もう一月も前になりますが、秋休みに入るときに4冊の本を読むのだと意気込んでいましたが、残念ながら1冊しか読めませんでした。
それがこの水上勉著『般若心経を読む』でした。
私にとっては仏教というものが、遠い存在でありながら、何故か気になり続けるものであり、自分の考えと一致するのか、相反対するものなのか、ケリをつけたいものだと常々思っているのです。
しかし、仏教を学ぶというのは壮大な考えであり、残り幾許も無い人生でそれを行うのは到底なし得ません。
それなら般若心経くらいは理解してみようかと・・・安易な考えを抱いたのでありますが、これがまたまた難しい。
正直言って、水上さんが平易に書いてくださっているのに、解らないのです。
水上さんなら「それでいいよ」って言ってくれそうです。
といっても、私が直接水上氏を知っているわけではありません。
水上氏との出会いは小説『飢餓海峡』、戦後間も無くの話でしたが、話を成している構成がとても面白いものでした。
後は短編ものをいくつか読みましたが、劇化や映画化されたものも少なくありません。
私は『飢餓海峡』こそ、松本清張の作品を凌ぐ大作だと思います。
その後、遅々として進まない『小説十八史略』の第4巻を読み終え、もう頭が詰まった感覚になるので、ひとつ違ったものを・・・所謂サスペンスものを読もうと思い、常々気になっていた高村薫氏の『照柿』を読みました。上・下2巻でしたが、2週間足らずで読むことができました。
しかし、この人の作品も疲れます。
描写が細かいのです。それも、この作品では自動車の部品を作る工場のベアリング工程で、どのようなことがなされるのか・・・話の筋にあってもなくても良さそうな説明が延々と続くのです。
まぁ、結局はその働いている姿が、犯罪の大きな原因になっていくという、現在社会を告発する小説になっています。
写真にある本の帯の“合田刑事”の幼馴染が、3~4日の睡眠を取れないような状況に追い込まれ、職場での責任等もあって、ほとんど知らないといっていいほどの他人を一瞬にして殺してしまいます。
働きすぎ・過労が一つの犯罪を起こしてしまった大きな要因であるという、今は過労死や自殺だけが取り上げられてるけど、放っておけばこういう犯罪は必ず起こり得ると私は思うのです。
いや、もう既に起こっているのかも知れません。