ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

9月24日の釣り

2010-09-30 05:00:00 | 田舎
前日、雷に祟られて釣りを全う出来なかったので、この日は今回一番の気合を入れて、5時半の夜明けと共に樫野の灯台の駐車場に到着していました。駐車場には車は1台のみ、それも未だ人が乗っていたので、磯には誰も降りてないはずです。よしよし、今日も1級の場所が確保できるとほくそ笑んで灯台下へと急いだのでした。途中、沖向きの磯を眺めると波を被っています。途中で見る限り裏側は大丈夫そうでした。

             

ところが、現場に到着すると、物凄い波が駆け上がって来ています。これでは釣りをするどころではありません。当日は6時半頃が満潮だったはず、潮が引けば何とかなるかもなどと考えながら、仕掛けを作っていました。

             

東の風が強く、釣り難い状況です。一応波が被らない場所に座っていたのですが、頭の上から波が、もう力も無くなった海水でしたがドバッと落ちてきて、少し濡れてしまいました。
これでは堪らんともう一段高くて風が当らないところへと避難、そこで1時間半ほど待っていたのですが、状況は変らず、諦めて帰ることにしました。
その間、この磯を訪れる人は誰一人と居ませんでした。
             

向かいの山々の上は青空が見え、もう少ししたらこちらも晴れてくるなどと勝手な観測をしたくなると言うものです。そして来る時に波はたいしたこと無いと確認した岩場、Y下君が大きなガシラを釣った磯、ホントに波は穏やかなのです。じゃ、ここで竿を出そうと決めて磯に降りていったのでした。

             

ホンマに同じ海かいなと思うほど、寄せる波は力が無く、風の影響もありません。東側、つまり私の後ろに大きな岩場があり、それが波も風も遮ってくれてるのでした。

             

撒き餌を打つと木っ端グレが湧いてきます。木っ端をかわして大きいグレを釣りたいので、少し沖目に仕掛けを投入します。しかしアタリも無いままにエサを取られてしまいます。仕掛けのタナが深いのでしょう。少し浅くしてキュンとしたアタリ、20cmぐらいのグレでした。後が続かなければ逃がしてあげようと約束して、スカリに入れておきました。

             
雨が降り出したのでカッパを着ました。温度が下がっているらしく、カッパを着ても暑くありません。その後、釣れるのは木っ端ばかり、釣れないよりは楽しいですが、全部海へお帰り願うので、あまり嬉しくありません。ガシラが釣れんものかと杭の方へ流したいのですが、当日はそちらに向かって潮が流れていないようでした。

11時前になってパッタリとアタリが遠のき、エサも無くなったので帰ろうと思い、グレとの約束を果たすべく、スカリを見ると水がありません。水溜りだと思っていた穴は潮が引くと水が無くなるのです。つまり何処かで下と繋がっていたのですね。グレは息絶え絶えの様子でしたが、雨が幸いしたのか、海へ戻すと元気に潜っていきました。

            gooリサーチモニターに登録!

9月23日の釣り

2010-09-29 05:00:00 | 田舎
行きたいと思っていた樫野の地磯ですが、19日は満員、20日はしんどくて行っていませんでした。22日に阿野木漁港へ行き、グレもイガミも居なかったので、明日こそはと樫野を目指していたのですが、あいにく天気予報は雨、21日に釣行しなかった報いがここに出てきたような様子です。

翌朝5時半に目が覚めたのですが、雨は降っていません。前日のように朝日が昇って来る様子はありませんが、どんよりと雲が覆っているという状況でもありませんでした。

             

樫野への道中は朝日が射してくるようなこともあり、天気予報は外れたのかと思いきや、地磯に下りてみると、青空は少しもありません。対岸の古座や姫の方はどんよりと雲がかかっていました。

駐車場には車が6台くらい停めてあったのですが、降りてみるとエギングの人ばかり、磯釣りをしている人はいません。従っていつも釣りたいと思っていた一級ポイントが空いていたのです。

でもいざ釣りを始めようとした矢先、前日に使った竿が折れてしまっています。ハリスもグサグサになって切れてしまっていたので、車の中で何かが引っ張り合ったのでしょう。

竿の交換にも時間がかかり、雲で暗くなってくるし、今にも雨が降りそうなので、あせってしまいます。

第1投したのが7時ごろ、撒き餌にはチョウチョウウオが群がっています。どうやらフグはいないよう、しめしめとウキを流しているとアタリらしきものがあったけど合わせませんでした。ずっと左へと流れていってウキに変化が無いので上げるとエサがありません。

