ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

工事終了

2014-03-31 05:00:00 | 大阪にて

3月も今日で終わり、早いもので今年も4分の一が過ぎようとしています。2年前の3月31日は土曜日だったはずで、最後の出勤をすることが出来ませんでしたが、今年定年を迎える人は今日が最後の出勤となります。年度末になると何処の市町村でも予算を使い切るためにしなくてもいいと思うような工事があって、自転車などで走っていると邪魔でしようがありません。一般家庭なら別段予算を使い切らなくても貯金が出来るので、それでいいようなものですが、役所ではそういう考え方が出来ないのでしょうか。

       

公共工事ではありませんが、マンションの立体駐車場の取り壊しが終わり、平面に9つの駐車区画が完成しました。今は未だ2つ空いている区画があるようですが、世代は循環するもの、10年ほど経てば、また駐車場が不足するというような事態にならないとも限りません。

             

公園で工事中だったブランコも28日にフェンスが取り外され、約1ヶ月半ぶりにブランコで遊べるようになりました。それにしても地面から座る位置までの距離が高すぎるように思えます。あまり小さな子供は使えないような気がします。

             

大坂では28日にサクラの開花が宣言されたようですが、同じ日の公園のサクラはまだのようです。

       

殆どの枝は未だ蕾、1ヶ所だけ固まって咲いている枝がありました。右の花は翌日には咲くように思われます。水曜日に雨が降って以降、かなり暖かくなってきたので、ここのサクラももうすぐ咲き出すでしょう。

       

そして翌29日、前日の昼間がかなり暖かかったので、どれ位咲いているのか楽しみになっていました。咲いている枝が少し増えてはいましたが、そんなに急には咲かないものですね。

             

この家のサクラは毎年早目に咲いています。未だ椿も花を付けています。

                    

マンションの公園に植えられているサクラ、立体駐車場が無くなって、公園が大きく見えます。左が28日の朝、散歩に行く公園より多く咲いていましたが、右の29日の朝になるとはるかに多くの花が咲いていました。

人類の進化大図鑑

2014-03-28 05:00:00 | 読書

大阪市長選挙始まって以来の低投票率だった橋下徹独り芝居が終わり、全く無駄な税金約6億円が使われてしまいました。流石に「これで大阪都構想が信任された」とは言いませんでしたが、大坂都構想実現のための住民投票を実現させようという態度は変わりません。私は住民投票が実現してもおそらく大阪都構想は否決されるだろうと思っています。今回の市長選で橋下氏が得た得票数は前回2011年の約75万票の半分しか有りませんでした。投票率が低かったからではありません、橋下氏が市長に適任だと思った人は今回の選挙に行った筈ですから、投票率自体がほぼ橋下氏の支持率であり、選挙をボイコットした人は殆どが橋下氏は市長には適任ではないと判断したのです。仮に橋下氏を支持していても今回は間違いなく通ると思って選挙に行かなかった人が居たとしても、維新の会側としては投票率を上げるのに躍起となっていたはずですから、それはごく僅かであったと思います。投票率が23,59%でしたから、橋下氏に委ねた人は有権者の4人に一人も居なかったのです。更に23,59%のうち13,53%が無効票、そのうちの9,04%が白票でした。他に3人の候補者がいましたが、3人の得票総数より無効票の方が多かったというのも珍しい現象です。

             

このような結果なのに、未だ都構想を追い求める姿は憐れでこそあれ、「やるなぁ」とは思えません。ひょっとしたら、もしかしてだけど、住民投票をすること自体が目的であり、またまた無駄な税金を使おうと思っているのかも知れません。

             

『人類の進化大図鑑』という7600円(税別)もする図鑑を買ってしまいました。以前、人類は何処からやって来たのか(タイトルは忘れた)というような本を読んだ覚えがあるのですが、自分のブログを探しても感想を残していないようです。人類の誕生や日本と言う国家の成立、或いはそれ以前の今住んでる島国がどのようなものだったのかというようなことに非常に興味があるので、大枚をはたいてこの図鑑を手に入れたのでした。

                       

学校で習った人類の起源って、黄河文明やメソポタミア文明などの四大文明が発祥の地だと長いこと思っていましたが、それって文明の発祥の地であって、人類の発祥とは全く関係なかったのですね。ゴリラやチンパンジーはヒトと同じヒト科の生物ですが、人間ではありません。ヒトに遺伝的に一番近いと言われるチンパンジーからヒトが分かれたのはいつ頃のことなのか、皆さんは興味無いですか?

