ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ヒベリカム

2011-05-31 05:00:00 | 大阪にて
昨日と同じ先週の水曜日のお話、このヒベリカムの花が咲き始めました。尼崎には何故かこの花が沢山植えられているように思われてなりません。

以前記事にしたのは4年前の6月、今年はどの花も咲き始めが遅いので、例年ならこの花も今頃ならもっと咲き誇っていたものと思われます。

             

今回はいつも見ている百日紅の並木がある一角。一面に咲くときれいなのですが、よく見ると枯れた花がチラホラ、この花は枯れるのが早いですね。まぁ先に咲いた順に枯れていくので、後から後から咲いてくる花にカバーされているうちは、きれいなのです。

             

写真を撮ってから1週間経とうとしていますが、現在ではもう少し咲いています。この時はまだ咲いているのは二つばかり、蕾が沢山なっていました。この写真を撮ってから雨天が続き、台風もやってきたので、咲くのが余計に遅くなってるようです。

             

オトギリソウ科だといいますが、肝心のオトギリソウを見かけたことがありません。この日曜日の午後に生放送があった安曇野の高山植物に似たような花が咲いていました。ナントカキンシバイって書いてあったようにうろ覚えしています。

             

こちらは別種のヒベリカム、JR尼崎の南口の駅前に沢山植えられています。ヒベリカムという名前がどうも覚えにくく、ヘベレカムという名前がすぐ出てきます。きっとへべれけになるまで酒を飲むせいでしょうか。

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環境美化のため

2011-05-30 05:00:00 | 大阪にて
先週水曜日25日の朝に会社の周りの道路の清掃を行うボランティア活動を行うので、協力される方は8時15分に南門に集合してくださいと、前の週から周知がありました。

私達の始業時間は9時なので、それ以前に会社の命令で労働をすれば時間外労働に当るわけですが、ボランティアと言っている以上、時間外手当は支払われないのでしょう。

私達労働者は会社に対して賃労働契約を結んでいます。月給制ですが、週40時間労働、それを越えれば1時間当たりいくらという割り増し賃金も支払われる契約です。

             

その日の朝8時20分ごろの職場内、みんな出払っています。もちろん休憩室でTVを観ている人もいるし、コーヒー飲みながら雑談していた人もいるでしょう。でも普段そんなに早くから来ない人もいたのに、残っているのは写真中央で背中を向けて座ってる人と写真を撮ってる私だけ。

             

仕事する部屋にもいなくて、休憩室にもいないとなれば、どれ位の人数でボランティアをしているのか気になるので、外を見てきました。裏から出てみただけなので、意外と掃除をしている人の姿は見えません。

参加した人達に対して「ゴマすりや」という人もいますが、私はそれでは済まないと思う。

会社と私達はあくまで賃労働の契約を為している関係であるのみです。会社が周囲の道路まできれいにしようと思うのだったら、雇っている清掃員に指示するなり、時間内にみんなで掃除をすればいいのだと思う。時間内に出来ないのであれば時間外賃金を払ってでも掃除をすればいいのです。

まぁ周囲の道路をきれいにするという内容の労働をするような契約はしていないのですけどね。だから会社はボランティアなる言葉を使うのでしょうが、これって参加する人と参加しない人を篩いにかけてる・・・会社の言うことを素直に聞く人間か、そうでない人間かを見極めようとする、汚らしく姑息な意図が見え透いています。

             

会社としてはそういった“人を差別するような行為”も必要なのかも知れませんが、実にくだらん事をするものだと労働者である私は思うわけです。周辺の道路をきれいにするという行為自体は決して悪いものではありませんが、労働者の魂を売って会社に媚びようとするのは良くありません。ボランティア自体、他人から言われてするものではないでしょう。

             

何も会社に媚を売ってるなどとは思ってないという人もおられるでしょうが、会社が本当に環境美化を叫ぶのだったら、そして「俺は媚など売ってへん、街をきれいにしたいだけや」と豪語するなら、横に流れている堀まで降りて投げ捨てられたゴミも拾わなければならないし、毎週毎週清掃を続ければいいのです。君たち、言われた時間内・範囲しかやってないでしょ。