タナが少し深いのかと思いながらもう1投、同じような状況でした。

             

手前に撒き餌を撒いて、少し沖目を流すと、スパッというアタリ、合わせると小さいながらもグレでした。

もうこの頃には対岸は雨雲で覆われ、雷がゴロゴロ鳴っています。いつこちらに来るのやらとヒヤヒヤしつつ、雲は大島の上空ではなく本土の上を西から東へと流れていました。

             

仕掛けを投入する度に小さいながらもグレやイズスミが竿を曲げてくれます。釣れる魚も少しづつサイズをアップさせてきます。
7時半ごろになって風が強くなり、空が真っ暗になってきました。エギングの連中はサッサと引き上げます。私はどうしようかとも思いましたが、カッパも持ってきてなかったので、僅か30分足らずの釣りで今回は見切りをつけました。

急いで撤収し歩いて崖を登ると、丁度木が生えだしたところに差し掛かった頃から雨が降り出しました。車まで未だ10分くらいかかります。小雨の中をサッサと歩いて駐車場に到着、荷物を整理し車に乗り込んだ途端、バケツをひっくり返したような雨が・・・なんとタイミングの良い切り上げだったんでしょう。

豪雨の中、びしょ濡れになって帰って来た人が二人おられました。でも暫くしたら雨も止んだので、そのまま釣りを続けても・・・などと戯けたことを考えてしまう私でした。

雷が鳴ってるからね、カーボンの竿は危ないのです。

            gooリサーチモニターに登録!

9月22日の釣り

2010-09-28 05:00:00 | 田舎
20日に皆が帰って21日は釣りをお休みしました。このサボりが失敗の元だったかも知れません。

22日は5時半には起きて、昇る朝日を見ながら阿野木漁港へとリベンジに向かいました。6時過ぎには釣り座に着いて、ここは大きな岩の影になるので暗いうちからのスタートになりました。

             

1投目からアタリがありましたが、このような小さな磯ベラです。それでも魚おるやんと元気が出て、暫くするとライントラブル・・・貴重な時間を費やしてしまいました。

             

トラブルを解消させ、その後の1投目でウキが沈んだまま、アタリとも根掛りとも分らんけど一応合わせたら、ヘンな魚。まるで顔はガメラのようです。模様も怪獣っぽいし、背鰭も尖ってるし、毒でもあったら大変とハリスを切ってお帰り願いました。

グレがいればもう食ってきてもいいはずです。

             

左から朝日を浴びる海金剛、未だ7時すぎです。

             

全くアタリが無く、撒き餌だけがどんどん減っていきます。ふと足下を見ると、撒く時にこぼれたオキアミにフナムシが覆い被さって、独り占めしようとしています。フナムシにオキアミ1匹は食べられへんと思うのですが・・・

             

その後全くアタリがないまま、今年は去年とは状況が違うようです。何せ暑かったから、水温もまだまだ下がってないのでしょうね。

帰りに「ここを使うんやったら、漁協の許可を得てくれ」と言われました。ちょっとどういう意味か解りかねますが、どうやら車で降りてくるなということらしい。

            gooリサーチモニターに登録!

9月20日の釣り

2010-09-27 05:00:00 | 田舎
19日の夜は古谷魚店で鯨を堪能しました。帰ってからも庭で、昨日釣ったイカや魚の一夜干しを焼いて食べていました。私は疲れて家の中で飲んでいたのですが、いつの間にやら眠ってしまっていました。

             

鯨料理はなかなか美味かったのですが、次男と私とY下君が先に店に行き、三男と友達は何処かで釣りをしてから来ると言う事で、三人分の鯨を造ってもらい、後で二人来るから未だ残ってるのを確認したのですが、私はあまり自分の鯨に手を出さなかったのです。

そのうち、二人がやってきたので鯨を注文すると、古谷のオッサンは「もう無い」と言うではありませんか!いや私は調理場に鯨が残ってるのを確認していたのですが、他の人に使うのかと思って、自分の分を三男たちに食べるよう渡しました。暫くするとオッサンは「もう来たんか」と言って調理場へ戻り、鯨を二人前出してくるではありませんか!先に来ていた3人は大笑いです。古谷のオッサンはもうだいぶ耄碌していますわ。

             