       

私たちとチンパンジーの共通祖先が生きていたのは800万年~600万年前の間と考えられているらしい。800年前と日本で言えば平安末期であり、私などからすると遥か昔なのですが、それが1万回分昔なのです。これらの写真は化石を基に復元されたものですが、一番左が700万年~600万年前に生存していたと言われるサヘラントロプス・チャデンシス、化石はアフリカのチャドで発見されました。次が現生人類(ホモ・サピエンス)が属するヒト属の祖先ではないかとされるアウストラロピテクス・アファレンシス、370万年~300万年前に生存していたと考えられています。右はホモ・ハビリス、240万年~160万年前に生存、最初の石器と一緒に化石が出たそうで、名前の意味は“器用な人”。

                       

こちらは横や斜めから眺めた復元です。どの頭部もこのように撮られた写真は載っています。アウストラロピテクス・アフリカヌスと呼ばれ、330万年~210万年前に生存していたと考えられています。

       

左がホモ・エルガスター、現生人類と同じぐらい身長が高く、類人猿に似た祖先とは異なる外見をしていたようです。190万年~150万年前の生存と言われています。真ん中がホモ・エレクトス、化石が出土するのは3万年前まで住んでいたと思われるアジアから、生存期間は180万年~3万年前。勿論化石はアフリカからも出ています。類人猿には無いヒゲが生えてます。右がホモ・ハイデルベルゲンシス、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカの現生人類の最後の共通祖先だったと考えられ、60万年~20万年前のヒト。

                       

左がネアンデルタール人、学名はホモ・ネアンデルタレンシス、この種が何故絶滅したのかは謎のままらしい。35万年~2万8000年前、化石はヨーロッパ全体からシベリア、西南アジアにかけて多方面で見つかっています。最後がホモ・サピエンス、初期のホモ・サピエンス集団には、ホモ・ハイデルベルゲンシスがホモ・サピエンスへと進化し、移り変わっていく様子が窺われると言います。700万年以上にわたって人類は進化を遂げてきましたが、人類の系統樹の中で生き残った枝は、ホモ・サピエンスだけだったのです。20万年前から生存しています。

             

人類の起源はほぼアフリカであると現在では考えられていて、アフリカから全地球に移動していったヒトがいたのです。この地図で赤い矢印がミトコンドリアDNAの解析に基づくもの、青い矢印がY染色体の解析に基づくもの、破線の経路が未知のものです。第二次世界大戦が終了するまで、ヨーロッパの列強国はアフリカやアジアの国々を植民地にしていき、今でも先進国と後進国あるいは発展途上国などと分別しているけれど、もともとのアフリカで生まれたヒトがヨーロッパに移動しなければ、ヨーロッパ人にしてもアジア人にしても存在すらできなかったのですから、その国の人たちをバカにすることは出来ません。日本人も殆どが中国や朝鮮方面からの移動なのですから、戦争したい人はすぐにそういうことを煽るけど、中国人や朝鮮人が日本人よりも劣っているなどと考えるのは言語道断なのです。

大失態や~

2014-03-27 05:00:00 | 大阪にて
センバツ高校野球も始まり、このところグッと暖かさを増してきました。3月初旬のソフトボールの練習では、少し動くと血尿が出た身体も、先週の土・日の練習では全く問題なく、手術から時間が経ったからなのか、暖かくなったからなのかの判断は出来ませんが、一安心していました。

ところが今回は火曜日、間違いなく予約通りに通った病院へ自転車で行くと、検尿ではどす黒い血尿が出たので、また元の黙阿弥、ただ自転車で行っただけだったのに、やはり上町台地への上り坂がきつかったのかも知れません。この日は暖かく、もうスパッツは穿かなくても良いと思って家を出たのに、天王寺辺りでもう汗びっしょり、天王寺から病院まではほぼ平坦かやや下り坂になっているのに、病院に着いても汗は引きません。おまけに病院内は未だ暖房を入れていて、暑くて堪りませんでした。

