポイントが切り捨てになると言うので、思い切ってスマートフォンに替えたのですが、何処にもホの字など無いのにどうして略してスマホになるんでしょうね。

今頃記事にするのはとっても遅いのですが、前に持っていたケータイ電話機がどうしても見つからないので、記事にならないと思っていたら、四国への旅行中にダッシュボードをひっくり返していると奥底から出てきたのです。そこで拙い記憶を思い起こして、スマホに替えたことの失敗談を記録しておきたいと思います。

             

私が携帯電話を持ち始めてどれ位経つのでしょう?それまで自動車電話やショルダーフォンンなど大きくて価格の高いものばかりでしたが、今ぐらいの大きさになるPHSが登場したのが1995年ごろ、そんなものは必要ないと当初は思っていたのですが、最初の職場を去る1年か2年前にPHSを買っていますから、16~7年になるのですね。便利かなとも思ったけど、姫では使えない状態でした。

PHSから所謂携帯電話に替えたのが、2回目の職場に行ってからでしたか・・・2回目の職場には1998年の10月にに配転されていますが、1999年の元旦に電話番号が10桁から11桁に変わっていて、最初の番号は020-で始まる番号だったので、それ以前にPHSからは替えていたことになります。その時の番号は020-ゴクロオサン××と読めるものでした、携帯電話の番号って他人のものは全く覚えてなくて、全くかけることのない自分の番号だけ覚えてるんですよね。

おそらくこの電話機は携帯電話としては2代目、P503isという機種、未だにアクセサリーが付いていますが、カメラの機能は付いていません。PHSは濃い目のブルーだったけど、初代の携帯電話機はどんなんだったか、電話機会社に返したので忘れてしまっています。

             

こちらが3代目、P505isという機種です。

             

4代目のP506i、これが最後のケータイということになりました。3年ぐらい使ったのか、表面が鏡なので傷がいっぱい付いてしまいました。それでもこの電話機を長男は欲しいと言います。因みに長男は色違いの同じ機種を使っているのですよ。

長男にあげるので電話機を見ていたら、2GのマイクロSDカードが挿入されたままになっていました。では新しいスマホにはSDカードは挿入されてないのか、何処に挿入するのかも分かっていません。

             

GW前に送られてきたスマホ、ドコモショップで買ったのではなく、NTTー関西の知人(販売競争させられているので)に申し込んで買ったのですが、ドコモショップに行って設定をしてもらわなければなりません。大阪のドコモショップに行っている時間が無かったので、5月10日に串本に新しく出来たショップに持って行ったのですが・・・

Gメールアドレスとやらを新規に作れとか、念のためにサブアドレスを作れとか、訳の分からんことを言います。新しいアドレスを作ってどうする?、今までのアドレスでいいですやん、新しいアドレスに変えたら皆さんにアドレス変えたとメールしなければなりません。「今のアドレス使われへんの?」「使えますけど」というやり取り、使えるんならGメールアドレス作っても使わんといたらエエだけですから、何か作りましたね。「ケータイと違って、スマホはパソコンですから、iモードは使えません」とか言ってたけど、ケータイでもインターネット出来てたから、私はケータイでもパソコンだと思っています。

ところがその日以来メールが来なくなりました。来なくなったといってもそんなに頻繁にメールをやり取りする私ではありませんから気がついていません。そして男子のソフトボールの監督から言われたのです。日程の連絡したのに私にはメールが行かない・・・

持ち歩いていると勝手に相手に電話がかかっていたり、電池の減りがやたらと早いというような悩みも出てくる始末です。

どうにかしてもらおうと、せっかく行った難波のドコモのマイショップは改装中で、他を転々としました。挙句の果てに見てもらうと前のメールアドレスが使えるようになってなかったのです。串本店のボンクラめ!ちゃんと説明せんかい。歩いていて勝手に電話がかかるのは、電源を切ってないから何処かに触れて発信してしまうのだとか、そういやぁ、慣れてない時にメールを打とうとすると電源がすぐに切れてしまうので、自動電源OFFまでの時間を長くしたのでした。

勝手に何処かに触れて発信してしまうなら、使わなくなったら一旦必ず電源を切るというような説明は絶対に必要です。電話がかかった相手にも迷惑ですし、こちらとしても不要な通話料が要るのです。Docomoがそのような説明も無しに、空発信させるようなことを許しているなら詐欺行為そのものです。

他にも電話の発信・受信がいつの間にか出来なくなっていたり(電話用のアプリが突然無くなるようで)、喋っていても耳が触れるせいなのか、いつの間にか保留になってしまうこともしばしば、最初は何故急に不通になるのか訳が分かりませんでした。

             

私にはスマホなど不要な感じを受けています。スマホでネットやゲームをすることなどこの間一度も無いのですから。でも、操作には徐々に慣れてきています。この間長男が代わりにメール打ってくれと頼まれたとき、ケータイの画面に指でタッチしてましたもんね。

             

スマホ用のカバーホルダーに付いていた保護フィルムを貼ったのですが、貼るのが下手なのかどうしても気泡が出来てしまうので“誰が貼っても絶対気泡ができない液晶保護フィルム”というのを買いました。未だに貼り換えていませんが、ホントに私が貼っても気泡が出来ないんでしょうか?