そんなことで20日の朝になっても、子供たちは起きる気配がありません。私とY下君は樫野へ行こうと思っていたのですが、遅くなったので混んでるやろなと思っていました。

ようやく起きてきた3人は「飯は?」と聞きます。私らは途中のコンビニで何か買ったらええわと思っていたのですが・・・仕方なく5人分の朝食を作りました。

3人は姫の地磯で釣ると言うので、私たちもそこでチヌでも釣ろうかと言うことになりました。潮は一番引いている状態です。三男が先週ここで潜って、大きなチヌが5匹ぐらい泳いでたというのです。

             

三男が潜ってチヌを見たというところは、この日浅すぎて釣りが出来るような状態ではありませんでした。

結局、最東端まで歩き、1ヶ所深場を見つけたので、そこで釣りをすることにしました。

             

でも釣れてくるのはフグばかり、ハリスを噛み切られることも5回ぐらいあったかな。やってられません。三男が潜って見てくれましたが、チヌはいないとのこと。

その後あっちこっちでエサが無くなるまで釣りをしましたが、全くのボーズでした。

昼食に古座のうな丼を食べに行きました。この間行った方の店です。こちらの方が美味しいと思うのですが、前に行ったときは、私の前で肝吸いをこぼしたくせに換えてくれませんでした。

             

今回は、私らより後から来た客の注文を先に聞いていました。私らは「ちょっと待ってね」とほったらかしですわ。やっとのことで注文を聞きに来て、私だけが特盛り、後の4人は特盛りの大盛りを頼んでいました。上の写真は私のものです。

             

これが特盛りの大盛りです。私と歳の変わらないY下君は食べるのに一苦労しているようでした。

ここでもう一つ苦言、私にはお新香が付いていたのに後の4人には付いていません。ちょっと堪忍袋の緒が切れますよね。「オバチャン!!特盛りにはお新香付いてないん!?」って聞いたら、「持ってきてませんか」やて、他の人が忘れたんと違うネン、自分がやった行動やで、謝れよと思いますでしょ。流行ってるのか、自分が悪いなんてちっとも思ってないこの店です。

            gooリサーチモニターに登録!

田原漁港

2010-09-24 05:00:00 | 田舎
阿野木での釣りを1時間ぐらいで早々に切り上げた二人です。息子たちも樫野での釣りを諦めて、こちらに向かったのですが、ここでもエギングはダメ、次何処へ行こうかと考えましたが、もう歩くのはゴメンだと言うので、田原の漁港に行ってみようということになりました。息子たちは串本の漁港でエギングするということでした。

田原漁港に着いてみると、漁港内は航行の邪魔になるので釣りは禁止になっています。どうしようかとトボトボしていると、42号線沿いの田原川ではなく、国民宿舎の奥側にある河口の砂浜に驚くほどの魚が死んでいたのです。

サメや青ブダイという大型魚から、やたらと多いタカノハ、ハリセンボンの姿も見えます。グレやサンノジはありませんでした。ですから磯釣りの人が釣った魚ではありません。

             

離れたところにも転がっているので、漁船で捕った魚を投棄したのか、何処かで死んだものが流れ着いたのかは解り難いのですが、おそらく前者だと思います。食べれる魚もあるのにね。

             

いと静かなる湾内です。でも遠くでは磯が大きな波を被っているところも見受けられます。途中、津荷の地磯ではかなり多くの人が釣りをしていました。おそらく大丈夫なことを確認しての釣りだと思いますが、波を被っている磯はそちらの方向だったので、少しは気にかかります。

             

海水浴場ではもちろん泳いでいる人など見かけませんが、親子連れが釣りを楽しんでいるようでした。

            gooリサーチモニターに登録!

9月19日の釣り

2010-09-22 05:00:00 | 田舎
18日から姫に来ています。今回は9連休、同日に釣友のY下君が単車で、息子2人とその友達が1人、全部で5人の釣行です。

18日はいつもの古谷魚店で飲み食いし、偶然神戸在住の人にもお会いすることができ、話も弾みました。

                 

でもちょっと飲みすぎ、次の朝は起きるのが辛くて、若い子たちは樫野へエギングに行ったので釣り場の状況をケータイで聞いてから、樫野は混んでるというので、阿野木へ向かいました。釣り場に着いたら全くの干潮、第1投は9時ごろになってしまいました。

いつもの釣り座ですが、Y下君は何やら変な傘を頭に被っています。

             