この日は体内に残されたバイパス用の管(ステントと言うらしい)を取り出すと言うのですが、てっきり部分麻酔をかけると思っていて、入院しなくても良いものなのか心配していました。ところが処置室と言うところに通されると、ちんちんの先に痛み止めのゼリーを入れて、その薬が効いてきたらそこから内視鏡を入れ、そのまま管を取り出すと言います。考えただけでも堪りません、痛そうです。

実際にゼリーを注入され、10分ぐらい待たされたでしょうか。医師が来て「ちょっと気色悪いですよ」と言いながら、内視鏡を入れていきますが、痛いと言うより確かに医師が言うように気色悪いのですが、時々チクリ・チクリと痛いのです。それは医師の腕によるものだったのかも知れません。施術していたのは3分ぐらいだったと思います。案外簡単に抜けるものだと思いました。

ただそれからがいけません。とても尿意を催すのですが、殆ど出ないのです。30分ほど待たされて診察があったのですが、その間に2回もトイレに行きました。診察では管を抜いたので、おしっこが出難くなるかも知れないとか、尿管に残っている石が引っ掛かって腰にハリを感じて、痛くなるかも知れないなどと言われました。だいたい手術してからの方が体調が良くなってないのですから、こんなことなら手術をしない方が良かったのではないかと思いさえしています。

前回貰ったウロカルンという薬は飲むのをよく忘れたので未だ半分ぐらい残っています。なのにまた「半月分出しとくから、忘れないように」と言われ、、「痛み止めはどうします?」と聞くので、「痛くなるんやったら出しといて」と頼んだら、10回分のロキソニンをくれていましたが、普通薬の説明書きが入っている筈なのに、何も入っていませんでした。次回は腎臓に石が溜まってないか調べるのでと、またまた予約、4月22日の火曜日になりました。

             

大失態というのは病院での話ではありません。毎年恒例の1000円チケット、4月初旬のチケットの申し込み締め切りが1月29日なのでしたが、その日は丁度手術日当日、なのでみんなに28日までに返事をくれるよう依頼してありました。ソフトボールの人たちと、元の職場の人たちに声をかけていたのですが、両方とも4月2日の京セラドーム、中日戦のチケットの申し込みでした。ソフトボールは私を入れて6枚、元職場は私を入れて9枚の申し込みだったのですが、入院手続きの慌しい中、私としたことが片方から私の分を減らせば良いだけだったのに、何を勘違いしたのか、職場の方を8枚頼んだのに、ソフトの方も1枚減らさなアカンと思ってしまって5枚、合わせて13枚と早合点してしまったのです。今回も京セラドームでは何かくれると言ってましたが、残念ながら今回は行けそうにありません。なのでブログのネタも一つ失してしまいました。

散歩にて

2014-03-26 05:00:00 | 大阪にて

春分の日も過ぎて6時前から明るくなり始めいよいよ春ですが、嬉しくなる半面厄介なものが飛来し始め、晴れていても朝から空が鬱陶しい感じです。相変わらず早朝からモモの散歩に出かけているのですが、公園の様子も徐々に変わりつつあります。

             

公園のプランターの花も華やかさが増しつつありますが、私としては考えられないような貼り紙がありました。

             

公園のプランターですから、個人のものではない筈ですが、この文章を読んでいると個人が勝手に植えているとしか考えられません。まぁ個人のものであろうとみんなのものであろうと花を盗って行くという行為は許せるものではありませんが、公のものを私物化しているのも許されることではありません。

             

私が知る限りではプランターに植えられた花ではないこの黄色い花が摘まれて捨てられていたのは見たことがあります。

             

冬の間は地面にひしゃげたようになっていたタンポポもそろそろ葉が盛り上がってきています。

             

2月の中旬から公園内のブランコが撤去されて以来、ずっとフェンスで囲んだまま放置されていた現場にひと月経ってようやくブランコの枠が運び込まれました。

       

どうするのかと思っていたらコンクリートの枠にセメントを入れて、固めていました。小さいコンクリートの枠はブランコの周りを巡らす柵に使うんだろうと思いました。

             

先週末になってフェンスは取れてないものの、ブランコは完成しています。いつになったら子供たちが使えるようになるのか・・・1ヶ月以上放置した業者は金儲けだけしか考えてなかったんじゃないのかと思うのです。

       