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T中君

2012-09-27 05:00:00 | 田舎

秋分の日も過ぎて、幾分涼しくなった感がありますが、日中は未だ暑い日も続いています。私は働かなくなって初めて迎えた夏ですが、去年より暑いとは感じませんでした。そりゃそうでしょう、暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが雪が降ろうが(鑓は降りませんが)、営業マンとしては外へ出なければならなかった昨年とは違い、外へ出なければならない理由はありませんし、暑ければ室内におればいいのですから。でも暑さがマシだと感じたのは、関電による“大飯原発を動かす”という目的のプロパガンダによる節電のせいで、国民の皆さんがエアコンの温度を調節したり、利用しなかったりのお蔭で、室外機から出る熱風が幾分減ったからではないのかと思っている次第です。何せ関電は、ありもしない『計画停電』などまで持ち出して、大飯原発1号機の運転に漕ぎ着けたのでしたが、当初原発の稼働に反対を表明していた大阪市長まで容認に変節させたのですから、このコマーシャル効果は絶大なものだったのでしょう。さて、関電はこの宣伝費用に(橋下個人か維新の会かに対して?)幾ら費やしたのでしょう、オモテ(企業献金)かも知れませんが、何かウラがあるように思えて仕方ありません。

             

三男とT中君がやって来たのは出発した15日が明けた16日の夜中、そのまま私の愚車に乗り換えて、すぐに釣りに出かけていきました。歳を取り過ぎた私には到底真似のできない行為です。せっかくですから夜は古谷魚店へ、でもこの頃はあまり魚が上がってなかった日々、美味しい魚に会えるかどうかわかりませんでしたが、何とか今が旬のズゴ(モクズガニ)の茹でたものがありました。ミソが濃厚で美味しかったです。いつもこの時期になると、「ズゴは手に入らんのか」と電話してくるI葉氏からは、私にとんでもない車を売りつけた自責の念からなのか、全く何の連絡もありません。悪くどい商売などするものではありませんね、30年近くも続いてきた友人関係に完全にヒビが入りました。私も手痛い仕打ちを受けていますから、寂しくも何ともありません。

             

腹側の殻を外してその身を半分に割って、ミソだけ食べます。

             

これはヘダイの丸焼きです。一人につき1匹焼いてくれましたが、私は到底食べれないと思ったので、横に座ってるお客さんにお譲りしました。三男のを少し食べてみましたが、案外美味しかったです。

             

これは姫の家に帰ってから、一番上の写真のアオリイカです。T中君が串本港で釣ったもの、当夜運転手になったT中君は帰ってきても酔ってないので、自分で釣ったものを自分で捌いてくれたのでした。

             

今回も焼酎をお土産に持って来てくれたT中君、右のは何年か前に貰ったものですが、これが一番旨かったと並べて撮りました。大分むぎ焼酎と言えば『いいちこ』とか『二階堂』を思い起こしますが、同じキャッチフレーズを使った『豊後の里』はどんな味なのか、未だ飲んでいません。

             

さて、夏に獲ってきたメダカ、無事かと思いきや無事も無事、多いのでなかなか勘定できませんが、15・6匹は居るでしょうか。三男は「すぐに大きなんなぁ」と言いますが、私はそんなに大きくなったとは思えません。エサを貰えるという条件反射なのか足音でサッと浮き上がってきますが、エサを与える時に水面まで手を降ろすので(上からだと風でエサが飛んでしまう)逃げてしまいます。

             

竿を伸ばしたまま積めるというロッドカーホルダーを買い、愚車ハイゼットのラゲッジスペースの右横窓に装着しました。釣り具メーカー・タカ産業の『Q太郎』という商品ですが、伸ばしたまま積めるというのは、どんな竿のことを指すのでしょうか?私のような磯竿では試してみる前からそんなことは出来ないのは分かっています。このように畳んで収納するのが妥当ですが、残念なことにリールを装着したままの竿は、一番下にしか収納できません。竿を伸ばしたまま積むというのはリールを装着した状態を前提としていると思うのですが・・・、まぁ何はともあれ床に置くよりは安心です。

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姫雑記

2012-09-26 05:00:00 | 田舎

今回の帰省は13日から19日まで、行き帰りを省くと実質5日間の滞在、その内14日と18日は二日供朝から晩まで雨が降ったし、三男たちが二日間軽バンを乗り回したので、私にとっては朝方雨の降った15日だけが釣りに出かけるチャンスだったのですが、朝雨が降ったということが何時雨が降り出すか判らない状況になるし(天気予報もそうだった)、三男たちが何時出発するのかも判らなかったので釣りには行かず、結局今回も釣りには出かけませんでした。