今や環境汚染の最大の課題である放射能汚染に対しても何らかの方策を考えているのかとも問いたい。数兆円の規模で貯め込んでいる内部留保の何分の一でも震災復興に拠出したのか、原発なんてもうこりごり、電力を原発に頼るのは止めて自然の力に頼った発電をしよう、会社の全ての屋上に太陽光発電の装置を取り付けようというようなことも考えてもらいたいものです。

いずれにせよ、このような『ボランティア』なるものに参加した人が少なかったということは、今いる職場の仲間たちの人格を物語っていると思っています。

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八犬傳

2011-05-27 05:00:00 | 読書
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という本の感想文の中で山田風太郎の『八犬傳』を読んでみたいのだが、書店に行っても売ってないと述べたことがありました。今は大きな書店に行くと、読みたい本の置き場所などが寸時に判るPCを設置してあって、きっとその検索履歴などを調べて、新たに並べる本を決めてるのかと思う節があります。この八犬傳も最初に探したときは検索しても無かったのですが、GWが終わってからジュンク堂へ行くと時代小説を集めた棚に置かれていたのです。

                  

小学校へ入る前に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでみたことも書きましたが、きっと面白くなくて途中で止めてしまったと思います。孝・信・義・忠・仁・智・礼・悌と言っても何のことやらサッパリ解らない子供のことですから、作者の意図するものが読めず、最初からいやになったんでしょうね。でも信乃や毛野というような名前はおぼろげながらも覚えていました。八つの珠に纏わる儒学的なことは飛ばして読めば、小さい頃でも読めたかも知れません。

さて山田風太郎の『八犬傳』、冒頭安房の国・滝田城に篭城する里見家は食糧も底をつき、自決を待つだけの窮地においやられていました。その年、害虫による不作で年貢を取り立ててなかったからで、上総の国の朝夷が数年前に大不作になった折には5千俵の米を救援したので、今度はこちらから救援を願い出たところ、これ幸いと館山城主・安西景連が攻めかかってきたのでした。

死を待つばかりの城内で犬の八房に城主・里見義実が敵将・景連の首を獲ってきたなら、伏姫を娶らそうと言ってしまったのが発端、水盃をあげて死への決意を示したその時、八房は景連の首を咥えて戻ってきたのでした。

                  

山田風太郎の『八犬傳』はこの足利義政の頃の話を【虚】とし、執筆前にそのストーリーを馬琴が葛飾北斎に聞いて貰う場面を【実】の世界として、江戸の安政期の出来事を織り交ぜながら、話が進んでいきます。この北斎との会話も実に面白い、馬琴は謹直な儒学人、その反対に北斎は貧乏ながら粋な天才肌で、正反対な人間像ながら馬琴は北斎に一目置かざるを得ないように描いています。

途中から北斎は富岳の絵を描くために旅に出てしまい、ストーリーの聞き役は渡辺登(崋山)、息子の嫁のお路と変わっていきますが、馬琴はとうとう28年の歳月をかけて『南総里見八犬伝』を完成させるのです。

終盤に犬江親兵衛なる子供が8番目の犬士として藩主の危機を救うのですが、この場面が相当に痛快でした。

                  

実はこの『忍法八犬伝』、山田風太郎の『八犬傳』が無かったので、こちらの本が言われているものなのかと思って買ってみたのですが、どうやら筋違い。同じ名前は出てくるものの構想が全く違います。犬の八房は8人の犬士に一匹づつ付いているし、犬士は出現しては相手を倒して死んでしまいます。

             

結局、この『忍法八犬伝』の解説に『八犬傳』が廣済堂出版から出ていることを知り、改めて書店を探した次第でした。この『忍法八犬伝』も面白かったものの、『八犬傳』の虚と実の構成の見事さは群を抜くものです。

                  

これはジュンク堂がコマーシャルの載ったカバーということで、当時『忍法八犬伝』に着けてくれたものですが、誰の写真か判るでしょうか?