ブランコは前の場所より少し前に設置されました。ということは遊べる場所を狭められたということになります。それは市の指示なのか、業者の判断なのか、胡散臭さを感じています。このブランコが設置された日に何処の土か判りませんが、土が盛られている箇所がありました。でも先に公園に掘られた穴を埋めて欲しかったものです。

             

この国のあちらこちらでサクラが咲き始めています。大阪は未だ開花宣言がありませんが、この辺りのサクラの木々を見ている限りもう少しかかりそうです。

大相撲 三月場所

2014-03-25 05:00:00 | 大阪にて

警察病院からの帰る道は来た方向と同じように天王寺方面を選ぶか、少し遠めになるけど難波方面を選ぶかどちらかなのですが、普段はあまり外出することもないので、この機会を逃すまいとどちらかの繁華街で昼食をとり、買い物をして帰るのですが、今回は大阪で大相撲の春場所が開催されていたので、難波まで足を延ばして大阪府立体育会館へ行ってみることにしました。生涯に一度は大相撲を観に行きたいと思っているのですが、今年もチケットの発売状況を確認すると、2階席の空きはあっても土俵近くの席は升席しか空いてなく、升席は4人一組なので1人で買うのは勿体ないので、今年も観戦することは出来ませんでしたが、あわよくば何処かに空席はないかと思って切符売り場にも行ってみたのですが、状況が変わっている筈もなく、関取の到着を外で待っている人たちの中に紛れて写真を撮っていました。

             

府立体育会館は今はボディメーカーコロシアムと呼んでいるようですが、どちらが正式な名称なのか自分でもよく分かっていません。この日は大阪出身の豪栄道と新鋭・遠藤の対戦があり、幟を見ていると丁度二人の名前が並んでいました。

             

幟は関取の名前だけかと思っていましたが、呼び出しの名前まで有ったのには驚きです。

             

タクシーで乗り入れる関取、自家用車で送ってもらってる関取と様々ですが、みんなデカいですね。特に関取と名のつく力士は肩から胸にかけてが大きい、一度ぶつかってみたいような気がしてきますが、私なんかがぶつかってもびくともしないと思います。

       

1時半ごろから1時間ほど時間を費やし、何人か顔を知ってる関取が通り過ぎますが、四股名が思い出せません。考えてみれば大相撲というのは第2日曜から始まって第4日曜まで開催されていることが多く、いつもは串本のテレビで観ていることが多いように思います。琴欧洲は今場所途中で引退しましたが、やる気さえあればもう少し取れるんではないかと思っていました。

             

今場所は二人の横綱が終盤まさかの3連敗で優勝は鶴竜、横綱昇進は確実でしょう。豪栄道も12勝3敗と健闘したので、来場所はまた大関取りの場所になりそうです。

2014-03-24 05:00:00 | 大阪にて

3月上旬は寒い日が続きましたが、このところやっと春めいて暖かくなってきました。2月から練習を始めようと思っていたソフトボールも雪や雨、学校の予定などで開始が遅れ、最初の練習は3月になってから、8日の土曜日でした。この日も寒く、体調も悪くてあまり体が動けませんでした。寒いので余計に尿意を催し、トイレに行くと茶色の血尿が出ました。家に居てじっとしていると普通の尿が出るのですが、運動するとどうも血尿になってしまうようです。予約を間違って病院に自転車で行った日も家を出る前は普通だったのに、病院でトイレに行くと茶色い血尿が出たので、自転車でも(上町台地を登らないといけないので少し頑張りますが)調子を落としてしまうようです。ただ少し暖かくなった17日の通院では、そんなにどす黒い血尿は出ませんでした。気温も関係あるのかも知れません。ただ帰りがけに難波に寄ってあっち、こっち行ってると疲れたのか、帰ってからトイレに行くと真っ赤な血尿が出、夕方から翌朝にかけて粉末が固まったようなものが出てきました。退院してから少しの間同じような状態が続きましたが、ここ暫らくはそういう状態はなかったのです。

2月18日に結石の状態の検査を受けた際に貰った薬、ウロカルンと言う漢方だそうで、結石が大きくなるのを防ぎ、溶かして、体外へ出す効果があるそうですが、これは串本病院で貰ったのと同じ薬でした。毎食後摂らないといけないので、すぐに飲むのを忘れてしまうのですが、少しは効果があるのかも知れません。

             

