ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

粉浜商店街への道

2014-01-31 05:00:00 | 大阪にて

最後の晩餐に使う『徳松とうふ』を買いに再び粉浜商店街まで歩いて行って来ました。前回は26号線を住吉公園まで歩きましたが、今回は地下鉄玉出駅の南から斜めに入る道を選びました。

この近辺、維新の会のポスターを貼ってある店がやたらと多い、誰がどのような考えを持とうが、他人の人権を侵害しない限り自由なので、どのようなポスターを貼ろうが構わないのですが、今流行りの介護施設に貼られているのは違和感を感じます。維新の会が標榜する新自由主義、所謂競争こそが富をもたらすという考え方は、弱者である介護を必要とする人々とは無関係というか、反対の考え方だと思うのです。まぁ、私が介護を受けなければならないようになっても、こういうポスターを貼ってある施設はゴメンです。

             

これはとある風呂屋に貼ってあったポスター、大阪都構想のポスターだけではなく、市会議員の市政報告も貼ってあります。徹底した応援ぶりですが、ひょっとしたら議員の実家なのかも知れません。

             

読んでみるとこんな項目がありました。大阪市職員の互助会と言うのが有るらしく、職員が任意で貯めた868億円(年2%の利率)ものお金が有るとしていて、それが問題だとなっているのです。私の勤めていた会社にも相互扶助部というのが有りましたが、多くの職員が途中で辞める中、私はずっと続けていたら、退職時には500万円ぐらい(だったと思う)貯まっていて、その一部を年金で受け取っているので助かっています。そういう労働者にとって有益なものを問題視するのはどういうものか、お互いに助け合っていこうという考えを否定する彼らの考えが出ている一幕だと思います。

             

この道路で見かける『粉浜街道壱八弐』と書かれた看板、何を意味しているのかさっぱり解りません。

             

ここは玉出交差点、西成区と住之江区の境です。ここで黄色いジャンパーを着た人が自転車を勝手に他所に移しています。ここは駐輪禁止区域です。

             

でも他人の自転車を勝手に移動させると言う行為はどういうものか、私は他人の物を触らない主義なので、善意からだとしても嫌悪感を感じるのです。我がマンションの駐輪場も管理人の手によって整理してくれるのですが、私は自分の自転車を触って欲しくないのです。何処かが凹んだり壊れたりしているのを見るにつけ、誰がやったのかという疑問が生じ、それが業務と言う正統性を以って行われるのは私としては解せないのです。

                

この玉出の交差点に吉野家が有ります。牛丼など年に1回か2回食べるぐらいですが、メニューに牛鍋が出来たというコマーシャルを見たので一度行ってみたのですが、そこでスタンプカードを貰ったのです。7つ集めると吉野家の茶碗が貰えると言うので、それはラッキーとせっせと通って茶碗を貰えるスタンプを集めたのですが、茶碗は無くなったと言われてしまいました。なので吉野家の名前が入ったマグカップを貰ったのですが、マグカップはダイエーホークスが優勝した時のものを使っています。今更ながらこの当時の選手の似顔絵を見ていると、殆んどの選手はホークスには残っていません。

                  

吉野家の茶碗が欲しく思ったのは、小さい茶碗を欲しいと思ったから、でもその夢も叶わず、これはとれとれ市場の陶器市で買ったもの、同じような茶碗を名古屋に居た頃買った覚えがあるのですが、何処にあるのか分かりません。茶碗をよじ登ろうとしている中国人の子供がかわいいのです。

モモの寝床

2014-01-30 05:00:00 | 大阪にて

日の出が少しづつ早くなってきました。それに連れてモモの散歩も少しづつ早くなってきましたが、今年は温かったり寒かったり、風はあまり吹かないので楽です。ある朝、散歩に行こうとリビングに行くと、モモがお気に入りの敷物や毛布が床に並べてあって、モモ自身は居ません。

             

何処に居るのかはだいたい見当がついています。テーブルの下の椅子で寝ているのです。何故椅子に乗りたいのか、私たちが座るから自分も座りたいのか、でも私たちは椅子に座ることはあっても、そこで眠ることはありません。椅子には今座布団を敷いていますが、それより自分が敷いている毛布の方が暖かい筈です。