                  

こちらは左半分、つまり本人の右半分ですが、これで誰だか判る人もいるんじゃないですかね。

             

ハイ、「芸術は爆発だ!!」でした。

今は山田風太郎『忍法帖』シリーズに嵌っています。『八犬傳』の後、『甲賀忍法帖』『忍法忠臣蔵』『伊賀忍法帖』と番号順に進んでいます。

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工事中の道路はどうなっているか

2011-05-26 05:00:00 | 大阪にて
尼崎を南北に結ぶ道路は沢山有るのに、JR尼崎駅付近は西は産業道路から、東は神崎川近くの杭瀬から北上する道路まで、約2kmの間ありません。無いというより駅の西側に踏切があったのですが、今は新しい道路の工事のために封鎖されています。駅の西側に住んだり、働いたりしている人は南北を行き来するのにJR尼崎駅の通路を利用するか、産業道路の下の地下道を利用しなければならないほど不便なのです。

             

今は車があるので2kmぐらいの距離はどうってこともないのですが、車を持ってない人や私達のように車を使わせてもらえない者にとっては、「なんちゅう所や!?」と苦言を呈したい気持ちになるのは当然でしょう。

随分前から新しく出来る道路の工事は何度も紹介してきましたが、8月末の竣工目指して作業は急ピッチで行われていますと言いたいところですが、見ている限りダラダラと進行しているようです。

                  

線路下のトンネルはおそらく開通しているだろうと思うのですが、コンクリートで出来ている道路の南側の作業がなんともゆっくりしています。GW終了後に出勤した頃から始まったトンネルに続く道の掘削作業は未だに完了している様子もありません。雨が降ってもないのに水が溜まったりしていたので地盤が軟弱なのかも知れません。

             

この工場さえ撤退してしまえば工事は一気に進むのかも知れませんが、工場ではいつまでも受注があるのか、いつも仕事をしています。この工場何処かへ移転する気があるのかどうか、それも気になります。

             

GWが明けて最初の月曜日、出勤途上の百日紅です。休む前までは確か黒い実のようなものが点々と付いているだけのように思ってたのですが、突然緑々とした葉が茂っていました。

                  

先っぽが赤くなれば、もう夏も近いのですね。その前にイヤな梅雨が待っています。今年の入梅は少し早そうです。

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新しい大阪駅

2011-05-25 05:00:00 | 大阪にて
新しくなった大阪駅がGW中の5月4日にスタートしたらしい、新しくなっても新大阪駅ではありません。やはり従来通り大阪駅、新しくなったんだから新大阪駅に、新大阪駅を大阪駅に名称変更すれば良さそうですが、そうはいきません。どうしても新しく名付けるなら大阪新駅でしょうか。

             

ここは何処かというと大阪駅の北東部にあたる所、阪急電車への通路方面です。このビルの完成で工事を始めてややこしかった阪急電車への通路が便利になったのかどうかは知らないのですが、3階にJRの改札口が一つ増えました。ホームから3階へ上がるエレベーターは3月頃から出来ていましたが、今まで1階へと降りて他のホームへ移っていたのを、3階からも移れるようにしただけだと思っていました。

                  

これはLUCIAというショッピングモール、私の立っている側に伊勢丹が入っています。3階では新しくなった大丸とも繋がっていました。

             

新しく名付けられた『OSAKA STATION CITY』、何のことはない直訳すれば『大阪駅街』です。

             

3階から見た北側、中津方面です。ビルの建設中ですが、これ以上何を造ろうとするのか?もっと違うところにお金を使った欲しいものです。

大阪駅では線路はほぼ東西に走っているので、北や南側を見下ろしても線路は見えません。

             

こちらは駅の西側、天満方面です。西へと伸びる線路が見えています。

             

エスカレーターでかなり上まで上がって、先ほどの工事現場、沢山のクレーンがロボットのように動いていました。

             

工事現場のチョイ西方向に貨物専用のターミナルがあります。二十歳の頃、親しかった先輩のK野氏と釜ヶ崎へ体験しに行ったことがあるのですが、たぶんこのターミナルで一日中貨物の積み込みをやらされた経験があります。この先輩のK野氏は我社を早くに辞め、高崎山の猿の公園で再就職、去年退職したとTVで放映された方だと思います。

             