手術以降、毎日1500mlの水分を摂れと言われていたので、トマトジュースか野菜ジュースと一緒に、紅茶をマグカップ1杯分飲んでいました。最初は安い日東紅茶を飲んでいたのですが美味しくなく、少し高価なリプトンに変えたのですが、相変わらず美味しいとは思えません。コーヒーの方が美味しいとは思うのですが、コーヒーを飲んでも酔わないので昔から飲む習慣がありません。と言ったところで紅茶を飲んだら酔うこともありません。不思議に思ったのはリプトンのティバッグはテトラ状になっていて、お湯を注いでも沈まないで浮いているのです。茶葉に強い浮力があるのでしょうか、水を吸っても沈まないのが不思議です。

               

以前から帽子の顎紐を探していました。探していたと言っても躍起になって探したと言うわけではありません。それらしき物を売ってる店で適当に見て回るぐらいでしたが、『SPRTS AUTHORITY』というアメリカ系列のスポーツ店でこれなら使えると見つけたのは、おそらく紐はメガネのフレームに付けて使うものだと思うのですが、紐+キーリングで使えるのではないかと思ったのでした。普通顎紐が付いている帽子は、最初から編み込んでありますが、今回顎紐を必要とする帽子には、顎紐用の輪っかが付いてあったのです。

それから暫らくして、難波へ映画を観に行った帰り、パークスに入っているスポーツ用品店『XEBIO』に寄ると、全くこれは顎紐だと思えるものを見つけたのでした。順序が逆なら買うのは1種類で済んだと思います。

                       

これは詰め替え用の台所用洗剤です。約2回分っていう表現はおかしくないですか?日常こういう洗剤を使っていれば理解できますが、今まで洗剤を使ったことの無い人がこれを買ってきて「2回分か」と思うことになると、半分をスポンジにかけてしまって、ヌルヌルになってしまって、洗うどころではなくなるんじゃないかと心配してあげます。せめて、2本分という表現なら、初めての人でもそういうことにはならないと思うのですが・・・

生玉表門

2014-03-20 05:00:00 | 大阪にて

月曜日に再度警察病院に行って来ました。結石ではなくて糖尿関係の検査があるのでした。結石は25日の火曜日、ここで書いておけばまず間違って行くようなことはないと思うので書いておきます。結果から言うと何が何ぼと数値を言われても私は何も解りませんが、どうやら数値は正常になっているらしい。もう警察病院には行かなくて、近くのお医者さんで定期的に検査を受けてくださいと紹介状を貰いました(買わされたのかも知れない)が、たぶん行かないでしょう。

前回間違って病院に行った日は生國魂神社を訪れ、その際に表門通りは移転された新歌舞伎座の辺りまで続いていたと知ったので、どの辺りまで続いていたのかと上町筋を北へ向かって走って行きました。新歌舞伎座は以前は難波に有りましたが、移転しても新歌舞伎座なので、それっておかしいなと思いながら走っていたのです。

             

難波に有った新歌舞伎座は何処かから歌舞伎座を移転してきたか、建て替えたので新歌舞伎座と名乗っていると思っていたのです。だから新歌舞伎座を移転すれば新新歌舞伎座となるのが当然だと思ったのですが、何か違うのでしょうか。まぁ、歌舞伎座も新歌舞伎座も入ったことがありませんから、そこらのことの真相はよく分かりませんし、分かったところで人生に何の影響も無いし、政治が変わると言うこともありますまい。

             

『松平健』と『川中美幸』の旗があったので、すぐにここだと分かったのですが、難波の新歌舞伎座のような建物は有りません。どうやら右側のビルの6階にあるらしく、歌舞伎という伝統芸能とはかけ離れた感じです。難波に有った新歌舞伎座の外観は如何にも歌舞伎を上演するのに相応しそうなものでしたが、何故こんな建物にしたのか、理由は1階フロアにありました。

                       

公園のポスターが貼ってあって、3月は旗の二人、4月は神野美伽とか香西かおりと誰々、5月は坂本冬美、6月は石川さゆり、7月は島津亜矢、8月は前川清・・・と歌舞伎などは上演されないのです。歌舞伎が上演されない新歌舞伎座って、歌舞伎座の名を付けて呼ぶには相応しくないですね。

             