             

いつもはこういう風にして寝ているのです。勿論毛布は自分で被ったわけではありません。モモは自分で敷くことは出来ますが、自分で被ることは出来ません。

       

別段、椅子に寝たからと言って私たちの生活に支障が出るわけではありませんが、椅子の布の凹凸が気になるのか、このように足で引っ掻いて破ってしまいました。5つある椅子のうち3つまでがこのような状態です。椅子に座布団を敷いたのは、こういう理由があってのことなのでした。使ってない2つの椅子には物が置いてあって、モモは乗ることが出来ないので無事だったのです。

             

今年は例年に無く、年賀状に付いているおとしだま籤が多く当たりました。数えていませんが100枚ぐらい届いているはず、確率で言えば2枚当たれば普通ですが、去年は1枚しか当たっていませんでした。今年は3枚、2枚しか届かなかった次男など1枚当たっていてすごい確率です。でもこの切手、4月から値上げされる郵便料金にそぐわないのではありませんか、料金を上げると宣言している以上、それに見合った切手をくれなくては困ります。

                       

28日に入院、今日は手術が終わった翌日ですが、私の状態はどうなっているのでしょうか。今月いっぱいの記事は書いておくつもりですが、手術がうまくいってなければ、月曜日以降の記事は書けないでしょう。最後の晩餐は済ませていますから、覚悟は出来ているのですが。

四天王寺 六時礼讃堂

2014-01-29 05:00:00 | 大阪にて

今日は1時から結石を割る手術の予定です。最近は「私失敗しないので」の『ドクターX』、『チームバチスタ』や『最強の名医』、昔なら『白い巨塔』等、医療関係のドラマをよく見かけますが、手術の成功や失敗がストーリーに絡んでいることが多く、手術ってそんなに失敗するものなのかと思うと、私の手術もどうなることやら、廃人になったり、障碍者になったり、失命したりするんではないかと、今は元気だけにそのリスクに怯えているのです。骨折の手術の時は何とも思わなかったのですが、そういう類のドラマを見るようになってから、医者の腕によって失敗したり成功したりするというのは、どういうものなのか。例え失敗しても医療費を払わなければならないのはやはり不当だと思います。

             

ここは北鐘堂、引導の鐘とも書かれており、「引導を渡してやる!」などと言われたら「殺すぞ」ということですから、物騒な鐘楼だと思いました。春秋の彼岸には鐘をつく人でごった返すと言われますが、この日は人気はないものの、誰がついているのかゴンゴンと連打されて五月蝿く、自由につけるようにしてあるのも考え物です。

             

四天王寺と言えば金堂とか五重塔とかが有る中心伽藍を想像するし、このお寺に入ると言うことは中心伽藍を見物するということであったのです。でも中心伽藍は境内の南側に偏っているので、境内の北側(北側と思っていたら、境内の中央でしたが)にもこんなに大きなお堂があるとは知りませんでした。六時礼讃堂とは昼夜6回の諸礼讃をするところから名づけられたそうです。手前に有るのが石舞台、お堂も石舞台も重要文化財です。

             

塀の外から見る中心伽藍、五重塔が見えます。一度四天王寺を紹介したつもりだったのですが、いくら探しても記事が見つかりません。書くつもりで行ったのに結局書かなかったのかも知れません。

             

四天王寺は天台宗から独立した和宗という宗派の総本山だそうですが、何故か親鸞聖人の像まで有りました。

             

こちらが中心伽藍への西重門、昭和9年の室戸台風で五重塔が倒壊、15年に再建されましたが、20年の大阪大空襲で六時礼讃堂などを残して灰燼に帰してしまいました。現在の伽藍は昭和38年に再建されたものです。

                

伽藍の前に有る燈籠は平成7年1月17日建立になっています。阪神大審査から丁度1年目に建てたものですね。一路天王寺に向かって帰ります。再建なった阿倍野歩道橋、aという字の形になっているそうです。この歩道橋が無かった時、この交差点を渡るのはわざわざ地下道を通らねばなりませんでした。久し振りに渡ってみましたが、aの字は感じられません。

             

ハルカスが隣接しています。未だ最上階までは登れません。でも今年の成人式では歩いて最上階まで登らせてもらっていましたが、300mの山なら大したことはありませんが、300mも階段を登るとなると足腰が立たんようになるだろうと思います。