工事現場のチョイ東側、今度は長男が高卒で入社した会館がありました。結婚式もここで挙げとったけど、こんな大きな看板が出ておったとは知りませんでした。

なんか複雑になった大阪駅ですが、1回しか見学に行ったことはないけれど、こんなに商業施設ばかり作る必要があるのかどうか、とても疑問に思っています。

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江須崎にて蕎麦打ち

2011-05-24 05:00:00 | 田舎
載せておきたい田舎での出来事をもう一話、三男達が1日の日曜日に帰りその日は静かな夜を過ごしたのですが、翌2日は名古屋の蕎麦打ちのU田先生が来てくれました。

朝10時に古座駅で待ち合わせ、そこでカヌーに乗る予定を組んでいました。三男達とカヌーに乗ったのが30日の土曜日、この日は9時に駅まで行くと駐車場は満杯状態でしたが、GWと言えども2日は月曜日、駐車場はまばらな状態でした。

カヌーを昼ごろに降りて、うな丼を食べたのは、三男達と同じコース、夜も庭でバーベキューを楽しみました。

             

翌朝は10時ごろに江住のI葉宅で蕎麦打ちの予定、7時半頃に家を出て瀧の拝を見学してもらって、山越えで七川ダムへ行き、一枚岩へと降りて高富へ出、江住へと向かったのでした。

U田先生の車だったので燃料のことは気にせず、滝の拝から宇筒井を抜けて七川へ走ったのですが、ずっと工事中だった山道も工事は済んでいて、所々きれいな道に変っていました。

自分で運転して無いと周りの景色がよく見えるもので、この山道は藤の花が意外と多いのには、今更ながら驚きました。

             

約束どおり10時には江住に到着、蕎麦打ちの道具を下ろして、さっそく蕎麦打ちの開始です。GWなので過疎の村にも沢山の人が帰省しており、次から次へと人が訪れてきます。

             

私はもう慣れているので、久し振りに周囲をうろついてきました。42号線の橋の下、ブロック塀に囲まれているのがI葉宅です。

             

曇っていて少しですが雨も降り出し、風も無いのか江須崎の海は静まり返っていました。少し前まではこの場でよく遊んだものですが、最近は姫の家にも来客が増えて、この海で遊ぶこともなくなってきました。

             

海岸沿いの道から42号線へ分岐する所にお地蔵さんが祀られています。

蕎麦打ちに戻って、ビールを一本飲もうとすると、U田先生曰く「そのために俺の車に乗ってきたんか!」ご名答です。

後から後から続々と蕎麦を求めてやってくる人が後を断ちません。こんなに人がおったんかと少々あきれ気味の私、中には一旦帰って自分の鉢を持ってきて、蕎麦湯だけ欲しいと言う人もいました。

             

これ何だか分りますか?ミズノのマークが入っていますが、バットではありません。真っ直ぐな棒ですもんね。麺棒なんです。一番右の麺棒には【久保田五十一】のロゴ、プロ野球選手が使うバットを造る職人さんです。素材はバットと同じアオダモだそうです。

             

話は変わって姫の家、今年はアマリリスの開花が随分遅かったのですが、帰る頃になってやっと咲き揃ってきました。

             

こちらは少し離れたところに植えられたアマリリス、花が馬鹿にでかいのです。よく言う『頭でっかち』という奴ですね。

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ながい坂

2011-05-23 05:00:00 | 読書
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』の中でその著者によって批判されていたので、読んでみようと思った『ながい坂』です。山本周五郎というと私の若い頃に流行った作家で、チャンチャンバラバラやるのではなく、人生や世の中と言うものをじっくり見ていくというふうに私は受け止めていて、当時は読んでみようとは思わなかったのですが、もうエエ歳ですから、そろそろ読んでみてどんな作家だったのか判断したいとも思ったのです。

主人公は徒士組頭の倅・阿部小三郎、文武両道に優れ、身分の差を越えてめみえ以上の者が通う尚功館で学び、筆頭になります。期待もされますが逆に嫉みも受けますが、自分の道をしっかりと歩んでいきます。

幼い頃にある池へよく釣りに通っていた橋が取り壊され、その橋を渡る足音が家老格の子息の勉強の邪魔になるので取り壊されたと知り、そんなことが通る世の中であってはならん、もっと当たり前のことが当たり前になる世の中にしたいと勉学に励んだのでした。そして元服して主水正と名乗るようになる。