釣りには出かけなかったけど、朝からの雨とうって変わった晴天に何もしないでいられるほど呑気にはしていられません。昼から大島漁港へ状況だけは見に行ったのですが、串本大橋を渡った後に続く長い登り坂を愚車のハイゼットは時速50km台をキープできません。忽ち後ろの車に追いつかれ迷惑をかけてしまいます。しかしダイハツのハイゼットは『HIJET』なのに何故ハイジェットではないんでしょう。

             

もう秋分の日も過ぎていますが、家の近くの田んぼもそろそろ全て稲刈りを終えているのでしょうか?丁度10日前の撮影になりますが、家の周りはこういう状態、紀伊姫駅の山側の田んぼも稲刈りが出来ていませんでしたが、ここと違うのは案山子が立っていたこと。この辺りの田んぼでは案山子が1本も立っていません。

             

道を隔てた反対側の田んぼはすでに稲刈りが終わっています。刈った後から葉が長く生えてきているので、もうかなり前に刈ってしまっていると思われます。

             

姫の家が望める田んぼは途中で稲刈りを中断していました。家に停まっている車はT中君のHARRIER、田舎の田んぼ道には大き過ぎる感じがします。

             

家の前の田んぼもこういう状態です。私が見ている限りでは手に鎌を持って刈っているので、1日に刈り取れる量が少ないのでしょう。コンバインが無いので、田植えの時期から作付けをずらし、広くも無いのに少しづつ植えていたのです。

             

さて、大島港では3人が釣りをしていました。去年ならアジ釣りで賑わっていた波止場ですが、今年はアジが不漁なのかアジを釣っている人は一人もいません。私が行くと同時に納竿する人がいて、見るとスカリに40cmほどのグレが1匹入っていました。波止場の真ん中辺りで釣りをしていた人は素人なのか(私も素人ですが)、カゴ釣りをしていて、アタリも取れないでいます。私がいつも釣り座にしているところには、あの強欲な人ではありませんが、グレ釣りをしていました。スカリが入っていたので何か大物を釣ったのでしょうが、大きさはよく見えませんでした。去年ほどではないにしても、何らかの釣果はありそうです。

アジが釣れてないからなのか、あのネコもサギも現れませんでした。

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紀伊姫駅ノートに書き込んで下さった皆様へ

2012-09-25 05:00:00 | 田舎

私が今回大阪へ帰った19日の前夜には3冊目になる“紀伊姫駅ノート”は無事駅にありました。一連の“紀伊姫駅ノート”が無くなったのは、どうしても地域住民の方や乗り降りする学生の仕業ではなく、JRの職員ではないのかと思っているのですが、果たして答えはどうなんでしょう。確かに一度火を点けられた経緯がありますから(防火の面からも)、JRには撤去する権限や根拠が存在するというのがその理由なのですが、そんなに四角四面に捉えずともささやかな思いなのですから、そっとしておいて欲しいと思うのです。

             

今日の写真は朝方雨が降った16日のものです。「今の時期に紀伊姫駅に降り立ったらこんな景色ですよ」という思いで、“紀伊姫駅ノート”に書き込んで下さった方々に紹介しておきたいのです。

山側に点在する田んぼには稲が黄色く色付き、収穫を待っています。結構リアルな案山子が立ち並んでいるのに眼を奪われます。

             

近所の庭先に置かれていたのがこれ、マネキンの頭部を使っていたのですね。遠くから見て帽子の色が派手なので、「何やろ?」と思って近寄って見ると人間の頭部にビックリ、ギョッとしますよ。

             

駅を降り立って波の音が聞こえる方へ進むとこの風景、左の雨戸を閉め切ってある建物は老人憩いの家『福寿荘』です。

             

福寿荘の裏はこの夏から工事用のプレハブが建てられ、車が頻繁に出入りしていますが、何処をどう工事しようとしているのか私には未だに分かりません。

             

国道42号線の紀伊姫駅のバス停、昼間なら1時間に1本は走っているので、JRよりは便利ですが、この停留所では夕方5時半発が最終です。紀伊姫駅を降り立った人たちは、このバスで次の串本や古座に向かったのかも知れません。

             

台風16号が沖縄方面を直撃している頃ですが、こちらの海はその影響を殆ど受けていません。穏やかですが、18日に一日中豪雨が降り、海は濁ってしまいました。それから一週間経っていますから、もう元のきれいな海に戻っていることと思います。

             

停留所から海岸へ降りて、東の方(古座側)の風景、この日この時間は大潮の10時ごろ、潮が半分ぐらい引いている状態です。小石がかなりの量、波で持っていかれて、浜が狭く感じます。昔はこの浜で那智黒と呼ばれる黒い石が採れたそうですが、今は見かけることがありません。