四天王寺・元三大師堂

2014-01-28 05:00:00 | 田舎

眼の検査を受け、何の障害も無いと言われ、帰途に就くことにしましたが、帰りは160円の運賃が勿体ないので天王寺まで歩いて帰ろうと考えていました。目が見え難かったのですが、ゆっくり歩けばどうにかなるだろうし、いつまでも見え難いわけでもないだろうと思っていたのです。私は市内で用があっても駐車場のこともあって車で出かけようとは思いませんが、車よりも自転車、自転車よりも歩く方が細かい所がよく見えるものです。

             

警察病院から西に向かって上町筋まで歩き、左折して五条宮前西の交差点を右折し、西へと谷町筋まで歩くのですが、その200mばかりの道路がここ、先に見えているお寺の塔は愛染堂の多宝塔です。ここから見る多宝塔の横に沈む夕陽は当に夕陽丘の名前通り、とても美しいものですが、昔は口縄坂愛染坂等の上から見下ろす夕陽が美しかったのでしょう。旭の116へ通っていた頃、ここを自転車で通りかかった際に見た夕陽はなかなか忘れられませんが、終業時間が終わってもなかなか帰れなかった頃ですから、いつの季節の何時ごろの夕陽を見たのかは定かではありません。

               

谷町筋まで出て左折すると、すぐに四天王寺への参詣道と分岐します。谷町筋より参詣道の方が車道・歩道の区別が無いので、段差も無く自転車は走り易いのでいつも参詣道を走っていました。自転車で走るともし四天王寺に入ったとしたら、境内をウロウロしてもまた元の自転車を停めたところまで戻らねばなりませんが、歩いているとそんな必要はありません。四天王寺は一度紹介しているので病院への途中では寄っていませんでしたが、一番北の門は見慣れないなぁと思っていました。

             

その門がこの写真ではないのですが、元三大師堂から南に向かって歩いていると、この門から出てきたのでした。元三大師を祀るこのお堂は元和4年(1618年)建立です。元三大師はおみくじの創始者だとは知りませんでした。

             

この門を潜って左の方(東側)へ行くと大黒堂が有ります。本尊の像には大黒天、毘沙門天、弁財天の3つの顔が彫られているそうですが、何処にその本尊が有るのか分かりません。

             

この大提灯、左の方で途切れている白と緑で描かれた絵はダイコンです。奥の濃紺の幕にもダイコンが描かれているので、大黒さんとダイコンは何か縁が有るのかも知れません。

             

大黒堂の右隣に有った英霊堂、明治39年に建立された際は大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きな釣鐘が釣られていたそうですが、ご多聞に漏れず第二次世界大戦で軍部により供出させられました。その縁によって世界の平和を願い、万国の英霊・戦争犠牲者を祀るようになり、今では災害犠牲者のための供養も行われているようです。戦争好きの大臣たちは何故こういった地方の戦争犠牲者を祀る寺社は無視したまま、靖国神社に参ることばかりに拘るのでしょうか。

             

手術は明日午後1時かららしいのですが、入院は今日からです。前日にならないと病院からの案内が無いのですが、現実にこの項を綴っているのは前の週ですから、今日はどのような行動を取るのか分かっていません。予定では4日間の入院ですから、見舞いはご無用です。

出初式

2014-01-27 05:00:00 | 大阪にて

手術の日が近づいています。1週間前の23日は眼の検査で警察病院へ行って来ました。眼の検査では目が見えにくくなるので車や自転車で来るなと言われていました。前の施術の時も車や自転車で来るなと言われていましたが、音波を当てられている時は拷問だったものの帰るころには何の障害もなかったので、今回もまた大袈裟なことを言ってると思っていました。でも今回も自転車で行くことを止め、電車で行くことにしたのですが、私は自分で何と従順な人間なんだと思ってしまいます。でも8時台中盤だと言うのに南海電車は15分に1本しか走っていません。停まらない急行や特急は4本も通過したのに、普通電車は23分発の電車に乗り遅れたら、次は39分まで無かったのです。未だ通勤する人も居るでしょうに本数が少な過ぎます。9時に予約を取ってあるのに、こんなことで間に合うのかと思いつつ、新今宮で環状線に乗り換えたら3つ先の桃谷駅まで160円もかかります。160円と言えば阪和線で長居駅まで行ける距離で、後日書くけど、この日は警察病院から歩いて帰ったのですが、長居まで歩いて行こうとは思いません、ムチャ取りをするJRです。