藩主・飛騨守昌治の側に付くようになった主水正が、昌治と領地を視察する際の言葉が先の本では批判の的になっていました。「殿は七万八千石のご領主です、領地内には百姓、町人、御家臣たち、あわせて四千人に近い者どもの命が、みな殿の御肩にかかり・・・」という件、要するに78000石では4000人が食うには足りないというのです。私としては話の内容からしてそんなことはどうでもいいと思う。そういうことをいちいち気に留めて読んでないのです。

             

領土を効率よく利用するために荒地を田畑にするべく大堰の築営を負かされる主水正、藩の主導権争い等から妨害も受けながら、大雨が降った日に途中まで出来ていた堰が洪水を防ぎ、主水正は庶民から一層慕われるようになります。

ところが大堰を指示していた飛騨守が突然失踪、工事は暗礁に乗り上げ、主水正も命を狙われるように・・・これは飛騨守昌治に対して正室の子松二郎を藩主として戴こうとする者供の謀だった。

人生は思い荷を背負い、長い坂を登っていくようなものだと振り返る主水正の話、上下二巻ありますが、現代語調なので読むのはそう難しくありません。子供の頃の誓いを忘れず、目標に向かってただひたすらに生き抜く、どんな考えにも一理ありとし、無碍にそういう人を排撃しない、そういう周五郎の考え方が出ている作品だと思います。

             

ジュンク堂がカバーを変えました。いや拒めば元のものもあるのでしょうが、私は目新しいものが好きですから、それでいいと言ったのですが、上巻と下巻は同じカバーにして欲しかったな。上巻のカバーは2番目の写真、何かなと思うでしょうが、広げるとほら、フェルメールの少女の絵です。

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阪神また負ける

2011-05-20 05:00:00 | スポーツ
プロ野球ではセ・パ交流戦が始まっています。でもこれは1週間前の13日金曜日に行ってきたドラゴンズとの試合。この週は雨の日が多く、11日の水曜日にもソフトボールの連中と行くべくチケットを6枚取っていたのですが中止、12日は昼から雨は上がったものの、甲子園は雨の中で試合をしていました。13日は雨の心配もない良い天気、職場の人たちと6人で観戦です。

             

席はレフトスタンド、バックスクリーンのすぐ横、殆んど最上段でした。ここまでホームランを飛ばす選手はまずいないので、持ってきたグローブの出番はありません。

周りは満席、前列にレプリカのユニフォームを着た3人連れ、真ん中の女の人の着てるのは、コマーシャルには出てるけど、もうこのチームにはいない選手のもの、左の人が着てるのは、たいがいの人にもうさっさと引退願いたいと思われてる選手のもの。

             

先発は能見とネルソン、ドラゴンズのこのピッチャーは知らんかったから、こりゃタイガースが楽勝かと思ったのに、能見の調子がとても悪くて、ネルソンは絶好調、中継ぎの久保田も打たれて、タイガースの完敗かと思い、9回最後まで観てたら電車が満員になると思ってるのに、皆は帰る気配がありません。

6回まで速いペースで進んだ試合でしたが、変った久保田の間が長い、1球投げるのに何分かかるんじゃと言いたい!いつまでも経っても投げないんですね。まぁそれが彼の戦術でしょうが、情けないですね。

             

それでも7回にブラゼルのソロホームラン、8回にも変った浅尾から3連打して1点を奪い、なおノーアウト1・2塁で2番平野が凡退、3番鳥谷が三振して勝負ありでした。4番新井はフォアボールで満塁になったものの5番ブラゼルが三振。

9回は下位打線の上に岩瀬が投げるし「帰ろうな」と言うてんのに、誰も賛同してくれません。

急に強くなってはいけませんよ、今日も明日もこの調子で戦っていただきたいものです。次回の観戦は6月3日のホークス戦、それまでこの調子が続くと私としてはいいですね。

             

スコアが見えないこんな所での観戦、こんな所で観たのは初めてだったけど、1000円で買ったチケットだったのでまぁ仕方ありません。

              


久し振りに動画のUP、「打て!打て!!」と声を張り上げてるのは私ではありません。ネクストバッターを見ていてください。新井選手ですが、プロの選手でもピッチャーの投球にタイミングを合わすことを念頭にネクストバッターサークルに立っています。