この新歌舞伎座の前から西へ延びる道を生國魂神社のある方向、西に向かって僅かな上り坂を谷町筋まで歩いてみましたが、谷町筋の西には生國魂神社の鳥居は有りませんでした。もう一筋南の道まで下ると確かに神社の大鳥居が見えます。

             

つまり、この通りが参詣客で賑わっていたと言う表参道なのでしょう。ひょっとしたら左に見える家並みは無かったかも知れません。もっとだだっ広い道ではなかったかと想像が頭を過ぎります。

             

ところで大阪市長選挙の投票日までに書くブログは今日が最後になります。選挙管理委員会が出した選挙公報を見て、思ったことは確か4人立候補したはずなのに、公報には何故か3人しか名前が有りません。1人は立候補を取り下げたのか、それとも公報にさえ載せる文章を書く能力が無かったのか・・・

                       

いずれにせよ、橋下徹が再選するのは目に見えてるのですが、こんな無駄な選挙を大阪市民がどう判断するのか、それは投票率に表れると思うのです。わざわざ選挙に行って橋下徹と書いて、その上から×をするようなことも考えられますが、そういう票はどちらにしても無効票ですし、何も書かずに投票すれば白票であり、それはそれで投票率が上がって橋下の思う壺になるので、私は投票には行かないことにしました。

公報で橋下候補は、“府市統合・再編を前に進めさせてください。”と市民にお願いするような形をとっていますが、市民の思いや願いには背を向けておいて、自分の願いを聞いて貰おうとするのは市長として本末転倒しているのではないかと思うのです。再編すれば平成45年までに約1375億円の財源が増える、効果額は約2900億円にもなり、“全ては次世代のために。”などと強調していますが、だいたい平成45年があるのかどうかも疑わしいし(間違いなく書くとすれば西暦で書けるはず)、効果額とは何を指しているのかさっぱり解りません。次世代の為になら今はどうでも良いのか?と聞きたいし、“全ては次世代のために。”で文章が終わっていれば“なる”のか“ならない”のか判らないではありませんか。この手法って橋下氏の常套手段ですよね、いつも都合が悪くなると「そんなことは言っていない、あなた達がそう勝手に思っただけ」などと言うのですから、この言葉もその作戦の一環なのでしょう。

             

私のマンションの前にある市バスの停留所、天王寺まで100円で行けた赤バスを廃止したうえ、この4月1日からはこの停留所も廃止だと紙が貼られています。「おいおいどういうこっちゃねん!?」と怒りたくもなるというものです。要するにここの路線バスは要らないという判断らしい。けれど現にここでバス待ちをしている人をよく見かけるし、例えば天王寺に行こうと思うとき、足腰の弱いお年寄りのことを考えると、地下鉄に乗れば大国町駅で階段を上り下りして乗り換えなければならないし、南海電車・JR環状線を使うにしても新今宮駅で階段の昇り降りをして乗り換えねばなりません。そういう弱い立場にある人たちのことは何も考えてない、強い者だけが生き残れば良いと言う考えの持ち主らしい判断です。先ほどの2033年にこうなるという試算、そりゃ天皇は何とか生かされているかも知れませんが、私はおそらく生きてませんよ、きっと大風呂敷を敷いていると思いますがね。

生國魂神社 Ⅲ

2014-03-19 05:00:00 | 大阪にて

生國魂神社の記事を引っ張って3日目です。串本に行く機会がなかなか出来ず、ネタに困っているのです。でもこの神社に赴いたこの日が病院の予約日でないと判っていたら、先週1週間は串本に滞在できたのにとは思いながらも、朝晩の冷え込む姫の家では電気代が嵩むことを考えると、のんびりもしていられないなどと、予約日を間違えた責任を放棄するような考えを持ち出していることを打ち消すことが出来ません。ただ神社にやって来た時と帰ろうとするときの空の様子が全く違うので、その違いも比べてもらえたらいいなぁと思いながら、同じような写真を三日間もUPしているのです。

             

まぁネタの為だけではなく、実際にこの神社にはモニュメントや像が多くて、やはりくまなく紹介しておきたいと言う気持ちの表れでもあるのです。

浄瑠璃神社より北、そして東側にあったこのモニュメントは左が浄瑠璃記念燈、右が八雲琴の碑です。八雲琴の碑には“二つ緒の八雲の琴に神の世の しらべを移し伝え来にけり”の句が刻まれており、中山琴主という全く知らない人のことを紹介していました。