             

逆に言えば長居までは安いということになりますが、私は朝は急いでいたので歩かなかったけど、歩いてでも行ける桃谷までで良いのです。それでも9時過ぎには病院に着き、検査を何度も受けました。最後に眼底の検査をするので目薬を入れることになり、看護婦さんに入れて貰ったのですが、30分後に写真を撮るからそれまで待つように言われました。

             

桃谷駅から歩いてくる途中、五条公園には紅白の幕が張られ、消防車なども見られ、遠くに出初式と言う文字も見られたのですが、急いでいましたから取材は諦めていました。でも30分も何もしなくていいのですから、時間が出来たので観に行って来ました。

             

出初式など見るのは初めてですが、どうも時期も遅いし、テレビで観るような出初式では無さそうです。自衛消防の字が見えますから、消防団のようなものでしょうか、梯子を登るようなアクロバットな演技など有りません。目薬を入れてから10分ぐらい経ったでしょうか、目の周囲が見え難くなり始めました。これにはビックリです。ホントに見え難いのです。この見え難さは写真では表すことは出来ません。

             

目の前の信号の色も見え難いのです。これでは車の運転は出来そうにも有りませんし、自転車に乗るのも不安な感じがします。歩くにも少々支障が有るような気がします。自分ではあまり良く見えてないのですが、カメラはちゃんと捉えてくれています。

             

公園の向こう側がNTT西日本大阪病院、7年前に骨折した際はこの病院の最上階から一つ下の階に入院していたのでした。そしてこの公園でソフトボールをしていた高校生を見下ろしていたのでした。

             

私はよく見えていませんでしたが、写っている道路標識をよく見てください、ここは制限速度30km、追い越し禁止、駐車禁止です。ところがどうでしょう、パトカーや消防車は事件でも火事でもないのに、平気で車を停めています。制限速度30kmの狭い道路ですから、駐車禁止でなくてもこのような道路での駐車は遠慮すべきです。権力とはこういう居丈高なものなのでしょう、だから現憲法はこのような権力の横暴を抑えるために作られているのです。

串本ロイヤルホテル

2014-01-24 05:00:00 | 田舎

今回の釣行ではT中君たちから串本ロイヤルホテルに1人2500円で泊まれるプランがあると聞き及んでいたので調べてみたら、串本ロイヤルホテルのホームページには無かったものの楽天トラベルで調べると確かに4人1室で2500円のプランが有りました。ところが4人1室なので3人では3400円、二人なら5000円と一人あたりの料金は違ってくるのです。要するにホテル側としては1室10000円で貸してあげようということ、空室にしておくより1万円でも儲けたいのでしょうし、外から見て一部屋でも多く灯りが点いていると、流行ってるという風に見られるから、楽天とそういう契約をしたのでしょう。

             

それなら私は姫の家で寝るから、三男たちとT中君たち4人で泊まれば良かったのに、T中君たちは5000円も払うなら浦島ハーバーホテルが4000円で済むのでそちらを選択してしまい、私たちは3人で一度ロイヤルホテルに泊まってみることにしたのです。3人で10200円払うより、4人ということで10000円払った方が200円得なので4人で予約しようと思ったのに、大阪で見た時は4人部屋があった筈なのに姫で見ると3人部屋しか有りません。

             

200円の差なので仕方なく3人で予約したのですが、どうも腑に落ちません。通常3時からチェックインのところ、こういうプランは4時からチェックインと少々差別されています。そんなに早く着くとは思ってなかったので4時半チェックインすると予約しておいたのに2時に納竿していますから、4時15分前にはホテルに到着してしまいましたが、玄関には女の人が出迎えてくれて、もう準備は出来てるから「チェックインしてもらって結構です」と言われました。

                