             

九龍島やたい島の遠景、コメリの下の岩場から撮っています。この岩場は春になるとヒジキを採るおばさんでいっぱいになります。

             

こちらは西側(串本方面)、橋杭岩を違う角度から眺めることが出来ます。私はこの岩場で遊んだことがありませんが、一度どういう具合なのか探ってみると、案外釣り場があるかも知れません。             

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紀伊姫駅ノート Ⅱ

2012-09-24 05:00:00 | 田舎

今月の姫帰りは12日の野球観戦のせいもあって13日になり、20日には阿倍野のハローワークに行かなければならないので、19日には大阪に帰らなければならないという慌しい日程、そのうち土曜の夜から月曜にかけては、三男とその友達のT中君が釣りにやってくるので、余計にゆっくりはしていられませんでした。

8月は2日から18日という長期滞在でしたが、長雨と晴れた日は暑かったで釣りは一切していませんでしたが、今回も来た日は晴天だったものの、翌日は一日中雨、以降雨の予報の日が続きました。ところが雨だった日の翌日は朝に雨が降り「今日も釣りは出来そうにないなぁ」などと思っていたら、昼前からは晴れ始めてとても良い天気になったのです。でも釣りには出かけませんでした。

             

8月に来た時最初の日に“紀伊姫駅PARTⅡ”が無くなっているのに気が付き、腹が立ったけど記事にはしませんでした。最初の“紀伊姫駅ノート”は災難に遭いながらも去年の8月に設置され今年3月までは確認できていますから、半年以上置かれていたのです。今回、最初の設置者の方が再訪されるのを知っていたら、無くなったことを記事にしておけば良かったと後悔していますが、私が気の付いた限り“PARTⅡ”は金環日食のあった5月21日に設置され、6月には置かれていることを確認、8月の初旬には無くなっていますから、2ヶ月の命でした。

そしてその夏の滞在中には3冊目の“紀伊姫駅ノート”が置かれたのには気が付かなかったのです。

             

今回駅で見つけた時は“PARTⅡ”が戻って来たのかと思いもしたのですが、そうではありません。所謂“PARTⅠ”を設置された方が1年後に“PARTⅡ”ありきで、長々としたためた文章を手にして戻って来られたわけです。このように置かれていました。最初に“紀伊姫駅ノート”を見つけた折、設置された方がこのノートを回収に来るのかどうか気になっていたのですが、回収しにではありませんが、こうしてやって来られたのですね。

             

新しい“紀伊姫駅ノート”にはPARTⅢとは書かれていませんが、裏表紙には去年設置された時に撮った写真が貼り付けられています。おそらく、“PARTⅡ”に貼り付けようと持って来られたように思われますが、これって写真を撮った写真なので分かり難いですね。

このノートが設置されたのが8月14日、私は姫に滞在していましたが、朝からは手長エビ獲りに古座川へ出かけて、途中雨に降られた日でした。雨は短時間で止んだので、わざわざ姫駅まで来られた鉄道ファン&ベーシストさんは雨には遭わなかったとは思いますが、姫駅まで来られたら次の電車まで2時間余りをどう過ごされたのでしょう?私とは案外ニアミスしているのかも知れません。
                       
                       

書かれている文章が非常に真摯なので、少し大きくして載せておきます。読みづらいところもありますが、何とか読めると思います。文中、偶然お会いするかも?って、この設置した8月14日のことを思っていたのかなと想像してしまうのです。人間の多い大阪で、前のような仕事であっちこっちと歩いていたらまだしも、家に居ることが多くなった私と偶然出会うというようなことはあり得ないですよね。

             

そして設置日に書かれた冒頭の文章、感謝されて些か照れくさい気持ちです。

             

2枚目の写真に設置された次の日、8月15日に2名の方が綴っておられます。岐阜や横浜からの来姫です。そして1週間後にもおそらく姫在住の人らしき書き込みが・・・年に1度か2度の乗車なので、このノートの顛末はご存知ではないのでしょう。

私が来る3日前にも68歳の東大阪の方が書き込んでいます。何故一度降りたら次の電車まで時間が有り過ぎるような駅に降り立つのか?次の電車まで2時間の間に見るべきものって、何も無いと言っても過言ではありません。何も無いのが良いというのは、よく分かりますが、コンビニはおろか、昼に降りても何か食べさせてくれるところもないのですよ。

             

今回のタイトルが“紀伊姫駅ノートⅡ”、紀伊姫駅ノートについては何度も掲載していますが、タイトルで“紀伊姫駅ノート”を使ったのは過去1回だけなので、そのようにしましたが、“紀伊姫駅ノートPARTⅡ”というタイトルも使っているのでややこしかったですね。

ノートの上に置き忘れてあったモスグリーンの帽子、ゴアテックス製の高価なものでした。ノートより先に誰かが持って行きそうなので、私が預かっています。最後に書き込まれた東大阪の方の物かも知れません、連絡くれれば返送します。