                       

昨年生誕100年を迎えた織田作之助、私は読んでいませんが『木の都』という小説に“・・・生國魂神社の境内の巳さんの棲んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟の老木があったり・・・”という一節があるからなのか、去年ここに銅像が建てられました。奥に立ってる白い服を着たものは像ではありません。相変わらず竹ぼうきで掃除をしている人です。

             

北門から入場した人のための案内標識、写真を撮ってカメラを下すと何故か視線を感じます。この写真では判り難いのですが、織田作之助の像がこちらを見ていたのでした。

       

生玉の杜のあちらこちらに俳句の碑が置かれています。左と真ん中は知らん人、先ず左は松木淡々という人の“しののめや すずしき綿の 花ざかり”という句、真ん中は月亭可朝ならぬ生田花朝の“餅花の 柳芽をふく 二月かな”、右は南御堂近くで最期を迎えた芭蕉の“菊に出て 奈良と難波は 宵月夜” 風流でしょうか?

             

次は井原西鶴像、境内の南坊に於いて一昼夜で4000句の独吟『矢数俳諧』の新記録を達成したとありましたが、それは無理というもの、24時間で4000もの句を詠もうと思えば1日中ずっと約3分に一つの句を詠まなければなりません。

             

大坂ではまだまだサクラの季節ではありませんが、陽も当たらない所で、花を咲かせているサクラの木がありました。

             

約20分かけて生玉の杜を一周しました。20分もかけるほど広い境内ではありませんが、何度も行ったり来たりしているうちに時間を費やしてしまったのでした。

       

45分ぐらいの見学でしたが、その間に青空が広がりました。月曜日に掲載した写真とはかなりイメージが違うでしょ。

この生國魂神社は織田作之助や井原西鶴の他にも谷崎潤一郎が『春琴抄』の中に登場してきます。右の写真、ここが昔蓮池が有ったと言われる生玉公園、遠くハルカスが見えています。大きさで言えば私の家から見えるのと同じぐらいですから、直線距離では同じぐらいなのでしょう。

             

見学を終えて千日前通を難波へと向かいました。途中松屋町筋との交差点でも神社の鳥居が有りました。でも案内看板が示しているように、この坂を登って一番近い門は北門、本殿より先に生玉の杜を巡ることになってしまいます。

生國魂神社 Ⅱ

2014-03-18 05:00:00 | 大阪にて

実は生國魂神社を訪れたこの日、家を出て警察病院に行くまでは良い天気だったのですが、西の空がだんだん曇ってきて、神社に入った頃には細かい雨が降って来たのです。気になるほどの雨でもないと思っていたのですが、明るい方を見やると雨粒が見えるくらい降っているのです。この日は自転車で坂道を登ってくると汗をかくだろうと思って、ダウンジャケットは着ずにジャンパーを羽織って来たのでした。思った通り病院に着くころには汗が流れていましたが、予定外だったのでそそくさと病院を出たところ、汗が乾く暇もなく神社にやってきたので、寒くて敵いません。その上に雨ですから、雨宿りでもしようかと思ったのですが、全体としては明るかったのでそのままで散策を続けたのでした。

       

精鎮社より南西奥に3つの社が並んでいました。一番左は稲荷神社、佐賀県の祐徳稲荷の分霊で、鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が崇敬したそうです。真ん中が『源九郎稲荷神社』奈良県吉野郡の同じ名前の神社の分祀したものだそうで、道頓堀中座に祀られていた八兵衛大明神も合祀されていて、歌舞伎役者や松竹新喜劇の人たちが訪れると言います。一番右が鴫野神社、女性の守護神として崇められて、縁結び、悪縁切など心願成就の霊験あらたかだとか。

             

鴫野神社の社には心に鍵をしているような絵が描かれた提灯がぶら下がっていました。鴫野と言えば今の呼び名は学研都市線なのか片町線で良いのか、よく知りませんが、昔の片町線に乗ると京橋と放出の間の駅、大坂城のやや北東方向に有りますが、何か関係があるのでしょうか。前身は鴫野の地にあった弁天社だという説明が有りましたが、その地はOBP(大坂ビジネスパーク)辺りとか、JRの一駅分ですから、結構遠いように思えるのですが。