案内されたのは11階の一番東の部屋、海が見える方ではないかも知れないと楽天トラベルには書いてありましたが、実際には海が見渡せる部屋でした。デラックスツインルームと書かれた部屋、後から荷物を運んでくれた女性はドアの外からピンポ~ンとドアホンを鳴らしたのに、私がビールを買いに出て行って戻ってくると何処にもドアホンのボタンが有りません。ちょっと焦りましたがドアをドンドンと叩いて開けてもらいましたが、ドアの取っ手は左側に付いており、どうも変です、違和感を感じました。

ベッドは3つ有りますが、テーブルには椅子が2つしか無いのが頷けません。窓は鍵が付いており開けられるようになっていますが、鍵を外しても開けることは出来ませんでした。きっと飛び下りられるのを防いでいるのでしょう。

1階に大浴場が有り、1度か2度この大浴場に来た覚えがあるものの、海を展望できる露天風呂があった筈なので、屋上に有ると思っていたのですが、もともとロイヤルホテルの1階は高台にあるのですから、1階からでも眺めは良いのでした。初めて知ったのですが、11回で5000円と言う約半額の回数券を販売しているとのことでしたが、販売月が限られているし、期限も付いているようでした。

             

夜は古谷魚店でT中君たちと落ち合い、別にクエ鍋やイセエビ鍋が有ったわけではありませんが、食事を済ませました。私一人で行くと安く済むのですが大勢で行くと高く取られるのはどうも納得がいきません。ホテルの位置から言うとロイヤルホテルもハーバーインも駅までの距離は変わりないように思えますが、ロイヤルはぐるっとサンナンタンランドをグルッと迂回しなければなりません。T中君たちは歩いて往復しましたが、私たちは往復ともタクシーを使いました。

             

私だけなら、登っていく復路はタクシーを利用したかも知れませんが、降りて行く往路は歩いたでしょう。ワンメーターで行くと踏んでいたのですが、2回ぐらいメーターは動いていたみたいです。

             

明るくなりかけた朝6時半ごろ、パノラマモードで撮影しようと試みましたが、どうしても撮れません。もう少し明るくなった6時45分、やっとパノラマ写真を撮ることが出来ましたが、もう少し右までカメラを向けたつもりでしたが、思ったようには撮れていませんでした。

1月19日の釣り

2014-01-23 05:00:00 | 田舎

私たちが呑気に釣りをしている間に名護市長選挙が投票され、辺野古への米軍基地建設反対派が勝利を収めていました。安倍政権が目指す戦争できる国造りにとっては、痛恨の敗戦だったのでしょうが、名護市民の声など無視するかのように淡々と基地造りを進めていく考えらしい。投票率が76,71%と言いますからかなりの高率であり、名護市民の関心は非常に高かったと思うのですが、投票に行かなかった人は関心が無かったのでしょうか?基地建設推進派の陣営は基地を造ることで雇用を生み出し、500億円の名護振興基金をちらつかせ業界団体を締めつけましたが、沖縄戦で多くの犠牲を出した沖縄県民は平和への思いが強かったのでしょう、4人に1人の棄権は自民党からの絞めつけと平和への思いの間で悩んでいたのだと思います。共産党や社民党は嫌いだが、基地建設推進に協力するくらいなら棄権した方がマシだと考えたように思えてくるのです。

             

7時にコンビニに集合、朝食を買って(前日の弁当を食べなかったので弁当は買わなかった)船に乗り込みます。7時半には出船しましたが、前からの朝陽が眩しく、前方が見え難くて仕方ありません。この日は出雲の方は波が低かったのですが、逆に通夜島に向かって大きな波がせり上がっています。これでは大島の表に出ることは難しく、前日と同様、猪喰
浦で釣ることにしました。ここは北風や北西風の脅威から逃れられるので、冬場でも比較的楽に竿を出せます。

                    

T中君と一緒に来た友達はI藤君と言い三人は同級生、前回ガス欠になった時も来ていました。この日最初のヒットは9時ごろ、このI藤君が釣り上げたのはタコでした。でも誰も後が全く続きません。

             

ホテル浦島の裏へも回りましたが、前日よりウネリは収まっていたものの、北や北西の風をまともに受けるので寒いし、釣り難いことこの上ありません。そこでT中君がガシラをゲットしましたが、またまた猪喰の方へ移動、前日と同じポイントで数匹のガシラが上げることが出来ました。

