田子駅からほぼ42号線に沿って歩く大辺路、田子からは殆ど歩道が無いので危なく、車で徳本上人の碑があるところまで走りました。今回はその続きを歩こうと野凪(のうなぎと読む)の港に車を置いて江田まで歩き、戻ってきて野凪から山越えで田並まで行き、再び野凪に戻ってこようと試みることにしました。野凪は本当の漢字は野と氵(サンズイ)に和と書くのですが、IMEパッドで手書きしても候補の字は上がって来ません。氵に和と書いて“なぎ”と読むという感覚はよく解るような気がします。
野凪のバス停、今使っている地図ではこの場所に道分地蔵があると書いてあるのですが、何処を見てもそれらしきものはありません。
野凪の港は田並漁港よりはるかに大きく、野凪自体が田並の一地区なのですから、こちらを田並漁港と名付けても良さそうなものです。規模の大きさからすれば閑散として侘しい感じがしますが、それはそれ見方を変えれば余裕のある静かな港内です。
東の方を見れば田の崎半島が見えます。ここのところ調べ物があってネットを見ているのですが、たまたま見つけた『田並の昔の写真集』に拠ると昭和初期の田の崎の山には数えるほどの松が生えているだけでした。今はいろんな木々がこんもりと生えています。
田子から江田にかけては歩道がありませんが、野凪から江田へは歩道があり、安全です。ここは田の崎の付け根、切通しになっているので昔は田の崎からの山が連なっていたのでしょう。ヤマザクラの花が満開できれいでした。
江田で目指したのは徳大明神社と浦氏屋敷跡と海蔵寺、まずは一番遠い徳大明神社です。先月訪れた徳本上人の碑は目と鼻の先です。
この小さな社は42号線を走っているといつも気になっているのですが、来てみると何の変哲もない社です。
江田の浜を少し歩き、紀勢線の線路を潜って浦氏屋敷跡へと向かいます。車を停めてからここまで30分ぐらいでした。
立派な石垣が残っていると書かれていた浦氏屋敷跡、これかなと思いながらも、辺りには案内板もありませんので、もう少し奥まで歩きましたが何もありませんでした。
きっとこれだと思い近寄ってみましたが、浦氏自体どのような家柄なのかも知りませんから、あまり感慨はありません。石垣の上には浦氏ではない人の家が建っていました。
江田の浜から双島を見ながら海蔵寺へと向かいます。
海蔵寺へは案内板がありました。やはり紀勢線の下を潜ります。
お寺へは坂道を登りますが、お寺の海抜は7mほど、一応避難場所には指定されていますが、大津波が来れば心もとない場所です。
本堂と境内、おじいさんが掃除をしていました。
葉がないので確かなことは言えませんが、イチョウの木だと思います。境内ではこの木が一番に目を惹きます。ここまで1時間近くを費やしました。