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尼崎の工事現場

2012-09-21 05:00:00 | 大阪にて

8月の末日になって、前職場の健康保険組合(退職して1年目は健康保険組合に継続加入する方が国民健康保険に加入するより安く、2年目以降は収入が無くなるので国民健康保険に加入する方が安いのです)から互選議員選挙の実施についてのお知らせというハガキが届きました。9月3日から10日までの間に投票用紙を交付するので、最寄りの事業所に取りに来いと言う案内、大阪市内ならここそこに事業所はあるものの、串本なんかに住んでいたら何処まで行かなアカンことやら、新宮にはそんな事業所は知らんし、田辺かそれとも和歌山市まで行かないともらえないとなると、誰が選挙如きに多くのお金と時間をかけてそんなものを取りに行きますか?投票する権利を取り上げてしまっているとしか考えられません。投票用紙を取りに行かなかった分は、選挙を管理している誰かが不正に投票する可能性もあると言うことをも考えてしまうというものです。

私は4日の火曜日に最寄りの事業所ではなく、元働いていた尼崎のセンタに取りに行って来ました。知っている局舎へ行くと、訝しがられずに済むし、久々に現役の人たちと飲みにも行けると言うものです。総務まで行ってみると以外にも冷たいコーヒーまで出してくれました。

約半年ぶりにJR尼崎駅に降り立ちます。何処がどう変わっているか、それを確かめるのも一つの楽しみです。

ところが、この建設中の道路は全く進展していません。いったい何をしているのか、1年前とほぼ変わりありませんよ。

             

こちらは1時間500円の駅近くの駐車場だったところ、『Max Valu』が建つようです。

             

あま湯』は、誰でも停められる(営業妨害だと貼り紙していたが)駐車場でしたが、コインパーキングに変わっていました。入場者には無料のサービスをするようです。

             

道路工事の延長上の歩道だけは完成しているようでした。

             

このマンションの百日紅の並木は相変わらず、青い空に良く似合っています。

                       

この完成間近のマンションは、例のミカドの跡地、半年前に基礎工事を終えていたもの、そう考えるとやけに建設が早いものです。

今、TVでコマーシャルをやっている尼崎DCではありません。

             

道を造るなどと言う公共事業は全く進展を見せていないのに、個人の事業だと何故こうも早いのか、公共的な事業を受け持つ会社は今は全ての力を東北復興に費やしているのかも知れませんが、造りかけの道路を放りぱなしにしておくのは如何なものか。

             

この建物だけは何時見ても陰鬱ですなぁ。

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号外

2012-09-20 05:00:00 | スポーツ

9月12日のこと、前日急に長男が映画を観に行こうという電話をかけてきて、どうせヒマなのを見透かされたような気になったのですが、何を観るのかと聞くと『踊る大捜査線 THE FINAL』だと言う、『踊る大捜査線』というTV番組があったのは知っていたし、映画にもなって上映されていたのも知っていました。でもこれまでに一度も観たことはありません。

最近、ヒマな時間を費やすことが多く、昼を過ぎるとTV番組を見たりしますが、その時間帯は再放送のサスペンス物が多く、4時からの1時間は『相棒』を観るようになっていました。刑事ものであることが共通していますが、『踊る・・・』を観た感想は私でも知っている俳優が多く出ていて、そういった人々の個人の魅力(?)で繋がれた映画であって、決してストーリーが面白いというものではありませんでした。その次の日から姫に滞在していましたが、土曜日にTVで劇場版『踊る大捜査線 THE MOVIE3』の放送があったので観たのですが、このシリーズってずっと続けて観てなければ本当の面白みが分からないようになっているのかと思い直しもしたのでした。そういえば、TVでコマーシャルをやっていたので『交渉人 真下正義』や『容疑者 室井慎次』というような映画もあったと思い出しました。今回その映画中の真下は湾岸署署長、室井は警察庁長官官房審議官というような役に変わっていましたが、それはストーリー上の展開でした。

             

11時50分から始まったこの映画、終わったのはなんと14時20分、昼食の時間は遠に終わっていましたし、土曜日に観たTVも9時から11時半ごろまでやっていました。なんと長い映画なんだ、三男とT中君が大阪を夕方に発って、串本に向かっているので我慢して観ていましたが、全然ストーリーに惹きこまれないのです。

私は60歳になっているので映画は1000円で観ることが出来ましたが、1000円出費して観る『踊る・・・』よりも、家でゴロっと寝転がってタダで観る『相棒』の方が面白いと思っています。

             