             

同じポイントで狙っていた“GO TO FISHING”と書かれた船、二人乗っていましたが、一人は女の人でした。私は見ていませんが、良い型のマルハゲを釣っていたようです。

             

ここで釣れたガシラは腹がパンパン、卵ではなくて、幼魚が入っていたようで、三男は幼魚を海に放っていました。

             

12時を越えて女性がトイレに行きたいと言うので、一番近くの白野港へ行くことに、夏に海水浴で訪れていますが、改めて船で行ってみると、かなり小さな港だと感じました。

       

白野港まで来たので、そのまま通夜島との水道を通って、表に出てみようと言うことになり、浅くて狭い海峡をゆっくり通り抜け、表に出ましたが当初は波もあまり感じない程度でしたが、須江崎まで出るとウネリは大きく、船は大きく揺れます。私が運転していたなら早々に引き返したと思うのですが、三男が運転していたので、T中君たちに釣らせてあげたいという思いが強かったのか、臼島と海金剛の間まで進んで行きます。もう釣りどころではない状態ですが、なんとそこでT中君は30cmぐらいのアカハタを釣ったのでした。

アカハタの口の中にはクツエビの幼魚が入っていました。アカハタってなかなか高級なエビを食べていたのです。女性が怖いと言うのでゆっくりと白野港へと戻って行きましたが、磯には結構釣り人が乗っていて、渡船屋はこれぐらいの波ならば何ともないのでしょう。元の猪喰浦に戻って3時に上がることを決め、最後の追い込みで三男が狙っていたアオリイカをゲット、彼女に持ち帰らせたいと思っていたらしく、満面の笑みでした。

             

結局、この日のI藤君は最初に釣ったタコのみ、前回も小さなガシラ1匹だったので、串本の釣り場をどういう思いで感じていたのでしょう。

             

桟橋の岸に戻ってアオリイカでの記念撮影、1kgはあったようです。ここから南防波堤へ船を戻さねばなりません。三男とT中君が船で向かい、私は二人を迎えに車で向かうというややこしいことをする羽目になったのでした。

1月18日の釣り

2014-01-22 05:00:00 | 田舎

金曜の夜中なのか土曜になっていたのかは知りませんが、爆睡中にやってきた三男とその彼女、来たのには気が付きましたが、起きることが出来ずに再び爆睡、お蔭で私は朝5時には起床したのですが、後から来た二人は起き出す気配がありません。

当初朝6時頃に串本のコンビニへ来る予定だったT中君は土曜日にも仕事が入り、到着は夜になるということなので、18日は3人で釣りに出かけることになりました。

             

8時ごろに家を出て朝食や飲み物を買いにコンビニへ、三男は釣りを終えたら船を着ける予定の桟橋の波止場に車を置きに行き、その間私はオークワで弁当を買った後、3人で愚車に乗って南防波堤へ船を取りに行き、三男だけが船に乗って桟橋へ、私たち2人は愚車で桟橋へ向かうという複雑なことをしなければなりません。

             

桟橋から船を出したのは9時を大幅に回ってしまいましたが、そう慌てることもないと私は思っていました。出来れば大島の表へ出たいと思っていましたが、出雲の双子の親磯が大きく波を被っており、磯には誰も乗っていません。通夜島の方はそう大きく波を被っているようでもありませんでしたが、表へ船を出すのはやばいと思い、早々に猪喰付近へ戻って釣りを始めることにしましたが、全く釣れる気配がありません。

昼前に橋杭の方へ移動することにしましたが、今度は大きなうねりがあり船が大きく揺れます。一応橋杭の一番磯の前からエンジンを切って船を流しましたが、風の影響で船が南東の方向に流される速度が速く、糸が斜めに出ていくのでなかなか底が取れません。

             

金山の前まで流されていると、彼女が何か釣っています。いや釣れています、上がって来たのは小さいけどマダイです。生涯最初の獲物がマダイだとはたいしたものです。そのすぐ後、私にも大きなアタリが出て、やったと思ったけど引きが全く弱く、上がって来たのは掌よりも小さいマダイ、早々に海へ返しましたが、10倍ぐらい大きくなったら私に釣れて欲しいものです。