18日に42号線を走ってるときから思っていたのですが、結構波が高いのでした。阿野木に到着してみると、あのきれいな海水がすごく濁っていました。

干潮なのと波の強さでいつもの釣り座は釣りになりません。グレかイガミが釣れると期待して行ったのでしたが・・・私はボーズです。

             

海藻がイヤと言うほど針にかかってしまうのでした。今度は満潮時を狙って釣行したいと思います。それはきっと今日の朝です。

             

Y下君の釣果、メッキとカマスです。どちらも群れで泳いでいるはずなのに・・・1匹づつしか釣れなかったというのには、合点が行きません。

息子たちは3人でアオリイカ4杯、そのうち1杯とメッキ、カマスを一夜干しにして次の日にいただきました。美味しかったですよ。

            gooリサーチモニターに登録!

木簡から古代がみえる

2010-09-21 05:00:00 | 読書
木簡と聞くと長細い木の板に墨で字が書かれたものと思いがちですが、荷札や告知札なども木簡と呼ばれ、扉や木製食器の裏に書かれたものまで仲間に入れているようです。

近年、木簡の発掘や解読が進み、木簡そのものではなく、出土した木簡の相互関係、その遺跡との関連から理解が深められているのは、当然のことだろうと思います。

木簡という古代から中世、近世に至るまで発見されるものは、紙には無い『木』という特質を持ったものを使ったということも、木簡を理解する上では大切なことのようです。

この木簡の調査を進めていく過程で、『日本書紀』や『続日本記』などに書かれていることが、木簡という証拠と食い違った部分があることが解ってきました。

やはり最近の研究の成果として、『日本書紀』や『続日本記』は藤原家のために都合よく編纂された書物であることが明らかになってきました。

             


この本は今年6月に刊行されたばかりですが、もっと早く読んでおれば『天平大仏記』や『双調 平家物語』などが、もっと面白く読めたかも知れません。大仏造立では長門の国の長登銅山から多量の銅を集めたことを証する木簡(荷札)が発見されています。

最近、明日香村の牽牛子塚古墳が斉明天皇(皇極天皇重祚)の墓と認められ、大層な見物人が詰めかけているようですが、この墓からも木簡が出るかも知れませんね。

最近の木簡は、ひとところに捨てられたものが一度に出土するケースが増え、割れたものや折れたものが多いそうですが、それは何に使われていたのかという答えが面白い。

それは排便の後、お尻を拭くのに使われていたそうです。昭和に至ってもそういう風習が残っていた地域もあったのだそうです。

そんな木簡を筆や針を使って、へばり付いている土を落とす作業をしてると思っていたら、土ではなくて古代人のウンコだったのですね。

            gooリサーチモニターに登録!

歴史の折り返し点で

2010-09-17 05:00:00 | 読書
久野収と鶴見俊輔という2人の思想家の対談をべ平連の中川六平という人が企画し、朝日ジャーナルに連載されたものを単行本にしたのが1990年12月、今回文庫本に復活されたので読んでみました。


ベ平連などと聞くと、自分の高校生時代が思い出されますが、当時私はそういったものにトンと関心がないサッカー青年だったのです。それでも3年生になると人間とはどういうものなのか、どう生きていくのが人間らしいのかというような哲学的な思いも多少ともあり、大学進学のための勉強も少しは進めていたのです。まぁそのような興味本位の勉強なら大学へ行かなくても独学でも出来るとタカをくくっていたという面も持ち合わせていたのですがね。

この対談が行われたのは1989年、もう20年以上前のことでした。この年には中国で天安門事件(6月)が起き、ベルリンの壁が崩壊し(11月)、日本の昭和天皇が崩御した(1月)年であり、村上春樹の『ノルウェーの森』がベストセラーになり、バブル経済が幅を利かせていた頃です。90年に東西ドイツが統合され、91年に湾岸戦争が始まり、その年にソ連が解体されました。20世紀末の混沌とした世界の中、きっとこれから先どのように世界を見つめ、どのように自分の進路を取ればいいのかというような暗澹たる疑問に答えを見つけ出そうと試みられたのだと思います。

そのような現在とは全く違った状況において企画されたものなのに、何故この本をわざわざ選んだのか、全く不純な考えかも知れませんが、久野収といえば最近読んだ佐高信の本の中によく出てきた名前ですし、鶴見俊輔といえば『九条を守る会』の世話人です。どちらの人もあまりよくは知らなくて、2人が対談する本を読めば別々に読むよりは手っ取り早くその方達の考えが解るのではないかと考えたのでしょう。でしょうと、他人事なのは、そう深く考えたのではなく、勘みたいなものだったから。