遅い昼食をとって、長男とは4時に別れましたが、そこから梅田まで行き、この日は甲子園球場に行かなければなりません。タイガースVSスワローズの試合の観戦です。梅田で何か号外を配っていましたが、どうせロクなことは無いだろうと思って貰わなかったら、阪神甲子園駅の外でも配っていました。何かと思って手にすると、ホントにロクなことでは無く、金本選手の引退が報道されていたのでした。見出しに“ついに決断”とありますが、多くのタイガースファンは“やっと決断”なのでしょう。鉄人というイメージから出場を引っ張ってきましたが、出来なくなったら使用されないのがスポーツの世界、守れなくなったのならサッサと後輩に道を譲るべきだったのではないですか?バッティングなら「負けん!」と言うなら、指名代打制のあるパ・リーグの球団に移籍するべきだったのです。

             

タイガースはもうクライマックスシリーズに出場するようなことはないでしょうから、球場には観客が詰めかけてはいません、ガラガラ。この日のチケットを予約したのが7月末、こんなに凋落することが分かっておれば予約などしないのにと思ったのでした。だいたい10日には姫に行きたかったのに、何故かこの日の予約に私の分も入っていて、1000円ぐらいどぉってことないのに、一人が抜けたらアカンやろなぁという気持ちが姫行きを延期させたのでした。

観に来ている人にはロートルな名前の入ったレプリカを着る人が多い、勝ち負けには拘らない、熱心な野球のファンなのかも知れませんけど、単なるミーハーなのかも知れません。

             

トラッキーは喋りませんが、帽子を脱いで、深々と謝っているようです。

             

さて、こちらはその前の週の木曜日6日のジャイアンツ戦のものです。小学校時代から親友のK川君がチケットを取ってくれました。1000円以上出してまで、ファンでもないタイガースの試合を観るのはマッピラですが、1000円チケットはジャイアンツの試合には有りません。安くしなくても観客動員が出来るのです。

             

敵同士の筈なのに、何故か仲良くしているレプリカ姿の客が目立ちます。武者小路実篤ではありませんが“君は君、ぼくはぼく されど仲良く”の精神ですな、宗教界もこうであって欲しいものです、絶対の神など無いのですから。

             

先ほどのヤクルトの応援席と比べてください。巨人ファンはやはり根強いようです。阪神地域に就職をした九州の人の中でも、南九州の人はジャイアンツファンが多いですからね。ロッテ戦のようにはるばる千葉からやって来たという感じではありません。

             

レフト側のスタンドも殆ど満員です。ジャイアンツだけは「やっつけなアカン」との思いの人が多いのかも知れません。

             

1回裏の攻防、鳥谷選手が3塁まで進んでいますが、点は入りませんでした。球速が140kmも出ない内海を何故打てないのか、そこにタイガースの打線の弱さが表れています。

             

6時を超えるともう薄暗い今日この頃、もう彼岸ですから暑さもそろそろですが、昼の時間が短くなるのは寂しいものです。

             

ラッキーセブンのジェット風船、この頃には1塁側の応援席も満員です。ジャイアンツにとってタイガースは、対戦面ではお客さんですが、タイガースにとっては興行面ではジャイアンツ様々ですね。

             

内海ー岩田の投げ合い、1-1の投手戦かと思うけど、ジャイアンツは12本もヒットを打っています。タイガースは半分の6本、しかも前半に打ったのが殆ど、これでは勝てる要素がありません。これ以降の1000円チケットの予約はあるのか、甲子園までは遠いのであまり行きたくはありません。

後1試合、京セラドームでのホークスの試合を観に行きたいものです。

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ポニー牧場

2012-09-19 05:00:00 | 

四国カルストは晴れていたとしても、小さい子供たちが遊びにやって来ても、遊具も無いだだっ広い所です。子供が時間を過ごすには不適切なところなのかも知れませんが、この景色に感動できない子供であってはいけないと思います。この日は平日とはいえ未だ夏休み中でしたが、子供連れは居なくて、中学一年生ではありますが子供と一緒なのは私たちの一行だけ、それが道中に幸いしたかも知れません。

四国カルストを後にして、松山方面へ向かいながら帰ることにしましたが、またまた車一台通るのがやっとというような道になってしまいます。県立自然公園に指定されている割には、高知からにしても愛媛からにしても途中の道路がお粗末です。その細い道へ踏み入った途端に前から来た車と遭遇、どちらがバックするかと思っていたら、前からは続いて車がやってきたので、こちら側が広いところまでバックせざるを得なくなりました。その距離自体は大したことは無かったのですが、2台の車と行き違った後車を前進させていくと、車がすれ違いできるような広い場所が全く無いのです。これではせっかくの自然公園へ行こうと言う気持ちにはなかなかならないでしょう。子供連れがやって来ないというのがラッキーだったのは、その後長く続いた一本道で出会った車が一台も無かったこと、夏休みも終盤だったこの頃、家族連れで大勢の人がやってきていたら、車をすれ違いさせるだけで大変な時間を費やしてしまいそうです。

             