       

土曜日だったけど寒いのか、カセ釣りをしていたのは一艘だけ、ゴムボートを出していたのは前にもここで釣りをしていた人でしょうか。おそらく橋杭の海水浴場から出船したのだと思いますが、風が強かったので行きはよいよい帰りは怖い状態だったに違いありません。

             

一流ししただけで再び猪喰方面へ、前の釣行でアオリイカを釣ったポイントに行きましたが、イカは寄ってこない様子。そんな中で小さいけど1パイだけ釣れましたが、小さいので写真は撮っていません。暫らく流していると磯の近くまで流れた時にガシラが釣れ出しました。

       

午後2時を回ってこの日の釣りはお仕舞い、この日の獲物はマダイ1匹、ガシラ4匹、小さなアオリイカ1パイだけという貧相なものでした。カセで釣りをする人は少なかったけど、磯に上がっている人は多かったのですが、グレはあまり釣れていない様子でした。

電車で来た

2014-01-21 05:00:00 | 田舎

かねてからの予定通り、1月は18・19日の釣行となりましたが、私は一足早く17日の金曜日に大阪を電車で発ちました。というのは三男の仕事は昼で終わるので、そこから出発すれば電車賃は要らないのでお得なのですが、用有って夜の9時ごろになると言うので、いつも眠りに就くような時間に出るのはゴメンなので、電車で行くことに決めたのです。それなら松の内の明ける15日ごろからでも良かったのですが、何しろ姫の家は夜・朝ともに寒くて敵いません。暖房を点ければそれで済むことなのですが、大阪のマンションに居るとエアコンを点けずとも暖かいので、余計な電気代を払うのもイヤですから金曜の朝に出ることにしました。

             

十分な計画も立てず運賃が安ければ良いと思いながら、来た電車に乗れば良いと思って南海電車に乗ったのが10時3分、新今宮からJRの切符を買って天王寺で乗り換えようと思っていました。実は運賃が安いのは高速バスを利用すると安く済むのです。例えば三国ヶ丘まで南海電車に乗り、そこからJRで和歌山まで乗って、アドベンチャーワールド行きの高速バスに乗り換え、芳養駅前で降りて、そこから再びJRに乗ると3860円で済みます。もう一つは難波まで出て、湊町バスターミナルからアドベンチャーワールド行きの高速バスに乗り、田辺駅前でJRに乗り換える方法、それなら4190円で済むのです。

       

まぁいつもは自分で運転しているので周りの景色をゆっくり見る余裕は有りませんから、高速バスの旅も良いかも知れません。でも今回はまたまた電車に乗りましたが、天王寺駅でいつもの乗り場まで行こうと思って階段を降りかけると、新宮・白浜方面とは書かれていなくて、また乗り場が変わったのかと躊躇してしまい、乗り場を確認すると矢印が逆の方向になっていたので、そちらに向かうと“たまにこちらのホームを利用することがある”という意味のことが書かれてあり、またもとのホームへの階段まで行くと逆の方に新宮・白浜方面への案内が書かれてありましたが、降りて行くと寸でのところで10時20分発のくろしお7号、真っ白い色の車体のくろしおのドアが閉まったところでした。この真っ白い色のくろしおは白浜までしか走っていませんから、串本の人で見たことがある人は少ないかも知れません。

結局、10時25分初の和歌山行き紀州路快速に乗り、和歌山まで行きました。紀州路快速という呼び名はおかしいですよね。和歌山に入れば紀州路という名称を使ってもいいので、和歌山からずっと南は紀州路快速を走らせてもらえれば有難いのですが、殆んどが大阪府下、それも泉南地方を走っているのですから、泉州路快速と呼ぶべきだと思うのです。

             

和歌山からくろしお9号に乗り換え、電車の中で特急券を買うことにしました。回って来た車掌に串本で普通列車に接続しているかと尋ねると30分待てば電車が来ると言うので、紀伊田辺で接続しているかと聞くと、13時4分に紀伊田辺に着き、13時14分に新宮行きの普通電車が出ると言います。因みにその電車は串本で待つことになる電車と同じだと言うので、それなら何も串本まで特急料金を払ってまでくろしおに乗って行く必要がありません。紀伊田辺で乗り換えることにしたら特急券は940円で済みました。もしくろしお7号に乗れていたとしたら特急料金は1990円、白浜で接続する普通電車はずっと無く、私の乗った普通電車に乗る羽目になっていたので、1050円得をした思いでした。