             

城方向神社と北の方へと並んで建っていたのが左から鞴神社、家造祖神社、浄瑠璃神社です。鞴(ふいご)とは火熾しの道具、昔で言えば鍛冶屋さんの神さんです。家造りの神って全国でここだけだそうです。浄瑠璃は橋下から無用扱いされた文楽関係者の神さん、因んで芸能人全般の神さんとしてもテレビで紹介されていたような記憶が有ります。

             

境内にはこのように神社の説明をした案内板が2ヵ所有りました。こえは絵馬が有ると言うことなのでしょうが、何故か住吉神社と精鎮社の海と関係の深い神社の絵馬が有りませんね。生國魂神社は海の神を粗末に扱っているのかも知れません。

       

一番左の写真は北門から外を見たもの、階段と坂が続いて交わる先は千日前筋です。真ん中の鳥居は生玉の杜へ入った時に最初に有ったものですが、城方向神社とか鴫野神社、浄瑠璃神社などを見て、帰ってきた時に撮ったもの、右の写真はその鳥居を入って行く方向から撮れないかとあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと場所を探したのですが、前が狭くてこんな写真になりました。そろそろ雨が止んで、陽が差してきたようです。

生國魂神社

2014-03-17 05:00:00 | 大阪にて

先週金曜日、てっきり病院の予約の日だと思って、朝食抜きで8時15分に家を出て、自転車で病院へ向かい30分で到着、診察券を庁内LANに繋がった投入口に入れると、普段なら予約票が出てくるのですが、いつもと違う画面が映し出され、ちょっと固まってしまいました。受付けに行って尋ねると予約は17日、つまり今日だったわけです。今日も朝は絶食です。

             

お腹が減って仕方ないのに、何処へ行くにしても未だ店は開いてないので、何処で時間を潰そうかと思い、自転車なら5分もかからないところにある生國魂神社へ行ってみることにしました。生國魂と書いて「いくたま」と読みますが、そうは読み難いですね。この神社のある町の名前は生玉町、神社の南東には生玉公園、神社の隣には生魂幼稚園が有り、谷町筋を越えると生魂小学校があるので、「いくたま」と読むには國という字が邪魔なようです。

             

9時前に神社前に到着、生玉公園にあった交番の横に自転車を停めて鳥居の方向へ歩いていきました。竹ぼうきを持って掃除している人が二人いました。これぐらいの仕事だったら自分でも出来る、9時などと言う遅い時間じゃなく、もっと早い時間から始められるから、雇ってもらえないかと思ったけど、やはり神社で働くのは私にはむいていません。

             

私は谷町筋を西に曲がって生國魂神社の表参道を走って来たのですが、江戸時代には谷町筋を越えて近鉄電車の上本町駅の隣に出来た新歌舞伎座の辺りまで参道が続いており、全国からの参詣者が絶えなかったと言います。

彦八噺で有名な米澤彦八の碑、五代・六代の笑福亭松鶴が念願していた建立でしたが、果たすことが出来ず、平成2年に仁鶴が筆頭となって建立したと、何故か桂小文枝・春団治・米朝の名で書かれた碑も有りました。でも碑の前に賽銭箱が有るのはいただけません。

       

生國魂造と呼ばれる桃山文化の遺構を伝えた本殿。境内北側に並ぶ、手前から天満宮、住吉神社、皇大神宮です。末社と摂社の区別がイマイチよく解っていません。

             

生玉の杜と呼ばれる境内へ降りる階段、下の方でも竹ぼうきで掃除している人が居ましたが、今度は齢をとっている人でした。

       

杜に降りるとやはり神社が有りました。先ず『城方向八幡宮』変わった名前の神社ですが、「しろほうこう」ではなく「きたむき」と読むそうですが、正面は東に向いています。朱が鮮やかな鳥居の神社は精鎮社、元々は今の生玉公園に有った蓮池祀られていた弁財天社を移転、漁師や釣り人、鮮魚を扱う商人から崇敬を集めていると言いますが、私は初めて知りました。早速授与所でこの精鎮社のお守りを買おうと思ったのですが、「有りません」と言われてしまいました。よく見ると鳥居は池の中に建っており、池を覗くとびっくりするような大きいコイが数匹泳いでいました。