山を下ってきて11時半ごろ、私の他はお腹も空いてきただろうし、平野部になって道も広くなれば所々に店が点在するようになったので、何処かで昼食にすることにしました。でも最初に寄った店は閉店らしく、その辺りにあった案内板を見て、もう少し下ったポニー牧場というところまで行ってみようということになりました。

             

ポニー牧場の傍らには小さなロッジ風の土産物屋を兼ねた食事処があり、結構人が入っていました。私は店が満員なので、店の外の椅子に座ってソフトクリームだけを買って食べたのでした。他の人は何を食べたのか知りません。

牧場へ入るのに強制ではありませんが(チケットなど売ってないので)、100円要ります。

             

牧場とは言いながらシカまで飼っています。牧場ってたいがい家畜を飼うものですよね。

             

名前通りポニーらしき馬が2頭いました。

             

小屋にはウサギも飼っていたので、牧場というよりは小動物園と言った方が正解でしょう。

             

たいして広くもなく、飼っている動物も少ないのですぐに退園、入場料100円が安いのか高いのかよく分かりません。目の前の特産品販売所へ、でも売っているのはダイコンだけでした。1本80円なので1本だけ買い、帰って食べたら、瑞々しくて美味しいダイコンでした。

             

久万高原町から砥部町を経て、松山市へ。松山には名古屋赴任時代に知り合ったS見氏やT野氏が居るので電話しようかなと思ったけど、市内に居る時間が無いので止めておきました。松山市に入るとすぐにICがあったので松山自動車道に乗って一路大阪へ向かいます。

             

車窓から見る松山市の風景、県庁所在地とはいえ、のどかな田園風景です。写真を撮っているということは、私は全く運転していません。

             

香川県に近づいてくると、こういう風景が目立ち始めます。平野部にポツンと一つだけ山があるのです。

瀬戸大橋を渡るか、元来た鳴門大橋を渡るか迷いました。同じ橋を渡るのは能がないような気もするし、かと言って往きに入れなかった鳴門渦潮公園にも行きたかったのですが、瀬戸大橋の写真を撮ったことが無かったので、瀬戸大橋を選択しました。一枚目の写真がそれです。

             

高松自動車道に入り、坂出JCで瀬戸大橋方面に向かいます。この時点でもう3時前、橋を渡ったところで運転を交代し、きっと宝塚で渋滞してくるやろと思っていたらその通りの結果になって、四条畷の長男の家まで送り、そこから道を間違えながら家まで帰り着けば、もう9時を回っていました。

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四国カルスト

2012-09-18 05:00:00 | 

『しもなの郷』に泊まった翌朝、前夜は地元の人との話が弾んで飲み過ぎてしまい、起きるのがいつもより遅くなってしまいましたが、大阪に帰らなければなりません。二泊三日の強行スケジュールは私のライフスタイルには合いませんが、休みの取れない長男と一緒に旅行するのですから仕方がありません。お蔭で取材が雑駁な感じがしています。

9時ごろ外へ出ると雨、見送りに出てこられた事務長さんが「もうそろそろ止んでくると思いますよ」と気を使ってくれています。話が弾んで楽しかったのか、それとも単なる慣用句なのか別れ際に「また来てくださいね」と言葉をかけてくれました。     

             

目指すのは高知と愛媛の県境にある四国カルストという観光地、雨も上がって最初は国道を軽快に走っていましたが、途中から山道、林道ではなくまさしく山道なのです。我が車のナビは時々とんでもない道を案内しますが、その道が最善の道だったのかどうか?対向車が来れば忽ち困ってしまうような狭い道路を走らされました。四万十川源流の標識があったことからも山深さが判りますが、時々道路の拡張工事が進んでいました。その工事現場を通り過ぎた途端に大きなダンプカーと遭遇、トラックが現場と連絡を取り合っているのなら、入り口で待機させるのが現場の役目でしょう。一旦こちらが曲がりくねった細い道を後退しましたが、ダンプカー同士は連絡を取り合っているのでしょう。行き違ってから暫らく走ると1台のダンプが枝道で待機してくれていました。

             

標高1400mのこのカルスト台地ですが、下名野の地より1時間ぐらいで最初に一番標高の高い天狗高原に着きます。でも高原に近づくにつれて辺りが霧で何も見えなくなってしまっていました。天狗高原では何も見えなかったのですが、台地は徐々に低くなっていくのでうっすらと辺りが見え出すようになり、牛が放牧されているのに気が付きます。

             

雨こそ降っていませんが、この霧では雨が降ってるのと同じです。霧の中と言うより、雲の中と言った方が正解なのかも知れません。毎日の天気予報で高知県の天気が紹介されることはありませんが、この高知の西部の山奥って雨が多いのかも知れません。その代りとても涼しかったなぁ、暑かったら牛もバテて寝転がっていたのではないかと思います。

             

牛が近くに居る度に停まっては写真を撮りながら走っていますが、20分ほどでようやく視界が開け始めました。

             