       

車窓から懐かしい風景を写しながら、あまり昔と変わらんなぁなどと思っていたのでした。小さい写真は上の左から海南のマリーナシティ、初島の東燃石油コンビナート、広川辺りの島が見える風景、下は左から切目のカエル大橋、真ん中は印南を過ぎた辺りから見え始める白浜の半島、この辺りから電車は景色を見るために徐行運転を開始します。右は南部近くの海です。

             

紀伊姫駅に着いたのは14時49分、残念ながら紀伊姫駅ノートはケースだけを残して、またまた持ち去られてしまっていました。こんな片田舎にも心無い人が居るものです、何度試しても持ち去られますから、もう止めましょう、ベーシストさん。

             

丁度、重畳山のポンカンが旬を迎える時期ですが、昨年は獣害にあって散々だったので今年は期待したのですが、今年もポンカンの出来はイマイチ、獣害対策が出来ていないのですかね。町政が応援しないと重畳山のポンカンはもうアカンようになってしまうかも知れません。

徳松とうふ

2014-01-20 05:00:00 | 大阪にて

正月早々、南禅寺まで湯豆腐を食べに行った話を載せましたが、豆腐自体は「豆の味がして・・・」と仲居さんが言うほど、あまり美味しくなかったという感想でした。実は正月の朔日に親戚がやってきたので、急遽湯豆腐を出したのですが、その豆腐の評判が良くて、ぼんくら家の面目躍如だったのです。南禅寺へはその親戚も一緒だったので、2度目の高い豆腐が以外にも美味しくなかったという結果になってしまいました。

             

その豆腐を『徳松とうふ』と呼ぶのですが、名前の由来はよく知りません。私の家からは南下して住吉区の粉浜商店街まで自転車か徒歩で向かいます。歩けば30分程度のところです。南海電車に乗ると、住吉大社駅で降りることになります。勿論粉浜駅で降りても商店街には行けますが、その豆腐屋は住吉大社側からの方が近いのです。粉浜商店街へは駅を降りて住吉大社の方へは行かず、西側に出て高架下を難波方面に歩けばすぐに分かります。

             

線路沿いに歩くとすぐにモニュメントがあるのに気付きます。平安時代は王朝貴族の住吉詣が頻繁に行われ、この一帯はみやびに包まれていたと言います。年末に訪れた時はごった返し、繁盛していた商店街も正月が明けると人通りも少なく、閑散としています。それでも正月を彩る琴の音が耳に心地よく染み渡ってきます。

                       

商店街に入って最初の四つ辻を右に曲がると、どの帽子も1着1000円の店が有ります。ここは以前A竹君に教えて貰っていた帽子屋、小さな店ですが種類は豊富で、こんな帽子が1000円?と目を疑うような品物もありますが、私などは恥ずかしくて被れるような帽子ではありません。この日は普段はあまり被ることのないハンチングを買いました。勿論1000円に消費税がかかります。店の年老いたおばさんは私が5050円を渡すと9000円もお釣りをくれようとします。正月ボケだったのでしょうか、私はこれ5000円と私の出した札を指差しました。残念なことに今年の4月からは1080円になるのですね。

             

駅から歩いて5分も経たないうちに通路右側の目的の豆腐屋に到着できます。屋号は井川豆腐店、阪神タイガースで活躍し、大リーグでは散々な目に遭い、一昨年オリックスに戻ってきたあのピッチャーを思い出しますが、この豆腐屋とは全く関係ありません。これほど美味しいと思える豆腐を売っているのに構えは全く小さなお店です。あまり多く作ってないのかも知れません。

             

1丁400gで値段は320円、今や豆腐はスーパーなどでは50円を切る値で売られている時代、量は多いと言えども320円は高いと言えます。でも食べるとその値段に納得できます。何はともあれ南禅寺の豆腐よりは安いのですから。この日は3丁買って帰りました。ひょっとしたら『徳松とうふ』の由来は初代が井川徳松という人だったりして。