             

資本主義から社会主義への移行が歴史の必然というマルクス主義が未だ生きていた頃(私はマルクス主義が死んだとは思っていないのですが)、ソ連の解体によって世界全体としては社会主義はもうダメなんだという気風が流れて出していました。

そんな気風の中で、アメリカの帝国主義的な戦争に反対し、日本の権力構造にメスを入れ続ける人達がどう考えていたかは非常に興味あることです。

バブル経済が破綻し、経済が停滞し続ける昨今、グローバリズムや新自由主義が新たな格差を生み私達を苦しめるているのに、そこへの抵抗軸が見えてこない。今や久野収氏はこの世の人ではありませんが、今ならどんな対談になっていただろうと有り得ない答えを求めて、私は考え続けねばなりません。何故資本主義こそもうダメだという気風が生まれないのか、そう考えるとバブル経済が彷彿としていたのは、社会主義の滅亡に対するお祭り騒ぎだったのではないか、もう資本主義は何をやっても崩壊はしないのだとタカをくくってたのではないかと思えてくるのです。

この本を読んでいると懐かしい名前がいっぱい出てきます。若い頃に出会った(実際に会ったのではなく)名前が多く、その人の著書を読んだという人もいれば、読みたいと思って手の出なかった人もいます。

今もこうして1冊の本を読めば、そこから次の本へと手を伸ばして、輪廻は果てしないのですが、こうも古い本になると(決して古くはないのですが)、例えばこの本に記されていた『歴史の進歩とは何か』という岩波新書に興味を抱いても、いくら探しても本屋さんには並んでいません。
同じ岩波書店の出版物なのですから、この本を出版した以上、この本の中に出てくる本を読みたいと思う読者が出てくるのも有り得ること、是非再版していただきたいものです。

            gooリサーチモニターに登録!

サルスベリ

2010-09-16 05:00:00 | 大阪にて
阪神尼崎駅からの帰途、庄下川公園の一角です。正面に見える白い建物の手前で私は右に折れるのですが、そこに小さな公園があります。

その周りにサルスベリの木が植えられているのが見えます。

いつもは百日紅と書いていたのですが、敢えてサルスベリとしたのは、この間、サルはホントにこの木に登るとスベルのかという実験をしていたから。いやいやサルはこんなもんで滑りますかいな。というんで、木を濡らしてみてましたが、やはりサルが滑ることはありませんでした。
             

ここに植わっているサルスベリは3種の色がありました。一堂に見るのは初めてかも知れません。
まず一番右手がよく見かける赤っぽい花。

             

真ん中に少し紫っぽい、藤色の花。

             

角度を変えて・・・この右に見える坂を下りて会社へと向かいます。

             

一番左に白い花が咲いています。こんなに白ければ“百日紅”の字は当て嵌まりませんね。

                  

「暑さ寒さも彼岸まで」って毎年言ってますけど、ようやく一昨日ぐらいから朝がめっきり涼しくなってきました。嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちですが、今年の猛暑からは早く逃れたいと思っているのは、どちら様も同じだと思います。

            gooリサーチモニターに登録!

何処か変わった

2010-09-15 05:00:00 | 大阪にて
4月13日の『北新地駅の怪』という記事に載せたJRのホームに貼ってあるステッカーです。

これから暫くして、このステッカーに異変が起きたのです。「特ダネ!特ダネ!」と撮ったはずの写真がいくらファイルを探しても見つかりません。

             

この写真からもその痕跡が窺えるのですが、解りますか?

実はこの“ホームの内側を”という部分は下地に貼り付けてあるのですが、きっと元々は何と書いてあったんだろうと思った私のような人が居たんでしょうね。下の部分から剥がしてあったのです。その写真を撮ったはずなのに有りません。

それで痕跡というのは、“お通りください”の“だ”という字と“。”の字の右横をよく見ると、線というか薄い汚れが見えませんか。“ご通行の際は”の“の”という字の左下にも見えます。

             

これセロテープの貼り跡です。セロテープで応急処置をしてあったのを完治させたのですね。

8月24日、無かった画像が、田舎のPCの中にあったので更新です。

             

こんなに剥がして見ようと思ったんですかね?真っ白で何も書いてありませんでした。

            gooリサーチモニターに登録!