カルスト地形とは侵食作用で地表に露出した石灰岩が点在する光景のことを言いますが、その典型的な状況です。この辺りが五段高原と呼ばれるところなのでしょうか。五段城という城があったようですが、全く気が付きませんでした。

             

道路に放置された(?)岩、地層と繋がっている筈なので、邪魔になっても何処かへ持っていくわけにはいかなかったのですね。

龍河洞といい、2日間で石灰岩ばかりを見ているわけですが、秋吉台のように秋芳洞との関連は無さそうです。

             

高知県側の谷、道が見えていますが、この道を通ってきたのかも知れません。

             

ここは姫鶴平と呼ばれるところ、道路わきには風車が回っていました。風車の先はまだ霧が濃い状態です。

             

こちらは愛媛県側の様子、台地が広く谷までは見ることが出来ません。晴れていれば石鎚山まで見渡せるそうです。

             

愛媛県側の谷、この写真では小さくなってよく分かりませんが、小さな集落が見えています。

             

姫鶴荘という食堂の裏、未だ11時にもなってなかったので食堂は開いてなかったし、開いてたとしても朝食の食べ過ぎで食欲はありません。トイレを借りに裏に回ったら、高知県と愛媛県の県境がトラロープで引いてありました。県境ってこんなにまっすぐなものなのか、それに愛媛県側は山の中なので梨やミカンの果物が描かれていますが、高知県側は山の中なのにカツオの絵が描かれていました。

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しもなの郷 Ⅱ

2012-09-14 05:00:00 | 

宮尾登美子の小説『仁淀川』で主人公の綾子(宮尾自身)が満州から命からがら帰国し、主人の実家である仁淀川沿いに住んだという桑島村上は何処にあるのだろうとずっと景色を見ながら考えていました。伊野のバス停まで一里半の地ですから、仁淀川橋からそんなに遠いことはないと思っていましたが、道沿いの上流ばかりに気を取られていたのでとうとう判らず仕舞いでした。

『しもなの郷』は地元住民の方で運営されており、ここの事務局の人なら知ってるんではないかと、夕食の折に尋ねてみました。最初は『仁淀川』を読んでなかったらしく、私の尋ねているのが何処なのか判らないようでしたが、私が覚えていた“川の対岸に義理の姉の住んでいた高岡というところがあった”と言うと、瞬時にそれは仁淀川橋より下流の方だと言われました。大阪に戻ってから地図を見ると、小説に出ていた八田堰や行当、百笑(どめき)という地名があり、対岸にも確かに高岡というところがありました。ただ桑島村という地名は見つかりませんでした。おそらく現在の春野町といの町の境目辺りだろうと思われます。春野町は吾川郡春野町から2008年に高知市に編入、西武ライオンズのキャンプが行われることで知られています。

             

中津渓谷のあった川の上流です。相変わらず大きな岩がゴロゴロしています。

                       

雨が降ってなければ水量も少なく、流れも穏やかで、透明度も高かったんだろうと思います。

             

建物外の水槽にはアマゴがたくさん泳いでいました。よく見えないので水槽の周りに付いた水滴を拭き取ると、アマゴは逃げてしまいます。寄ってくるまでに時間がかかり、拭いたはずの水滴は元通り、また見えにくくなってしまっています。

                       

6時になったので夕食です。食堂兼居酒屋と書かれたホールでの食事、居酒屋にもなっていますから、いつまでも飲んでいられそうです。

これが所謂皿鉢料理ですかね。『仁淀川』に出てくる田舎の皿鉢料理っておそらくこんなものだったんだろうと思いました。手前からコンニャク、ジャガイモ、豆腐の田楽です。しょうも無いと思われそうですが、見た目よりもずっと美味しいのです。

             

アマゴの塩焼き、前日は干物でしたから、これは嬉しい一品です。

             

土佐の皿鉢料理ならカツオのたたきだろうと思われるでしょうが、お造りも美味しいです。大きなカツオだったらしく身が広くて、分厚く切ってあります。私ならこの3分の2ぐらいに切りますね。

残ったのを醤油漬けにして、翌朝お茶漬けにして食べるからと言うと、この辺りではそういう習慣は無いと言われました。でも注文には応じてくれましたよ。

             

廊下の上部に貼られてあった歴代の卒業の記念写真、昭和39年の卒業の方たちです。私と同じ年の卒業です。

             

ちょっと見にくいので少し大きくしてみました。真ん中で一人だけ椅子に腰かけてるのは校長先生でしょうか。卒業生は16人、先生方や大人は7人いますね。

もし、この写真を見られて「あ、これ私や!」「オッ!これ俺やで」と思われた方がおられましたら、コメントくださいね。奇遇ですから。

             

朝食です。前日飲み過ぎましたが、カツオのお茶漬けはちゃんと覚えていましたよ。隣のグループの方にも賞味してもらって完食です。

1泊2食付で6300円、安いですね。

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