案の定、駅は人でいっぱい、上りのホームへはなかなか行けないので、下りで西宮まで行き、そこから引き返してきたのでした。甲子園駅で満員になったけど、私達は座って帰れました。

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西武庫公園

2011-05-19 05:00:00 | 大阪にて
須佐男神社のあったのは西武庫公園というバス停の傍、ではこの近くに西武庫公園そのものがあるはず、無数にある団地を西へ抜けて武庫川の方へ行くのかな等と考えながら、とにかく道路沿いを北に向かって歩いてみると、次の信号の斜め前が公園になっていました。

             

県立ですから相当な広さだろう、いろいろと工夫もあるのだろうと期待を寄せていたのですが、実際に行ってみると、樹木で覆われたようなちょっと広めの普通の公園です。

まぁ入園料も要らないし、いろいろ造形しているより、自然がいっぱいあるほうが好ましい、県は持て余しているらしいけど、それを金の無い市に委託するのも無責任な気がします。民間委託など絶対するものではありません。

             

道に沿って木が植えられているのか、木々を縫うようにして道が造られたのか、どちらかは判然としませんが、田舎の風景とは違って整然さを感じます。

             

驚いたことにここの公園内では車が走るんですね、道に交通標識が描かれています。これはもうすぐ横断歩道があるという標識でしたね。でも対向車線上ですから私のいる方に横断歩道があったはずですが、覚えていません。

             

幼稚園か保育園かの遠足でしょうね。道も狭いですからスピードも出せないでしょうけど、公園の中を車が走って危なくないのかなぁ?でも電車の線路がないのに踏み切りの標識もありますね。ヴァーチャルな世界なのかな。

             

ずっと奥まで歩くとここにも未だサクラが咲いていました。こちらは八重桜のようです。周りは普通のサクラの木が並んでいます。もう少し早く来ていたらきれいだったでしょうね。

             

ここだけ見たら春爛漫という感じです。でもこれももう3週間前のことですがね。月日の経つのは早いものです。

             

こんな団子みたいな花より、清楚なソメイヨシノ系の花の方が良いと思います。

             

イチョウの葉も出たばかり、小さなかわいらしい葉でしたが、今頃は大きくなっていることでしょう。

             

戻るときに見た信号機、点滅はしていません。人々の憩いの場である公園なのに、何故このような道路標識をやたらと設置しているのか・・・理解に苦しみます。

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須佐男神社 Ⅱ

2011-05-18 05:00:00 | 大阪にて
昨日は気が付かなかったけど、この神社の境内は、鳥居から拝殿まで一直線になるように造られているのかと思ったのに、拝殿から伸びる石畳は鳥居の方向を向いていませんね。少しそっぽを向いた感じで、石畳を伸ばしていくと西側の新築の家に行き当たってしまい、おそらく金策に困った神社は土地の一部を売却したのではなかろうかと思ってしまいます。

境内の中央辺り西側に石碑のようなものが目に入りました。横に花の咲いた木が立っています。

             

震災記念碑とあり、鬼瓦や倒壊して折れてしまった鳥居の石柱が並べられています。やはり拝殿も震災を受けて再建されたのでしょうね。

                  

この木も震災の記念植樹、枝垂れ桜のようですが、いつ植えられたのか・・・あまり大きくはありません。

             

4月の末で、もう辺りのサクラは全て散ってしまった後だというのに、このサクラは未だに花をいっぱい付けていました。ただ葉もだいぶん茂っています。

             

きっと遅咲きのサクラを植えたのでしょうね。

                  

この神社よっぽど記念植樹が好きなのか、これはケヤキですが、静岡の何処かの寺がどうのこうのと書いてありました。

             

新しく植えるのが好きな割には、古いクスノキは粗末に扱われています。皮をめくったのは誰かの悪戯だと思いますが、幹を切ってしまっています。

                  

他にも同様の木が幾本かあって、塀のところに植わっていた無惨なクスノキと共に、何を考えているのだろうと訝しんでいます。ただ考えられるのは、以前はこの神社の境内だったのだろうと思われる場所に建った家への配慮として切ったのかも知れません。

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